2012年01月16日

成功の鍵を握る「奉仕」C

「不思議研究所は社会使命を持たず楽しむだけに研究をします」
と、敢えて主張している森田健氏は、
『自分ひとりでは変われないあなたへ』の中で次のように述べている。

……第2のパーソナルIDコードを意識すると、
私の前にドアが出現していました。
やはり変性意識状態に入ると離脱できるのです。
ドアには愛と自由の扉と書いてありました。
私は今まで何冊か本を書いてきましたが、
愛については一言も書いてきませんでした。
それは愛についての一つの仮説を持っていたからです。
私は愛について書かれた多くの本をたくさん読みました。
しかし愛する人間にはなれなかったのです。
逆に本を読み終わったとき、
俺は何て愛のない人間なのだろうと思い知らされるばかりでした。

愛は作り出すものではなく、受け身的に作り出されるもの……
それが私の愛に対する仮説でした。
だから何度も離脱する中で、そこで会う存在たちから
「愛せよ」と言われたらどうしようと思っていました。
その一言は私にとって一番つらい言葉として残るからです。
しかしラッキーにも、一度も言われたことはありませんでした。
私はテストをしたくなりました。
するとドアは愛と自由という2つのドアに分離しました。

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最初のドアが愛、次のドアが自由です。
私はまず、「人を愛そう」という気持ちを持ってみました。
最初のドアが開きました。
しかしまた愛のドアが出現していました。
そのドアまでは開きません。
今度はもう一つのテストをしてみました。
最初に自由のドアを持ってくるのです。
私は「自由になった」と思いました。
自由のドアが開きました。

そしてそのあとに続く、愛のドアは……そう、無かったのです。
もちろんこれは私の観念の中の世界でしょう。
客観的な事実とは程遠いかも知れません。
しかしもしも主観的な世界の中ではこれが本当だとすれば、
愛という扉を開けても、向こう側に抜けることができないのです。


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魂の融合で生命が増幅する

愛そうと努力すると、愛の扉を無限に作り出してしまうのです。
その代わり自由になれば、
愛の世界への障壁は自動的になくなってしまいます。
いま、地球環境の悪化が騒がれています。
地球を愛そうという言葉が氾濫しています。
「若返りの生き方」という表をご覧下さい。
「愛そう」という言葉は年齢増加の方に入ると思います。

なぜなら「愛そう」というのは一つの信念だからです。
愛を良いものとして位置付け、それに向かおうとするからです。
決して愛が悪いと言っているのではありません。
そもそも本当の自分というものの中に、
悪いというものが存在するのでしょうか?
もし存在するとすれば、その人は欠点を改善するための
「なること」の世界に入らなくてはなりません。


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「若返りの生き方」という表の中で、若返りにあたるほうは
他の生命体との間で魂の融合が起こっています。
魂の融合が起こると、その輪の中に生命エネルギーが流れ込みます。
若返るというのは両方の生命体で起こる現象なのです。
ですから孫さんが蘇生実験をするたびに、彼女は若返っているのです。
一般的に言われている、気を出せば年を取るのは念力の世界なのです。
それが証拠に孫さんは40代にしては、ずいぶんと若く見えます。
逆に愛そうと思う行為は、年齢増加に該当します。

愛そうという信念が邪魔をして、
生命エネルギーが中に入ることができません。
これでは生命の増幅現象は起こりません。
地球環境を良くしようと思い、自分を律し、
倹約の世界に入ることが地球にとってプラスなのでしょうか。
モンロー研究所で体外離脱をしたときに、フォーカス35へ行きました。

そのとき前世の私自身に言われました。
人間は自由になるために生まれてきたのだと。
自由と融合が輪廻転生をクリアーするキーだと。
人間は自由になるためにこの地球に誕生しました。
私たちは一気にそこに向かえば良いのです。
そうすると、地球を含む他の生命体とエネルギーの融合が起こります。
若返り現象は人間だけでなく、地球にも起こるはずなのです。


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「あなた方の最大の罪は愛が足りない事です」とホザいた、
いや、喝破したマザー・テレサの顔が皺クチャなのも頷ける。
釈迦が説いた中道について書かれた記事を発見したが、
マザー・テレサに当てはまるような事が書かれていた。

「あなたのやっていることは悪いことです。正しい行いをしなさい」
というようなことを道徳的な人、宗教的な人が言うことがあります。
その人は愛であろうとしているのでしょうが、それは、
相手やその考えの否定であり、分離以外の何ものでもないということです。
つまり、愛であろうするなら、それはまったく逆であるということです。
これまでの「常識」を捨てなくては、パラダイム・シフトはできないのです。

http://www.geocities.co.jp/milkyway/4017/ikikata/v4-buddha/syoten.html

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前述のもりけん氏の話に戻すが、
「人間は『自由』になる為に生まれてきた」という。
「自由」とは、輪廻から脱却する事である。
そこで1つ大きな疑問が残る。

もりけん氏は、フォーカス35で前世の自分と遭遇した。
フォーカス35とは、輪廻を脱却した涅槃の世界である。
前世の自分が輪廻を卒業しているのに、
森田健という人間として人間界に転生し、前世の自分と対話をしている。
だが、「汝の正体は複数の人格の断片の複製・合成物である」
で書いた通り、輪廻の仕組みが分かれば何も不思議ではない。

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話が逸れる前に、もりけん氏の話の続編として、また、
マザー・テレサに繋がるテーマで、もう1つの話を紹介しておきたい。

『願わなければ叶う5つの真実』の中で、老師は次のように述べている。

『老子』という中国の古典に「大道すたれて仁義あり」という言葉がある。
これは、「大いなる道が失われたので、
思いやりや正義が大切だと人は言うようになった」という意味だよ。
大いなる道とは、境界線のない自分、大いなる可能性を秘めた自分。
「ありのままの自分が失われたので、
思いやりや正義が大切だと人は言うようになった」ということだよ。
ありのままの自分を失わせる最初の原因こそ、生きている事への不安だ。
その不安を隠す為に、ワシらはもっともな言い訳を作り出す。
思いやりや正義が足りないせいにして、境界線を作り出してしまうんだ
その結果、ありのままの自分が持っていた可能性や「自由」を失ってしまう。
悩み、苦しみ、不満が生まれ、ますます不安はつのる。
その不安が、また新たなる言い訳(境界線)を作り出してしまう。
そして、ますます身動きが取れなくなってしまった自分に、
さらなる悩み、苦しみ、不満が襲う。
その不安が、また新たな言い訳(境界線)を……この繰り返しなんだよ。
言い訳(境界線)を作り出すことばかりにアタマを使っているなんて、
こんなバカな話があるだろうか。


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ここからは著者の有野真麻氏の文章

老師の話を聞いていると、もしかしたら僕らは、
答えのない不安から逃げるために仕事や金儲けに励んだり、
恋愛に熱中したり、子どもを一流の学校に入れる事や出世を目指したり、
スポーツやレジャーを楽しむのかも知れないと思えてきます。
そんなことに忙しくしている間は、不安を忘れることができるからです。
あるいは、思いやりや正義のある社会にしようとか、
平和な世の中にしようといったところで、不安のある限り、
そうしたことも言い訳に過ぎないのかも知れません。
老師の言葉によれば、
「だから、いつまで経っても世の中に対する不満なんてものは、
なくなることはない。
いちばん根っこの原因である生きていくことの不安を解決しない限り、
本当の解決にはならない」のです。


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生きていくことの不安が根本原因だというが、
もっと言えば「死の恐怖」及び「輪廻を繰り返す恐怖」、
更には「魂が永遠の存在である恐怖」だと言える。
獣は幼少の頃から、それらの恐怖に取り憑かれて、
たびたび発狂しそうになっていた。
今の言葉で言えば、パニック障害だったようだ。
だが、天人合一を体験して以来、
そのようなパニックに襲われる事はなくなった。

「平和な世の中にしようといったところで、不安のある限り、
そうしたことも言い訳に過ぎないのかも知れません」
との事だが、獣には何の不安もない。
また、獣は「平和な世の中にしよう」などと言った記憶もない。

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むしろ、白光真宏会の「世界人類が平和でありますように」
というキャッチフレーズに対する批判記事を書いた記憶がある。
「平和でありますように」というのは、
今が平和ではないという認識が前提になっているからだ。
また、未来形での願い事だからである。

獣が主張する「世界平和」は、
あくまでも「世界平和を実現した」という事である。
それが現象界に映し出されるまでにはタイムラグがあるが、
人間としての獣の役割は、
啓示やインスピレーションに従って今を生きるだけである。

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呉々も述べておくが、獣はマザー・テレサを非難している訳ではなく、
読者に分かりやすいと思って例に挙げているだけである。
マザー・テレサは、貧しい人々の為に働き続け、
その生涯を愛に捧げた偉人である。
それについては本当に頭が下がらない、いや、上がらない(笑)

イエスは次のように述べている。

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」

マザー・テレサも次のように述べている。

「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
人から見放され、自分は誰からも必要とされていないと感じる事なのです」


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では何故、マザー・テレサは貧困者ばかりに献身的になり、
富裕者を非難したのだろうか。

マザー・テレサは次のようにも述べている。

「この世界は食べ物に対する飢餓よりも、
愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです」


世界の大富豪たちも、金持ち故の虚無感を感じて生きている事は、
中丸薫氏のインタビューでも明らかである。
http://kemono666.seesaa.net/article/240696959.html

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また、イエスの言葉を借りれば、金持ちほど不幸であり、
情けを掛けるべき対象であるとも言える。

マザー・テレサ自身、次のように述べている。

「貧しいことは美しいことです」

マザー・テレサの言動が矛盾していると感じるのは獣だけだろうか。

マザー・テレサは次のようにも述べている。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」

「一切れのパンではなく、多くの人は愛に、小さな微笑みに飢えているのです」

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貧困者に無関心で、戦争を起こして暴利を貪る大富豪たちこそ、
愛に飢えた(愛を知らない)人々であり、
彼らにこそ微笑みや愛を与えるべきではないだろうか。
それが、貧困や戦争をなくす為の根本的な活動だと思うのだが……。

実際問題、マザー・テレサのように、
貧困者に微笑みを与え歩いても、貧困も飢えもなくならない。
まず、マザー・テレサの最初の間違いは、貧困か富裕か、
病気か健康かという判断で、人を分別している事である。
それはニュートラルではない、中真から外れた偏見であり、
且つ、愛が足りない富裕者を罪人扱いするという過ちを犯している。
富裕者の虚無感や苦悩に「無関心」なのも、
マザー・テレサが説く「愛」と正反対である。

詳しくは、以下の記事を参照して頂きたい
http://messiah666.seesaa.net/article/234647153.html
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マザー・テレサの愛は憐れみで、
「慈悲」とニュアンスは似ているが非なるものである。
真の慈悲とは、万物万民に差別なく
平等に与える太陽の光のようなものである。

王仁三郎は次のように述べている。

「神の実証は太陽である。
太陽に神力を集中しておられるから、
太陽を見れば神の存在は判るのである」


マルチョンは、占星術で太陽のマークでもある。
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真の慈悲は「阿弥陀如来の本願力」であり、
阿弥陀如来は宇宙の根本仏にして「ブラフマン」である。
そのブラフマンが人間に顕現したのが「アートマン」、
即ち真我(真の自己)であり、太陽神を象徴する「キリスト」なのだ。
故に、キリストは貧困者のみならず、人類の救世主であり、
人類の罪を贖う為にイエスとして誕生したのである。

利他行は愛の行為である。
隣人愛や人類愛といった崇高な愛で、仏教でいう「慈悲」にあたる。
それが阿弥陀如来の「本願力」である。
阿弥陀如来は宇宙の根本仏であり、人間の真我である。
無我の境地に現れる「真我の真心」による行為が「真の利他行」であり、
その本質は「究極の利己行」という事なのだ。

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浄土真宗の「悪人正機」説によると、
悪人こそが阿弥陀仏の本願による救済の対象だという。
阿弥陀仏の救済対象は一切衆生である。
よって、一切衆生は末法濁世を生きる悪人であり、
「悪人」であると自覚した者こそ、
阿弥陀仏の救済の対象だという意味らしい。

それはそうだろう。
内観の過程では、誰もが自らを「悪人」だと自覚し、
反省と感謝で真我に目覚めた時に「自己救済」が成されるからだ。
親鸞は、全ての人間の本性は悪人だと述べている。
それもそうだろう。
悪人(迷える霊)でなければ、人間界に生まれていからだ。

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親鸞曰く、「善人」は真実の姿が分からず、
善行を完遂できない身である事を知らない悪人だという。
結局、マザー・テレサも救われるべき「悪人」だという事になる。

また、親鸞は自らを深く内省する事によって、
阿弥陀仏の本願力が「親鸞一人の為であった」と悟っている。
親鸞一人というのは「一切衆生」を意味する。
即ち、親鸞の世界に於いて、一切衆生は親鸞の投影であり、
他者は実在ではないという事を悟ったのだ。

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『日月神示』には次のように示されている。

「山も自分、川も自分、海も自分ぞ。
草木動物ことごとく自分ぞ、歓喜ぞ。
その自分出来たら天を自分とせよ」

「大神は一切を幸し、一切を救い給ふのであるぞ。
一切が神であり一切が喜びであるぞ。一切が自分であるぞ」

「自分のみの自分はないぞ。
縦には神とのつながり切れんぞ。
限りなき霊とのつながり切れんぞ。
故に神は自分であるぞ。一切は自分であるぞ」

「自分は自分一人ではなく、
タテにもヨコにも無限につながっているのであるから、
その調和をはからねばならん。
それが人間の使命の最も大切なことであるぞ」

「皆々己となれば己はなくなるぞ。
己なくなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ」


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一切皆己であるが故に、
「利他行」や「隣人愛」という観念は錯覚に過ぎないのだ。
また、自己を無限に拡大した無限我(天人合一)は、
個としての自己は「無我」という事になる。
自分の意識が消滅する訳ではないが、
「個」としての自己(自我)は非実在の幻想である事を認識する。

親鸞とマザー・テレサを比較して揶揄する訳ではないが、
比喩的に比較する事で「霊止乃道」が観えてきたであろう。

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だが、マザー・テレサは1つだけ良い事を言い残している。

「日本人はインドのことより、
日本の貧しい人々への配慮を優先すべきです」


読者の皆様、宜しくお願い致します(笑)

「5次元突破と愛菌の駆除」も併せて参照して頂きたい。
http://messiah666.seesaa.net/article/222123976.html
posted by ZERO at 09:09| Comment(0) | 自己啓発・自己実現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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