2012年01月17日

成功の鍵を握る「奉仕」D

ここで、ありがとう仙人の話を紹介したい。
臨死体験者が語る人生の目的〜私は、何のために生きてるの?

今日は「人生」についての話しです。
というのも、先日、臨死体験をした人から話しを聞く機会があり、
話しを聞いて思うところがあったからです。
精神世界では、人が死ぬと、つまり、肉体から魂が抜けると、
自分のこれまでの人生の映像を第三者の立場になって
映画のように見せられると言われています。
そして、自分の人生を振り返って、次の生を決めるのです。

例えば、他人の幸せを妨げ、自分勝手に生きて来た人が死んだとします。
その後、これまでの傍若無人な態度を第三者の立場で見た時、
自責の念に苦しみ、泣き出します。
その時に感じた気持ちを基に、次に生まれる環境を自分で選ぶのです。
自分が生まれる国、容姿、性別、親を自分で選ぶのです。

「おやおや」(笑)

がははは…っ!

これが精神世界で言う「生まれ変わりの仕組み」です。
先日、臨死体験をした人も、まったく同じ体験をしたそうです。

以下、その人の話しを要約します。

「では、今から臨死体験を語りますね」

「あのよぉ〜(あの世)」(笑)

あっ、冗談です。

がははは…っ!

―----------------―----------------―----------------

病床で苦しんでいた私でしたが、何だか急に心が楽になったと思ったら、
肉体から魂が抜けていました。
天井から病床に臥せっている自分を見て、こう思いました。

「ああ、とうとう俺は死んだのかぁ」

と、思った途端、神々しい光が目の前に現れました。
その光は、太陽などおよびもしないくらい光輝いていました。
しかも、その光は、愛深い感じがして、心地良いものでした。
至福とは、こういう感じを言うのでしょう。
私は至福感に浸っていました。
まさに、極楽浄土です。私はすぐに思いました。

「神様!」

すると、突然、これまでの自分の人生が走馬灯のように、
映画として上映されました。
しかし、その人生映画は、逆戻りの内容でした。
つまり、今から過去に遡って、生まれるまで逆戻りするのです。
楽しかったこと、辛かったこと、
悲しかったことなどが次々に映し出されました。

そして、私は思いました。

「私は、生きている時は楽しいことを追求してきた。
そして、辛いことや悲しいことを排除しようとしてきた。
しかし、こうして自分の人生を映像で見てみると、
楽しかったことよりも辛かったことや
悲しかったことの方が自分の為になっていた。
また、自分が幸せになった時よりも、
他人を幸せにした時の方が、自分にとって最高の喜びだった。
反対に、他人の幸せを妨げた時、自分にとって最高の悲しみだった」

そんなことを思っていると、声なき声が聞こえて来ました。

「そろそろ帰りなさい。お前は、現象世界でまだ体験することがある。
 今からお前の本当の人生が始まるのだ。」

そして、気が付いたら蘇生していました。
私は思いました。

「私は生きているのではなく、私は生かされている。」

そして、再び、生き返って以来、
私は他人を幸せにすることを第一として生きるようになりました。
なぜなら、それが本当の自分の喜びであることが分かったからです。
これまでも、他人の為に働いたことはありましたが、今までは
「あなたのためにやってあげている」という気持ちでやっていた為、
相手に「感謝」という見返りを求めていました。

が、今は違います。

他人を幸せにすると、自分が一番喜びを感じるからやっています。
つまり、「他人のためではなく、自分のため」にやっています。
だから、相手に見返りを求めなくなりました。
今の私は、いい意味で「自分中心」に生きています。

以上が臨死体験者の話です。

うぅぅ〜〜ん!

まるで、私のメルマガの内容を証言するために現れてくれた人です。

感動しました。

がははは…っ!

中村天風先生は、言っています。

「自分に出来るだけ喜びを多く与えて生きること!」

これが悟りを得た天風先生の人生観です。
ここで大事なのが、「喜び」の基準です。
何をすると、喜びを感じるかです。
他人をいじめたり、他人を支配することに喜びを感じるようでは、
まだまだ進歩していないと言えます。

他人を喜ばせた時に喜びを感じるのであれば、かなり進歩しています。
なぜなら、臨死体験した人が感じたように、本当の喜びとは、
「他人を喜ばせ、さらに、その人と共に自分も喜ぶ」ことだからです。
それが自分にとって、真の喜びなのです。

だから、天風先生の言う、
「自分に出来るだけ喜びを多く与えて生きる」とは、
他人の喜びが自分の喜びとなるように生きなさいということなのです。
何をすると自分が喜びを感じるを観察すれば、今の自分の
「進化段階」を知ることが出来ると言っても過言ではありません。

がははは…っ!

この臨死体験者は、自分の人生の映像を、第三者の立場で、
逆戻りで見させられたことによって、生き方が一変しました。
しかし、この体験は死を迎えるまで待つ必要はありません。

OSHOの瞑想の1つに、「逆戻りの技法」があります。
これは、夜寝る前に、その日の出来事を逆戻りに回想するものです。
つまり、今から朝起きるまでを遡って回想するのです。
だだし、第三者の立場になって回想することが絶対条件です。
出来事を回想して巻き込まれないこと!

がははは…っ!

なぜ、逆戻りなのでしょう?
出来事が起きた時、心は色々な思いを抱きます。
従って、心には色々な垢が付着しているのです。
そこで、第三者の立場になって、1日を逆戻りすることで、
心に付着した垢を一掃するのです。
心に垢が付着していない朝まで遡ることで、心が浄化されるのです。

そして、1日の遡りに慣れて来たら、これまでの人生を遡るのです。
つまり、生まれる前(胎児)まで遡るのです。
第三者の立場で、自分の人生を遡れば、
臨死体験者と同じ気持ちになりますから!
タントラに伝わる秘法をOSHOが応用したもので、
心の浄化にかなり有効な方法です。

がははは…っ!

そして、最後に、臨死体験をした人は、こう言いました。

「自分の人生を振り返って、分かったことがもう1つある。
お金儲けの為に費やした時間は、価値がなかった。
それよりも、他人の為に費やした時間、
そして、瞑想に費やした時間が最も価値があった。」

この人とまったく同じことをOSHOも言っています。

「あなたが死を迎えた時、こう感じるだろう。
何て無駄なことに人生を費やしてしまったんだ。
俺の人生は無駄なことばかりだった。
瞑想をしたわずかな時間だけが本当に価値があった、と。
あなた方には多くの時間はない。
時間をつぶしている余裕などない。
ただ一度の生しかないのだとしたら、瞑想のための時間、
自分自身の存在を探求する為の時間は殆ど残されていない。
あなたは自分の為の時間をたったの7分間も持っていない」

また、イエス・キリストも自分勝手な人生を送っている人たちに、
こう言っています。

「お前たちは、(死んだ)後に、泣いて歯ぎしりするだろう」

がははは…っ!

人生は1回限りです。
自分の人生を振り返って、満足出来る生き方をしたいですね。
臨死体験をした人の話しを聞いて、そう感じました。
みなさんは、どう感じましたか?
今日の話しは、これで終わりです。


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「自分に出来るだけ喜びを多く与えて生きること」という
天風の教えは、人間界的に言う「利他行」や「奉仕」の事である。
それは、「人の為」ではなく「自分の為」なのだ。
人の為という意識があれば、それは文字通り「偽」であり、
福沢諭吉も「情けは人の為ならず」と言っている。

たまに誤解している人がいるが、
情けは人の為にならないという意味ではなく、
「情けは人の為ではなく自分の為」という意味である。
一般的には、「人にかけた情けは巡り巡って自分に返ってくる」
と解釈されているが、そのような因果律も実は人間的な発想である。

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そのような徳積みの意識での善行は、やはり偽善という事になる。
「返ってくる」というよりも、人の為は即自分の為であり、
歓喜を伴うから自分の為にする行為なのだ。
そのような見返りを求めない善行は誰もがした事があるはずで、
極悪人といえども利他行はしているのである。

何故なら、無意識に善悪のバランスを取る為に、
無我の境地で「利他行」をしてしまうものなのだ。
それは「人の為」ではなく「自分の為」であり、
偽善ではない本当の利他行である。

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だが、自分の為に「真の利他行」をした後に、
殆どの人は「人の為に善い事をした」と自己満足してしまう。
そうすると、残念ながら徳は消えてしまうのだ(笑)

もりけん氏は次のように述べている。

「善行をしたと意識した瞬間に、魂は相手から自分に戻ってしまいます。
そこにエゴが発生してしまいます」


ホ・オポノポノのヒューレン博士は、次のように述べている。

「私が日本に来たのは、日本を救う為ではありません。
病棟の患者を治したのも、彼らの為ではない。
私の記憶をクリーニングするためです」


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もっと分かりやすく説明しよう。
「自他一体」や「他者は自分の側面の投影」を認識していれば、
「人の為」や「利他行」などというものは有り得ないのだ。
何故なら、他者は存在しないからである。
逆に言うと、「自分の為」以外の事は有り得ないという事になる。
とりあえず、その事を知識として頭に入れておけば良いだろう。

「真の自己発見」をする前の段階の内観では、
「人にしてもらった事」や「人にしてあけだ事」を書き出す作業がある。
だが、それは真我に目覚めるまでのプロセスに過ぎない。
真我に目覚めると、本質的に自他を区別しなくなる為、
「人にしてもらった事」と「人にしてあげた事」は同じ事なのだ。
「この世には自分しか存在しない」「総てが自分」という認識を持つと、
人にしてあげた事は「自分にしてあげた事」と同じ意味なのだ。

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獣も今まで何度も詐欺に遭ったが、「損をした」とは思わない。
「宇宙=自分」という実相の意識に於いて、
「損をする」という現象は有り得ないからだ。
逆に「得をする」という現象も有り得ないということになる。
宇宙の質量は常に一定で、総ては循環しているだけである。
「損得感情」や「人の為」という認識は、
自我による分離観念、即ち「迷い」から生じる錯覚なのだ。

もちろん、獣にもそのような錯覚は少なからずある。
肉体を持って人間界に生きている限り、それは仕方のない事だと思う。
故に、内宇宙に目を向けて実相を観る習慣を怠ってはならないのだ。
ありがとう仙人の話で「逆戻りの技法」というのがあった。
夜寝る前に、その日の出来事を逆戻りに回想するという事だが、
難易度が高くて獣には無理だった。
果たして、逆戻りに回想など出来る人がいるのだろうか……。
posted by ZERO at 23:27| Comment(2) | 自己啓発・自己実現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
成功を握る鍵の「奉仕」シリーズ、(特にE)素晴らし過ぎます!(大絶賛)^^

総裁の人生は、まさに「究極の自己中VS偽善偽愛の俗自己中」でした。(壮絶)
なんか猫に警察犬の訓練を強要させる!?ような例えが似合いそうです。(汗)
偽自己中の得意技は、「脅して咎める」であり、あらゆるジャンルから引用して攻撃します。
その攻撃で、たくさんの真の自己中達が、自殺や過労で死んでいったような気がします。
しかし、
それが宇宙進化・創造のプロセスの一端であり、
人それぞれ、どんな配役・役割を演じるかは千差万別なので、今思うのは、
早いこと、一人一人が自分の本性に気づいて、内観・反省して
「究極の自己中」になって欲しいと強く思います。

総裁は「究極の自己中」同士で遊ぶと、どれだけ桁外れに楽しいかを知っています。(笑)
そんな人がガンガン増えれば、まさに「弥勒の世」かもです。
その為に(自分の為に)総裁はダイハードで暗躍しています。(上忍)^^
Posted by 総裁越楠 at 2012年01月20日 01:04
Eのありがとう仙人の説明が最もシンプルで分かりやすいですね^^;
Posted by 獣 at 2012年01月20日 12:16
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