2012年02月16日

続々・教育破壊による獣の世界支配計画

教育について熱心に語ろうと思っている訳ではないが、
あくまでも自然に出来た文章である事を御理解願いたい。
獣は高学歴でもないし、社会的地位もない凡人である。
そのような程度の低い人間に教育論を語る資格はないのが通例だが、
獣は過去に死刑になってもおかしくない程の罪を繰り返してきた。

周囲にも凶悪犯が沢山いる環境で育ってきて、闇の世界を知っている。
その逆の一般の世界の事もよく知っているつもりだ。
そして、右脳と左脳の違いや脳の仕組み、霊的な問題やカルマの法則、
運命論などを、自分なりに熟知している。
それら様々な見地から多角的に分析し、
中真感覚でニュートラルな答えを出しているつもりだ。

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左脳教育について追記しておくと、
左脳偏重によって意識が堕落するという話をしたが、
それによって良心(善の意識)が生まれるが、
その良心(善の意識)もまた、対極の悪を生み出しているのだ。
だが、実態はもっと酷く、目を覆うばかりの極悪仁義である。

獣は、仁義好かん!だが……。

その良心や善などの概念や観念を、
無垢な幼児や健全な青少年に植え付けて洗脳しているのが、
まさに学校や家庭の道徳教育なのだ。
また、そのモラルや常識、或いは大人の価値観の
一方的押し付けに反発して非行に走る若者も少なくない。
そのような道徳教育が非行を生んでいると言っても過言ではない。

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また、子供が悪い事をしたら叱るのは教育の常識だが、それがダメなのだ。
人間は経験によって自然に正しい生き方(中真感覚)を知るからである。
内海氏の話と共通するが、子供に善悪を教えて叱る教育によって、
子供の中真感覚が育たないのである。
もっと本質的な話をすると、中真感覚のない大人が
常識や道徳観念を持って子供を厳しく叱り、
感情を入れて怒る事に最大の問題がある。

これでは子供がグレて当然である。
グレなくても、歪んだ人格が形成されること間違いなしである。
教育が悪いのか非行が悪いのか……。
教育が非行を作っている訳なので、
言わずもがな、教育が悪いと言わざるを得ない。

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非行とは、善くない行い(悪行)をする事だが、
それは親や学校、或いは社会に対する反発に過ぎない。
反発というのは、親や学校や世間に「自分たちの愚かさに気づけ!」
という想いを爆発させたアクションである。

そのような明確な意志を持って非行をする少年ばかりとは限らないが、
そのような想いが根底になければ非行は基本的に有り得ないだろう。
興味本位で少しかじる程度なら、それも体験なので良しであろう。
そもそも、生まれる前から全ては決まっていた事なのだ。

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その決まっているプロセスの中で、教育が犯罪を作っているのだ。
凶悪犯罪も社会が作り出しているのである。
教育の仕方が悪いというよりも、教育をする事がダメなのだ。
「では、教育をしなければいいのか?」と思う人がいるかも知れない。
「そうだ!」と言っているのだ。

「教育しなければ善悪の分別も出来ない最低な人間に育つ」
と思うかも知れないが、
そのような考え方が根本的に間違っていると言っているのである。
まともな教育を受けず、放置されて育った子供にも不良少年は多いが、
それは教育されなかった事が原因ではなく、
「蛙の子は蛙」「朱に交われば」の原理に過ぎない。
それと同時に、親や周囲の写し鏡になっているだけである。

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犯罪を犯すと法律で罰せられる。
子供が悪い事をして叱らなかったら、
犯罪を犯して逮捕されるような人間に育つと思うかも知れない。
だが、それはとんでもない思い違いである。
前述の通り、非行を生み出すメカニズムを理解すれば分かるはずだ。
実際に、非行少年や犯罪者は何度逮捕されても犯罪を繰り返す……
という現実を見ても明らかである。

法律で犯罪者を罰するのは、子供が非道徳な事をして叱るのと同じだ。
では、犯罪者を罰する法律がなければ良いのか……。
そうなると、この世は犯罪が横行する地獄と化すと思うかも知れない。
だから、犯罪者を罰する法律が必要だと……。
そのような発想は愚の骨頂である。

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何故なら、犯罪を生み出している元凶が
教育だという根本原理を理解していないからだ。
法律がなくなれば凶悪犯罪が多発して、この世の地獄が現出するだろう。
だが、そこでよく考えてみて頂きたい。
今まで何度も書いてきたので省略するが、
必然的に秩序が生まれてくるはずである。

また、法律で処罰されなくても、
宇宙法則(人の道)に外れた想念や行為は必ず自分が刈り取る事になる。
また、人が人を裁く事も間違っている。
だからと言って、すぐに法律をなくせと言っている訳ではない。
従来のような教育をやめれば、
法律は世の中から自然に必要なくなるということである。

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もちろん、戦争も起こらなくなる。
だが、教育を「悪」と見なすのは、人間界の一面的事実に過ぎない。
つまり、教育は必要悪という事である。
厳密に言えば、今までは「御用の悪」だったのだ。
物質文明を完成させる為の悪神(体主霊従主義=学)の働きだったのだ。

正神(霊主体従主義)が甦った今、教育が破壊されるのは必然である。
そして、この世の事は人間に任されている以上、
正神ルシファーの預言者である反キリストが、
教育破壊をもたらす事も決まっているのだ。

教育を破壊するのは獣だ!
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ここで1つ疑問に思うかも知れない。
今のような学校教育が始まる前から、殺人や窃盗などの犯罪はあったし、
戦も何千年の昔から繰り返されてきたではないか……と。
確かに今のような学校教育や勉強はなかったかも知れないが、
仏教や儒教、キリスト教などの宗教教義や迷信が道徳の役割を果たしてきた。
それが、古今東西の人類の堕落化、並びに犯罪や戦争などの
根源的な最大原因と言っても過言ではないだろう。

また、別の角度から見ると、非行や犯罪も自己表現の一種である。
それも使命であり、その役割を担って生まれてきているのだ。
いつ誰がどのような犯罪を犯し、いつ誰が被害に合うかという事も、
因果律で決定しているのだ。
もちろん、戦争も含めた話である。

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罪を犯す者には「罪を犯す」というカルマがあり、
被害に遭う者には「被害に遭う」というカルマがある。
そして、罪を犯した者はそれによって役目を果たした事になるのだが、
反省をしなければ「罪を犯した」という新たなカルマを作る事になる。

被害に遭った者は、被害に遭った事でカルマを刈り取った訳だが、
被害に遭った事を反省しなければ、
「被害に遭った」という新たなカルマを作る事になる。
人間の目から見て、理不尽・不条理に見える出来事でも、
自分が悪いから被害に遭うのである。

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人間には因果律が分からない為、自分が悪いという自覚がないだけで、
天災や事故、戦争や犯罪に巻き込まれて死傷するのは「天罰」なのだ。
天罰というのは比喩であり、要は自分で作り出した因果律である。
それは体験、そして内観によって理解する真理だが、
そのような法則を説き、カルマを解消する方法を説く事が、
人間界の基本的な「教育」であるべきだろう。
それは宗教ではなく、人の道である「内観」の補助説明である。

「良い事をすれば良い事が起こり、悪い事をすれば悪い事が起こる」
というのがカルマの法則の基本的概念で、
今までは方便としてそのように教えられてきた。
それは決して間違いではないのだが、
その時点で善悪の観念を植え付けている事になる。

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だが、この方便のように「悪い事をすれば悪い事が起こる」
と教えられても、人間は全く理解していない。
その証拠に、悪い事や嫌な事が起きた時に反省する人は非常に少ない。

歩行中や自転車に乗っている時に車にハネられたら、
法律を持ち出して、車が善悪的に悪いと主張する……。
詐欺に遭ったら、詐欺師を悪者扱いする……。
それは加害者に責任転嫁し、新たなカルマを自ら作り出しているのだ。
通り魔に切りつけられたり、ヒッタクリに遭っても、
それは自分が悪いから起きる出来事なのだ。

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人生を振り返って自分に原因が見つからなくても、
過去世や先祖のカルマであり、自業自得なのである。
全ては自分に原因があり、自分に原因のない事は絶対に起こらない。
詐欺に遭ったり、通り魔に遭ったりした場合、
自分がそのような事をした記憶がなくても、
過去世でそういう事をしてきたかも知れない。

これは想像の話ではなく、エドガー・ケイシーの膨大な数の
前世リーディングによっても証明されている事実である。
また、過去世の自分や先祖がそのような事をしていなくても、
ニュースや人の話を聞いて潜在意識に入ると、
それが実現する事もあるだろう。

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また、「詐欺に遭いたくない…詐欺に遭わないように気をつけよう」
と思っていると、その意識が詐欺師を招いて詐欺に遭う事になる。
また、「ヒッタクリに遭いたくない…ヒッタクリに気をつけよう」
という意識がヒッタクリを招き寄せ、ヒッタクリに遭う事になるのだ。
また、詐欺やヒッタクリに遭った事により、
「詐欺やヒッタクリに遭った」というカルマ(記憶)が残り、
何度も詐欺やヒッタクリに遭うという現象が起きるのである。

いずれにしても、自分が原因で自ら招いた結果であり、
それは「気づく」為に起きている現象である。
即ち、カルマの法則は意識進化の為の天の配剤なのだ。
「難が有ったら有り難う」という事でカルマの連鎖を断ち切れる……
という教えが広まって久しいが、それだけでは完全ではない。

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反省と謝罪をした上で感謝をする事により、自己責任が完結するのだ。
謝罪と感謝は自分の魂に、そして、加害者がいれば加害者の魂に謝罪と感謝、
相手が被害者の場合は言わずもがなである。
もっと言えば、この世の一切の出来事は自分に原因があり、
自分がその結果を映しているのである。

神は大宇宙の最高責任者であり、大宇宙である人間はこの世の神である。
即ち、自分が宇宙の最高責任者なのだ。
「人間は自分以外に沢山いる」と思う人もいるかも知れないが、
それは人間型ゲシュタルトが生み出す幻(自他分離観念)に過ぎない。
オコツトが説く、人体がマクロコスモス(大宇宙)で、
ミクロコスモスである宇宙はその投影である事を、
少しずつ理解して認識を深めていく事が肝要である。

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先日、紛争のニュースを見て、
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と呟いた人がいた。
同意を求められたが、獣は無視した。
これほど無責任で極悪な暴言はないからだ。
紛争の原因が、過去の自分の不調和な想念にある事を
全く認知していないからである。
また、戦場で人々を殺している兵士たちも自分自身であり、
殺されている人々も自分自身(自分の側面の投影)である。

他国の紛争を他人事として切り離した感覚・発想こそ、
3次元な人間型ゲシュタルト思考であり、
それを破壊していく作業がネオデシタル内観である。
呉々も、巷の内観療法のようなレベルの話ではない。
ネオデシタル内観を続け、
日常的にネオデシタル思考を習慣にする事が重要なのだ。

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「こんな国に生まれてこなくて良かった」と言った人は、
日本で戦争が起きたらどう思うのだろうか。
恐怖で慌てふためいて逃げ惑う事になると思うが、
自分の外側の現象を主体として捉えている為に、
最も恐ろしい本質を知らないのだ。
恐怖は心の状態であり、外の世界を見て反応しているに過ぎない。
つまり、真に恐るべきものを内在させているという事である。

外側の世界はその投影であり、幻のようなものなのだ。
それを知らない事こそ恐ろしく、無知ゆえの大罪である。

「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ」

(日月神示)

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外側の世界を見て生きるというのは、
自我(悪魔)に支配されて生きているという事である。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」という発言が、
悪い意味での自分本位(エゴ)の顕れである事からもよく分かる。

「自分と自分の家族さえ良ければいいという考えが日本をダメにした」
(アリオン)

そして、「自分の国さえ良ければ」という考えから戦争は生まれるのだ。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と呟いた人は、
「自分と身内さえ良ければいい」という考えを否定するかも知れない。
誰にでも道徳心があるからであり、他人に迷惑をかける事を嫌い、
利他愛に生きる事を意識しているからだ。
また、「世界が平和になってほしい」と願っている事だろう。

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いずれも、今までの悪の時代の常識からすれば、
自分以外の事も考える慈愛に満ちた人間という事になる。
だが、それは外面であって本性ではない。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」という発言が本性を表している。

また、天災や戦争に恐怖し、「世界が平和になってほしい」
という悪想念を発している事に全く気づいていない。
自分の想念に無頓着・無関心だという事である。
それは、外側の世界しか見えていないからであり、
自我に振り回されていきている事を意味する。
自分の想念が、天災や戦争の原因である事を本人は全く自覚していない。

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想念を発する事に無頓着なら、言葉を発する事にも無頓着である。
四六時中、悪想念(雑念)を発して感情に振り回され、
無駄な言葉や不調和な言葉を無意識に発し続ける……。
それを「生き地獄に住んでいる」と言う。
1人で勝手に生き地獄に住んでいるならいいが、
魔界波動を撒き散らして人類滅亡の推進運動をしているようなものである。

生き地獄に住んでいる人は「ネガティブな世界」を自ら選択し、
自滅していく事になる。
外面は陽気でポジティブに見えても、問われるのは本性である。
既に始まっている人間界の「最後の審判」により、
人間は「素」の状態にさせられ、二極化が進行していく。

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バシャールの話に基づけば、ネガティブな世界を進んだ人は、
もし2015年まで生き延びたとしても、
もうその世界から後戻りする事は出来ないだろう。

必要以上にテレビを見て、
無駄な情報やネガティブな情報を取り入れるのも控えなければならない。
ホ・オポノポノを唱えて、テレビを潜在意識の浄化に利用するなら兎も角、
普通に試聴しているだけでは心を汚してカルマを蓄積し、
意識と魂の堕落を促進するだけである。
極論言えば、テレビを試聴する事は大罪なのだ。

テレビと意識レベルの関係
http://messiah666.seesaa.net/article/228806145.html
テレビの弊害と対策と習慣
http://kemono666.seesaa.net/article/244060131.html
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また、通販カタログばかり見て欲望を駆り立てるのは、
「ブレインダンプ」と正反対の悪業であり、意識を堕落させる行為である。
極論だが、カタログを見るのも殺人と同罪に等しい。
欲望の世界と殺人の世界も同レベルの幽界だからである。
また、殺されて恨みを抱いて死んだ人間も、殺人者と同罪である。
両者同等の意識レベルで、同じレベルの幽界に属しているからだ。

話を戻すが、別にカタログを見るのが悪い訳ではない。
必要ではない時に必要以上に見て、
無駄な欲望を持つ事は愚行の極みだという事である。
カタログなどは、何か必要があると感じた時、
或いは必要な物を求める時に、感情を入れずに見るものである。
特に何も必要なくても、娯楽の一環として目を通す事は問題ではない。

唯一お薦めのカタログ(笑)
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いつも長時間に及んで、テレビやカタログを見る事を
生き甲斐にしているような人に対しては、
神は救いたくても救えないという事である。
何故なら、神の実在を知らず、自己の内面に目を向ける事をしないからだ。
確かに、バシャールが説く「ワクワク」かも知れないが、
呑気に無駄な時間を過ごしている場合ではないという自覚が全くない人は、
文字通り話にならない。

もちろん、それは本人の自由であり、何も強制するべき事ではない。
ただ、アリオンや内海氏が警告している通り、
肉体を失うだけでは済まない可能性があるから、獣は「自己救済」として、
縁のある人や理解のある人に身魂磨きの急務を訴え続けているのだ。
それが、本当の意味での教育と言えるだろう。

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戦争のニュースを見て「こんな国に生まれてこなくて良かった」と思うのは、
東日本大震災のニュースを見て
「東日本に住んでいなくて良かった」と思うのと同じである。
東日本大震災のニュースを見た時に、「東日本に住んでいなくて良かった」
などと思った人はあまりいないと思うが、もし思ったとしたら、
戦争のニュースを見て「こんな国に生まれてこなくて良かった」
と思うのと、理屈は同じである。

別に、この話題に拘っている訳ではないが、
一例として徹底的に解説しているだけである。
東日本大震災のニュースを見て、「東日本に住んでいなくて良かった」
と思わなかった人でも、他国の戦争のニュースを見て
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と思う人は多いかも知れない。

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むしろ、一般的大多数の人はそう思う事だろう。
つまり、子供を教育する資格のある大人は滅多にいないという事である。
また、子供が言う事を聞かなかったりすると、感情的に怒る親は多い。
子供が欲しがる物を何でも買い与えていると、
ワガママいっぱいの人間になるから叱りつけて我慢させる親も多い。

だが、そのように育てられた子供の多くも、
その多くの親と同じように物欲まみれの大人に成長するのである。
子供は大人のような価値観や固定観念もなく、
悪想念にもまみれておらず、純粋で無垢である。
その為、赤ちゃんや子供は死ぬと天国(フォーカス27)に連れて行かれる。

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フォーカス27は、六道の天道で、仏教では天道人(霊)を「神」と呼ぶ。
一方、大人は九分九厘(99.9%)が幽界の意識・魂の持ち主である。
つまり、現代教育の実態は、幽霊が神に説教しているのと同じなのだ。

獣は親や先生たちから、教育を受けて反発してきたからこそ、
教育について語る資格があると思っている。
また、獣は自分の子を生んで育てた経験はないが、
弟を自分の子供のように思って教育してきた。

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獣は家庭や学校の教育によって心を歪め、悲哀と苦悩と怨恨に生きてきた。
それは自分の心の弱さが原因だと思っていたので、
弟には獣のようになってほしくない為にスパルタ教育で鍛えてきた。
だが、それも獣のエゴであり、
数十年という短期スパンで見れば、当時の獣の教育も間違っていた。

つまり、教育などは一切不要なのだ。

「家庭や学校の教育によって心を歪め、悲哀と苦悩と怨恨に生きてきた」
と書いたが、それは外部に原因を求めて他者に責任を転嫁した物の見方だが、
現象界を「現実」として見た場合の経緯では、それは事実である。

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ただ、本質的には全て自分が映し出していた事であり、
出来事だけではなく他者も自分の投影なのだ。
それを映し出す事も、生まれる前から決まっていたのである。
それを言ってしまえば元も子もないように思うかも知れないが、
内観をすれば過去は100%肯定できるようになり、最善だった事が分かる。

だが、それは内観をすればの話である。
人間は常に「今ココ」に生きており、
流れに任せて生きるのが高次の生き方である。
それを自覚した時、教育が必要ないものである事が理解できるはずだ。

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必要な教育があるとすれば、人を中真(ニュートラル)に導き、
悪い思考パターンを指摘して、その場その場で気づきを与え、
反省と感謝のチャンスを提供する事である。
但し、自分が出来ていなければ人に指導する事は出来ない。

獣は今まで育ててもらった恩返しとして、聖母を教育しているのだ。
真の教育とは、換言すれば、真我の声が聞こえない人に、
意識進化&ミロクの世へのアセンション(真の救済)の導きをする事である。

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つまり、真我が肉体のある人間として顕現したのを「救世主」というのだ。
当然ながら、「真我の顕現」なので、その救世主も自分の投影なのである。
例えば、獣は聖母に指導しているが、聖母の世界では獣は聖母の投影なのだ。
また、獣の世界では、聖母は獣の投影であり、
獣が聖母を救うのは「自己救済」なのである。

逆に、獣の指導によって聖母の意識進化が進めば、
それは聖母にとって「真の他力本願」、
即ち内在神(阿弥陀仏=真我=真の自己)によって
自力で救われているという事なのだ。

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例えば、イエス・キリストや他の外在神や人に救われたとする。
それは、自分で自分を救ったという事なのだ。
全ては自分の意識の投影であり、他の何者かに救われるという事は、
真の自己(真我)の顕現に救われるという事だからである。

少し話を巻き戻すが、「良い事をすれば良い事が返ってくる」
「悪い事をすれば悪い事が返ってくる」というのは、
道徳や倫理に基づく観念に過ぎないとも言える。
確かに、これも物理学的な因果律の法則には違いないが、
現象界自体が「結果の世界」だからである。

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「結果の世界」での因果律だけを見ていても、真実は見えてこない。
故に、「正見をせよ」などと説いても出来る訳がなく、
正見をする為には内観が必要になってくるのだ。
内観をすれば、「正見をせよ」など言わずとも正見が出来るようになり、
内観を説かずに「正見」と説く人間は、正見の出来ない偽物という事になる。
教育や宗教などが正見を出来なくさせている原因である事は、
今さら言うまでもないだろう。

故に、「正見をせよ」などと言うよりも、
「教育をやめよ」「宗教をやめよ」というのが先であり、道理である。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と言うのも、
正見が出来ていないからだが、「なぜ見せられたのか」という事が重要だ。

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因果律の話の続きだが、一歩進んで、
「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
という教えがあるが、これも因果律であり、潜在意識の法則である。
だが、そこに大きな落とし穴がある事を教えるのも「教育」である。
即ち、「情報提供=教育」であり、「情報交換=共育」だと言える。

さて、「良い事」を思おうとするのは、
「今は良くない」という現状認識に基づいており、
その「良くない」という認識が現象化するという事を知らなければならない。
少し前にも書いたが、「平和になるように」「豊かになるように」
「健康になるように」というような願いは、
「今は平和ではない」「今は豊かではない」「今は健康ではない」
という認識に基づいている。
今はいつまでも「今」であり、「今ココ」の思いが常に実現し続けるのだ。

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もちろん、現象界の現状認識は必要であり、認識する事が原点である。
それを認識した上で、原因の世界を変える事が必要なのだ。
その方法の1つが内観であり、ホ・オポノポノである。
また、原因の世界にアクセスする為に、
シータ波に近い脳波状態になる必要があるが、ネオデジタル思考がそれに導く。

また、シンクロの原理の応用で、過去完了形で決定するという方法もある。
と言っても、「戦争が終わった」「貧困から抜け出せた」「病気が治った」
というのはネガティブな悲願である。
潜在意識が「戦争」「貧困」「病気」というキーワードを認識して、
それを実現させる事もある。

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「平和を実現した」「豊かになった」「健康になった」
という建設的な心的態度が要求されるという事である。
もちろん、顕在意識でそう言い聞かせるだけでは全く意味がなく、
脳波をシータ波に近づけて
思考停止(肉体意識の消滅)の状態になっておく必要がある。

もっと本質的な話をすると、「実相を観る」という事が最もベターである。
実相の世界には、戦争も貧困も病気もない。
「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
という二元的な捉え方ではなく、
ニュートラル(真のポジティブ)な視点で観るという事である。

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戦争や貧困や病気という現象は、心の影(現象界は投影)であり、
実相(実在、真実、現実)ではない事を理解することだ。
その影の原因となる潜在意識のネガティブ・カルマを解消する方法が、
内観や言霊(ホ・オポノポノや真言、祝詞など)である。
それと共に、実相を観るというのは、
光一元の究極真理(真我)だけを直視するという事である。

それによって、心の影を消してしまうのだ。
結果、戦争や貧困や病気といった現象が消滅する事になる。
ただ、光一元の実相をどれだけ認識できるかが問題であり、
結局それは内観を深めていくしかないだろう。

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正見にも段階があり、実相の直視が究極の正見だと言える。
その見地からすれば、「良い事」も「悪い事」もなく、
「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
というのは、煩悩や二元論に囚われた教えだと言える。

何が起きても一喜一憂せず、ただありのままに受け入れて、
反省と感謝を絶やさずに坦々と生きる。
それが人間の「究極的な生き方」だと獣は思っている。
内海氏も「坦々と生きる」という事を説いているので、改めて紹介したい。

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従来の教育では、「目標を持て」「計画を立てろ」「努力をしろ」
と教えられてきたが、これからの時代は
「目標を持つな」「計画を立てるな」「努力をするな」が正しい。
それを教育する必要はない。

目標や計画や努力を教えなければ、最初からしないからである。
ただ、従来の誤った教育の洗脳を解く為に、
真我覚醒に導く教育が必要なのだ。
その為に、『ルシファーによる福音書』を書いているのである。
http://jikojitugen21.seesaa.net/
posted by ZERO at 20:41| Comment(12) | 獣の世界支配計画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
申し訳ありません。指摘させていただきます。

その良心や善などの概念や観念を、
無垢な幼児や健全な青少年に植え付けて洗脳しているのが、
まさに学校や家庭の道徳教育なのだ。
また、そのモラルや常識、或いは大人の価値観の
一方的押し付けに反発して非行に走る若者も少なくない。
そのような道徳教育が非行を生んでいると言っても過言ではない。

過言です。自分が非行に走ったのをなにかのせいにしているだけ。すべての不満の理由は自

分にある。

また、子供が悪い事をしたら叱るのは教育の常識だが、それがダメなのだ。
人間は経験によって自然に正しい生き方(中真感覚)を知るからである。

叱られることも経験のひとつ。

内海氏の話と共通するが、子供に善悪を教えて叱る教育によって、
子供の中真感覚が育たないのである。
もっと本質的な話をすると、中真感覚のない大人が
常識や道徳観念を持って子供を厳しく叱り、
感情を入れて怒る事に最大の問題がある。

感情を入れて怒ることは問題だが、そこから学ぶこともある。両方を知ることで中真感覚を

養う。


これでは子供がグレて当然である。
グレなくても、歪んだ人格が形成されること間違いなしである。
教育が悪いのか非行が悪いのか……。
教育が非行を作っている訳なので、
言わずもがな、教育が悪いと言わざるを得ない。

教育が非行を作っているわけではない。自分が非行を選んだだけ。歪んだ人格を形成するの

も自分。他人が自分の人格は作れない。教育が悪い=2元論

非行とは、善くない行い(悪行)をする事だが、
それは親や学校、或いは社会に対する反発に過ぎない。

違う。自分が反発したいからしているだけ、自分がやっていることの責任転


反発というのは、親や学校や世間に「自分たちの愚かさに気づけ!」
という想いを爆発させたアクションである。

わかっていると思いますが、間違っています。

そのような明確な意志を持って非行をする少年ばかりとは限らないが、
そのような想いが根底になければ非行は基本的に有り得ないだろう。
興味本位で少しかじる程度なら、それも体験なので良しであろう。
そもそも、生まれる前から全ては決まっていた事なのだ。

明確な意思ではない。かっこいいと思っていてやっていたのでしょう。(断定した言い方で

すいません。)


その決まっているプロセスの中で、教育が犯罪を作っているのだ。

教育だけの責任にしないほうが良いです。2元論です。

凶悪犯罪も社会が作り出しているのである。
教育の仕方が悪いというよりも、教育をする事がダメなのだ。
「では、教育をしなければいいのか?」と思う人がいるかも知れない。
「そうだ!」と言っているのだ。

教育がなければ獣さんは今文字を読めないし、こんなインターネットのある社会になってい

ないでしょう。日本の明治以前を考えれば答えがあります。それでは西洋文化に支配されて

しまうために、明治から日本の教育が始まりました。右脳、左脳バランスのとれた人間に育

てるため。獣さんの理想は明治以前の農家の村のことをいっています。アマゾンの奥地にい

る部族の考えです。

「教育しなければ善悪の分別も出来ない最低な人間に育つ」
と思うかも知れないが、

そのような考え方が根本的に間違っていると言っているのである。
まともな教育を受けず、放置されて育った子供にも不良少年は多いが、
それは教育されなかった事が原因ではなく、
「蛙の子は蛙」「朱に交われば」の原理に過ぎない。

一概にはいえないので原理とは言わないほうが良いですね。

それと同時に、親や周囲の写し鏡になっているだけである。

そうかもしれませんが、結局は自分です。

犯罪を犯すと法律で罰せられる。
子供が悪い事をして叱らなかったら、
犯罪を犯して逮捕されるような人間に育つと思うかも知れない。

なにが悪いのか判断できない人間に育つ可能性はある。

だが、それはとんでもない思い違いである。
前述の通り、非行を生み出すメカニズムを理解すれば分かるはずだ。
実際に、非行少年や犯罪者は何度逮捕されても犯罪を繰り返す……
という現実を見ても明らかである。

断定して申し訳ないが、非行に走る原因はかっこいいと思ったから。
 まわりがそうでも非行に走らない人間もいた。格好だけ真似する人間も

法律で犯罪者を罰するのは、子供が非道徳な事をして叱るのと同じだ。
では、犯罪者を罰する法律がなければ良いのか……。
そうなると、この世は犯罪が横行する地獄と化すと思うかも知れない。
だから、犯罪者を罰する法律が必要だと……。
そのような発想は愚の骨頂である。

確かにならない。がだれが非道徳を叱らなければ、なにをやってもいいことになるんじゃな

いでしょうか?

何故なら、犯罪を生み出している元凶が
教育だという根本原理を理解していないからだ。

教育に責任を押し付けているだけ。

法律がなくなれば凶悪犯罪が多発して、この世の地獄が現出するだろう。
だが、そこでよく考えてみて頂きたい。

今まで何度も書いてきたので省略するが、
必然的に秩序が生まれてくるはずである。

だれか叱る人がいたからです。

また、法律で処罰されなくても、
宇宙法則(人の道)に外れた想念や行為は必ず自分が刈り取る事になる。

宇宙法則を理解していない。一概にいえない。

また、人が人を裁く事も間違っている。

間違っていない。人間社会。神の社会ではない。

だからと言って、すぐに法律をなくせと言っている訳ではない。
従来のような教育をやめれば、
法律は世の中から自然に必要なくなるということである。

教育をやめても法律は必要なくなりません。所有とお金がなくなれば法律はなくせます。

もちろん、戦争も起こらなくなる。

起こります。

だが、教育を「悪」と見なすのは、人間界の一面的事実に過ぎない。
つまり、教育は必要悪という事である。
厳密に言えば、今までは「御用の悪」だったのだ。
物質文明を完成させる為の悪神(体主霊従主義=学)の働きだったのだ。

必要悪と必要善という2元論になっている。

正神(霊主体従主義)が甦った今、教育が破壊されるのは必然である。
そして、この世の事は人間に任されている以上、

もう少しで甦りますね。
正神ルシファーの預言者である反キリストが、
教育破壊をもたらす事も決まっているのだ。

教育を破壊するのは獣だ!
Posted by tata at 2012年08月04日 18:33


ここで1つ疑問に思うかも知れない。
今のような学校教育が始まる前から、殺人や窃盗などの犯罪はあったし、
戦も何千年の昔から繰り返されてきたではないか……と。
確かに今のような学校教育や勉強はなかったかも知れないが、
仏教や儒教、キリスト教などの宗教教義や迷信が道徳の役割を果たしてきた。

叱る人もいた。

それが、古今東西の人類の堕落化、並びに犯罪や戦争などの
根源的な最大原因と言っても過言ではないだろう。

極論過ぎる、そんなに単純ではない。原因はもっと複雑にからみあっている。

また、別の角度から見ると、非行や犯罪も自己表現の一種である。

違います。なにも表現できていない。どういう自己を表現しているのか。
それは自己とよべますか。

それも使命であり、その役割を担って生まれてきているのだ。

危険思想です。同時にその使命をさける使命も与えられています。2元論

いつ誰がどのような犯罪を犯し、いつ誰が被害に合うかという事も、
因果律で決定しているのだ。

しているが、避けることもできる。危険思想。2元論

もちろん、戦争も含めた話である。
危険思想。2元論

罪を犯す者には「罪を犯す」というカルマがあり、

カルマ=業念をまったく理解していない。おそらく運命のことをいっているがそれを避ける

ことも運命に含まれている。

被害に遭う者には「被害に遭う」というカルマがある。

間違い、それを避けることができる。

そして、罪を犯した者はそれによって役目を果たした事になるのだが、
反省をしなければ「罪を犯した」という新たなカルマを作る事になる。

違う。人類の犯してきた間違いを繰り返そうとしている。

被害に遭った者は、被害に遭った事でカルマを刈り取った訳だが、
被害に遭った事を反省しなければ、
「被害に遭った」という新たなカルマを作る事になる。

危険思想。犯罪を許そうとしている。

人間の目から見て、理不尽・不条理に見える出来事でも、
自分が悪いから被害に遭うのである。

2元論。

人間には因果律が分からない為、

わかる。因果律とは過去の行為が未来に影響を与えることを意味します。

自分が悪いという自覚がないだけで、
天災や事故、戦争や犯罪に巻き込まれて死傷するのは「天罰」なのだ。

違います。

天罰というのは比喩であり、要は自分で作り出した因果律である。
それは体験、そして内観によって理解する真理だが、

因果律を理解していない。この世界のことも理解していない。

そのような法則を説き、カルマを解消する方法を説く事が、
人間界の基本的な「教育」であるべきだろう。
それは宗教ではなく、人の道である「内観」の補助説明である。

正しい。 

「良い事をすれば良い事が起こり、悪い事をすれば悪い事が起こる」
というのがカルマの法則の基本的概念で、

カルマの法則とは因果応報のことと考えているようですが、本来の意味においてカルマの法

則というのは存在しません。人間が作ったものです。
因果応報はある。

今までは方便としてそのように教えられてきた。
それは決して間違いではないのだが、
その時点で善悪の観念を植え付けている事になる。

だが、この方便のように「悪い事をすれば悪い事が起こる」
と教えられても、人間は全く理解していない。
その証拠に、悪い事や嫌な事が起きた時に反省する人は非常に少ない。

歩行中や自転車に乗っている時に車にハネられたら、
法律を持ち出して、車が善悪的に悪いと主張する……。
詐欺に遭ったら、詐欺師を悪者扱いする……。
それは加害者に責任転嫁し、新たなカルマを自ら作り出しているのだ。
通り魔に切りつけられたり、ヒッタクリに遭っても、
それは自分が悪いから起きる出来事なのだ。

危険思想。2元論、悪いから起きるのではない。責任は被害者、加害者両方にある。さらに

いえば日本国民全員にある。これが正式なカルマの法則。

人生を振り返って自分に原因が見つからなくても、
過去世や先祖のカルマであり、自業自得なのである。

先祖からのカルマはない。すべての原因は自分にある。

全ては自分に原因があり、自分に原因のない事は絶対に起こらない。
詐欺に遭ったり、通り魔に遭ったりした場合、
自分がそのような事をした記憶がなくても、
過去世でそういう事をしてきたかも知れない。

なぜか犯罪者側の擁護に感じ始めてきた。

これは想像の話ではなく、エドガー・ケイシーの膨大な数の
前世リーディングによっても証明されている事実である。
また、過去世の自分や先祖がそのような事をしていなくても、
ニュースや人の話を聞いて潜在意識に入ると、
それが実現する事もあるだろう。

エドガーケイシーたいした事のない能力です。あまり解っていなかった。

また、「詐欺に遭いたくない…詐欺に遭わないように気をつけよう」
と思っていると、その意識が詐欺師を招いて詐欺に遭う事になる。

ない。なぜ断定できるのでしょうか。

また、「ヒッタクリに遭いたくない…ヒッタクリに気をつけよう」
という意識がヒッタクリを招き寄せ、ヒッタクリに遭う事になるのだ。

ない。
また、詐欺やヒッタクリに遭った事により、
「詐欺やヒッタクリに遭った」というカルマ(記憶)が残り、
何度も詐欺やヒッタクリに遭うという現象が起きるのである。

ない。そのひとの行動パターンが同じだけ。

いずれにしても、自分が原因で自ら招いた結果であり、

違う。

それは「気づく」為に起きている現象である。
即ち、カルマの法則は意識進化の為の天の配剤なのだ。
「難が有ったら有り難う」という事でカルマの連鎖を断ち切れる……
という教えが広まって久しいが、それだけでは完全ではない。

それではまったく断ち切れません。また難がきます。

反省と謝罪をした上で感謝をする事により、自己責任が完結するのだ。
謝罪と感謝は自分の魂に、そして、加害者がいれば加害者の魂に謝罪と感謝、

謝罪と感謝ではなくなにも思わない。忘れるほうがよい。謝罪と感謝はカルマが追加される



相手が被害者の場合は言わずもがなである。
もっと言えば、この世の一切の出来事は自分に原因があり、
自分がその結果を映しているのである。

神は大宇宙の最高責任者であり、大宇宙である人間はこの世の神である。
即ち、自分が宇宙の最高責任者なのだ。

間違いないのだが、基本的に間違った考え方をしているのでまちがった考えの最高責任者に

なる。

「人間は自分以外に沢山いる」と思う人もいるかも知れないが、
それは人間型ゲシュタルトが生み出す幻(自他分離観念)に過ぎない。
オコツトが説く、人体がマクロコスモス(大宇宙)で、
ミクロコスモスである宇宙はその投影である事を、
少しずつ理解して認識を深めていく事が肝要である。

色相是空、空即是色の概念。考えが浅い。


先日、紛争のニュースを見て、
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と呟いた人がいた。
同意を求められたが、獣は無視した。
これほど無責任で極悪な暴言はないからだ。

あなたも。極悪2元論

紛争の原因が、過去の自分の不調和な想念にある事を
全く認知していないからである。
また、戦場で人々を殺している兵士たちも自分自身であり、
殺されている人々も自分自身(自分の側面の投影)である。

言っていることは正しいのだが、本人は理解しないで使っている。

他国の紛争を他人事として切り離した感覚・発想こそ、

離して良い。それを知ることでカルマがたまる。知らなくて良いことがあるのとはそういう

意味

3次元な人間型ゲシュタルト思考であり、
それを破壊していく作業がネオデシタル内観である。
呉々も、巷の内観療法のようなレベルの話ではない。
ネオデシタル内観を続け、
日常的にネオデシタル思考を習慣にする事が重要なのだ。

アナログ思考とバランスをとりましょう。

こんな国に生まれてこなくて良かった」と言った人は、
日本で戦争が起きたらどう思うのだろうか。
恐怖で慌てふためいて逃げ惑う事になると思うが、
自分の外側の現象を主体として捉えている為に、
最も恐ろしい本質を知らないのだ。
恐怖は心の状態であり、外の世界を見て反応しているに過ぎない。
つまり、真に恐るべきものを内在させているという事である。

外側の世界はその投影であり、幻のようなものなのだ。
それを知らない事こそ恐ろしく、無知ゆえの大罪である。

幻じゃありません。それを知らないことは恐ろしくなく。無知ゆえ罪はない。←この場合に

おいてのみ

「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ」

怖がらないほうが良い。
Posted by tata at 2012年08月04日 18:34
外側の世界を見て生きるというのは、
自我(悪魔)に支配されて生きているという事である。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」という発言が、
悪い意味での自分本位(エゴ)の顕れである事からもよく分かる。

そして、「自分の国さえ良ければ」という考えから戦争は生まれるのだ。

一概に言えない。もっと複雑な事情のものもある。

「こんな国に生まれてこなくて良かった」と呟いた人は、
「自分と身内さえ良ければいい」という考えを否定するかも知れない。
誰にでも道徳心があるからであり、他人に迷惑をかける事を嫌い、
利他愛に生きる事を意識しているからだ。
また、「世界が平和になってほしい」と願っている事だろう。

いずれも、今までの悪の時代の常識からすれば、
自分以外の事も考える慈愛に満ちた人間という事になる。
だが、それは外面であって本性ではない。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」という発言が本性を表している。

また、天災や戦争に恐怖し、「世界が平和になってほしい」
という悪想念を発している事に全く気づいていない。

恐怖は悪想念だが、世界が平和は違います。

自分の想念に無頓着・無関心だという事である。
それは、外側の世界しか見えていないからであり、
自我に振り回されていきている事を意味する。
自分の想念が、天災や戦争の原因である事を本人は全く自覚していない。

獣さんあなたもです。

生き地獄に住んでいる人は「ネガティブな世界」を自ら選択し、
自滅していく事になる。
外面は陽気でポジティブに見えても、問われるのは本性である。
既に始まっている人間界の「最後の審判」により、
人間は「素」の状態にさせられ、二極化が進行していく。

獣さんはネガティブを選択していませんが、ネガティブ側にいます。

バシャールの話に基づけば、ネガティブな世界を進んだ人は、
もし2015年まで生き延びたとしても、
もうその世界から後戻りする事は出来ないだろう。

必要以上にテレビを見て、
無駄な情報やネガティブな情報を取り入れるのも控えなければならない。
ホ・オポノポノを唱えて、テレビを潜在意識の浄化に利用するなら兎も角、
普通に試聴しているだけでは心を汚してカルマを蓄積し、
意識と魂の堕落を促進するだけである。
極論言えば、テレビを試聴する事は大罪なのだ。

みなさん罪ではないですよー。でも楽しい番組だけにしましょう。


いつも長時間に及んで、テレビやカタログを見る事を
生き甲斐にしているような人に対しては、
神は救いたくても救えないという事である。

違います。救うかどうかは徳の量が問題です。

何故なら、神の実在を知らず、自己の内面に目を向ける事をしないからだ。
確かに、バシャールが説く「ワクワク」かも知れないが、
呑気に無駄な時間を過ごしている場合ではないという自覚が全くない人は、
文字通り話にならない。

話になります。

もちろん、それは本人の自由であり、何も強制するべき事ではない。
ただ、アリオンや内海氏が警告している通り、
内海氏は確信犯的うそをついています。アリオンのことはしりませんが。

肉体を失うだけでは済まない可能性があるから、獣は「自己救済」として、
縁のある人や理解のある人に身魂磨きの急務を訴え続けているのだ。
それが、本当の意味での教育と言えるだろう。

獣さんも心魂磨きを続けてください。もう少しです。

戦争のニュースを見て「こんな国に生まれてこなくて良かった」と思うのは、
東日本大震災のニュースを見て
「東日本に住んでいなくて良かった」と思うのと同じである。
東日本大震災のニュースを見た時に、「東日本に住んでいなくて良かった」
などと思った人はあまりいないと思うが、もし思ったとしたら、
戦争のニュースを見て「こんな国に生まれてこなくて良かった」
と思うのと、理屈は同じである。

別に、この話題に拘っている訳ではないが、
一例として徹底的に解説しているだけである。
東日本大震災のニュースを見て、「東日本に住んでいなくて良かった」
と思わなかった人でも、他国の戦争のニュースを見て
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と思う人は多いかも知れない。

むしろ、一般的大多数の人はそう思う事だろう。
つまり、子供を教育する資格のある大人は滅多にいないという事である。
また、子供が言う事を聞かなかったりすると、感情的に怒る親は多い。
子供が欲しがる物を何でも買い与えていると、
ワガママいっぱいの人間になるから叱りつけて我慢させる親も多い。

だが、そのように育てられた子供の多くも、
その多くの親と同じように物欲まみれの大人に成長するのである。
子供は大人のような価値観や固定観念もなく、
悪想念にもまみれておらず、純粋で無垢である。
その為、赤ちゃんや子供は死ぬと天国(フォーカス27)に連れて行かれる。

フォーカス27の天国の概念をしりませんが、まちがいなく天国には行きま せん。間違った

情報を鵜呑みにしています。

フォーカス27は、六道の天道で、

天道は天国ではないです。

仏教では天道人(霊)を「神」と呼ぶ。

神ではなく仏の間違い。(現在の仏教)

一方、大人は九分九厘(99.9%)が幽界の意識・魂の持ち主である。
つまり、現代教育の実態は、幽霊が神に説教しているのと同じなのだ。

獣は親や先生たちから、教育を受けて反発してきたからこそ、
教育について語る資格があると思っている。

2元論。すべての人に資格がある。

また、獣は自分の子を生んで育てた経験はないが、
弟を自分の子供のように思って教育してきた。

獣は家庭や学校の教育によって心を歪め、

違います。自分によって心を歪めた。自他融合。

悲哀と苦悩と怨恨に生きてきた。
それは自分の心の弱さが原因だと思っていたので、

まだ思い切っていない。

弟には獣のようになってほしくない為にスパルタ教育で鍛えてきた。
だが、それも獣のエゴであり、
数十年という短期スパンで見れば、当時の獣の教育も間違っていた。

数十年というスパンで観れば間違っていたかもしれませんが、二人が死ぬときに本当の意味

がわかります。

つまり、教育などは一切不要なのだ。

意味不明

「家庭や学校の教育によって心を歪め、悲哀と苦悩と怨恨に生きてきた」
と書いたが、それは外部に原因を求めて他者に責任を転嫁した物の見方だが、
現象界を「現実」として見た場合の経緯では、それは事実である。
↑違います。責任転換したという事実である。獣さんが言っているのは主観の世界の話です

。この世界は主観と客観で成り立っています。

ただ、本質的には全て自分が映し出していた事であり、
出来事だけではなく他者も自分の投影なのだ。

それを映し出す事も、生まれる前から決まっていたのである。

決まっていません。

それを言ってしまえば元も子もないように思うかも知れないが、
内観をすれば過去は100%肯定できるようになり、最善だった事が分かる。

その考えは元も子もありません。

だが、それは内観をすればの話である。
人間は常に「今ココ」に生きており、
流れに任せて生きるのが高次の生き方である。
それを自覚した時、教育が必要ないものである事が理解できるはずだ。

言っていることは正しいですが、獣さんが今ココにいないので教育がいらないという考えは

無理があります。
すべての人が今ココにいるのであれば教育はいますぐなくすべきです。

必要な教育があるとすれば、人を中真(ニュートラル)に導き、
悪い思考パターンを指摘して、その場その場で気づきを与え、
反省と感謝のチャンスを提供する事である。

今やっています。

但し、自分が出来ていなければ人に指導する事は出来ない。

すべての人が指導者です。

獣は今まで育ててもらった恩返しとして、聖母を教育しているのだ。
真の教育とは、換言すれば、真我の声が聞こえない人に、
意識進化&ミロクの世へのアセンション(真の救済)の導きをする事である。

驕りです。すべての人が教育者です。2元論が根付いているようですね。
獣さんと自分ではアセンションの概念がちがいますが、地球はすでにアセンション済みです

。外の景色を見てください。4年前とまったく違う景色に気付きませんか?目を鍛えてくだ

さい。感覚を鍛えてください。もう少しですよ。

つまり、真我が肉体のある人間として顕現したのを「救世主」というのだ。
当然ながら、「真我の顕現」なので、その救世主も自分の投影なのである。

一度、投影の考えを捨てたほうがよいです。とらわれすぎです。

例えば、獣は聖母に指導しているが、聖母の世界では獣は聖母の投影なのだ。
また、獣の世界では、聖母は獣の投影であり、
獣が聖母を救うのは「自己救済」なのである。

自分はネットであろうがその文章からそのひとの想念が読み取れるが文章は合っているのだ

が想念が間違っていることが多い。
Posted by tata at 2012年08月04日 18:36

逆に、獣の指導によって聖母の意識進化が進めば、
それは聖母にとって「真の他力本願」、
即ち内在神(阿弥陀仏=真我=真の自己)によって
自力で救われているという事なのだ。

これも同じく文章はあっているが、想念がまちがっている。

例えば、イエス・キリストや他の外在神や人に救われたとする。
それは、自分で自分を救ったという事なのだ。
全ては自分の意識の投影であり、他の何者かに救われるという事は、
真の自己(真我)の顕現に救われるという事だからである。

自分の意識の投影はいいのですが、獣さんもほかの人の意識の投影だということを自分と同

じレベルで認識してください。

少し話を巻き戻すが、「良い事をすれば良い事が返ってくる」
「悪い事をすれば悪い事が返ってくる」というのは、
道徳や倫理に基づく観念に過ぎないとも言える。

確かに、これも物理学的な因果律の法則には違いないが、
現象界自体が「結果の世界」だからである。

因果律の法則ではない。

「結果の世界」での因果律だけを見ていても、真実は見えてこない。

見える。見えていないだけ。

故に、「正見をせよ」などと説いても出来る訳がなく、
正見をする為には内観が必要になってくるのだ。
内観をすれば、「正見をせよ」など言わずとも正見が出来るようになり、
内観を説かずに「正見」と説く人間は、正見の出来ない偽物という事になる。

一概に言えない。おそらく瞑想のことを言っていると思うのだが、自分も瞑想はやり対外離

脱もでき、目をつぶると宇宙が広がる。
しかし自分の答えとして瞑想は必要ないとの結論がでている。
そこまでいったからわかる答えかもしれないが、目をあけていても宇宙は広がっていますし

、瞑想をしなくても自分自身(神)を発見できます。自分自身をみつけるのに必要なのは感

覚のよさだけあれば十分で、
それはたとえば、映画、音楽、本等を趣味にし感覚を鍛えればすれば簡単に身につくもので

す。←たとえばです。趣味がなくてもすべてに気をはっていれば感覚はすぐによくなります


これは主観で人それぞれだと思いますが、瞑想はある程度までいくと感覚をにぶらせます。

瞑想は現実を軽視する性質を持っています。内面よりになりすぎる。内面と現実世界をバラ

ンスよくするのが理想です。

教育や宗教などが正見を出来なくさせている原因である事は、
今さら言うまでもないだろう。

原因ではない。受け取る側の問題。

故に、「正見をせよ」などと言うよりも、
「教育をやめよ」「宗教をやめよ」というのが先であり、道理である。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と言うのも、
正見が出来ていないからだが、「なぜ見せられたのか」という事が重要だ。

間違い。なぜ宗教を作り、教育を作ったかまったく理解できていない。


因果律の話の続きだが、一歩進んで、
「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
という教えがあるが、これも因果律であり、潜在意識の法則である。
だが、そこに大きな落とし穴がある事を教えるのも「教育」である。
即ち、「情報提供=教育」であり、「情報交換=共育」だと言える。

さて、「良い事」を思おうとするのは、
「今は良くない」という現状認識に基づいており、
その「良くない」という認識が現象化するという事を知らなければならない。
少し前にも書いたが、「平和になるように」「豊かになるように」
「健康になるように」というような願いは、
「今は平和ではない」「今は豊かではない」「今は健康ではない」
という認識に基づいている。
今はいつまでも「今」であり、「今ココ」の思いが常に実現し続けるのだ。

もちろん、現象界の現状認識は必要であり、認識する事が原点である。
それを認識した上で、原因の世界を変える事が必要なのだ。
その方法の1つが内観であり、ホ・オポノポノである。
また、原因の世界にアクセスする為に、
シータ波に近い脳波状態になる必要があるが、ネオデジタル思考がそれに導く。

また、シンクロの原理の応用で、過去完了形で決定するという方法もある。
と言っても、「戦争が終わった」「貧困から抜け出せた」「病気が治った」
というのはネガティブな悲願である。
潜在意識が「戦争」「貧困」「病気」というキーワードを認識して、
それを実現させる事もある。

「平和を実現した」「豊かになった」「健康になった」
という建設的な心的態度が要求されるという事である。
もちろん、顕在意識でそう言い聞かせるだけでは全く意味がなく、
脳波をシータ波に近づけて
思考停止(肉体意識の消滅)の状態になっておく必要がある。

もっと本質的な話をすると、「実相を観る」という事が最もベターである。
実相の世界には、戦争も貧困も病気もない。
「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
という二元的な捉え方ではなく、
ニュートラル(真のポジティブ)な視点で観るという事である。

正しいが通常の人には難しい、カルマが生まれる。眺めるほうが良い。

戦争や貧困や病気という現象は、心の影(現象界は投影)であり、
実相(実在、真実、現実)ではない事を理解することだ。
その影の原因となる潜在意識のネガティブ・カルマを解消する方法が、
内観や言霊(ホ・オポノポノや真言、祝詞など)である。
それと共に、実相を観るというのは、
光一元の究極真理(真我)だけを直視するという事である。


それによって、心の影を消してしまうのだ。
結果、戦争や貧困や病気といった現象が消滅する事になる。
ただ、光一元の実相をどれだけ認識できるかが問題であり、
結局それは内観を深めていくしかないだろう。

正見にも段階があり、実相の直視が究極の正見だと言える。
その見地からすれば、「良い事」も「悪い事」もなく、
「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
というのは、煩悩や二元論に囚われた教えだと言える。

正しいがこの場でいうのは間違っている。悪いことを正当化されてしまう。

従来の教育では、「目標を持て」「計画を立てろ」「努力をしろ」
と教えられてきたが、これからの時代は
「目標を持つな」「計画を立てるな」「努力をするな」が正しい。
それを教育する必要はない。

目標や計画や努力を教えなければ、最初からしないからである。
ただ、従来の誤った教育の洗脳を解く為に、

誤った教育ではない。必要な教育

真我覚醒に導く教育が必要なのだ。
↑必要
その為に、『ルシファーによる福音書』を書いているのである。

全体的な印象で2元論〜3元論の考えにとらわれている印象を受けます。
無限に答えは存在します。獣さんのもひとつの答えだといわれるかもしれませんが2元論〜3

元論のなかでの答えです。この世界は無元です。無元の答えは真理しか存在しません。

上の文章の中でも書きましたが
内海さんは確信犯的にうそをついています。
理由は目立ちたいだけのようで、それで注目を浴びるようなことを言ったりしてるわけです


このように理由を書いたのは獣さんがあまりにも影響を受けすぎているからです。獣さんは

解脱していません。解脱とは因縁をきること。
もう少しで解脱できますが、内海さんの考えが邪魔をしています。

内海さんの考えは矛盾だらけです。今後この人の考えは一切観ないほうが良いです。解脱の

邪魔になります。

以前から
獣さんのブログは読ませていただいています。非常に良く調べられていて自分もか

なり勉強させていただきました。

それの恩返しに今回のコメントを書かせていただきました。
(文中、失礼な書き方になりすいません。)
Posted by tata at 2012年08月04日 18:37
返信 第1弾です。


>(獣の記事)
↑(tataさんのコメント)
●(獣の返信)



>そのような道徳教育が非行を生んでいると言っても過言ではない。

過言です。自分が非行に走ったのをなにかのせいにしているだけ。すべての不満の理由は自分にある。

●過言ではありません。
また、人生の出来事は自分が映し出していることなので、獣は全てを自己責任と捉えて反省と感謝の行を終えています。
しかし、多くの子供は自分が人生を映し出していることを知らないので、何かのせいにして非行に走ります。
現象としてそれは事実であり、その現象界で非行に走る原因と経緯は「教育に問題がある」と言っているのです。


>また、子供が悪い事をしたら叱るのは教育の常識だが、それがダメなのだ。
人間は経験によって自然に正しい生き方(中真感覚)を知るからである。

叱られることも経験のひとつ。

●もちろんそうですが、獣の話を理解されれば、そのような余計なツッコミは無意味で不要です。



>内海氏の話と共通するが、子供に善悪を教えて叱る教育によって、子供の中真感覚が育たないのである。
もっと本質的な話をすると、中真感覚のない大人が
常識や道徳観念を持って子供を厳しく叱り、
感情を入れて怒る事に最大の問題がある。

感情を入れて怒ることは問題だが、そこから学ぶこともある。両方を知ることで中真感覚を養う。

●上記の返答に同じ。



>これでは子供がグレて当然である。
グレなくても、歪んだ人格が形成されること間違いなしである。
教育が悪いのか非行が悪いのか……。
教育が非行を作っている訳なので、
言わずもがな、教育が悪いと言わざるを得ない。

教育が非行を作っているわけではない。自分が非行を選んだだけ。歪んだ人格を形成するのも自分。他人が自分の人格は作れない。教育が悪い=2元論

●あなたの話は一般論です。
それも一面的事実ですが、獣の真意を理解すれば全く余計なコメントです。



>非行とは、善くない行い(悪行)をする事だが、
それは親や学校、或いは社会に対する反発に過ぎない。

違う。自分が反発したいからしているだけ、自分がやっていることの責任転換

●あなたは断定されることを嫌いながら、人のことは断定するようですね。
少なくとも獣は、親や学校、社会に対する反発でした。
それを「違う」と否定して断定するのは、あなた自身の自己否定です。
また、非行の多くが、親や学校や社会に対する反発であることは事実です。
「違う」というのは、あなたが違っただけでしょう。

しかも、「違う」と否定した後に「自分が反発したいからしているだけ」と書かれていますが、だから獣が書いている通りでしょう。
あなたの指摘は頓珍漢なことが多いです。
また、「自分がやっていることの責任転換」など書かなくても、分かり切っていることです。
しかし、あなたは不注意で交通事故に遭っても、霊に責任転換するのでしょう。



>反発というのは、親や学校や世間に「自分たちの愚かさに気づけ!」
という想いを爆発させたアクションである。

わかっていると思いますが、間違っています。
そのような明確な意志を持って非行をする少年ばかりとは限らないが、
そのような想いが根底になければ非行は基本的に有り得ないだろう。
興味本位で少しかじる程度なら、それも体験なので良しであろう。

●何が間違っているのですか?
このコメントを読む限り、獣の書いたことを肯定しているとしか思えませんが?



>そもそも、生まれる前から全ては決まっていた事なのだ。

明確な意思ではない。かっこいいと思っていてやっていたのでしょう。(断定した言い方ですいません。)

●全く違います(断定)



>その決まっているプロセスの中で、教育が犯罪を作っているのだ。

教育だけの責任にしないほうが良いです。2元論です。

●教育だけの責任にしている訳ではありませんが、「教育」をテーマとした記事なので、教育に焦点を合わせているのです。



>凶悪犯罪も社会が作り出しているのである。
教育の仕方が悪いというよりも、教育をする事がダメなのだ。
「では、教育をしなければいいのか?」と思う人がいるかも知れない。
「そうだ!」と言っているのだ。

教育がなければ獣さんは今文字を読めないし、こんなインターネットのある社会になっていないでしょう。日本の明治以前を考えれば答えがあります。それでは西洋文化に支配されてしまうために、明治から日本の教育が始まりました。右脳、左脳バランスのとれた人間に育てるため。獣さんの理想は明治以前の農家の村のことをいっています。アマゾンの奥地にいる部族の考えです。

●それは不邪見の戒律に反しています。
獣の主張はそういうことでは全くありません。
獣の説明不足や表現力・文章力の欠如で誤解を招いているのだと思いますが、全くの解釈違い、見当違いです。



>まともな教育を受けず、放置されて育った子供にも不良少年は多いが、
それは教育されなかった事が原因ではなく、
「蛙の子は蛙」「朱に交われば」の原理に過ぎない。

一概にはいえないので原理とは言わないほうが良いですね。

●一概には言えなくても大概そうだと思います。
それ以外のケースは極めて稀ではないでしょうか?
また、原理というのは「蛙の子は蛙」「朱に交われば」のことであり、あなたの文章は少しおかしいと思います。



>それと同時に、親や周囲の写し鏡になっているだけである。

そうかもしれませんが、結局は自分です。

●この獣の文章はストレートなので理解して頂けるはずですが、このコメントもあなたの解釈違いです。



>子供が悪い事をして叱らなかったら、
犯罪を犯して逮捕されるような人間に育つと思うかも知れない。

なにが悪いのか判断できない人間に育つ可能性はある。

●悪い事をして叱られずに育った人は滅多にいないと思いますが、何が悪いのか判断できない人は沢山います。
また、人間が作った道徳の善悪の観念の植え付けを獣は批判しているのです。



>実際に、非行少年や犯罪者は何度逮捕されても犯罪を繰り返す……
という現実を見ても明らかである。

断定して申し訳ないが、非行に走る原因はかっこいいと思ったから。
まわりがそうでも非行に走らない人間もいた。格好だけ真似する人間も

●格好だけ真似するのは非行ではありません。
また、かっこいいと思うのは、格好や暴走などのことでしょう。
暴走も犯罪ですが悪いことだとは思いません(
人に迷惑がかかるのは別として)。
砂漠の真ん中で暴走すれば人には迷惑はかかりません(砂漠の真ん中に人がいなければ)。
暴走行為そのものは非行ではないということです。
獣が言う非行と言うのは、悪逆の限りを尽くすことです。
小さな非行(?)には、万引きや窃盗や泥棒やヒッタクリやカツアゲや食い逃げ飲み逃げなどがありますが、かっこいいとは思いません(少なくとも獣は)。

悪逆の限りを尽くすのは、爆発的な怒り、恨み辛み、呪いの念が抑えきれずに行為として顕れ、エネルギーを放出する為です。
憧れなどのレベルでは、人間は非行などできません。
不良グループに入って、軽犯罪を犯すのが関の山でしょう。
その程度の非行なら全く問題なく、問題視する必要は全くありません。
また、かっこいいというのは「見られること」を前提としています。
人にバレないように犯す犯罪の場合は、あなたの意見では説明がつきません。

また、先ほどのあなたの解釈違いによるコメントで、「結局は自分です」というのがありましたが、非行に走るのは自分の問題ということが言いたかったのでしょう。
非行を犯すのは悪想念の結果です。
善想念で悪事を働く人はいません。
つまり、波長一致の原理で悪霊に憑依された結果です。
つまり、非行は100%霊障ということになります。
あなたは、「交通事故は100%霊障」だと言いました。
しかし、あなたの言葉を借りて、獣から言わせて頂ければ「結局は自分」です。

Posted by 獣 at 2012年09月01日 06:26
返信 第2弾です↓


>法律で犯罪者を罰するのは、子供が非道徳な事をして叱るのと同じだ。
では、犯罪者を罰する法律がなければ良いのか……。
そうなると、この世は犯罪が横行する地獄と化すと思うか も知れない。
だから、犯罪者を罰する法律が必要だと……。
そのような発想は愚の骨頂である。

確かにならない。がだれが非道徳を叱らなければ、なにをやってもいいことになるんじゃないでしょうか?

●「これは悪い事だからやってはいけない」という観念で非道徳な事をしない人間を育てるのが、従来及び現在の教育です。
叱られたり教えられなくても、真理に沿った生き方が自然に出来る人間を育てる必要があります。
その為には中真に導いてやる必要があり、道徳観念の植え付けや「イケません!」と叱るのは中真感覚の発露の妨げになるという事です。



>何故なら、犯罪を生み出している元凶が
教育だという根本原理を理解していないからだ。

教育に責任を押し付けているだけ。

●教育も自分が映し出していることなので、全ては自分が原因ですが、ここでは人間界の視点で話をしているわけです。

教育に責任を押し付けているのではなく、教育の改革の必要性を訴えているのです。
話の本質を理解して下さい。



>法律がなくなれば凶悪犯罪が多発して、この世の地獄が現出するだろう。
だが、そこでよく考えてみて頂きたい。

今まで何度も書いてきたので省略するが、
必然的に秩序が生まれてくるはずである。

だれか叱る人がいたからです。

●「叱る人がいた」とは、どういうことですか?
全くもって頓珍漢なコメントだと思いますが。
それは、あなたがちゃんと文章を読んでいないからです。
読んでいなければ、話の本質も獣の真意も分からなくて当然ですね。
ハッキリ言えば、反論のコメントをする資格はあなたにはありません。



>また、法律で処罰されなくても、
宇宙法則(人の道)に外れた想念や行為は必ず自分が刈り取る事になる。

宇宙法則を理解していない。一概にいえない。

●獣は内観によって、その因果律(宇宙法則)を確認して認識しているから書いているのです。
あなたの言う宇宙法則とは何ですか?
あなたが宇宙法則を悟っている人には思えません。
断定すれば、あなたは宇宙法則を悟っていません。
あなたも獣の70億分の1の断片の投影ですが……。



>また、人が人を裁く事も間違っている。

間違っていない。人間社会。神の社会ではない。

●「人間社会」では人間が人間を裁くことも当然必要ですが、私が何を言いたいのか全く分かっておられません。
地上に神の世界を実現させるに於いて、あなたは人間次元に残りたいようですね。



>だからと言って、すぐに法律をなくせと言っている訳ではない。
従来のような教育をやめれば、
法律は世の中から自然に必要なくなるということである。

教育をやめても法律は必要なくなりません。所有とお金がなくなれば法律はなくせます。

●文字だけを見て短絡的に判断して、細かい指摘をするのはやめて頂きたい。
従来のような教育をなくし、中真感覚を持った人々の世の中になれば、所有の概念も希薄になり、お金の必要性もなくなってきます。



>もちろん、戦争も起こらなくなる。

起こります。

●中真感覚が身に付けば戦争は起こるはずがありません。
獣が教育破壊を主張している本質を理解して下さい。



>だが、教育を「悪」と見なすのは、人間界の一面的事実に過ぎない。
つまり、教育は必要悪という事である。
厳密に言えば、今までは「御用の悪」だったのだ。
物質文明を完成させる為の悪神(体主霊従主義=学)の働きだったのだ。

必要悪と必要善という2元論になっている。

●注釈を入れて頂かなくても、読めば分かるでしょう。



>正神(霊主体従主義)が甦った今、教育が破壊されるのは必然である。
そして、この世の事は人間に任されている以上、

もう少しで甦りますね。

●阪神大震災で甦って、既に活動しています。
Posted by 獣 at 2012年09月01日 06:27

返信 第3弾です↓


>ここで1つ疑問に思うかも知れない。
今のような学校教育が始まる前から、殺人や窃盗などの犯罪はあったし、
戦も何千年の昔から繰り返されてきたではないか……と。
確かに今のような学校教育や勉強はなかったかも知れないが、
仏教や儒教、キリスト教などの宗教教義や迷信が道徳の役割を果たしてきた。

叱る人もいた。

●意味が分かりません。
叱る人がいなかったとは書いていませんが……。



>それが、古今東西の人類の堕落化、並びに犯罪や戦争などの
根源的な最大原因と言っても過言ではないだろう。

極論過ぎる、そんなに単純ではない。原因はもっと複雑にからみあっている。

果たして極論でしょうか?
極論ですが極論でもないと思います。
原因が複雑に絡み合っていることくらいは分かっていますが、獣は「根源的な最大原因」と言っているのです。



>また、別の角度から見ると、非行や犯罪も自己表現の一種である。

違います。なにも表現できていない。どういう自己を表現しているのか。
それは自己とよべますか。

●違いません。
全ての行為は自己表現です。



>それも使命であり、その役割を担って生まれてきているのだ。

危険思想です。同時にその使命をさける使命も与えられています。2元論

●行為は結果(現象は投影)です。
自分の行為によって気づきと理解を得て、物事の本質を悟る為に人間界に駆り出されています。
また、ここでいう「使命」とは、他者に気づきを与える「御用の悪」と「反面教師」としての役割を指しています。
他者の世界では、自分も他者の投影ですから。



>いつ誰がどのような犯罪を犯し、いつ誰が被害に合うかという事も、
因果律で決定しているのだ。

しているが、避けることもできる。危険思想。2元論

●避けることが出来ないとは言っていません。



>もちろん、戦争も含めた話である。
↑危険思想。2元論

●中真感覚があれば危険ではありません。
あなたは中真感覚がないから危険思想だと受け取っているのでしょう。



>罪を犯す者には「罪を犯す」というカルマがあり、

カルマ=業念をまったく理解していない。おそらく運命のことをいっているがそれを避けることも運命に含まれている。

●カルマのことを「業念」と仰っていますが、どこかの宗教で使われている用語でしょうか?
カルマを全く理解していないのはあなたであり、何かの教義の知識に囚われているのでしょう。



>被害に遭う者には「被害に遭う」というカルマがある。

間違い、それを避けることができる。

●「それを避けることができる」というのは、そのようなカルマがあることを認めた上での発言なので、「間違い」ではないでしょう。



>そして、罪を犯した者はそれによって役目を果たした事になるのだが、
反省をしなければ「罪を犯した」という新たなカルマを作る事になる。

違う。人類の犯してきた間違いを繰り返そうとしている。

●違いません。
あなたの言いたいことは分かりますが、それは解釈違いです。



>被害に遭った者は、被害に遭った事でカルマを刈り取った訳だが、
被害に遭った事を反省しなければ、
「被害に遭った」という新たなカルマを作る事になる。

危険思想。犯罪を許そうとしている。

●あなたの解釈の仕方が危険です。
自分の文章力のなさに反省します。



>人間の目から見て、理不尽・不条理に見える出来事でも、
自分が悪いから被害に遭うのである。

2元論。

●先ほどから連呼されていますが、全く二元論ではないですが、一体どのような解釈の仕方をされているのですか?
二元論で説明することもありますが、それは二元論的に説明しなければ表現できない場合や、読者が理解しやすい為の方便です。



>人間には因果律が分からない為、

わかる。因果律とは過去の行為が未来に影響を与えることを意味します。

●内観すれば、ある程度は分かりますが、普通の人には普通は分からないと言っているのです。
また、私は「人間」と書いています。
あなたはどこかのコメントで、「人間とは動物と人の中間」と書いていました。
人間は3次元での原因と結果は分かっても、獣が言っている因果律は分かりません。
3次元での原因と結果は、4次元からすると、どちらも「結果」です。
4次元が「原因」です。
ここで言う4次元は、幽体意識(潜在意識)のことです。
無数の過去世や先祖のカルマ(原因)も含まれます。
その奥には、人類始まって以来の人類のカルマ(記憶)を含む「集合的無意識」があります。
それの因果律が分かるというあなたは、前にも言いましたが、エドガー・ケイシー並みです。


「因果律とは過去の行為が未来に影響を与えることを意味します」
との事ですが、行為だけではありません。
あなたが言う「業念」も含まれますが、想念だけではなく「記憶」も含まれます。
それらは生まれてから今までの自分の「行為」「業念」「記憶」だけではありません。

あなたは「すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包しています」と書かれていましたが、それを認識していれば獣の話が理解できるはずです。
それと同時に、カルマはあなたが思っているようなレベルのものではないことも分かるはずです。

もう1つ追記しておくと、未来が現在、現在が過去に影響を与えることもあります。
あなたはどこかで「過去・現在・未来」についてコメントされていましたが、ご自分で認識されていないメッキの知識だったわけです。



>自分が悪いという自覚がないだけで、
天災や事故、 戦争や犯罪に巻き込まれて死傷するのは「天罰」なのだ。

違います。

●違いません。



>天罰というのは比喩であり、要は自分で作り出した因果律である。
それは体験、そして内観によって理解する真理だが、

因果律を理解していない。この世界のことも理解していない。

●それはあなたです。



>そのような法則を説き、カルマを解消する方法を説く事が、
人間界の基本的な「教育」であるべきだろう。
それは宗教ではなく、人の道である「内観」の補助説明である。

正しい。

●「違う」「正しい」という二元の評価をしているのは、あなたではないですか?


>「良い事をすれば良い事が起こり、悪い事をすれば悪い事が起こる」
というのがカルマの法則の基本的概念で、

カルマの法則とは因果応報のことと考えているようですが、本来の意味においてカルマの法則というのは存在しません。人間が作ったものです。

●獣は「基本的概念」と言っているのです。
文章を理解して下さい。
また、人間がカルマの法則を作ったというのは間違いです。



>因果応報はある。
今までは方便としてそのように教えられてきた。
それは決して間違いではないのだが、
その時点で善悪の観念を植え付けている事になる。
だが、この方便のように「悪い事をすれば悪い事が起こる」
と教えられても、人間は全く理解していない。
その証拠に、悪い事や嫌な事が起きた時に反省する人は非常に少ない。

歩行中や自転車に乗っている時に車にハネられたら、
法律を持ち出して、車が善悪的に悪いと主張する……。
詐欺に遭ったら、詐欺師を悪者扱いする……。
それは加害者に責任転嫁し、新たなカルマを自ら作り出しているのだ。
通り魔に切りつけられたり、ヒッタクリに遭っても、
それは自分が悪いから起きる出来事なのだ。

危険思想。2元論、悪いから起きるのではない。責任は被害者、加害者両方にある。さらにいえば日本国民全員にある。これが正式なカルマの法則。

●それはあなたがカルマの法則を知らないからです。
また、「被害者」と「加害者」という二元的な見方をしているのはあなたです。
あなたは「すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包しています」と書いていました、本当は何も分かっていないことを、あなた自身が証明していますね。

「さらにいえば日本国民全員にある」というのも、「すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包している」という世界認識が出来ていないからです。
また、あなたの考えは、国民全員への責任転換です。
あなたの言葉を借りて、あなたに申し上げますが、「結局は自分」です。
その意味が理解できれば、私が言っていることも理解できるはずです。
Posted by 獣 at 2012年09月01日 08:47
返信 第4弾です↓


>人生を振り返って自分に原因が見つからなくても、
過去世や先祖のカルマであり、自業自得なのである。

先祖からのカルマはない。すべての原因は自分にある。

●あなたはどこかのコメントで「先祖は自分」と書いていましたが、ご自分で認識していないことは書くとボロが出ますよ。
先祖が自分であれば、先祖からのカルマがないはずがありません。
また、先祖から血(霊)を受け継ぎ、遺伝子によって情報を受け継いでいる以上、先祖カルマの影響がないわけがありません。
先祖カルマは獣自身、また知人の霊能者によっても証明されています。

「すべての原因は自分にある」というのは正確ですが、獣の自分には「先祖」も含まれています。

また、あなたは今回のコメントでも「すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包している」ということを認識していませんでしたね。
ちなみに、「すべての原因は自分にある」というのは、獣が次に書いていることではないですか↓



>全ては自分に原因があり、自分に原因のない事は絶対に起こらない。
詐欺に遭ったり、通り魔に遭ったりした場合、
自分がそのような事をした記憶がなくても、
過去世でそういう事をしてきたかも知れない。

なぜか犯罪者側の擁護に感じ始めてきた。

それはあなたの投影です。
「すべての原因は自分にある」と言いながら、その前に国民全員に責任転換をしているからです。



>これは想像の話ではなく、エドガー・ケイシーの膨大な数の
前世 リーディングによっても証明されている事実である。
また、過去世の自分や先祖がそのような事をしていなくても、
ニュースや人の話を聞いて潜在意識に入ると、
それが実現する事もあるだろう。

エドガーケイシーたいした事のない能力です。あまり解っていなかった。

●全ての因果律が観えるというあなたに比べれば、ケイシーの能力は大したことはないかも知れませんが、獣から見るとケイシーは凄いと思います。
あなたの場合は凄すぎて評価が出来ません。



>また、「詐欺に遭いたくない…詐欺に遭わないように気をつけよう」
と思っていると、その意識が詐欺師を招いて詐欺に遭う事になる。

ない。なぜ断定できるのでしょうか。

そのような実例があるからです。
また、「恐るるもの来たる」という潜在意識の法則もカルマの法則の1つです。
内観をすれば、そのような因果律は無数に発見できます。



>また、「ヒッタクリに遭いたくない…ヒッタクリに気をつけよう」
という意識がヒッタクリを招き寄せ、ヒッタクリに遭う事になるのだ。

ない。

●あなたこそ、なぜ断定できるのでしょうか。
獣は知っているから断定しているのですが、あなたが「ない」というのはカルマの法則を知らないからです。



>また、詐欺やヒッタクリに遭った事により、
「詐欺やヒッタクリに遭った」というカルマ(記憶)が残り、
何度も詐欺やヒッタクリに遭うという現象が起きるのである。

ない。そのひとの行動パターンが同じだけ。

●行動パターンもカルマの結果であると同時に原因です。



いずれにしても、自分が原因で自ら招いた結果であり、

違う。

●あなたも先ほど「すべての原因は自分にある」と書いていましたが、また出任せだったのですか?



>それは「気づく」為に起きている現象である。
即ち、カルマの法則は意識進化の為の天の配剤なのだ。
「難が有ったら有り難う」という事でカルマの連鎖を断ち切れる……
という教えが広まって久しいが、それだけでは完全ではない。

それではまったく断ち切れません。また難がきます。

●そんな事はありませんよ。
完全浄化できない根深いカルマもあるでしょうが、小さなことなら浄化できます。



>反省と謝罪をした上で感謝をする事により、自己責任が完結するのだ。
謝罪と感謝は自分の魂に、そして、加害者がいれば加害者の魂に謝罪と感謝、

謝罪と感謝 ではなくなにも思わない。忘れるほうがよい。謝罪と感謝はカルマが追加される。

●人間は前世の記憶を消されて生まれてきますが、今世の因果律が前世のカルマに基づいているのは何故ですか?
頭で忘れても、全ての記憶が潜在意識にインプットされているからです。
従って、頭脳の記憶にはなくてもカルマの法則は働きます。
内観は、脳波をシータ波にして潜在意識にアクセスし、過去を振り返ることで因果律を知る行為です。
忘れていた記憶が原因していることは無数にあります。
因果律を知って「理解」すれば、自ずと反省と感謝の念が湧いてきます。
それによってカルマが浄化され、潜在意識(幽体)が浄化され、霊体の意識や魂(真我)の意識に目覚めていくのです。
それに伴って、真理(自然の摂理・宇宙法則)が分かるようになるのです。



>もっと言えば、この世の一切の出来事は自分に原因があり、
自分がその結果を映しているのである。
神は大宇宙の最高責任者であり、大宇宙である人間はこの世の神である。
即ち、自分が宇宙の最高責任者なのだ。

間違いないのだが、基本的に間違った考え方をしているのでまちがった考えの最高責任者になる。

●獣は考えを述べているのではなく、悟って認識していることを書いています。
あなたが「間違い」と指摘している箇所は、あなたが真理を認識できていないだけです。
あるいは、あなたが信じている知識と異なる内容だから、獣の説法を「間違い」だと判断しているのです。



>「人間は自分以外に沢山いる」と思う人もいるかも知れないが、
それは人間型ゲシュタルトが生み出す幻(自他分離観念)に過ぎない。
オコツトが説く、人体がマクロコスモス(大宇宙)で、
ミクロコスモスである宇宙はその投影である事を、
少しずつ理解して認識を深めていく事が肝要である。

色相是空、空即是色の概念。考えが浅い。

●色相是空ではなく、色即是空ですね。
ちなみに、これは色即是空の概念ではありません。
前にも述べましたが、色即是空は浅い悟りです。
獣の話はその先の事を書いています。
また、「考えが浅い」ということは、あなたが思考型人間であることを意味します。
あなたは、ご自分が「思考」についてどのようなコメントをしていたか覚えていますか?



>先日、紛争のニュースを見て、
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と呟いた人がいた。
同意を求められたが、獣は無視した。
これほど無責任で極悪な暴言はないからだ。

あなたも。極悪2元論

●そう思うのは、あなたが理解していないからです。



>紛争の原因が、過去の自分の不調和な想念にある事を
全く認知していないからである。
また、戦場で人々を殺している兵士たちも自分自身であり、
殺されている人々も自分自身(自分の側面の投影)である。

言っていることは正しいのだが、本人は理解しないで使っている。

これが正しいと分かるなら、今までの否定は何だったのですか?
獣はずっと同じ理論の基に話を展開しているのですが……。
「言っていることは正しい」と仰っていますが、あなたは本当は全く理解していません。



>他国の紛争を他人事として切り離した感覚・発想こそ、

離して良い。それを知ることでカルマがたまる。知らなくて良いことがあるのとはそういう意味

●切り離すのは分離観念であり、色即是空の悟りから遠ざかりますよ。

また、あなたが書いた
「すべての原因は自分にある」
「すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包しています」
という認識からも遠ざかります。
というよりも、あなたは自分で認識していない単なる知識を出任せで書いているだけです。

「他国の紛争を知ることでカルマがたまる」とのことですが、それも上記のことを認識していないが故に、あなたは「人類共有のカルマ」が理解できないのです。

先ほど「全ての記憶が潜在意識にインプットされている」と書きましたが、集合的無意識には人類の全ての記憶がインプットされています。
過去の全ての人類も含まれています。
それは、深層意識に人類のカルマを内包しているということです。

獣が「全ての責任は自分にある」と言っているのは、そういうことです。そのことを理解していないあなたが「すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包しています」と発言したのは、ハッタリだったことを証明しています。

「他国の紛争を知ることでカルマがたまる」というのは間違いで、他国の紛争を知るということは、自分の中の集合的無意識のカルマの顕れです。
従って、他国の紛争を知ることはカルマの浄化のチャンスなのです。

あなたから言わせれば「カルマかたまる」ような認識に基づいて生きている獣ですが、自分の潜在意識を浄化して個人的カルマを消滅しています。

それは魂の意識に目覚めていることからも確信していましたが、テンテンのタマシラベによっても証明されました。
従って、あなたの理論は崩壊することになります。



>ネオデシタル内観を続け、
日常的にネオデシタル思考を習慣にする事が重要なのだ。

アナログ思考とバランスをとりましょう。

●それは、ネオデジタル思考がどのようなものかを知らない指摘ですね。
また、アナログ思考に偏ってバランスが取れていないのは、あなたの方ではないですか?
アナログ思考とは通常の「思考」ですが、あなたは「考える」ということを痛烈に批判し、「頭の中を空っぽ」にすることを力説されていませんでしたか?
それもメッキの知識の出任せだったのですね。



>外側の世界はその投影であり、幻のようなものなのだ。
それを知らない事こそ恐ろしく、無知ゆえの大罪である。

幻じゃありません。それを知らないことは恐ろしくなく。無知ゆえ罪はない。←この場合においてのみ

●文章的に、「無知ゆえに罪はない」ということは、幻であることを認めたことを前提とした発言になりますよ?
この世が幻であることを認識できないのは、人間型ゲシュタルト(自我)のせいです。
肉体を重視する(体主霊従主義)のあなたには認識できないことです。
あなたは自分が認識できないことを「違う」と否定しているに過ぎません。
脳機能科学者の苫米地氏は、「瞑想はこの世が幻であることを知る為にある」と言っています。
ぜひ瞑想をお勧めします。
その前に、あなたは知識や思考で頭がいっぱいのようなので、あなたの言葉をお借りして「頭の中を空っぽ」にして下さい。
尚、この世が幻であることは科学的に認知され始めていることです。



>「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ」

怖がらないほうが良い。

●どういうことですか?^^;
この神示の意味は、戦争はあくまでも現象(結果)であり、原因である悪の魂こそが怖ろしいという指摘です。
怖がれという話ではなく、悪の魂を改心させよということです。
その為に、内観と言霊で潜在意識を潔斎せよということが説かれているのです。
Posted by 獣 at 2012年09月01日 11:17
返信 第5弾です↓


>「自分の国さえ良ければ」という考えから戦争は生まれるのだ。

一概に言えない。もっと複雑な事情のものもある。

●一概に言えないし、もっと複雑な事情のものもあることは誰もが分かりきっていますが、基本的にそのような考えに基づいているということを言っているのですから、無駄なツッコミです。



>また、天災や戦争に恐怖し、「世界が平和になってほしい」
という悪想念を発している事に全く気づいていない。

>恐怖は悪想念だが、世界が平和は違います。

●悪想念というと語弊がありますが、「平和になってほしい」という願いは内面を無視した外側の世界を認識する自我であり、「今は平和ではない」という認識に基づいています。
「平和になってほしい」という強い願いは、「今は平和ではない」という信念を強化し、その「今」が実現し続けるように働きます。
これは潜在意識の基本的原理です。
極論言えば、「平和になってほしい」という願いは、戦争を引き起こすエネルギーだから「悪想念」と言っているのです。

あなたが、恐怖は悪想念だと認めた時点で、恐怖が業念であることを認めたのと同じです。
つまり、恐怖を感じると、それがカルマになるということです。
獣は先ほど、「恐るるもの来たるという潜在意識の法則もカルマの法則の1つです」と書きました。
恐怖が悪想念であることを認めたあなたは、獣が説くカルマの法則を認めざるを得なくなります。
獣はその法則に基づいて、いくつかの喩え話をしましたが、あなたはその法則を理解できずに、断定的に否定していました。
でも、もうお分かり頂けたと思います。
しかし、それは理論的に左脳の理解に過ぎません。
あなたが語るカルマの法則は、知識や観念の域を出るものではなく、凝り固まった偏狭な信念です。
あなたがカルマの法則に無知で理解・認識できないのは、内観をしたことがないからです。



>自分の想念に無頓着・無関心だという事である。
それは、外側の世界しか見えていないからであり、
自我に振り回されていきている事を意味する。
自分の想念が、天災や戦争の原因である事を本人は全く自覚していない。

獣さんあなたもです。

●あなたの霊感はいつも外れますね。
獣は霊魂の意識で常に自我(思考や想念)を監視しているので、自我に振り回されることはありません。
「マインドが薄い」ということは、テンテンにも言われました。
また、外側の世界を内側として認識しているので、天災や戦争の原因も全て自分の責任であることを自覚しています。
自覚できていないのは獣ではなく、あなたです。
それは、獣があなたのコメントに対して、今まで指摘してきたことで証明しています。
自覚できていない人に、「あなたもです」と言われる筋合いはありません。



>生き地獄に住んでいる人は「ネガティブな世界」を自ら選択し、
自滅していく事になる。
外面は陽気でポジティブに見えても、問われるのは本性である。
既に始まっている人間界の「最後の審判」により、
人間は「素」の状態にさせられ、二極化が進行していく。

獣さんはネガティブを選択していませんが、ネガティブ側にいます。

●あなたの霊感・感性・解釈には大きな疑問を感じます。



>ホ・オポノポノを唱えて、テレビを潜在意識の浄化に利用するなら兎も角、
普通に試聴しているだけでは心を汚してカルマを蓄積し、
意識 と魂の堕落を促進するだけである。
極論言えば、テレビを試聴する事は大罪なのだ。

みなさん罪ではないですよー。でも楽しい番組だけにしましょう。

●罪穢れの罪は「積み」であり、無駄な情報・知識・記憶は心の汚れになります。
ですから、「罪」なのです。
あなたも「頭の中は空っぽにするべき」だと力説していました。
ご自分のコメントに矛盾を感じませんか?



>いつも長時間に及んで、テレビやカタログを見る事を
生き甲斐にしているような人に対しては、
神は救いたくても救えないという事である。

違います。救うかどうかは徳の量が問題です。

●あなたは「業念」や「徳」を説く宗教の教義に凝り固まっていますね。
徳を積めば、そのご褒美に神が救ってくれるのですか?
獣が言う「神に救われる」というのは「自己救済」のことです。
自己救済とは、潜在意識を浄化して真我に目覚めることです。
長時間に及んでテレビやカタログを見る事を生き甲斐にしている人は、
真我に目覚めることと反対のことをしていると言いたいのです。
それは、以下にも書いている通りです。

>何故なら、神の実在を知らず、自己の内面に目を向ける事をしないからだ。



>確かに、バシャールが説く「ワクワク」かも知れないが、
呑気に無駄な時間を過ごしている場合ではないという自覚が全くない人は、
文字通り話にならない。

話になります。

●そうですか……。
獣が話にならない人と同じレベルということですね(失礼)



>ただ、アリオンや内海氏が警告している通り、

内海氏は確信犯的うそをついています。アリオンのことはしりませんが。

●それもあなたの思い違いです。
何故なら、内海氏のこの部分の話は、内海氏の友人の霊能者の話が元ネタだからです。
従って、「確信犯的うそ」だと断定するあなたの霊感はアテにならないことが証明されました。



>肉体を失うだけでは済まない可能性があるから、獣は「自己救済」として、
縁のある人や理解のある人に身魂磨きの急務を訴え続けているのだ。
それが、本当の意味での教育と言えるだろう。

獣さんも心魂磨きを続けてください。もう少しです。

●内海氏と同じく、惜しいことろまで来ていますか?(笑)
あなたは先ほど、獣のことを「ネガティブ側にいる」と仰っていましたが、もう少しなのですか?
ネガティブ側にいるけど、もう少しでポジティブ側に移るということですか?
だとしたら、それは間違いです。
獣は中真(真のポジティブ)だからです。
あなたは中真を知らないので、獣の位置が分からないはずです。
アテにならない霊感で適当な出任せを書くのはヤメた方がいいですよ。
Posted by 獣 at 2012年09月01日 15:11

返信 第6弾です↓


>子供は大人のような価値観や固定観念もなく、
悪想念にもまみれておらず、純粋で無垢である。
その為、赤ちゃんや子供は死ぬと天国(フォーカス27)に連れて行かれる。

フォーカス27の天国の概念をしりませんが、
まちがいなく天国には行きません。間違った情報を鵜呑みにしています。

●「間違いなく天国には行かない」という根拠は何ですか?
あなたが囚われている宗教の教義ですか?
それともアテにならない霊感ですか?
獣の話には、かなりの根拠があります。
数多くの本物の霊能者がそう言っていますし、
信頼できる霊界通信などでもそのように言われています。
同じく、長い年月を掛けて古今東西の様々な文献を検証し、
多角化に霊界の研究をしてきた丹波哲郎も同じことを言っていました。
的中率100%を誇る政木和三氏のフーチパターンでも、
そのことが証明されていました。

人間は、フォーカス27と呼ばれる輪廻転生地点から転生してきます。
赤ちゃんはその時の意識レベルのままなので、
赤ちゃんが死ぬとフォーカス27に還ることになるのは道理です。
赤ちゃんが幽界に行くということは考えられません。



>フォーカス27は、六道の天道で、

天道は天国ではないです。

●フォーカス27は、六道の「天道」にあたります。
フォーカス27は、スウェデンボルグのいう「天界」にあたります。
フォーカス27は、モンロー研究所で「パラダイス」と呼ばれています。
つまり、「天道=天界=パラダイス」ですから、
「天国」という呼び方でも差し支えないはずです。



>仏教では天道人(霊)を「神」と呼ぶ。

神ではなく仏の間違い。(現在の仏教)

●天道は六道の1つですから、天道人も人間界に転生します。
仏というのは、悟りを開いて(魂の意識に目覚めて)
輪廻を解脱した人のことを意味する言葉です。
従って、天道人は仏ではありませんから、あなたの間違いです。



>一方、大人は九分九厘(99.9%)が幽界の意識・魂の持ち主である。
つまり、現代教育の実態は、幽霊が神に説教しているのと同じなのだ。
獣は親や先生たちから、教育を受けて反発してきたからこそ、
教育について語る資格があると思っている。

2元論。すべての人に資格がある。

●話の本質を理解して下さい。
中真感覚があるから、本来の教育のあるべき姿を説くことができるという意味です。



>獣は家庭や学校の教育によって心を歪め、

違います。自分によって心を歪めた。自他融合。

●あなたは獣が言っていることも、自分が言っていることも、何も理解していないようですね。



>悲哀と苦悩と怨恨に生きてきた。
それは自分の心の弱さが原因だと思っていたので、

まだ思い切っていない。

●何を勘違いしているのですか?
文章を理解して下さい。
「思っていた」と過去形で書いているでしょう?
それは「今は思っていない」ということです。
あなたのコメントは頓珍漢の極みです。



>弟には獣のようになってほしくない為にスパルタ教育で鍛えてきた。
だが、それも獣のエゴであり、
数十年という短期スパンで見れば、当時の獣の教育も間違っていた。

数十年というスパンで観れば間違っていたかもしれませんが、
二人が死ぬときに本当の意味がわかります。

●だから、「数十年という短期スパンで見れば間違っていた」と書いているでしょう^^;
それは既に本当の意味を悟っていることを意味します。



>つまり、教育などは一切不要なのだ。

意味不明

●あなたには意味が分からないと思います。



>「家庭や学校の教育によって心を歪め、悲哀と苦悩と怨恨に生きてきた」
と書いたが、
それは外部に原因を求めて他者に責任を転嫁した物の見方だが、
現象界を「現実」として見た場合の経緯では、それは事実である。
↑違います。責任転換したという事実である。
獣さんが言っているのは主観の世界の話です。
この世界は主観と客観で成り立っています。

●あなたは読解力がなくて、いつも勝手な解釈をした上で断定しています。
あなたの世界観が一般レベルの認識であることは既に証明してきた通りですが、
獣は主観と客観の両方を視点で観ています。
内外反転を理解できないあなたには分からないことです。



>ただ、本質的には全て自分が映し出していた事であり、
出来事だけではなく他者も自分の投影なのだ。
それを映し出す事も 、生まれる前から決まっていたのである。

決まっていません。

●そう断定できる根拠は何ですか?
獣が決まっていると言う根拠は因果律です。
人間の運命が決定していることは否定できない事実です。



>それを言ってしまえば元も子もないように思うかも知れないが、
内観をすれば過去は100%肯定できるようになり、最善だった事が分かる。

その考えは元も子もありません。

●考えではありません。
理解に繋がって認識できるようになると言っているのです。



>だが、それは内観をすればの話である。
人間は常に「今ココ」に生きており、
流れに任せて生きるのが高次の生き方である。
それを自覚した時、教育が必要ないものである事が理解できるはずだ。

言っていることは正しいですが、獣さんが今ココにいないので教育がいらないという考えは無理があります。
すべての人が今ココにいるのであれば教育はいますぐなくすべきです。

●獣がこの記事で人々に伝えたいことを察しておられますか?



>必要な教育があるとすれば、人を中真(ニュ ートラル)に導き、
悪い思考パターンを指摘して、その場その場で気づきを与え、
反省と感謝のチャンスを提供する事である。

今やっています。

●同じく(笑)



>但し、自分が出来ていなければ人に指導する事は出来ない。

すべての人が指導者です。

●では、すべての人に指導されて下さい。
「すべての人が指導者」というのも、
「業念」や「徳」を説いている人の言葉ですね?
しかし、あなたは「すべての人が指導者」とは認識していません。



>獣は今まで育ててもらった恩返しとして、聖母を教育しているのだ。
真の教育とは、換言すれば、真我の声が聞こえない人に、
意識進化&ミロクの世へのアセンション(真の救済)の導きをする事である。

驕りです。すべての人が教育者です。2元論が根付いているようですね。
獣さんと自分ではアセンションの概念がちがいますが、
地球はすでにアセンション済みです。外の景色を見てください。
4年前とまったく違う景色に気付きませんか?目を鍛えてください。
感覚を鍛えてください。もう少しですよ。

●一元論で説明できないことなので、二元論的表現にしています。
「自己救済」なので驕りではありません。
獣の認識と書いている文章は異なります。

前にも書きましたが、アセンションとは「キリストの昇天」という意味で、
意識進化による肉体の削除です。
あなたのアセンションの概念は、あなたが信奉する
「業念」や「徳」を説く団体か人物の間違った教えですね?
景色の話も前にされていましたが、これもそうですね?



>つまり、真我が肉体のある人間として顕現したのを
「救世主」というのだ。
当然ながら、「真我の顕現」なので、
その救世主も自分の投影なのである。

一度、投影の考えを捨てたほうがよいです。とらわれすぎです。

●考えではなく認識ですから囚われではありません。
3次元の肉体意識(自我)では、
この世が投影であることを認識できません。
あなたが投影を認識できていないことも分かります。
あなたに限らず、殆どの人が認識できていません。
だから、くどいほど繰り返し書いているのです。



例えば、獣は聖母に指導しているが、
聖母の世界では獣は聖母の投影なのだ。
また、獣の世界では、聖母は獣の投影であり、
獣が聖母を救うのは「自己救済」なのである。

自分はネットであろうがその文章からそのひとの想念が読み取れるが
文章は合っているのだが想念が間違っていることが多い。

●あなたは虚言癖がありますね。
「汝、ウソをつくなかれ!」の記事の十善戒に対して、
あなたは補足説明を書いていましたが、
不妄語(嘘をつかない)についてはスルーしていたのは、その為ですか?

「文章は合っているのだが」と言いながら、
あなたは獣の文章の意味を理解していない。
また、「文章からそのひとの想念が読み取れる」とのことですが、
あなたは獣の真意を全く理解していないではないですか。
しかも、解釈違いばかりなのに想念が読み取れるはずがありません。
全て妄想です。
あなたの霊感がアテにならないことは既に証明済みですが……。
Posted by 獣 at 2012年09月01日 15:32
返信 第7弾です↓


>逆に、獣の指導によって聖母の意識進化が進めば、
それは聖母にとって「真の他力本願」、
即ち内在神(阿弥陀仏=真我=真の自己)によって
自力で救われているという事なのだ。

これも同じく文章はあっているが、想念がまちがっている。

●あなたにはこの文章の意味が理解・認識できないはずです。
想念が間違っているとはどういうことでしょう。



>全ては自分の意識の投影であり、他の何者かに救われるという事は、
真の自己(真我)の顕現に救われるという事だからである。

自分の意識の投影はいいのですが、獣さんもほかの人の意識の投影だということを自分と同じレベルで認識してください。

●あなたに言われなくても認識していることですが、
そのようなことを言っているあなた自身が全く認識できていませんね。



>「良い事をすれば良い事が返ってくる」
「悪い事をすれば悪い事が返ってくる」というのは、
道徳や倫理に基づく観念に過ぎないとも言える。
確かに、これも物理学的な因果律の法則には違いないが、
現象界自体が「結果の世界」だからである。

因果律の法則ではない。

●もはや、あなたに因果律を語る資格はありません。



>「結果の世界」での因果律だけを見ていても、真実は見えてこない。

見える。見えていないだけ。

●見えません。あなたは見えているつもりの妄想家です。



>内観を説かずに「正見」と説く人間は、正見の出来ない偽物という事になる。

一概に言えない。おそらく瞑想のことを言っていると思うのだが、
自分も瞑想はやり対外離脱もでき、目をつぶると宇宙が広がる。
しかし自分の答えとして瞑想は必要ないとの結論がでている。
そこまでいったからわかる答えかもしれないが、
目をあけていても宇宙は広がっていますし、
瞑想をしなくても自分自身(神)を発見できます。
自分自身をみつけるのに必要なのは感覚のよさだけあれば十分で、
それはたとえば、映画、音楽、本等を趣味にし感覚を鍛えればすれば
簡単に身につくものです。←たとえばです。
趣味がなくてもすべてに気をはっていれば感覚はすぐによくなります。
これは主観で人それぞれだと思いますが、
瞑想はある程度までいくと感覚をにぶらせます。
瞑想は現実を軽視する性質を持っています。内面よりになりすぎる。
内面と現実世界をバランスよくするのが理想です。

●瞑想は内観の前提です。
正見というのは中道、ニュートラルな視点・中真感覚を獲得することです。
正見ができるようになっても、必ずしも視点から話をするとは限りません。
それは、説明や表現が困難だったり、人が理解できない内容になったりするからです。
だから、両極(極論)、あるいは多角的・多次元的な視野で説明し、
中真に導いているのです。
なので、獣の話の断片だけ読んでも、獣の話は理解できません。
獣が中真だということも分からないでしょう。

中真感覚を養う為に、内海氏は種観霊というメソッドを教えています。
内海氏は内観という言葉を使っていませんが、種観霊も一種の内観です。
内観には様々な方法がありますが、
内観をしていない人でも日常の体験が内観になることもあるでしょう。
いずれにしても、内観なくして中道・中真・
ニュートラルな視点を持つことは不可能だと思われます。

獣は体外離脱は滅多にしなくなりました。
離脱せずに、ダイレクトにインナートリップです。
体外離脱するのは、人間型ゲシュタルト思考に囚われているからです。
「この人間界に自分が存在し、自分の肉体に霊魂が宿っている」
という自我(3次元の観念)による錯覚・思い込みによって、
体外離脱という現象が起きるということが分かってきました。
つまり、体外離脱するというあなたの世界観・宇宙観は
人間次元の観念であり、本質論からすると、
あなたの世界観・宇宙観は根本的に間違っていることになります。

あなたは「この世が幻」という事実を認識できていないので、
瞑想は必要ということになります。
ヒマラヤの大聖者は何百年も何千年も瞑想三昧の生活を続けています。
あなたが瞑想する必要のないレベルに達したと思っているのは、
大きな勘違いです。

「目をあけていても宇宙は広がっていますし、
瞑想をしなくても自分自身(神)を発見できます」
というのも虚言か妄想ですね。100%断言します!
仮に本当だとしても、「発見できる」という表現は対象として見ているのであり、それそのものに意識がシフトしていないことを物語っています。

「自分自身をみつけるのに必要なのは感覚のよさだけあれば十分」
というのも間違いです。
自分自身を見つけるというのは、真我(魂の意識)に目覚めることです。
あなたが「自分自身を見つける」という言葉を使っているように、
世間では「自己発見」という言葉がよく使われています。
しかし、この表現は本当は正確ではありません。
真我に目覚めるというのは、魂の意識に目覚めるということです。
自我が魂の存在を発見するのではなく、
「自分」という意識が魂にシフトするのです。

体外離脱をするということは、宇宙観の認識が間違っているからであり、
魂の意識に目覚めているということはありません。
釈迦の悟りを「間違い」だと否定するくらいですから、
真理から程遠い宇宙観をお持ちなのでしょう。

「映画、音楽、本等を趣味にし感覚を鍛えればすれば簡単に身につくものです。
趣味がなくてもすべてに気をはっていれば感覚はすぐによくなります」

とのことですが、これは意識のベクトルが外側に向かっており、
五感を磨く方法です。
内観と正反対なので、「真我覚醒」から遠ざかることになります。
獣の主張と全く同じ事が書かれている本があります。
もちろんパクッたわけではなく、
たまたま同じような事が書かれていたのです。
坂本政道氏の『死後体験』という本ですが、少し抜粋します↓

テープの指示があった。
「トータル・セルフとのつながりが切れた場所、ときへガイドに連れて行ってもらいなさい」
母親の胸が見える。胸に抱かれている。
自分の姿は見えないが2、3ヶ月の赤ん坊か?
「トータル・セルフとのつながりが切れたわけを、ガイドに説明してもらいなさい」
ガイドの説明
「身の周りで起こっていることすべてに、好奇心をそそられたからだ。
肉体を持つことによるあらゆる刺激に、五感からの刺激に興味をかき立てられた。
触感、痛み、光、動くもの、寒さ暑さ、ありとあらゆるものが、ものめずらしかった。
そういうものに没頭するうちにトータル・セルフとのつながりが切れた。
物質界に存在すること自体が、つながりを忘れさせてしまう。
外界から常に入ってくる刺激がそうさせる。
さらにあなたは常に外に興味が向かっていて、内面には向かわなかったから、トータル・セルフと完全に隔離されてしまった」

以上。お分かり頂けましたか?


「瞑想はある程度までいくと感覚をにぶらせます」
とのことですが、五感のことですか?
瞑想は五感を遮断するので当然のことです。
その代わり五感以上の感覚が覚醒します。
日常的にも五感は鈍っています。
それは、意識が肉体の自我ではなく、魂にシフトしているからです。
しかし、五感を働かせれば、たちまち鋭敏になります。
それも瞑想効果です。


「瞑想は現実を軽視する性質を持っています。内面よりになりすぎる。
内面と現実世界をバランスよくするのが理想です」
言っていることは正しいですが、それは初期段階の話です。
しかもあなたは恐らく、この話を何かの本などで得た知識を書いただけであり、
あなた自身はその意味を理解していません。
頭脳で理解しているだけです。

瞑想に熟練してくると、
この世が幻(投影)であることが分かってきます。
それが霊主体従の物質軽視です。
あなたの仰る通りですが、
あなたはまだまだそのレベルにも到達していません。
それは瞑想に熟練したレベルだからです。
熟練と言っても、それは一般的な基準であり、
瞑想を極めた状態ではありません。

瞑想を極めると、内外一致(霊体一致)の真理を悟ります。
だから、外側の世界を内面として観ることが出来るようになります。
しかし、霊が主なので、霊主体従の霊体一致なのです。
このレベルに達することが、本当にバランスの取れた状態です。
Posted by 獣 at 2012年09月01日 17:51

返信 第8弾です↓



>教育や宗教などが正見を出来なくさせている原因である事は、
今さら言うまでもないだろう。

原因ではない。受け取る側の問題。

●あなたは中真を知らず正見ができないから、そのように思うのでしょう。
大きな原因になっていることは明らかです。



>故に、「正見をせよ」などと言うよりも、
「教育をやめよ」「宗教をやめよ」というのが先であり、道理である。
「こんな国に生まれてこなくて良かった」と言うのも、
正見が出来ていないからだが、「なぜ見せられたのか」という事が重要だ。

間違い。なぜ宗教を作り、教育を作ったかまったく理解できていない。

●あなたが獣の話を全く理解できていないだけです。
この部分でそのような反応を示すということは、
やはりあなたは何かの宗教に囚われているようですね。



>「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
という二元的な捉え方ではなく、
ニュートラル(真のポジティブ)な視点で観るという事である。

正しいが通常の人には難しい、カルマが生まれる。眺めるほうが良い。

●獣にカルマがないことは、
あなたが本物だと認定するテンテンのお墨付きです。
通常の人には難しいとのことですが、
獣は誰にでもできるメソッドを説いているのです。



>正見にも段階があり、実相の直視が究極の正見だと言える。
その見地からすれば、「良い事」も「悪い事」もなく、
「良い事を思えば良い事が起こる」「悪い事を思えば悪い事が起こる」
というのは、煩悩や二元論に囚われた教えだと言える。

正しいがこの場でいうのは間違っている。
悪いことを正当化されてしまう。

●この記事を書くまでに、かなりの量の
「獣神示」「六六六神示」を書いてきました。
順に読み進めて理解が進めてもらえれば、
今回の記事も理論的には理解できるはずです。
理解できなかったとしても、
それこそあなたの言う「受け取る側の問題」でしょう。



>従来の誤った教育の洗脳を解く為に、

誤った教育ではない。必要な教育

●だからあなたは中真感覚が発露しないのです。
最近、何かの本を開いた時に目に入ったことですが、
「親」という字は「木の上に立って見る」と書く通り、
子供を温かく見守るだけで良いと書かれていました。
獣が言いたいことも、それと同じことです。



>真我覚醒に導く教育が必要なのだ。
↑必要

●あなたの話は矛盾が多いですね。嘘も多いです。
嘘とは・・・・・・
「事実に反すること、あるいはそれを語ること」
(Wikipedia)



>その為に、『ルシファーによる福音書』を書いているのである。

全体的な印象で2元論〜3元論の考えにとらわれている印象を受けます。
無限に答えは存在します。
獣さんのもひとつの答えだといわれるかもしれませんが
2元論〜3元論のなかでの答えです。
この世界は無元です。無元の答えは真理しか存在しません。
上の文章の中でも書きましたが
内海さんは確信犯的にうそをついています。
理由は目立ちたいだけのようで、
それで注目を浴びるようなことを言ったりしてるわけです。
このように理由を書いたのは
獣さんがあまりにも影響を受けすぎているからです。
獣さんは解脱していません。解脱とは因縁をきること。
もう少しで解脱できますが、内海さんの考えが邪魔をしています。
内海さんの考えは矛盾だらけです。
今後この人の考えは一切観ないほうが良いです。
解脱の邪魔になります。

●全体的な印象の感想は、あなたの読解力と理解力の欠如です。
それと、何かの教義や思想に囚われて、
中真感覚が発露できていないことが原因です。
獣は内海氏の影響を受けていません。
去年、このブログの読者が本を借してくれたので読んでみると、
獣が書いてきたことと殆ど一致していた為に紹介していたのです。

獣が解脱していないということですが、
あなたの話によると、釈迦は間違った認識をしていたので、
釈迦も解脱していないことになりますね。
その話も、あなたが所属している宗教か何かで言われていることなのでしょう。
獣から言わせれば、あなたは解脱から程遠い。
まずは、宗教から解脱することが先決です。

「解脱とは因縁をきること」とのことですが、
解脱とは輪廻を解脱することです。
因縁を切るというのはカルマの解消でもあるので、
それが解脱には繋がりますが……。
獣はテンテンにカルマはないと言われたので、
因縁もないということになり、
あなたの理論に基づけば解脱していることになります。

「内海さんの考えは矛盾だらけです。
今後この人の考えは一切観ないほうが良いです。
解脱の邪魔になります」

とのことですが、矛盾しているのはあなたです。
内海氏の話が理解できないのは、
あなたが解脱から程遠いことを意味しています。
また、「内海さんの考え」と書かれていますが、
「考え」ではありません。
それは、あなたのコメントの内容が直感や悟りではなく、
「あなたの考え」であることを露呈しています。

「以前から獣さんのブログは読ませていただいています。
非常に良く調べられていて自分もかなり勉強させていただきました。
それの恩返しに今回のコメントを書かせていただきました」
とのことですが、獣は「自己救済」の為に、
2日間の時間を割いて返信させて頂きました(礼)
Posted by 獣 at 2012年09月01日 17:53
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