2012年04月01日

汝の肉体には魂が宿っていない!

「真の自己発見」や「本当の自分」と言う言葉があるが、実は嘘である。
以前、「魂は肉体に宿っていない」という仮説を提唱した。
そうすると、最も身近な「個としての真我である魂」の意識を、
内観によって発見するというのは矛盾するのではないか……
と、思う人がいるかも知れない。

また、魂が肉体に宿っているのでなければ、体外に存在する事になる。
その通りである。
そうすると、内在神を否定して外在神を肯定することになる。

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まず、このような仮説がある。

オックスフォード大学の数理物理学者、ホーキング博士と並ぶ
ロジャー・ペンローズは次のように述べている。

「人間の脳で起こる情報処理には量子力学が深く関わっている。
意識が生まれるのは脳内ではない」


では、胸に意識があるのだろうか……。

オランダの心臓外科医ピム・ファン・ロンメルは、次のように述べている。

「人間の意識は肉体には存在していない。
意識と肉体を繋ぐ役割が脳である。
脳は受信装置に過ぎず、意識は時空を超えた特別な場所に存在している」


226の深夜、知人に次のようなメールを送った。
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「わたしは、出来事を見て、たの死んで(楽しんで)います。
獣という人間の人生の映画を観ています…居眠りしながら」


これは、内外反転の感覚を言い表したものである。
獣にも人間としての普通の意識(肉体意識や頭の考え)は存在するが、
感覚的には自分の外側から客観的(第三者的)に観ている感じである。
「自分」も「他者」も単なる登場人物に過ぎず、
それは単にスクリーンに映し出された投影に過ぎない。

肉体人間の自分をそのように観察するのが内外反転感覚だが、
実際には自分の内側から外側を観ているというのが的確でもある。

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では、第三者的に観察しているように感じるのは、何故なのか……。
恐らく、バイロケーションが起きているのだと思う。
いわゆる精神分裂などではなく、霊体意識が2つに分裂し、
1つが体外離脱状態で自分を外側から観ている状態である。

これは妄想ではなく誰にでも起きている現象で、
自分の姿が外側から観えたりするのは、
バイロケーションが起きている事実を物語っている。
では、何故、獣はそれを強く感じるのか……。

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肉体意識よりも霊体意識を主体として生きているからだと思われる。
霊体意識は魂と直結している、というよりも魂を包み込んでいる。
だから、内側から外側を観ていると言えるのだが、
霊体意識はバイロケーションで肉体の外側にも存在する為、
外側の霊体意識の感覚も伝わってくると考えられる。

そうやって、肉体意識(自我)を常に厳しくチェックしながら、
獣が映し出している世界(人生)を観て楽しんでいるということである。
これは見方によっては、人間(自我)としては死んだような生き方でもあり、
「たの死んでいる」と表記したのだ。
「居眠りしながら」というのは文字通りの意味で、
獣の自我はよく居眠りをしており、起きていたとしても寝ぼけているか、
うつらうつらしたような状態が多いことを指している。

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肉体意識である自我は、物質の影、もしくは物質と空間を見て、
物質を実体だと認識しているが、それは錯覚なのだ。
その錯覚によって、実相が見えなくなっているのである。
それが、3次元認識の「人間型ゲシュタルト思考」だと言えるだろう。

想念と物質を比較すると、殆どの人は、
想念は実体のないもので、物質が実体だと思っている。
少し理解の進んだ人なら、想念はエネルギーで、
そのエネルギーの凝縮(もしくは凍結)によって
物質が構成されていると答えるだろう。

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それは間違いではないのだが、適切な表現をすると「物質は心の影」なのだ。
信じられないかも知れないが、それは本当の話である。
何故なら、生長の家の聖経『甘露の法雨』にそう書かれているからだ(笑)
獣は小学校の頃からそれを知識として知っていたが、
内外反転の認識が生まれてからは知覚によって理解に繋がった。
だから、それが事実だということを知っているのだ。

その認識度が進むに従って、従来の世界観が破壊されていくのだ。
それは、固定観念や価値観、先入観などを外して内観し、
3次元以上の霊体意識に目覚めるに従って、起きてくる現象である。
認識の変化は様々な面で、同時的、または連鎖的に起きてくる事が多い。

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まず、内外反転によって、現象界が投影の世界であることを認識するようになる。
自分が生きている人間界は、文字通り、自分が映し出している幻影なのだ。
当然ながら、自分の肉体が死ぬと、自分が生きていた世界も消滅することになる。
ちょうど夢から覚めて夢の世界が消えるのと同じように、
自分が映し出していた宇宙が消滅するのである。

そのことは内海氏も述べていた。

「人間が映し出している現象の世界は、自分の魂の中にあるものなのである。
宇宙そのものが自分の中にあって、各人がそれを現象の世界に投影しているのだ。
したがって、自己が消滅すれば、宇宙も世界も消えてしまうのである」


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バイロケーションの話をしたが、もっと本質的な話をすると、
人間の意識は外側の世界、即ち、宇宙に遍在しているのだ。
但し、それを認識できるのは天人合一を体験している時だけであり、
普段それを認識することはできない。

だが、外側の世界が自分の投影であるなら、
外側の世界そのものが自分の意識であることは理論的には理解できるだろう。
それが万物を包含する唯一の外在神だが、
それはあくまでも投影であり、本当の外側は肉体の内側に存在する。

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では、やはり魂は内側に存在するという事になる。
もちろん、その通りである。
文字通りに解釈すると、獣の言っている事は無茶苦茶である(笑)
だが、獣が言っている事は本質論であり、言語で説明が困難である。

要は、一般的な概念での「魂が宿っている」という見方は、
事実であって事実でなく、事実ではあるが真実ではないのだ。
真実とも言えるが、完全なる真実ではなく一面的事実だという事である。
結局、魂の本質は人体に宿っているということになる。

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では、魂とは何か……。
投影の世界の肉体に宿った、トータルセルフの分魂である。
そして、肉体が投影なら、そこに宿る魂も投影なのだ。
5次元の世界は「実在領域」と呼ばれ、そこに我々の本体が存在する。
幽界(4次元)や人間界(3次元)の霊魂は、その投影なのだ。

従って、本質論を語れば、
「輪廻転生」や「カルマの法則」も全ては幻想に過ぎないのである。
釈迦は当然の如く、そのことを悟っていた。
「観自在菩薩の悟り」というのも、そのことである。

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半田広宣氏は次のように述べている。

科学、宗教を問わず近代以降に起きてきた世界観の変遷は、
すべからく精神の萎縮化であったと見なしてよいのかも知れない。
本来、万物に浸透していた人間の霊性は霊魂という言葉に置き換えられ、
同じく肉体という器に宿る何らかのエネルギーというイメージで
3次元的な描像にまで転落させられてしまったのだ。
死の訪れによって霊魂は肉体を抜け出し、
新たに生まれ変わるべく別の肉体を求めて異空間を彷徨う――

このような転生説を唱える生気論者たちは、
彼らの主張とは裏腹におそらくは唯物論的思考の影響を色濃く受けている。
エクトプラズム……なにやらガス状のエネルギー体としてイメージされる霊魂、
そして、アストラル体、メンタル体などに見られる「体」という形容……。
非物質的なものには非物質的な方法で近づくしかないにも関わらず、
世界はその全てが物質感覚に支配されたイメージで溢れかえっている。
それほどまでに人間型ゲシュタルトの力は強力なのか……。
何もかもか真実の宇宙感覚とは縁遠いところで淀んで腐敗しかかっている……。


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結局、魂が肉体に宿っているか否という問題以前に、
肉体も幽体も霊体も魂も、総ては投影(幻影)にして実在に非ず……。
という事になるのだが、『日月神示』には次のように明記されている。

「ミタマとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ。
神の神民身と魂のわけ隔てないぞ。身は魂、魂は身ぞ」


「霊体一致」の真理から観ると、それも真実の姿である。
また、オコツトは「人体はマクロコスモス」だと言っている。

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そして、「内外反転」や「投影」と全く同じことを説いている。

「人間の内面とは、あなた方が外在と呼んでいる世界、
人間の外面とは同じくあなた方が内在と呼んでいる世界のことを指します。
本当の外宇宙は、あなた方の心の中の方向にあるとでも言っておきましょうか」


そして、人間が「宇宙」と呼んでいるものについて、次のように述べている。

「すべて有機体の妄映です」

全人類のすべての魂が自分の肉体の中に存在し、
4次元のすべての幽界霊も自分の肉体の中に存在し、
5次元以上のすべての霊魂も自分の肉体の中に存在することになる。

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ここで、半田氏とオコツトの対話を見て頂きたい。

「あなたは私の体内に存在しているということですか」

「そういう言い方もできます」

「しかし、冥王星からビーコンを送っているのでしょう」

「私たちの意識は人間の肉体に含まれたものとして存在しています。
肉体はマクロコスモスだと申し上げたはずです」

「冥王星が肉体のどの部分に対応しているというのですか」

「神経系統に相当する部分のすべてという言い方ができるでしょう」


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結論として、それが獣の答えである。
冥王星が神経系統に相当するかどうかは獣には分からないが、
人体が実在の宇宙だということである。
故に、太陽や月も投影であり、自分の中に観ることを説いているのだ。
当然ながら、オリオン座やシリウスの実体も自分の中に存在し、
アリオンも内在神だと言っているのである。

『日月神示』を降ろした根源の神々も、我々の究極真我だと言った通りである。
宇宙に存在する全生命体は自分の投影であり、
その実体は自分の内部に存在しているのだ。
その出入り口が胸にあるというのが、獣の結論である。

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自分の肉体が大宇宙であり、その中に無数の全生命体が存在しているが、
その本質は一なる意識であり、その核となる究極の実在が
「ブラフマン」という絶対的な超自己(宇宙の根本原理)なのだ。
人体は宇宙を包含する大神であり、
その中心点が「ブラフマン」だと言えるかも知れない。

マルチョンは人間(大神=大宇宙)そのものを表したものだろう。
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それは本質的に事実だと思うが、文字通りに解釈するのも間違いである。
また、「人間に魂は宿っていない」というのも一面的事実であり、
「我々の肉体や魂が投影であって実在ではない」というのも一面的事実である。
そうすると、人間界や人間の存在理由が分からなくなって原点に戻ってしまうが、
その答えは「霊体一致の実現」、即ち「ミロクの世の完成」にある。

内外反転の認識が始まると「内外一致」の理解が同時に起こり、
魂(霊主体従)の視点から肉体の重要性を理解するようになる。
それが、『日月神示』のいう「善の改心」である。
だが、それを認識できるようになる為には、
ひたすら自分の内面に入って(外側を観て内観し)、
魂(真我)の意識に目覚める必要がある。

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食事改革や骨格矯正を実践しつつ、ネオデジタル思考で現象を理解し、
反省と感謝で想念の浄化に専念することで、必ず何らかの変化が起きてくる。
だが、運勢が好転したとしても、そのようなことに惑わされてはいけない。
但し、心静かに感謝する必要はある。

『日月神示』には次のように示されている。

「この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、
それは 大難を小難にし、又めぐりが一時に出て来て、
その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。 借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。
損もよい、病気もよいぞと申してあろうが」

「悪のやり方は始めはどんどん行くなれど、九分九厘でグレンぞ、
善のやり方 始め辛いなれど先行く程よくなるぞ」


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もちろん、災難や不幸が続いたとしても、それに囚われてはいけない。
囚われてはいけないというのは、感情を働かせてはいけないという意味である。
感情は自我なので、感情を働かせている間は真実が見えないからだ。

現象はあくまでも結果であり、
内側の投影に過ぎないということを忘れてはならない。
ネオデジタル思考で内観(種観霊)をして、
理解に繋げて反省と感謝をすることである。
釈迦が説いたのも、そのことである。

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現象も感情も幻だということが分かれば、自己発見(真我覚醒)は近い。
自己(真我)とは「魂」のことだが、それさえも投影に過ぎないのだ(笑)
だが、魂の場合は、投影であっても最後は本体と合体することになるので、
肉体意識のように消滅してしまう幻ではない。

釈迦が説いたヴィパッサナー瞑想を教えるスマナサーラ長老も、
獣と同じようなことを説いているが、
去年の1月15日に講演会に行って思ったことは、長老の悟りは浅い。
当時の日記にも書いたが、人々の質疑応答の時にレベルの低さを感じた。

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また、人間が動物や害虫に生まれ変わったりすると言っていたが、
本当に真我(魂)に目覚めた人間なら、
そのような輪廻転生の概念が迷信であることは直感的に分かるはずである。
その他、仏教のドグマ的観念にドップリと浸かっている人物だった。

そして、画像検索でたまたま出てきたのだが、
「道徳・倫理は幸福と成功の鍵」だという……。
根本的におかしいを言っていることは読者もお分かりだろう。
もちろん、スマナサーラ長老を批判しているわけではない。
むしろ、スマナサーラ長老も、獣の世界では獣の投影なのだ(笑)

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posted by ZERO at 00:53| Comment(9) | 謎学・ミステリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
《神と人間(文庫版11頁)》(五井昌久著・神と人間との関係・1)
 人間とはいったい、いかなる者であろうか。この問にたいして、はっきりかくかくの者であると答え得る人ははなはだ稀(まれ)なのではあるまいか。一見なんとなく考えすごしてしまうこの問が、人間世界の幸福を創(つく)りだす最も根底(こんてい)になる問題であり、最もむずかしい答なのである。人間とはいかなる者か、我とはいったい何か、これがわかった時、その人は永遠に救われ、多くの人間がこの問に答え得る時、人類は救われ、地上天国の実現が見られるものである。
Posted by 通行人 at 2012年04月01日 02:00
きっと、どのような説明をしても断片なのでしょうね〜^^;
Posted by 獣 at 2012年04月01日 11:15
《神と人間(文庫版15頁)》(五井昌久著・神と人間との関係・2)
【きっと、どのような説明をしても断片なのでしょうね。】
そのようなことはありません。世間の教祖様を凌いでおられることでしょう。根源的なところからお考えになりますと、ご理解が深まるかと拝察致します。
はたして人間は肉体の滅亡をもって、最後の終止符になるであろうか。私(五井昌久)は即座に、否(いな)と答える。なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく、社会生活を営んで、妻をめとり、夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。人類の大半はこのような生活を繰り返して、今日にいたっているのであるが、それでは済まない、何か漠然とした不安の想いが、その大小にかかわらず、人びとの胸の中に去来しているのではなかろうか。このような生き方ではあまりにも無意義であり、無目的でありすぎる。このような生き方の他に、何かある。何があるかわからない。わからないが、またわかろうと積極的に思わない。こうした想いが一般人の心であって、その中の少数の人たちが、そのままで済まされずに、社会改革に乗り出し、思想活動に加わり、また一方の少数人は自分自身の心の内面に立ち入って、深く突きつめ、神を知り、霊を知るにいたる。ともに現況における心の苦しみを突き破ろうとしての動きなのである。
Posted by 通行人 at 2012年04月01日 13:14
ユングは西洋人を批判して、外在神をあがめる事で自己の神性を失
い、心理的にすべての自己尊厳をなくすことになったと指摘してい
ます。他方東洋人に対しては、西洋人の自分は批判を差し控えると
述べていますが、言いたい事を推測すれば、東洋人は内在神を当然
の前提としているため、容易に自我肥大に陥る危険があると主張し
たかったのかも知れません。

人間型ゲシュタルトを前提とすれば、魂は人に宿っていない、すな
わち外在神という見方のほうが現実に近いと思うのは、獣さんと同
じです。

古代中国の文献には、中丹田(胸のチャクラ)のことを、降宮(正確
な漢字は忘れました)と表現しているものがありますが、おそらく
それが意味することは、ホワイトブルーの光点で象徴される「魂」
ないし「真我」が、心身(肉体・幽体・霊体等)が浄化された人を探
し追いかけ捕らえて、ついに降りてくる場所が胸であることを表現
しているのではないかと解釈しています。
Posted by ごだい at 2012年04月01日 21:35
通行人さん、おはようございます。
五井氏は「人間」をどのように説明しているのでしょう?

ごだいさん、なるほどです。
自我で内在神の存在を信じようとすると、自我肥大に陥る危険性がありますね!
降宮の情報 有り難う御座います。
次回の記事で使用させて下さい。
実は昨日、魂は肉体に宿っていないけど心臓を通して働いているという裏付けが取れました。
Posted by 獣 at 2012年04月02日 10:08
おはようございます。お声をかけて戴きまして、ありがとうございます。
《神と人間(文庫版12頁)》(五井昌久著・神と人間との関係・3)
私はここで、ひとまず、私の信ずる、救われに入る人間観を、簡単に述べて、次第に本題に入ってゆきたい。
人間は肉体のみにあらず、肉体のうちに、生命となって活動している何かがある、と認識して、そうした方向に生きている人。それは天国への階段を一歩踏み出した人である。
人間は霊が主であり、肉体が従である、という思いに入った人。これは同じ階段を二歩三歩登った人びとである。
人間は神によって創られた者であって、あくまで神の下僕(しもべ)である、と、ことごとに神の審判(さばき)を恐れつつ、しかし行いを謹んで神にすがっている人びと。この人びとは、真の人間観からいまだ遠いが、他人を傷つけぬ場合は、天国の階段を昇り得る。
人間は神によって創られた被造者であるが、神は愛であるから、愛の行いを積極的にしていれば、決して自己に不幸はこないのである、と確信している人。この人も天国の階段を昇っている。
神のことも、霊のことも、特別に考えぬが、ただ、ひたすら、素直な明るい気持ちで、愛他行をしている人。この人も天国に昇り得る。
肉体界以外のことは知らないが、素直な明るい気持ちで、愛他行ができ、しかも、神仏の存在を信じ、あわせて、この地上世界が善くなることを信じて生活している人。この人は天国の住者である。
人間は霊であり、肉体はその一つの現れであって、人間そのものではない。人間とは、神の生命の法則を、自由に操って、この現象の世界に、形の上の創造を成し遂げてゆくものである、と識(し)って、それを実行している人。この人は覚者であって、自由自在心である。即ち、個の肉体を持ちながら、みずからが、霊そのものであることを自覚し、その霊とは神そのものの生命であることを識り、神我一体観、自他一体観を行動として表現してゆく人、例えば、仏陀、キリストの如き人びとである。
真の人間を知るということは、神を知るということと一つである。いかに神、神と神を追い廻しても、その人の行いが愛と真心にかけていては、その人は真の人間を知らぬのであるから、救われるわけがない。
Posted by 通行人 at 2012年04月02日 11:44
《神と人間(文庫版16頁)》(五井昌久著・神と人間との関係・4)
大衆は流れているのである。時間の動きとともに、人類業生の烈しい渦の中を右に左に流されてゆくのである。
その場、その時々の喜怒哀楽、渦をつかんでいったい何になろう。それが、こよなき歓喜のように見えたとしても、渦は、はかなく消えてゆくものである。
形あるもの、それは形なきものの影である。形あるものが、形あるそのままで見えるようでは、その人は救われない。形あるものの形のみを変えて、社会改革を実現したとしても人類は救われない。形、型、組織、制度と形の世界、物の世界のみに固着した眼をもった思想は人類を滅ぼしこそすれ、救うことにはなり得ない。
人間とは肉体だけではないのである。神、すなわち宇宙に遍満せる生命が、その創造せんとする力が、個々の人格に分けられたもので、しかも横においてつながり合い、協力しあって、その与えられた力を、縦横に、自由無礙に発揮し、形ある世界に、完全なる神の姿を描き出そうとしている者である。
神とは宇宙に遍満する生命の原理、創造の原理であり、人間とは神の生命を形ある世界に活動せしめんとする神の子なのである。
このような、神と人間との関係を知り得たならば、この現象世界のいかなる変動の中にあっても、動揺せぬ生き方ができるようになるのである。
そこで各章にわたって、でき得るかぎり詳しくこの関係を書き綴るつもりである。
各章⇒実在界、霊界、幽界、肉体界。
因縁因果を超える法。
正しい宗教と誤れる宗教。
問答篇⇒人間の誕生について。
人の一生は先天的か後天的か。
再生する人と再生せぬ人との違い。
人間の能力の差はいかなるところより生ずるか。
幽体はどういう役をしているか。
造物主を認めるキリスト教と認めぬ仏教の違い。
キリストの、色情を起こす者はすでに姦淫せりということについて。
名前だけ聞いて性格がわかったり、生死がわかったりするのはどういうわけか。
Posted by 通行人 at 2012年04月02日 14:20
こんにちは。
もし、参考になるようでしたら、遠慮なく使用してください♪

「魂は肉体に宿っていないけど心臓を通して働いているという裏付け」がとれたのとこと、次回の記事を楽しみにしています。
Posted by ごだい at 2012年04月03日 16:03
通行人さん、ごだいさん、こんばんは。
新記事を書いていたら、「神と人間との関係」に発展しました。
意図したことではないのでシンクロです。
また、今、作成中の記事に、イエスが言った
「色情を起こす者はすでに姦淫せり」ということについても書いているので、これもシンクロです〜

Posted by 獣 at 2012年04月04日 00:17
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