ネオデジタル思考を一言で言うと、胸で考えるということである。
獣が魂の意識(真我)で生きているとすれば、魂は胸に存在することになる。
肥田春充は正中心(下丹田)を説いたが、それが「魂」だとは言っていない。
若山さんも正中心を体得した人物だが、魂は「頭」に宿っていると言っている。
肥田春充も若山さんも正中心を体得した人物だが、仙骨を重視していた。
ヨガでは、生命の根源であるクンダリーニが宿っているとされる場所である。
だが、それを「魂」だと説明した聖者はいない。
「魂は肉体に宿っていない」という話をしたが、それは一面的な見方であり、
魂は肉体に宿っているといえば宿っている……はずだ。
内海氏が「魂は仙骨に宿っている」と書いているのを読んでから、
それについて考えたり検証したりして来たが、
やはり魂は胸に存在するという感覚は払拭できなかった。
何度も試したが、仙骨を意識しても、
「自分」という意識を仙骨に持ってくることはできなかった。
仙骨に魂が宿っているのなら、魂の意識(真我)に目覚めた人は、
仙骨に意識があって、仙骨で考えたり想ったりしているということになる。
獣にはその感覚が全く掴めないので、
獣の意識は魂(真我)から程遠いということになる。
普通、人間の意識は「頭」にあるが、
肛門の近く(仙骨)に自分の意識がある人など存在するのだろうか……。
隈本確は「魂は心臓ではなく鳩尾の5〜10センチ上に存在する」と述べている。
だが、それは心臓が左胸にあるという観念から起きている間違いであり、
心臓は鳩尾の5〜10センチ上に存在する。
ということは、魂は心臓に宿っていると考えて良いのではないだろうか。
サイババやイエスは、魂がハート(心臓)に宿っていると説いている。
隈本確の神霊術は、胸の想念界によって行われ、
それが大宇宙・大霊界に通じていると説いている。
獣が解明したピラミッドの謎、5次元の入口も「胸」である。
「5次元」とは言うものの、正確に言えば、
大宇宙へのアクセスポイントが「胸」だということである。
昨日の記事を書いた後、魂の所在地について改めて想いを馳せた。
今まで自分なりに考えたり調べたりしてきたが、明確な答えが出ない。
いや、「胸」だというのは感覚的に認識はしているが、
「頭」や「ハラ」や「仙骨」という説があるので、
どうしても明確にしておく必要があったのだ。
魂の場合が分からずに、真我(魂の意識)に目覚めることはない。
獣は真我(魂の意識)に目覚めたから、魂が胸にあることを認識し、
それを理論的にも解明したのだが、
もし、魂が「胸」以外の場合に宿っているとしたら、
獣は真我(魂の意識)に目覚めていないことになる。
獣的には、魂は胸に存在するという揺るぎない確信を持っているが、
少し揺らいではいる(笑)
だが、これ以上、自分で究明できないので、
それで、魂の底なる神(大きいなる自己)に問い掛けた。
すると、「生命の樹」のビジョンが現れた。
何の説明もなかったが、「隠されたダートが魂ではないか」と閃いた。
そこで調べてみると、「生命の樹」を人体に対応させると、
確かにダートは「心臓」に対応していた。
では、なぜ隠されているのか……。
ダートは「知識」と訳され、他のセフィラとは次元が異なり、
「生命の樹」の深淵の上に存在するという。
隠された意味は悟り、気づき、神が普遍的な物に隠し賢い者は
試練として見つけようとした「神の真意」という意味だそうだ。
まさに、魂(真我)を言い表しているではないか。
そこで、「魂はどこに宿っている」という検索ワードで調べてみた。
今まで、こんな単純なことを思い付かなかったのも不思議だが、
直感で閃いて検索してみた。
もちろん、ネットに載っているような「魂の所在地」を
真に受ける訳にはいかないが、参考になる記事が出てきた。
http://kkeita5129.blog8.fc2.com/blog-entry-266.html
以前、ドイツのLubeck大学の心理学者達が、7歳から17歳の子供たちに、
魂が肉体のどこに宿っているかの質問をしてみた。
最年長の子供たちは、体の中に遍在していると答え、最年少の子供たちは、
心臓の中心から少し左にずれた部分に宿っていると答えた。
そのほかにも頭や目、更にはみぞおちとの回答もあったそうだ。
最近、魂は心臓に宿っているとする説の正当性を裏付ける確証が出てきた。
アメリカ、デトロイトのSinai病院の精神科医ポール・ピアソール氏は
心臓移植を受けた140人もの患者について研究を行い、
著書『心臓の暗号The Heart's Code』でその研究結果を発表している。
それによると、ピアソール氏は、心臓に自我が存在していると結論付けている。
また、脳が心臓をコントロールしているのではなく、
心臓が脳をコントロールしているとの言及も見られる。
感情、恐怖、理想、思考の類は心臓細胞が司っているとする見解も示している。
そしてこの細胞記憶がすなわち魂であり、
その魂は心臓移植によって人間から人間へと移動するのだという。
心臓移植を受けた41歳の男性の事例を見ると、
その男性は心臓移植を機に人間性が劇的に変化してしまったのである。
具体的に言うと、彼は本来落ち着きがあり、地味な性格であったが、
術後はその性格が一変し、感情の起伏が激しく、
軽率な振る舞いをするようになったのである。
彼の肉体に埋め込まれた心臓は、
電車の人身事故で命を落とした19歳の少女のものであった。
もう1つ例を挙げると、ダンス教師をしていたSilvia Clairさんの事例がある。
彼女は50歳のときに心臓手術を受けることとなった。手術は無事成功し、
彼女が意識を取り戻すと、何故か最初にビールのことが頭に浮かんだのだと言う。
更にその後、彼女は幾度となくT.L.なる謎の男性の夢ばかりを見るようになる。
不思議に思った彼女が調べてみると、移植された心臓の持ち主が、
イニシャルがT.L.の18歳の青年だということが判明した。
彼の遺族の話から、彼が冷たいビールをこよなく愛していたこともわかったのだ。
1990年の暮れに、あるセンセーショナルなニュースが世界を駆け巡った。
それは米国の研究所が、魂の質量を計測することに成功したというものであった。
この研究によって、死亡前と死亡後の体重には、
2.5〜6.5gの誤差があることが発見されたのだ。つまりそれが魂の質量だと言う。
しかし実は類似した研究が1915年にも行われている。
その研究を行ったのは同じく米国の研究所で、
そのときに導き出された魂の質量は22.4gというものであった。
2001年、イギリス人科学者Sam Parnia氏とPeter Fenwick氏が、
人間は脳死後も恐らく意識がある、との驚くべき発表を行った。
この発表は、臨死体験をした(臨床的に死亡と認定されたが、後に蘇生した、
息を吹き返した)63人の協力のもと行われた実験結果に基づいている。
彼らのうち56人は、残念ながら死んでいた際の記憶を全く有していなかった。
しかし一方で4人が、歓喜や平穏といった感情で満たされ、
非常にいい気分だった、また、時間の進み方が速かったとの証言をしている。
さらに彼らは、まばゆい光に照らされ、
天使や聖人のような神話上の存在に出会ったとの証言もしている。
彼らは一様に、自分は向こうの世界へ足を踏み入れたものの、
再びこちら側に引き返してきた、と証言しているのだ。
次に、検索ワードは忘れたが、バシャールの記事が出てきた。
バシャールによると、人間には「ハイヤーマインド」「脳」「フィジカルマインド」があるという。
ハイヤーマインドとは、宇宙の叡智に繋がる、自分の中の高い意識であり、
ハイヤーセルフのことでもあり、智慧、みなさんのハートの部分でもあります。
脳というのは一種のアンテナです。
フィジカルマインドは、顕在意識、思考、頭、ロジックと言われている部分です。
そして、これは、みなさんがこの物理的な現実を体験するためにつくりだす
パーソナリティでもあり、「信念、定義」「感情」「ふるまいと思考」
という3つのものでできています。
それぞれの機能でいうと、ハイヤーマインドはコンセプト(概念)
などをつくりだし、脳はそれを受け取ります。
そして、フィジカルマインドは、そのコンセプトが
物理次元に現れてきたものを認知・認識するものです。
ハイヤーマインドは宇宙の叡智に繋がる、自分の中の高い意識……
「魂」のことだと思ったが「ハイヤーセルフ」だという。
ちなみに、魂は心理学でいう自己(セルフ)であり、
ハイヤーセルフは5次元の世界に存在する、過去世や未来世の自分である。
バシャールのハイヤーマインドの説明を見る限りは、
ハイヤーマインドは「魂」であり、ハイヤーセルフではない。
「ハイヤーセルフのことでもあり」と説明されているので、
ハイヤーマインド(魂)がハイヤーセルフと
直結している事を表現しているのだろう。
それが「ハートの部分」だと説かれているので、
やはり魂は心臓に宿っているようだ。
だが、「宿っている」というのは一面的な見方であり、
本質的には「宿っていない」というのが獣の見解である。
それは前回の記事で書いた通りだが、
それを裏付けるバシャールの記事も出てきた。
バシャールはフレンドリーな語り口調だが、
ダリルのハイヤーセルフ、即ち、5次元の「神様」である。
そのことを念頭に置いてお読み頂けたい。
バシャール:こんにちは。
皆さんの想像が許す限りどんな方法でやってもけっこうです。
始めてください。
ぐら:そうでチュね、死んだらボクの魂はどうなるのかって、
ボクは考えることがあるんでチュけど。
バシャール:はい。魂が肉体を去るというのも、この3次元での幻想です。
ぐら:というと…。
バシャール:皆さんの魂が肉体の中にあるのではなく、
魂の、3次元レベルでの表現が、肉体です。
意識も、肉体の中にはありません。肉体が意識の中にあるのです。
ぐり:なるほど、ボクはてっきり、
この身体の中に自分の魂が入っているのかと思っていたでチュよ。
つまり、獣が感じていたことや書いてきたことは間違いではなかったのだ。
肉体は投影であり、更に肉体の外側の世界は肉体の内側の投影である。
更に、肉体に宿っている魂も投影で、その意味では霊体一致(身魂)だが、
5次元の本体の魂が心臓を通して働いているということなのだ。
意識も、やはり肉体にないということだが、本当の外側は内側でもある。
魂は肉体には宿っていないが、全ては肉体の中に存在するのだ。
そして、バシャールの言う通り、「肉体は意識の中にある」のである。
言葉で説明すると矛盾しているが、
「内外反転」と「内外一致」を認識できるようになれば、
獣の意味不明な話も理解してもらえると思う。
その為には、魂の意識(真我)に目覚めるしかない。
魂は肉体には宿っていないが、胸が中継地点であることも分かってくる。
獣はそれを分かっていたが、絶対的な確証がなかった。
今回、それを再確認できて、複数の裏付けをとって発表できたことは、
非常に素晴らしいことだと思う。
素晴らしいというのは、素を晴らすという意味である。
数ヶ月前、「魂は肉体に宿っているのではなく、胸を通して働いている」
というようなことを書いたが、やはりそれは正解だったのだ(イェーイ
オコツトの話と比較すれば、獣の話などは初歩の初歩だが、
オコツトの話は獣にも殆ど理解できない。
釈迦やイエスがψ8で、オコツトがψ11なら、
オコツトの話は高度すぎるので、理解できなくて当然だろう。
獣はいつの頃からか、太陽は魂の投影ではないかと思うようになった。
それは魂が肉体に宿っていることが前提の仮説だが、
人間の心臓を通して働く魂の投影だと言っても良いだろう。
黒住宗忠は、日拝(太陽瞑想)によって肺結核を克服し、
病気治しの力が備わり、死人を生き返らせたりしてイエス・キリストと対比された。
そして「人は総て天照大神の分霊をいただいている」と説いた。
そのことからも、魂と太陽の関係が見て取れるが、
我々が見ている太陽(天照大神)の分魂ではなく、自分の魂の投影が太陽なのだと思われる。
少なくとも、獣はそのように思っているし、そのように感じられる。
その意味で、太陽は外在の物質的本尊(魂)だと言えるだろう。
尚、我々は同じ太陽を見ているのではない。
一人ひとりが、自分の世界に自分の太陽を映し出しているからだ。
イエスは次のように言っている。
「見よ、わたしは戸口に立って、叩いている」
イエスは太陽神のアバターであり、真我である魂(天照大神=キリスト)が、
人々の心の扉を内側からノックしているという意味である。
また「わたしは汝の手や足よりも近くにいる」と言っているが、
それは下丹田や仙骨ではなくハートを指している。
そしてイエスは、自らの死と引き換えに、
その位置(十字架の中心点)を人類に指し示したのだ。
そして、「主」として崇められるイエス・キリストは、
我々の真我(魂)の投影でもある。
キリスト教によって、「神」として信仰されているイエス・キリストについて、
「人間を神格化して崇拝するのは間違っている」という意見があると思う。
だが、それは自分の解釈次第である。
例えば、サイババも「神の化身」として崇められていたし、
日本の神社で祀られている八百万の神も殆どが歴史上の人物である。
生きているか死んでいるかは関係なく、現人神とされる聖人を通して、
人は神(己の真我の投影)を崇拝するのだ。
神社には例外なく鏡が祀られているのは、その為だろうと思われる。
原点に戻ると、肉体は投影であり、投影に魂が宿っているはずがない。
宿っているとしたら、宿っているのも投影の魂だが、それは事実である。
だが、真相はそう単純ではないということである。
それは、「内側」と「外側」という世界があるからだ。
外側の世界は投影であって実在ではない……とは言うものの、
投影だからこそ内側のものが全て反映され、
外側と内側はコインの裏表のように切っても切り離せない関係にある。
従って、自分の魂は外側の世界(全宇宙)に遍満しているとも言える……
というよりも、外側の世界と内側の世界を「壁」として、
魂・霊体・幽体がくまなく浸透して重なり合って存在していると言える。
つまり、自分の外側の世界(宇宙)も、
自分の幽体・霊体・魂という三重構造になっていると考えられるのだ。
そして、幽体や霊体が肉体と同じ形をしているように、
魂も肉体の隅々に浸透し、全身の細胞のDNAの集合体が「魂」だとも言える。
それと同じように、外側の世界も自分の「魂」そのものだという理論が成立するが、
人体の内側では「心臓」にその力が集約され、その投影が「太陽」だと言える。
つまり、「心臓=魂=太陽」ということになるが、外側は内側の投影である。
だが、実は、それは一面的な見方に過ぎないとも言える。
では、外側の世界、即ち、宇宙(空間)とは何か……。
半田氏とオコツトの対話を見てみよう。
「空間とは何ですか」
「あなた方が空間と呼んでいるものは次元観察子ψ1、つまり精神球です。
オリオンの力がプレアデスの中に反転させられているということを意味します。
定質の凝縮化という言い方もできるでしょう」
サッパリ意味が分からない(笑)
「人間の肉体とは何なのでしょうか」
「定質と性質の交差が反性質における感性球の次元に
反転させられ投影を行っている状態を意味します」
「性質とは何ですか」
「人間が生み出されている状態そのものです」
「定質とは何ですか」
「オリオンが作り出す意識進化の方向性のようなものです」
「反定質とは何ですか」
「人間が悪と呼ぶ概念に似ています。
プレアデスが進化を失っている状態です」
やはり、意味が分からない(笑)
が、オコツトの話を映し出しているのも自分自身なのだ。
オコツトは次のようにも言っている。
「オリオンとプレアデスとは、神と人間の関係に相当します。
宇宙の最も根本的な二元性とは神と人間のことを言うのです」
神と人間が宇宙の根源の二元であることは、獣も書こうと思っていたので先にやられた(笑)
「大神=宇宙=人間」だが、「大神=人間」ではなく「大神≒人間」で、
外宇宙(小宇宙)と内宇宙(大宇宙)は人体を介して表裏一体となっている。
その中心点が自分の肉体だが、その中心(内外の出入り口)が胸だと言えるだろう。
オコツトは次のようにも言っている。
「あなた方が太陽と呼んでいるものは、第7次タカヒマラにおける人間の精神核のことです」
よく分からないが、精神核とは「魂」のことではないだろうか。
また、「受精、もしくは受胎とは何か」という半田氏の問いに対して、
オコツトは次のように答えている。
「人間の覚醒作用が反転したものではないですか。太陽と同じものです」
獣には全く理解できない(笑)
外宇宙は内宇宙の投影で、人体はプラネタリウムの映写機そのものだが、
その映し出された外宇宙は自分そのものであり、自分の意識は遍満なのだ。
それを体験するのが「天人合一」だが、それは内宇宙での体験でもある。
体外離脱して霊界探訪をしていても、
それがいつの間にか夢になっているということがよくあったが、
それを自分のことだと思ってイメージしてみてもらいたい。
何となく感覚が分かるだろうか……。
何となく分かれば、それが意識の変容(意識進化)の始まりであり、
知覚や認識に変化をもたらしていくことになると思われる。
これは内観(種観霊)をする上でも重要なことで、理解に繋げやすくなるはずだ。
天人合一は「宇宙即我」の境地だが、半田氏は次のように述べている。
日蓮の根本的な宇宙観は「宇宙即我、我即宇宙」という言葉にある。
宇宙で展開されて働いる全ての現象とは人間自身であるという色心不二の哲学だ。
しかし、わたしはこの点で兄といつも対立していた。
何も自己と宇宙の一体性を説いた哲学は日蓮に限らない。
仏教の他宗派、さらにはヘレニズム時代の象徴哲学の体系はすべて、
この一体性をベースにして展開されていた。
カバラなどはその構造性までも幾何学的に明らかにしていたからだ。
わたしは特定の宗派の教義に固執する兄の姿勢は
とても旧パラダイム的なものに感じられて仕方なかった。
というよりも、人々がイメージする「宇宙即我」の概念や、「自他一体」の観念、
「魂が宿っている」という個の感覚こそが旧パラダイム的だと言える。
ブルーハーツの「情熱の薔薇」の歌詞を思い出す。
「見てきたものや聞いたこと 今まで覚えた全部
デタラメだったら面白い そんなことあるだろうか」
まさに、そんなことがあったのだ……と、獣は思っている。
(1年くらい前にも同じことを書いた記憶があるが……)
ブルーハーツとは「青いハート」の複数形だが、
ごだい氏のコメントによると、魂はホワイトブルーの光点で象徴されるという。
また、古代中国の文献には、中丹田(胸のチャクラ)のことを「降宮」と
表現しているものがあるらしく、そこに魂が降りてくる(宿る)と考えられる。
と言うと、外側の世界から内側(体内)に宿るイメージがあるが、
それは一面的な見方であり、内側の世界(内宇宙)から物質次元の心臓を通して、
外側の世界に働いているとも言える。
だが、その外宇宙は、自分が内包している内宇宙そのものだということにもなる。
魂の意識(真我)に目覚め始めると、内外反転と内外一致の世界観が分かってくる。
念の為に言っておくが、獣は決して先輩面しているわけではない。
獣の話(認識)が理解できない多くの人々も、獣の世界では獣の投影である。
また、汝が獣の話を理解できなくても、汝の世界では獣は汝の投影なのだ。
最近、明確に分かってきたことは、魂の意識(真我)に目覚めるまでは、
自分の魂は自分の魂ではないということである。
魂の意識に目覚めた時に初めて、魂は自分の意識となるのだ。
つまり、魂の意識に目覚めるまでは、
魂は今の自分の意識(自我や幽体意識)とは全く別人格なのだ。
そのことは詳しく書いてきたので、知識としては知ってもらえていると思うが、
それを示唆する『日月神示』の記述もある。
「時に、例外として人間の魂と動物の魂が入れ替わっていることもあるぞ。
この場合は肉体に入り込んだと考へてよいぞ」
だが、魂が入れ替わっても本人は気づかない。
なぜなら、魂の意識に目覚めていないからである。
従って、「自分の魂が犬になってしまった」とか
「自分の魂が猫になってしまった」ということは自覚し得ないのだ。
もし、魂の意識に目覚めている状態でそのような現象が起こったら、
例えば、「自分の体が猫になってしまった」と分かるはずだ。
これは心臓の臓器移植のケースにも当てはまる。
他人の心臓を移植するということは、魂が入れ替わったと考えて良い。
だが、本人は肉体意識や幽体意識を「自分」だと思っているので、
魂が入れ替わったとは思いもしないのである。
先ほど、「魂は霊体や幽体と同じように肉体と同じ形をしているはずだ」
ということを書いたが、他人や動物と魂が入れ替わることを考えると、
獣の仮説は間違っているようにも思える。
だが、そうとは限らない。
魂は宿った物体や肉体の姿をとると考えることもできる。
例えば、幽霊が人形に宿ったとすると、幽霊は人形のどこに宿ったというよりも、
その幽体や霊魂は人形の形とサイズになり、人形そのものになると言えるだろう。
人体の場合は、特にその中心点として、
全身の血(霊)を循環させるポンプ(心臓)を通して働いているのだ。
心臓の臓器移植や魂が入れ替わるということを考えると、
やはり魂は肉体に宿っていることになる。
だが、それは一面的な見方であって、完全なる事実ではない。
『日月神示』には次のように示されている。
「人間の肉体は原則として真理の宿り給ふ神の生宮であるから、
下級霊は中々に入ることは出来ん。
例外はあるなれど、肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は、時によって動物的、
幽界的となるものであるから、それと同一波長の動物的霊が感応する。
感応はするが肉体の内部迄は入り込めない、
しかし感応の度が強ければ入ったと同様に見へる状態となるのである。
先祖霊も大体同様であるぞ」
これは人間に分かりやすく説かれたものであり、真相は全て自分の内部にあって、
外側の他者の霊魂や動物霊は自分が外側に映し出しているだけなのだ。
そのように説明すると、自分の魂は自分の肉体に宿っている
ということになるが、それは少し意味が異なる。
人体を物理次元で捉えて、その内部という意味ではないのだ。
人体を物理次元で捉えてしまうと、肉体が死んで燃やして灰にすると、
内宇宙(実相の世界)も消滅してしまうことになる。
また、人間が死ぬと、その神経細胞の全てである冥王星や
オコツトも消滅してしまうことになる。
だが、そういうことではないのである。
これは言葉で説明するのは非常に困難だが、
今回の記事を何度か読み直してもらえれば、
獣が伝えたいことが漠然と認識できることと思う。
非常に説明困難なので、この辺で逃げたいところだが、
重要なことなのでもう少し書いておこう。
人間の霊魂は肉体に宿っていないが、死後は体外に離脱するのも事実。
自分の肉体が誕生した瞬間が、自分が生きている人間界の誕生であり、
自分の肉体が死ぬと自分が生きてきた人間界が消滅するということ、
そして、一人ひとりが別々の人間界に住んでいるということ、
だが、自分の世界に住んでいる人々は全て自分の投影だということを、
併せて考えてみて頂きたい。
その上で、「大神=宇宙=人間」、「大神≒人間」、
「人体が大宇宙(内宇宙)で、外宇宙が小宇宙」、
「肉体は内宇宙と外宇宙の壁であり、胸にドアがある」ということを、
頭の思考ではなく、胸の意識で考えてみて頂きたい。
「神と人間」「内宇宙と外宇宙」という二元を等化していくこと……
難易度は高いが、自分の新しい世界の構築の基礎になるはずである。
もりけん氏は、「原因は内側ではなく外側に原因がある」と言っているが、
ある意味ではそれも一面的事実だということが分かるような気がする。
だが、本当の外側は内側にあることは、もりけん氏も言っている。
尚、隈本確や内海氏によると、魂は人間にしか宿っていないという。
だが、日月神示は「動物の魂」の存在を示している。
それについて述べておくと、日月神示は「動物の魂」とは言っているが、
厳密に言えば「魂」とは呼べるようなものではなく、魂の雛型のようなものである。
魂は、心・頭脳・肉体を支配している「主」だが、隈本確によると、
動物には「術」という存在が動物の心・頭脳・肉体を支配しているという。
また、日月神示の話に基づけば、人間の魂が動物に宿ることもあるということになる。
では、人間の魂が動物に生まれ変わることがあるかと言うと、それは基本的にない。
但し、サイババは人間の魂が動物に生まれ変わることも有り得ると説いていた。
だが、人間の魂がどれだけ堕落しても、爬虫類や虫に生まれ変わることは有り得ない。
しかし、幽界霊が爬虫類や虫に宿る(憑依する)ということはあるだろう。
結局、魂とは何かと言うと、これは究極的な話だが、「魂とは大神そのもの」なのだ。
大神の分魂が人間に宿って輪廻を繰り返しているというのは、
現象面的には事実だが、その現象は一瞬の幻影である。
人間の魂は大神の直接の分魂ではなく、5次元のトータルセルフの分魂だが、
いずれにしても実際に分魂しているわけではなく、投影なのだ。
従って、無数の分魂をしても本体の質量が減るということはないのである。
大神が無数に分魂しても、それは内側の世界(大宇宙)でのことである。
また、分魂の本質は、トータルセルフの分魂を見ても分かる通り、
次元を下げた世界に影を落とすようなものなのだ。
大神が人類を生み出した理由は、人間が人間界に生まれてきた理由と同じはずで、
「真の自己(神)を知る」という目的以外の何ものでもないのだ。
そして「宇宙と人間の誕生が同時の出来事」というオコツトの話も理解できる。
要は、宇宙には、魂(意識)は1つしかないということだ。
宇宙に魂があるという表現も不適切で、魂(大神)は宇宙そのものなのだ。
厳密に言えば、外宇宙と内宇宙という表裏一体の大霊界(人間界含む)が魂であり、
その内外の中継地点が人間や動物の「胸」であり、
特に人間は「万物の霊長」として進化しているということである。
そして、人間の魂だけではなく、万物が大神の顕れだが、
その一切は幻影にして本質は「無」であり、ブラフマン
(宇宙の根本原理=究極真我=魂の源)のみが真の実在ということに辿り着く。
何よりも真我(魂の意識)に目覚めることが重要で、
とにかく「胸」を意識して生活していただきたい。
もちろん、仙骨も重要で、仙骨から伸ばしたロープを地球の核に結びつけ、
仙骨を意識して歩くことは獣も日常の習慣にしている。
腹と腰の中間の下丹田(正中心)を全身の中心とする意識も忘れてはならない。
その上で、胸に意識を持つことが、真我発見や意識進化には欠かせない。
色々な所を意識すると注意散漫になると思うかも知れないが、そうではない。
「自分」という意識を「胸」に持ち、
それを主体として体の中心軸として下丹田(正中心)を意識する。
正中心は腰・仙骨・腹の中間に位置するので、そこを「中心軸」としつつ、
胸の意識にフォーカスして生活(内観=種観霊)するということである。
神泉組1を実践すると、体の中心軸は自然に正中心に収まってくるので、
「自分」という意識を頭ではなく胸に置くことが大切なのだ。
今回の記事で、獣が魂の意識で文章を書いているということを
理解・納得して頂ければ幸いである。


人間は本心において、神のみ心と一つのものなのです。
神道的にいえば、本心本体のことを直霊、あるいは直毘(なおび)というのであります。
ところが地球界の人間は直霊の働きが直接働いているわけではなく、分霊魂魄(こんぱく)として、肉体という物質界で働いているわけで、直霊の場と肉体の場とは、波動的にみて、大きな距(へだた)りがあるのです。
直霊のような微妙極まりない光明波動と、肉体のような遅鈍(ちどん)な波動とでは、なかなか直線的に一本になり得ないので、その間に霊界という波動界。
幽界という波動界が自ずと生まれ出て、個人的には、霊体、幽体という体をまとって生活するということになったのでありまして、肉体頭脳の表面に浮かび出ている意識を顕在意識と呼び、幽体と霊体の一部分に潜んでいる意識を潜在意識と呼び、霊体の上部と神体にある意識を神霊意識、または神のみ心というのであります。
そして、幽体という波動層は、過去世からの肉体意識を潜めているところでもあり、神霊意識を貯めているところでもあって、肉体人間そのままに玉石混交した場なのです。
ところがこの幽体という波動層が、肉体人間の運命を決定している場でありまして、この幽体が光明波動で浄まっていれば、その人も自ずと高潔であり、運命も明るいものになりますが、これが汚れて濁っておりますと、人格も低劣になり、運命も汚れた濁ったものになります。
この世的には悪いことをしながらも、運命の非常に善い人などは、人間が何度でも霊幽の世界と肉体世界を輪のように生まれ変わりしている過去世において、なんらかの徳を積んでいた人なのでありますが、その徳が消滅するにしたがって、その上に善徳を積んでおかぬ限りは、いつか、運命は下落してゆくことになるのです。
もし、一生善い運命で生活できたとしても、その後の世界、つまり幽界においては実に苦しい生活に陥ってゆくのであります。
仏教的にいう因縁因果説、因果応酬(おうしゅう)ということは、真実のことなのです。
ですから、今生でいかに人のために尽くし、善く生きていたとしても、過去世で大きな誤ちを冒(おか)してきた人は、今生では善い運命になり切れぬ人がたくさんいるのであります。
そこからはどうしても宗教の世界になるのでありまして、神仏のみ心に素直に入ってゆくことだけが、そういう因縁因果を超え得ることにもなるのであります。
人間というものは、本来は神の分け命であって、この肉体に住んでいるものじゃないんです。
本当の命というものは、神さまの中にあるのです。
神さまの中にいて、その光の一筋が肉体に宿って、
肉体を場として働いている。
常に神さまの中にいるわけですよ。
人間というものは、肉体の中にいるんじゃなくて、みんな《一筋の光》が肉体という場に宿っているだけなんですよ。
一筋の光なんです。
その一筋の光を支えて、守護霊守護神が光明体で取り巻いて、その一筋の役目を完うさせよう、完全にさせようとして護っているわけなんです。
だから守護霊守護神を知らなければ、一筋の光が完全に使命を完うすることが出来ないんですよ。
それが私にはわかったわけなんです。
それで守護霊守護神さんありがとうございます。
と常に感謝しなさい、と教えるわけです。
そう教わった人がやっていますと、知らないうちになんとなく心が豊かになる。なんとなく安心立命してゆくわけですよ。
人間とは肉体の固まりではありません。
肉体を動かしている生命のことをいうのです。
そしてその生命は二つの面、即ち精神と肉体というように、一応、違った働き方をするのであります。
精神と一口にいいますが、この精神にも、霊性そのものとして働いている精神と、肉体に付随して肉体とは切っても切れないような、連鎖的な働きをしている肉体内の精神とがあるのです。
唯物論者が精神といっているものは、この肉体内の精神を言っているのです。。ですから、神や仏を否定している唯物論者にも、ずいぶん秀(すぐ)れた人もいるのでありまして、神仏信仰がなくたって、霊など否定したって、あんなに素晴らしい人々が存在したではないか、ということがいわれるのです。
成る程、消されたのは天の働きでしたか。(忍)
>最小単位=最大単位=大神
最小単位=素粒子 最大単位=大宇宙
喩えると
素粒子=砂 大宇宙=砂漠みたいな
素粒子=0 大宇宙=9 0=9
>プレアデスの働き=素粒子の物質・物体化(型)
究極の素粒子(神)の集合体(凝縮した)=人間
最小凝縮態=人間 最大膨張態=宇宙
なんとなく
スマホ・パソコン=人間 サーバー=宇宙
ならば、
脳 心臓 丹田 仙骨(四魂!?)とは、
宇宙からの指令を用途別で振り分けて、発動させる受信装置?(降宮!?)
さすれば、
宇宙の脳=アリオン? 心臓=太陽 仙骨=地球みたいな。(適当)
とすると、
宇宙から人間に。人間から宇宙に相互通信!?
さしあたって、それは、
人体=宇宙 細胞=人間(喩え)
細胞が一つ死滅しても人体は死なない。が、細胞全部なら死んでしまう。故に、人体=大神は、人間一人一人を可能な限り救いたい。(自己救済)
>この世界の法則性は、遺伝子のプログラムのせいだそうです。
重力の加減や、物理法則も、遺伝子のプログラムを人間が発動するから現象化するそうです。
恐竜の時代は、恐竜が遺伝子のプログラムを発動していたから、恐竜に適した重力や物理法則性だったそうです。
>よくスピ系サイトでは、蛇や龍が悪者扱いですが、それはプレアデス(星人?)所謂、素粒子を物質物体化に適したように、遺伝子のプログラムを改ざん?改造?した事に対してなのかと思えます。
つまり、人間型ゲシュタルトも遺伝子のプログラムであり、改ざんされた遺伝子が、人間本来の能力(古代人?)を封印している悪者(御用だけど)という解釈みたいな。
>魂は大いなるひとつ(巨大サーバー)、であり、たくさん生きている人間は、その魂から指令を受信して動くロボット(携帯端末機?)である。(忍)
>ワタシは、自分の投影という説明より、アナタもワタシも宇宙の一部分 故に、自己=他者という説明の方が伝わりやすいと個人的に思う。(笑)
自分という存在も、手足も内蔵も骨も全て含めて、自分=肉体だと思うなら、宇宙=人体で、人間=宇宙の一部分だという感覚が捉えやすいかも。(忍)
>素粒子=神ならば、この世界の全ては神の中にある。ですかね?(笑)
(偉そうに言ってすみません 謝)
胸で思考する感覚があるとのことですが、その思考の質は頭部の思考とは比べ物にならないほど高度なものでしょう。頭部の思考が論理性に偏るのに比し、胸での思考は論理性を維持しながらも、矛盾を包摂した広大なものになり、加えて記述や判断の妥当性・真理性については、確たる心証を伴います。
なぜこのようになるかというと、すべての存在や機能を含む魂ともっとも密接な器官が、胸であるからといえます。
ちなみに生命力も胸を通して、魂から直接供給されるようになると、その活力は莫大かつ無尽蔵となります。(ウルトラマンもまた正しかったわけです 笑) ただウルトラマンは三分しか持たなかったわけですが、胸の通路が狭いか、魂との距離がまだまだ遠いのかもしれないので、私の仮説からすれば、胸に魂が鎮座するまで頑張れとウルトラマンに教えを垂れたいところです。初期の作品の話にウルトラマンがエネルギーを使い果たしたときに、いつものように変身を解くのではなく太陽まで飛んでエネルギーを補給するというものがありますが、このことは魂と太陽が同質のものであるという獣氏の直感と符合します。
思考は頭部で・活力は下丹田でとか、知恵は蝶形骨で受け・生命力は仙骨で受けるとか、知恵の樹・生命の樹というものが別々にあるとかいうのは、人が魂から遠ざかり、自他分離・内外不一致に陥り二元的になったにあわせて、身体の機能もそれに応じたものに退化していったためかもしれません。
退化と言えども、二元的に分かれたそれぞれの器官で受けるべきものを受けることができるなら、現代では立派過ぎるぐらいで、ほとんどの場合それも叶わず、外部から雑多な情報を収集し知恵の代わりとしたり、生命エネルギーの直接摂取が困難なためにもっぱら食物を通してエネルギー補給をしているのがわれわれの姿です。
ということは、雑念を払い、ネオデジタル思考を行うことや、食や睡眠の変化は、胸の通路が開いていくことと平行して起こらないといけないということになりそうです。
ごだいさん、解説ありがとうございます。
獣はオコツトの話はほとんど理解できないのですが、オコツトが言っていることの初期症状が獣に起きていることは感じています。
そこで、ヌーソロジーに詳しい人を求めていたので、ごだいさんの登場にも感謝しています。
オコツトについては、またの機会に私見を述べたいと思います。
獣さんのブログを数年前から拝見して、何度も啓発を受けており、感謝しております。
返信記事への引用、恐縮&光栄です。(忍)
さっき素粒子の中にも宇宙(銀河系?!)があって、そこの住人?が神みたいな存在ってイメージが降って来ました。(?!)
その住人は、実は我々で、パラレル世界か? 未来の世界なのか?
モリケン氏が、どんどんミクロに突き進んだら、外から帰って来た?の感覚みたいなイメージです。
(ザ・妄想)^^;
ごだいさん、はじめまして^^
ウルトラマンの話は、実に興味深いです。
ワタシは、ウルトラマンのデザインやストーリーは、神示のように降りてきた?なんて思ってます。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E4%BA%A8
総裁、その「素粒子=大宇宙」が「マクロの量子論」であります〜!
それは今日の新記事より更に奥深い話になります。
ウルトラマンの話は降りてきたんでしょうね。
ウルトラマンとあまりコミュニケーションできないのに、合体して大きくなるとこなんか、子供には刺激的過ぎました。(笑)
獣さん、言われてみればそうですね。
内外一致とか投影とかに気を使って記述しようとすると、「人間型ゲシュタルト」といちいち断らなくてはならないのが、面倒です。(困)
今回の記事のオコツト情報にある、太陽と受精の同一性について私見を述べます。
魂が胸にたどり着く事は、一つの受精である。それにより新たな意識と身体
が誕生するが、物理次元における受精と同様に、続いて懐妊期間と出産があ
り、それらの困難を乗り越えた後も、子供の成長にかかる以上に、育ててい
くには長い期間と大変な労力が要る。
極端な疲労や胸の痛みなど多種の症状が起こるが、魂への信頼があるかぎ
り、そのことに不安になることはない。
この受精は他の肉体器官では起こらない。
半田氏は額に受け、空海はのどに明星が入ってきたが、これらでは特殊能力
は開花しても、全自己存在の刷新はできない。すなわち最初の第一段階たる
受精がおこっていないため、光を受けた時点から身体が刷新して行く実経験
を体験しない。「肉体の削除」や「即身成仏」は、不確定な先の出来事とし
て取り残される。
胸で受精し懐妊を経て自分で自分自身を産むことにより誕生した身体こそ反
転の鍵である。容れ物であった身体が、逆に意識を先導し、意識にヒントや
体験をもたらすようになる。
光の子を産むとわずかに伝承されている上記のことがおこれば、釈迦のいう
四苦はなくなってしまう。つまり、老化も病気も死もなくなり、生きて息を
しているだけで喜びが湧き上がるほどの身体性を獲得する。肉体は衰え死ん
でしまうが、意識は継続するのだと妄想し慰めていた人類の長い嘘は不要と
なる。逆に身体こそ永続であり、進化発展する基盤であり、意識は必要に応
じて発生させたり交換したりブレンドしたりするというように変化する。(
難解な理論は自分の意識で理解しようとしなくても、意識自体を分けてもら
ったり同調させたりすれば足りる)
魂と直結した新たな身体こそ自分で、意識は自分自身というほどのものでは
ないと、認識が反転するので、自己確認のための無駄な思考や感情はおのず
と消えていく。「空」・「無」は意識的努力なしで、通常の状態となる。
「空」の状態であるからこそ、自己の内奥と太く結びつく。同時に他と響き
会える。自我意識で夢想する自他同一ではなく、これ以上ない実感を伴った
自他同一となる。
太陽と受精の同一性……
成る程と思いました。
これはまた記事で紹介させて頂きたく思います(礼)
すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包しています。
なので自分がいやな思い=重いをするとすべてのひとにその思いを蓄積させてしまいます。
できるだけ調和を目指した考えをしましょう。
余計なツッコミかも知れませんが、
真我に目覚めていなければ調和的な考え方はできないので、
「調和を目指した考えをしましょう」と声高に叫んでも全く無意味です。
そのことは、よくお分かりだと思います。
なので、獣はそのような偽善的なフレーズで人々に感銘を与えて
支持を求めたことはありません。
なぜ、あえて「偽善的」と書いたかと言うと、
あなたのコメントを読む限り、あなた自身が
「すべての人の中に宇宙があり、すべての人を内包しています」
ということを認識できていないことが分かるからです。
また、「5次元とははなにも考えていない状態のことをさす」
と書かれていたので、それを前提とすれば、
「調和を目指した考えをしましょう」という時点で5次元ではなくなりますね。
神様=リンパ液
両方が合わさる場所=心臓=魂