2012年04月15日

魔法の言葉 by アガスティア

御神籤と天狗の正体と新年会
http://kemono666.seesaa.net/article/248771882.html
で、ヤタガラスに贈呈した『魔法の言葉 by AGASTHIYA』という本

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獣の21世紀型成功哲学と符合点が多かったので、
一部を画像として残しておいた。
今回は注釈は加えないが、一通り載せておくことにする。

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posted by ZERO at 20:18| Comment(73) | 自己啓発・自己実現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
後ろに薄〜く、映ってる絵が気になるのですが・・・
解読班は居ないのでしょうか・・

まあいいや。

獣さん。いつも貴重な情報ありがとうございます。

Posted by 末裔 at 2012年04月15日 23:41
はい、閣下から賜りましたご本、大切にしまってます(いいのかな?笑)
年末年始は忙しかったというか、体調が悪くて、なかなかお逢いできなかったですね。

玉置山に登ったのが昨年4月22日ですから、閣下の熊野降臨は4月21日ですね。
今、久能山を考察中ですが、家康がなぜ久能山なのかは、熊野と並ぶ「補陀洛信仰」の地らしいからだということです。
日光もそうらしい。
http://inchworm.jp/notes/1392/
http://inchworm.jp/notes/1398/
http://inchworm.jp/notes/1401/

家康は秦氏なんでしょうね。

で、日光開山の勝道上人を調べていくうちに、東大寺法華堂(三月堂)と将門の因縁が出てきました。
(破地獄さん、すでにコメントされてたらすみません。)

執金剛神像
・『東大寺要録』「諸院章」の羂索院の項には、同院は「天平5年、良弁僧正が不空羂索観音を本尊として創建したもので、後には等身の執金剛神像を安置し、これは僧正の本尊である」

・『日本霊異記』にはこの像に関する説話を載せる。
金鷲優婆塞(こんしゅうばそく)は山寺に1体の執金剛神の塑像を安置し、この像の脛に縄を結んで日夜修行に励んでいた。
そうしたところ、像の脛から不思議な光を発し、それが宮中にまで届いた。
時の聖武天皇は金鷲優婆塞の日頃の精進を称え、正式の出家を許した。
今、その像は羂索堂の「北戸」にある、という。
この「金鷲優婆塞」は東大寺開山の良弁を指すとみられる。
この説話からは、平安時代初期にはすでに執金剛神像を良弁ゆかりの像とする伝承が存在したことがわかり、「北戸」という表現は、像が現在と同じく法華堂本尊の背後に安置されていたことを示唆している。

・元慶年間(938年 - 947年)の平将門の乱の際、執金剛神像の元結が蜂となって飛び去り、将門を刺して乱を平定に導いたという伝説もあり

はっしょって言えば、僧良弁が将門を制した・・・?

この金鷲優婆塞、「金鷲」のシンクロが続いているので、検索をかけると、義経が出てきました。

アイヌに残るという「ホンカン様は黄金の鷲に乗って、大きな川のあるクルムセ国へ行った」という伝承は魅力的です。
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/namahage/mistery/mist_forth18.htm

この妄想に輪をかけそうな小説も出てきました。
『ダビデの紋章』
http://homepage2.nifty.com/mental-cybernetics/sub7.htm
Posted by フォグストロン at 2012年04月16日 10:15
鷲は大きさの違いだけで、鷹と同じらしいので、要は「金鷹」で金に関係した秦氏ということでしょうか!?

鉱山開発から金属冶金の技術者集団ですね!
義経は秦氏の力を借りて、大陸へ逃げたのか???
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月16日 14:34
鷹も鷲も鳶も、みないっしょと書かれていましたね。

義経もそのうち考察せにゃならんのかもしれませんが・・・
あれどう思います?
引用先貼り忘れたけど、ウィキです。

「北戸」という表現は、像が現在と同じく法華堂本尊の背後に安置されていたことを示唆している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%A0%82

「北戸」・・・裏戸・・・摩多羅神(ド〜ン)
Posted by フォグストロン at 2012年04月16日 14:52
北戸で思いつくのは裏戸で摩多羅神・・・同感です!!
法華経は摩多羅神???
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月16日 16:46
う〜ん・・・むずかしい・・・

だいたい摩多羅神なんて、秦河勝だとされているらしいから重要そうだと感じているだけで、常行堂がなんやら、法華堂がなんやらか知りません。

で、あらためて、法華堂とは。

法華堂(ほっけどう)とは、法華三昧堂の略称で天台宗の法華三昧の行を行う仏堂をさす。
他に法華会を行う仏堂も法華堂(例:東大寺法華堂(通称「三月堂」))と称される。
法華三昧は、天台宗における四種三昧の1つである半行半坐三昧のうち、法華経に基づいて行われるもので37日間行われる行である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%A0%82

・・・三月堂は法華会を行うためのものだそうですね。
続いて、常行堂とは・・・

常行三昧堂。
常行三昧堂では、90日間阿弥陀如来の周囲を念仏を唱えつつ、また心に阿弥陀如来を念じながら歩く常行三昧の行を行うことから、常行三昧堂は堂の中心に阿弥陀如来を安置した方形の堂であり、屋根は宝形造が多い。

常行三昧とともに天台宗の重要な行とされる法華三昧を修するための堂である法華堂とともに建てられることあり、両堂を廊下で結んで「荷い堂」(にないどう)とも称されることもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E8%A1%8C%E4%B8%89%E6%98%A7%E5%A0%82

わかったような、わからんような。
たしかに比叡山の常行堂と法華堂は廊下で結ばれているシンメトリーな建物だったと記憶しますが、「荷い堂」(にないどう)って響きは、稲荷(いなり)に似てますね。
Posted by フォグストロン at 2012年04月16日 17:20
廊下と合わせてコの字の、おそらく天秤座でも表しているのでしょうか???
ミトラカーナ大祭
「太陽が天秤座の中央15度に来た日の前後一週間続くミトラ教最大の祭典。秋の収穫祭をかねている。通常は十月六日から十三日まで続く。」
太陽神ミトラで摩多羅神を祀っているというのもアリ???(無理あるか・・・)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月16日 20:40
そのあたり詳しくないので、あなたの解釈に任せます(忍)

なんとなく、法華経=男性原理、念仏=女性原理なのだろうか・・・

関係あるのかないのか、深沙大王のシンクロが・・・
なんと、故郷田辺において、名前はみんな知ってるけどお参りしない神社、蟻通神社が大王が日本に現れた最初の地であったとは(ポカ〜ン)
http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/37.html
http://triangleyy.exblog.jp/11302488/

ここ、3年まえに初めて家族でお参りしたのよね。
閣下に出会う3ヶ月前・・・
わたしが深大寺の近くに引っ越したのも大王との縁かしら?

しかも深沙大王、表記が、「秦奢大王」
秦氏って秦奢大王のことなんではないの?

「欽明天皇の御代に、唐から神璽の玉が大般若経に副えられて伝来した。
これは天照大神が天下った時に第六天魔王から貰い受けた物で、国を治める宝である。
孝照天皇の時に、天朔女がこれを盗んで天に上り失われた。
玄奘三蔵が天竺の仏生国に渡る途中、流沙で一人の女と出会った。
女は八坂の玉を取り出し、 「この玉に緒を通せたら、あなたを仏生国に送りましょう」 と言った。

その玉の中の穴は七曲りしていた。
三蔵は機織虫が「蟻腰着糸向玉孔」と鳴くのを聞き、蟻の腰に糸を結んで玉の穴の口に入れると、蟻は一方の口へ抜けた。
女の正体は般若十六善神の秦奢大王(深沙大将)で、三蔵の過去七生にわたって命を奪った鬼神であった。

秦奢大王は三蔵を仏生国に送って大般若経と般若心経を与え、 「この玉は元は日本の宝なので、般若心経に副えて日本に返そう。我はそれに先立って日本に渡り、般若経の守護神となろう」 と言った。

秦奢大王はこの約束に従って、紀伊国田辺に蟻通明神として顕れた。」
Posted by フォグストロン at 2012年04月16日 21:36
「秦」の表記があるとは(驚)
秦氏と同族かもですが、応神天皇かもしれません。

「震旦国陳大王娘大比留女、七歳御懐妊。中国の秦(ちん)大王の娘、祖ダビデの子孫、留女(る)が七才で懐妊して生まれたのが八幡神(応神天皇)である。船で大隅の八幡岬に漂着した。」と読みむことができるのである。
なんと、応神天皇の生まれたのは中国で、秦大王という王家の生まれだというのである。」
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/7_J.html

もしくは弓月王の別名「融通王」も、「蟻通」に表記が似てなくもない(笑)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月16日 22:20
ふ〜ん・・・なんとなく感じる・・・

っていうのは、今日は奇妙な検索の流れなんです。
全部、天輪聖王で説明つくかもしれない・・・なんて思いついているんです。

その前に2、3確認していただきたいのですが。
今更なんですが、将門と清盛はともに、桓武天皇ー葛原親王の末裔だったのですね。
http://www6.plala.or.jp/HEIKE-RAISAN/keifu/keifu1.html

・・・つまり、多治比氏、28代宣化天皇(母が尾張連草香の娘)の血を引く者同士であった・・・


次に、「玉置山権現縁起」から蔵王権現について、

蔵王権現ハ金輪聖王七代孫子波羅奈国王也
http://ooinarien.web.fc2.com/inariz-site/kunitokotati/index6.html

金輪聖王の七代孫子 波羅奈国王が蔵王権現・・・?
Posted by フォグストロン at 2012年04月16日 22:43
鹿野苑・サールナートにはアショーカ王柱・ 四頭獅子柱頭というのがあるらしいんですが・・・
「金輪聖王は4つの大陸を支配する」
というのにピッタリ???
金輪聖王がアショカ王という説がありますね!
7代孫子・・・って誰でしょう???
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月16日 23:27
甲斐の日下部もビミョーにシンクロ!?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E5%9B%BD%E9%80%A0
「甲斐国では『正倉院宝物』の調庸白あしぎぬ金青袋の墨書銘や笛吹市(旧一宮町の 大原遺跡から出土した墨書土器から山梨郡には王族に従属する名代・子代系の部で ある日下部が置かれていたことが確認されている。」


日下は仁徳天皇の皇子、大草香・若草香王の御名代部ともいわれてますが、僕は尾張連草香の尾張氏に関係すると妄想してます。
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月16日 23:34
確認できたかどうか定かではありませんが、次。

三井寺と岩本山実相寺に一切経をもたらした智証大師 円珍ですが、讃岐出身で、母は佐伯氏 空海の姪。
http://www.emuseum.jp/detail/100360/000/000?mode=detail&d_lang=ja&s_lang=ja&class=2&title=&c_e=&region=&era=&century=&cptype=&owner=&pos=49&num=1

↑ この記事中、将門を調伏の修法を行った浄蔵の父、三善清行が円珍の俗弟子であると書かれています。
しかも、三善清行の母は、これまた佐伯氏となってます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%96%84%E6%B8%85%E8%A1%8C

空海の弟子は、ほとんど空海の身内でした。
天台座主までなった円珍は空海の甥。

天台宗が、山門派(慈覚大師 円仁派門徒)と寺門派(円珍派門徒 三井寺)に対立するのは、そのあたりに因があるのではないかしら・・・

修験道の京都聖護院は、はじめ岩倉にあって「常光院」といったそうです。
その「常光院」は、円珍開基。

・・・あと、これ、どう思われます?
http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/07.html
Posted by フォグストロン at 2012年04月16日 23:50
霊鷲・・・源中将尹統とは知らなかったです。アショーカ王が遠のいていく(笑)
ナルホド、甲斐国八代県の賢安大徳で走湯権現ですね!
しかし・・・情報が無い僧ですね・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月17日 01:59
やはり そのあたりはあなたが詳しいですね。

すべては金輪聖王の出現のため・・・
わたしは閣下だと思ってます。
お母様の受難も 篤信を見込まれて白羽の矢が立ったためであろうかと。

金輪聖王と日蓮の関係ですが、やはりここは専門の方から・・・


南朝初代の後醍醐天皇は生前、専ら真言密教によって天下静謐を
謀りましたが、結局のところ失敗しました。


そこで、崩御の際に安座して左手に法華経第五の巻を握り、


「賢士・忠臣事を謀り子孫不義の行いなくば股肱の臣として天下を
 静むべし 

 玉骨は縦令南山の苔に埋るとも魂魄は当に北闕の天を望まんと思
 ふ

 若し命に背き義を軽んぜば君も継体の君にあらず、臣も忠烈の臣
 にあらず」


とこのように遺勅したのであります。



この言葉と『法華経』を御手にした事を勘案すると、君臣心を一つ
に合わせ法華の教えに随って一天四海を太平にせよというメッセー
ジを後醍醐天皇が残されたものと解釈できます。



そして、ここでいう法華のイメージは比叡山の天台法華というより
はむしろ


       「正法を立てて国を安ずべき」


という、日蓮大聖人の『立正安国』の思想に近く、「金輪聖王躬ら
一乗法華を宣ぶる仏たらしめたまうべき」


という日蓮大聖人が主張した「王佛冥合」の思想に相似していると
言えましょう。


では、なぜ後醍醐天皇が崩御の間際になって真言密教を捨てて法華
に、それも皇子護良親王がかって座主を務めた比叡山延暦寺の述べ
る天台法華ではなく、日蓮大聖人の述べる法華に鞍替えしたのであ
りましょうか。


おそらく後醍醐天皇は生涯を通じて信仰してきた真言密教が招いた
現実が、まさに日蓮大聖人の予言する真言亡国の状態そのものであ
ると認識されたものと考えられます。


もしそうだとすれば、後醍醐天皇は日蓮大聖人の法門をどのように
して知るに至ったのでありましょうか。


その謎を解く鍵は日蓮大聖人の弟子、日目上人の布教活動にあった
のであります。」
http://syohnan.jp/taihei10.shtml
Posted by フォグストロン at 2012年04月17日 09:59
わたしは一般(以下?)庶民ですが、紀州徳川家と三井家、茶道表千家に連なる久田家との因縁、分かってきました。。。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E5%8D%83%E5%AE%B6

イタキソ神社は、日前宮と竈山神社の三社参りで有名な和歌山電鉄で結ばれているのですが、有名な猫の『タマ駅長』はイタキソ駅の駅長です。
(ヤタガラスの陰謀か?)

「日本霊異記」にあるという『秦里』は、紀州徳川家菩提寺の「長保寺」のあたりであり、わたしの30年来の先輩女史の故郷です。

「秦里(現・和歌山県海南市下津町小畑)の子供たちが戯れて、木を刻んで仏像とし、石を積んで蓮花寺佛教研究所紀要 第二号 個人研究48仏塔とし、供養のまねごとをして遊ぶ場面が記されている」
http://welead.net/html/13_Html_%E6%97%A5%E5%85%89%E9%96%8B%E5%B1%B1%E3%83%BB%E6%B2%99%E9%96%80%E5%8B%9D%E9%81%93%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%83%8F_8110.html

徳川御三家が置かれたのは、秦氏との繋がりなのでしょうね。
Posted by フォグストロン at 2012年04月17日 12:08
ということは、紀州の雑賀党鈴木氏のヤタガラスでしょうか!?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E6%B0%8F#.E9.9B.91.E8.B3.80.E5.85.9A.E9.88.B4.E6.9C.A8.E6.B0.8F

「1606年(慶長11年)になって徳川家康に召抱えられて徳川氏に仕える。重朝はのちに家康の末子頼房に附属されて水戸藩に移り、子の重次のとき後継ぎとして主君頼房の子を養子に迎えて重義と名乗らせ、鈴木家は水戸藩の重臣として続いた。のちに水戸藩鈴木家は名字を雑賀と改め、代々の当主は孫市を通称としたという。」


秦氏というより、賀茂氏!?物部氏!?
興味がありましたらどうぞ〜

物部氏(もののべうじ)・賀茂氏(かもうじ)同根説
http://jiyodan.exblog.jp/12008232/
「もののふ=武士」の語源と鈴木氏
http://jiyodan.exblog.jp/8521643/
水戸藩重臣・雑賀(さいが/鈴木)家の謎
http://jiyodan.exblog.jp/9170628/

余談ですが・・・
伊藤博文に抹消された雑賀衆ー沙也何
http://blogs.yahoo.co.jp/miyasitama2000/53963279.html

新羅の同族に寝返ったのでしょう(多分)

Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月17日 16:40
難しいことはわからないです^^;

http://www.jlogos.com/webtoktai/index.html?word=%C8%A8%26%23x9641%3B%B6%BF(%B8%C5%C2%E5)&id=7406045
この地名辞典に登場する平城宮跡出土木簡にある安諦と、日本霊異記に出てくる秦里出身のふたりが、わたしが籠もりから現実に戻ってくる扉だったということをお伝えしたかったのです。
もちろん、この記述は昨夜知ったので、ご当人は秦氏なんて、ご存知ありません。
もっとも、安諦の方は故人となられましたが。

玉置神社→三輪山→法華経→このふたり→・・・・→ヌース理論→閣下

鈴木さん・・・いっぱい(というか・・・だらけというか)居られましたね。
友人にはいなかったですが。
誰も秦氏なんて知らないのは、日教組のおかげなのかしらって、先輩女史とも昨日、電話したばかりでした。
紀州と尾張は徳川繋がりの同族のようなものじゃないのですか?

破地獄さんは、金輪聖王には興味はないですか?
Posted by フォグストロン at 2012年04月18日 00:50
http://www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/74/l50
「『旧』天神本紀には天香語山命。尾張氏らの祖で、三十二防衛の一柱として父神・天火明=饒速日尊に従って天降った。
天孫本紀に別名を手栗彦、高倉下という。天降った後、紀伊国熊野邑に住む。磐余彦尊に武甕槌神の帯剣・フツノミタマを奉ることは『記』『紀』の高倉下に同じ。」

とありましたが、元々、紀州と尾張氏は深い繋がりがありそうです。

金輪聖王ですか?
国常立尊との関連もあると思いますので、興味ありますよ!

日月神示にもありますが、
「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。」

「優曇華は、霊瑞の意を示し、三千年に一度現れる。その花 が現れたときには、金輪王(轉輪聖王)がこの世に現れる」

と同じ内容だと思うので、艮の金神・国常立尊でしょうか!?
王仁三郎の歌!?にもあるみたいですね・・・
「やがていま金輪聖王世に出でてみろくの御代をきづきますらむ
にぎたへのあやの高天に現はれて世をまもります金輪聖王
芦別山見るにつけても神つ代の若姫の神しのばるるかな
芦別山見れば涙のとどめなく吾が袖ぬるる北海のたび」
http://urooni.hustle.ne.jp/kensaku/genshow.php?CD=13082&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月18日 01:33
金輪聖王って、学会で議論されていたようですね。
昨日、これを引用しようと思ったのですが、後醍醐天皇の方にしたのでした。
これ、けっこう面白いです。
http://kensho.main.jp/s_hasu/h_c6.htm

たしかに、優曇華について書かれていますね。

あと、これも引用した「藤枝通信」の記事中ですが、

「家康が使っていた旗指物にこの4文字の対句を見いだすことができる。」
「厭離穢土 欣求浄土 「おんりえど ごんぐじょうど」と読む。」
http://inchworm.jp/notes/1401/

破地獄の種子ですね。
Posted by フォグストロン at 2012年04月18日 01:55
な、なんと総裁の「楠正成」にまで穂積・鈴木氏(熊野氏・尾張氏と同族)は繋がった!!
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-38.html
「熊野本宮大社の社家は、穂積氏と同族の物部氏から派生した熊野氏で、後年、和田氏を称し一説では南北朝時代の武将「楠正成」を輩出したとされている。」


閣下はお忙しいようですね・・・
レスキューコメリンク!

http://kemono666.seesaa.net/article/264319098.html#comment

http://kemono666.seesaa.net/article/264143881.html#comment
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月18日 02:02
「厭離穢土 欣求浄土 「おんりえど ごんぐじょうど」
・・・難しいですね(汗)
浄土宗の・・・っていろいろ出てきますが、現代の破地獄の真言はオポノーですね!(忍)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月18日 02:05
起きたら、また富士川に迫ってみたいと思います。

おやすみなさい(礼)
Posted by フォグストロン at 2012年04月18日 02:18
もしくは
「無想穢土 破観浄土」なんてイイかも!
穢土という想念を出さず、浄土を観ずることも対極の穢土があることになるので、抱き参らせ中真を意識する

超絶スルーでっ!!(汗)富士川へどうぞ〜(笑)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月18日 02:20
走湯山にも縁がある日目上人という人物は、再誕の伝承は金輪聖王にも繋がる感がありますね・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%9B%AE
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月18日 02:32
はあ・・・日目上人ですよね・・・
やっぱりあなたもそこに着目しましたか。
ということで検索してみたのですが、ウィキの年表以上のことはつかめない。

ただ、「2月13日、日目等、日興の遺誡により大聖人御影並びに園城寺御下文守護につき違背なきよう誡む。」・・・と、ここでも園城寺(三井寺)が登場します。

また、園城寺が登場しました。
中世のヤタガラスはここに居たのかもしれませんね。

そして富士山の本名とかいうのに当たったんですが・・・
これが、日蓮信徒の脚色なのか、本当なのか、検証中です。
まあ、どちらでもかまんちゅやあかまんのですが。

富士山の正式な名号である「大日蓮華山」
http://www.geocities.co.jp/sarariwoman/hajakensho/kitayama_honmonzi.htm・・・など、ほかいろいろ

しかし・・・日蓮に関しては、まるで中世ヨーロッパのカトリックの異端審問を彷彿とさせるような議論というか、誹謗合戦が繰り広げられて、果たして「真言亡国」が現代も通用するか・・・

真言宗が悪いのでなく、中世の真言僧が権力と結びついて呪詛を行ったために国体の崩壊を招いたということを日蓮は言いたかったのだと思います。
しかし、日蓮の血脈をめぐってこれほどもめるとは、失礼ながら「日蓮亡国」と言葉を返さざるをえません。

権力と信仰は切っても切れないのは、信仰が祈りの兵器であるからなのでしょう。

日蓮は、地底湖に咲く白花のようです。
日蓮こそ、瀬織津姫と言えるのではないか・・・

瀬織津姫といえば、久しぶりに「千田寛仁のブログ」を訪問してみたら、ちょうど記事になってました。

http://ameblo.jp/jke/day-20120405.html

富士と三輪はなんらかの対関係にあるのでしょうね。
Posted by フォグストロン at 2012年04月18日 09:35
破地獄さん、助けて・・・

富士山になかなか入っていけないの(涙)
変なの出てきた・・・

日蓮の総本山が身延山久遠寺と大石寺に分かれたのは、「神社参拝」の可否を巡って対立したためと把握しておりますが・・・
考察の目的は、閣下を身延山にお連れする準備のためであって、富士山や大石寺はどうでもいいっちゅやあどうでもいいのですが、これが行く手を阻んでいます。

大石寺は大石ケ原の地名より来ているそうですが、秦里の近くに生石高原というのがあって、ここも地名は大石ヶ原です。

ここに生石神社というのがあったので、検索すると、一条天皇の御世(989年)、突如この地に大岩が出現し、神が降臨。

「吾れは阿波国杉尾神なり、播州にては生石子明神なり。
今や比処に迹を垂れ國家を守護せん。
殊に婦人は難産なく子孫繁栄を誓ふ。」
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=5026

で、「阿波国杉尾神」を検索。
これがまたややこい(汗;)

・・・だからお願い(礼)
Posted by フォグストロン at 2012年04月18日 11:35
日目上人の新田小野寺氏と徳川家を調べてたんですが、僕も大石寺にあたってました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1081016755
「日興上人と門下の一行は日蓮大聖人の御遺言、「地頭の不法ならん時は我も住むまじき」に従い大聖人の身延御影像を奉持して波木井山中より駿河の國富士郡の南 条時光の持仏堂に移り、翌々年、日目上人の生家、新田小野寺氏の所領、大石ヶ原(現在の富士市依田原字大石寺)に一宇を創り、地名を冒して大石寺と称しました。
この創建時の大石寺は寛永の年、徳川幕府に依り焼討ちされ多くの重宝が奪われ消滅しました。
現在、静岡県富士宮市上条2057番に所在する"大石寺"は徳川家康の養女敬台院が京都要法寺系の日精の為に、焼討ちした正統大石寺に擬して新造りした「大石寺三箇の重宝」を伝承していない"偽大石寺"なのです。」

・・・ということらしいですが、よく分からんです。(汗)

富士山の正式な名号って・・・それは一部の人にとってはということでは(汗)
千田さん、イイですねぇ(笑)語り部説とも近くて面白い!
「そして、教えよう。なぜ富士山か。それは、九州から来た百済の一行が、日本での支配権を得るため。早池峰山では日高見国の威厳を讃えることになり、新興国を京都に設立するには気まずいから、当時ど田舎の関東の山を、日本の神山として置き換えて歴史をはぐらかせた。富士山の存在は景行の御代にもヤマトタケルによって確認されている。

ようするに富士山とは『藤山』なのであり、本家日高見国から干渉を受けたくない新参者の百済藤原が、『古事記』『日本書紀』創作時に捏造したものである。」

記紀には富士山は登場しないそうです。
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/mouhito.htm
「日本を代表する名山として『万葉集』にも讃えられた富士山が、万葉とほぼ同時代成立の記紀ではまったくその姿を見せないこと(ヤマトタケルが駿河、相模、甲斐を訪ねたというくだりにも富士山のことは触れられていない)、などである。
 そこで大和朝廷の真の発祥地は大和より東にあるのではないか、富士山は別名で記紀に登場しているのではないか、あるいは記紀の編纂者には富士山についての記述を避けるべき理由があったのではないか、といった発想が生まれてくる。」

鳳来寺山説にとってはイイ感じです。(笑)
ただ、重要じゃないという意味ではなく、おそらく8世紀以降の聖地は今の富士山でしょう!

名前は別として瀬織津姫なんですよ!
走湯権現も、風琳堂さんによればそうですから(笑)
http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/14448688.html



「杉尾白鬚神」って出てきますし、白鬚といえば猿田毘古ではないですか???

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/saruta.htm
「白鬚明神(比良明神)とも岐神(ふなとがみ)とも白日神とも言われ、また、山幸彦を无間 勝間に乗せて龍宮へ案内し、神武東征のきっかけを作った塩土老翁神とも、道教えの神 ・嚮導の神(水先案内人)としての性格から同一神とされています。」

Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月18日 16:49
身延山はともかく、大石寺に対する書き込みは、無視した方がよいでしょう。
お家騒動ですからね。
それも日蓮の「地頭の・・・」を根拠にしているという・・・なんともかんとも・・・


 その生石明神なのですが、これが芋ずる式にゾロゾロ出てくるのですね。
まあ、わたしだけに起こっているイタキソシンドロームなのですが。

まず、一条天皇に意味を感じています。
一条天皇は、花山天皇が出家したことにより即位した天皇です。
後に徳川家菩提寺となる長保寺は1000年(長保2年)に、一条天皇の勅願により性空上人が創建。
(「長保」という元号ですが、ちょうどミレニアムをまたいでいるのですね。)

「一条天皇には定子様と彰子様のお二人の皇后がありましたが、定子皇后のお付きの女官が「枕草子」を書いた清少納言、彰子皇后のお付きの女官が「源氏物語」を書いた紫式部です。
ですから、これらの文学作品は一条天皇の長保時代の宮廷生活を題材にして描かれています。
長保時代は、平安貴族社会が頂点に達した時代であるのです。
また、長保寺が創建された長保2年に定子皇后がお亡くなりになっています。」
http://www.chohoji.or.jp/intro/intro.htm

「橘氏考」の中に、
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-22.html
楠木正成の妹が観阿弥の母となっています。
清少納言は橘氏の妻です。

紫式部の源氏物語も、清少納言の枕草子も、ともに1001年(長保3年)頃、書き始められている・・・とか。

花山天皇は西国三十三ケ寺を再興した方であり、安倍清明のパトロンとか。

そんなこんなで、生石明神が「阿波国杉尾神」であると降臨したこの地が大石ケ原ということに意味を感じています。
阿波国杉尾神は忌部の神のようですね。
Posted by フォグストロン at 2012年04月18日 21:04
天背男命の后神、「天石門別八倉比賣」なんて出てきますね(汗)
天石門別神(櫛岩窓命・豊岩窓命)・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月18日 21:20
出てきますね。
八倉比売神社
「祭神は八倉比売命で、これは天照大神の別名であるとする。鎮座する杉尾山自体を神体とする。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%80%89%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

「はじめは杉尾山に連なる気延山の山頂にあったが、後に気延山南麓の杉尾山に鎮座した。」

気延山・・・身延山・・・
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/cat_177591-3.html
http://www.gd.il24.net/~shamon/kyoseki/tokusima/tokusimasi/tokusimasi.htm

なんとか、杉尾山と気延山、富士山と身延山、あるいは七面山の関係にならんかしら?
Posted by フォグストロン at 2012年04月18日 23:23
八倉比売神社・・・ここにも楠一族かもとされる、蜂須賀氏で「楠」シンクロですね。
そして、蜂須賀家の菩提寺として現在の大石寺があるとか何とか
ただ、この件もいろいろ論争があるようで(汗)

ペンタクロス面白いですよね〜
気延山五角陵が卑弥呼の墓に「天真名井」???(まいったなコリャ)

身延との関連は見つけられませんでした(難)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月19日 01:25
フォグさんも前から指摘している阿蘇八代と甲斐八代などの、阿蘇と甲斐ですが・・・

なんと阿蘇にも七面山がありました!!(汗)
その名も根子岳・・・今度は猫か・・・
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/asopage.htm
「ネコとは古代語で石の意味でした。また別名 七面山とも言われました
昔、根子岳に猫の王様が住んでいました。毎年、大晦日の晩に阿蘇中の猫を集め話し合いをしていましたが、どういう訳か集まった猫の耳は切り取られて帰ったと言います。
猫だけは他の西の山に比べ背が高いことをよいことに、高岳よりも高く頭を持ち上げ傲慢であったので、阿蘇大明神は怒って 竹箒で猫岳の頭をたたいたため鋸状の形になりました。 」

確かに阿蘇には甲斐氏までいるし、この阿蘇と甲斐の繋がりは気持ち悪いなぁ・・・


そう思い調べていたら、「猫神」「諏訪神」で甲斐と阿蘇は繋がるかもです。
健磐龍命に繋がる、鰍沢の「蹴裂神社」と「蹴裂伝説」
・・・鰍沢って前にも出ましたっけ?
http://cosmosblog.seesaa.net/article/11898213.html
「伝説に磐裂・蹴裂の神が昔、鰍沢口を蹴破って、湖の水を引かしたと言うところです。その付近に「兎の瀬」と言われる地名もありますが、それは中国の故事に倣って開拓した、当時の王?を偲んでその地名にしたといわれます。他にも伝説はありますが、その場所 を開削した人が、昔いて、甲府盆地の3分の1くらいを占めていた水を引かせたのではないのかなと創造力を働かしているのです。」

そして「猫神」は阿蘇も開拓した諏訪神か!?

「開墾には鉄器が必需品だから、鉱山開発の絡んだ「蹴裂伝説」でもあると云う。「甲府」の「金峰山」周辺には金山や水晶山などあり、水晶は加工されて今日でも「甲府」の特産工芸品として名が高い。もしも「谷川」説を採るとすると、「日金拆命」と「金桜神社」のつながりは、かなり明白になる。そして、「右左口」と「金桜神社」には、「猫」の伝承も、後世、遺されている。ここに至って、「風雷神」「水神」「鉱山」「地形変成」「猫」と云った、筆者が注目する「猫神」の諸属性が、「甲府」の地にも集まりつどってきた観がある。」

俄然、猫がアツイ(笑)スルーでOKです。
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月19日 02:31
ありがとうございます。
スルーしているのでなく、保留しているので、どんどんお願いします。

で、わたしも「七面山」を検索してみました。
破地獄さんが数日前、日本を二分するエネルギーとコメントされていましたが、富士山の方はわからないのですが、七面山と身延山のあいだにあるようですね。

■糸魚川−静岡構造構造線と春木川

 身延山と七面山を分ける春木川沿いに、日本を横断する糸魚川−静岡構造線(糸静線)が走っている。
この構造線を境に、身延山側にはフォッサマグナに噴出した火山岩類、七面山側には深い海の泥岩が分布する。
 泥岩には劈開が入り、ペラペラとはがれやすいスレート(粘板岩)になっている。
火山岩は侵食に強いため急崖をつくる。
表参道入口の羽衣では、右岸側に白糸ノ滝がある。
 春木川は糸静線が走っていることと、上流域に大崩れがあることから、砂礫がたいへん多くて荒れた様相をみせている。
羽衣の上流では砂防工事が盛んに行われている。
http://www.iida-museum.org/user/nature/pics/shichi.htm#■糸魚川−静岡構造構造線と春木川


・・・この構造線を境に、身延山側にはフォッサマグナに噴出した火山岩類、七面山側には深い海の泥岩が分布する・・・

たしかに七面山には、七面崩れ(ナナイタガレ)という土砂崩れがあり、観光スポットです。
先月、甲斐から身延に行ったときも、昨年9月の台風の被害で、富士見市からの電車が不通で、バスによる代替輸送になっていました。
甲斐方面からは、身延までは通じていましたが。

あの台風の影響って熊野だけじゃなかったんだ・・・と知ったときは、富士川と熊野川の災害のシンクロのようなものを感じました。

しかし、七面が、ナナイタと読むのでしょうか?

ナナイタ・・・七板・・・で、福井県の九頭竜川に飛んだのですが・・・

七面と九頭竜で検索したら・・・こんなんしか出てこない・・・
よほど霊験あるのかしら・・・
http://wmdata.main.jp/jittai-2/kuzuryu.html

わたしも目指そうかな・・・九頭竜師・・・七面明神九頭竜師って、超・・・
Posted by フォグストロン at 2012年04月19日 09:43
摩多羅神ですが、わたしはこの人のサイトで知識を深めたので、「慈覚大師円仁が唐からの帰りの船に現れた新羅明神と同一」なんて勝手に解釈していたようですが、どうも智証大師円珍とごっちゃになっているようです。

円仁も円珍もおなじように捉えていたのですが、円珍が空海の甥であり、天台宗の寺門派と山門派がそれぞれこの二人を標榜するのですから、分けて考える必要があるみたいですね。

で、円珍に現れたという新羅明神、
http://www.tendai-jimon.jp/religious/02.html

円仁に現れた新羅明神、
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/madaraji.html

どちらも846〜847年ころのようですが、同じなんでしょうか?
それも山王明神ってなに?
Posted by フォグストロン at 2012年04月19日 12:06
糸魚川静岡構造線で、東側が50Hz、西側が60Hzってくらいですから
まさに境界線ですね!

七面天女は紅龍の化身で、赤龍といえば燭龍(祝融)らしいです。
阿蘇大神は、磐龍ともいう盤龍鏡なんて昔出ましたが、やはり阿蘇と繋がる。

円仁も円珍も確かにほぼ同じ頃に、摩多羅神を感得&夢に山王明神が現れってありますね(汗)

大友皇子が祀ったのが始まりのようですが、なんで新羅が天智・・・(汗)

http://www.shiga-miidera.or.jp/about/walk/154.html
「天智天皇の大津遷都のころ、大友皇子が天皇の勅を賜って長等山岩座に山王明神を祀ったのが始まりといわれている。」

「三井寺の地は、天智天皇の子・大友皇子の家地にその子の大友与多王が天武天皇のために建立したもので、長年、寺を管領する人物を待っていた。今ようやく待ち望んでいた人物に出会うことができたと大師に寺を寄進することを申し出た。 」


結局、山王明神についてはよく分かりませんでしたが、赤山明神は
泰山府君のようですね。

紀伊東照宮には左右別にあるようですから、別神なのでしょう???
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/sos_kii_tosyo.htm
「本社は東照宮左は山王明神、右は摩多羅神なり。社の西の側に薬師堂あり。これ本地の真身なり。層塔、護摩堂、鐘楼、御供所あり。山の下に寺あり、雲蓋院となずく。天台宗なり。和合院、正法院、玉泉院、宝蔵院、円成院、大相院これを六坊となずく。」
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月19日 14:41
円仁帰国を支援した張宝高ですが、死没年が846?年だそうで、円仁の帰国についてきてたんではないの?
張宝高=新羅明神との説はすでにあるようです。

しかし、円珍を高僧として著すのが、三善氏なのですね。
文章博士だから、そんなんものかもしれませんが、なんか誘導しているようで・・・
http://www.kagemarukun.fromc.jp/page014.html

山王ですが、
「ここで突然「山王」となるものが登場するのであるが、この「山王」はもともと日本にあった概念でも、最澄が創始した概念でもない。
最澄が入唐した際に入寺した国清寺には「地主山王元弼真君」なる祠があったという。」

地主山王 元弼真君・・・道教の鎮守神
「周の霊王の王子晋が神格化された道教の地主山王元弼真君が鎮守神として祀られていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E9%81%93

山王神道・・・山王一実神道・・・天海・・・

(眠いから寝ます)zzzzzzz・・・・
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 01:40
難しいっすね(汗)

神仏分離では大山咋神ですか・・・酒解神
大友皇子が祀った三井寺の山王明神は、何だったのでしょうね(難)大山咋神なのか・・・

張宝高は
「『続日本後紀』では841年11月までに死去しているとする。」
ってウィキにはありますが、諸説あるようですね・・・

調べている途中で、明達は平将門の乱を日吉山王に祈って調伏したって、そういえば前に出ましたね!
天海プロジェクトとかって出てきますね〜
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 03:25
三井寺と大友皇子の関係、かなり重要な気がしますね。

あと、『会昌の廃仏』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%98%8C%E3%81%AE%E5%BB%83%E4%BB%8F
武宗は、会昌6年(846年)に丹薬の飲み過ぎで体調を崩し33歳で崩御し、弾圧は収束する。

・・・これも846年です。

ここになにかあるんじゃないでしょうか?

わたしは桓武天皇の平安京は、唐から難神仏を受け入れるための国家事業であった気がします。
「会昌の廃仏」は、『三武一宗の廃仏』の第三回目であり、仏教が隆盛を極めたあと、必ず反動が来るという原理が働くなら、冷静に予測はできたのではないか・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AD%A6%E4%B8%80%E5%AE%97%E3%81%AE%E5%BB%83%E4%BB%8F

これほど本家本元を日本に移管する覚悟に至るというのは、よほど日本国土に、それに匹敵するだけの本家本元の怨霊があるということなのでしょうね。

神社仏閣が建設された地は、もともとの聖地であり、それを祀るために形式でもって包み込んだというか。

妄想ですが、公然と認知されている怨霊は、未知の元締め怨霊に人身御供されたという捉え方なんではないか・・・と思います。

・・・大陸の神仏を日本本土に移管するという国家事業だったとすると、遣隋使にしろ遣唐使にしろ、両国の事情に詳しくコネのある人物が介在しないかぎりは不可能な気がします。
いや、むしろ、そういう計画を企図したのは、その人物かもしれません。

試しにこの人物を調べてみたいと思います。
最後の遣隋使および最初の遣唐大使を務めた『犬上 御田鍬』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E4%B8%8A%E5%BE%A1%E7%94%B0%E9%8D%AC
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 10:17
犬上御田鍬と共に帰国した僧旻(みん)という人物も気になりますね・・・あと高向玄理・南淵請安も
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%BB

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%90%91%E7%8E%84%E7%90%86

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B7%B5%E8%AB%8B%E5%AE%89
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 13:26
そうです。旻(みん)です。

わたしもみんを追っていて、陳に当たって、どこかで陳を見たばかりなので、調べたら、天台智ぎでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%BA%E3%82%AE

陳氏・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3_(%E5%A7%93)

陳思王 曹植、魏の曹操の息子。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%A4%8D

淮陽県・・・「黄河文明の中心地にあり、歴史は古い。
伝説では伏羲と神農がこの地に都を置き、神農が陳という名を使い始めたという。
伏羲を祀る陵廟・太昊陵は春秋時代から存在し、唐代以降、廟の建設が進められ歴代の皇帝が多くの寄進を行ってきた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%AE%E9%99%BD%E7%9C%8C

日本は陳氏の末裔ということは?
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 14:03
上の方でコメりましたが、陳が秦ならば応神天皇が陳氏!?になるかもですので、モロに末裔でしょう!
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/7_J.html

「「震旦国陳大王娘大比留女、七歳御懐妊。中国の秦(ちん)大王の娘、祖ダビデの子孫、留女(る)が七才で懐妊して生まれたのが八幡神(応神天皇)である。船で大隅の八幡岬に漂着した。」と読みむことができるのである。
なんと、応神天皇の生まれたのは中国で、秦大王という王家の生まれだというのである。」

僕は密かに、山王明神は応神天皇(八幡神・神武?)ではないかと妄想してます。
比叡山延暦寺(山門派)と三井寺(寺門派)との確執は、背景に百済系vs新羅系があると(妄想)
比叡山・琵琶湖周辺といえば百済系、最澄は百済系渡来氏族 三津首 の子として誕生。三井寺は完全に新羅系。
http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2005/12/post_44bf.html

山王権現の使いは「神猿」
庚申信仰の青面金剛と猿田彦の習合は比叡山延暦寺が作ったらしい

ということは、山王権現と猿=神武天皇(応神?)と猿田彦の構図になるのかな・・・



陳氏は後の田氏で、田氏といえば孫子の孫武・・・
孫氏の末裔ではないかという説ならば、卑弥呼になるのか???
神仙組にありましたね!
ギリシアの女神「卑弥呼」の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/145630163.html

あと田氏が建てた「田済」といえば、田斉の方士「徐福」・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 15:34
「ただ不思議なのは、三井寺は壬申の乱で悲劇の最後を遂げた大友皇子(父は天智天皇)の菩提を弔うためその子大友与多王によって建立されたものです。その天智天皇(中大兄皇子)は百済救済のため朝鮮半島に出兵し、新羅・唐連合軍に大敗するのですが、いわば百済系の人物です。その百済系人物の子孫が建立した寺の守護神に、敵対した新羅の国神「新羅明神」が祀られているというのはどう考えたらいいのでしょうか。」

「百済系の大友皇子の子孫によって開かれた三井寺ですが、敵対した大海人皇子(天武天皇:新羅系といわれる)の許しを得て開山しています(三井寺は通称で正式は園城寺・・・この名は天武天皇から贈られた名)から、睨みを利かすため新羅明神が祀られたのかも。 」
http://blogs.yahoo.co.jp/houzan_ky/61124335.html

この問題は深そうです(汗)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 15:46
閣下と将門めぐりしてから、なんの封印が解けたのか知らないけど、もう頭の中、いっぱいいっぱい。
ノートを整理しながらだと、進むの遅くなるし、検索エンジンかけっぱなしだと、あとで、どこに何があったかわからなくなる・・・

あの、また生石神社を持ち出してきますが、あそこ『応神山 生石神社』っていうんです。
で、多府県にある「生石神社」は、やはり応神天皇に関連しているのですが、石神と応神天皇は同一なのでしょうか?
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 15:56
破地獄さん、悪い^^;
あなたが、何系とされていること、わたしすっ飛ばしています。
そこにこだわると話がややこしくなる・・・わたしの頭の中では。

こだわったあなたと、こだわらなかったわたしがここで一致していきているということが大事な気がするのですが・・・

あなたは父系?母系?
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 16:00
すみません、なにせいっぱいいっぱいで。
曹操についても感想をお聞かせいただきたいのですが、

・兵書『孫子』を現在残る13篇に編纂したのは曹操である
・曹操が発明した酒の醸造法「九蒕春酒法」は、現在の日本の酒造業界において尚行われている「段掛け方式」の元であると言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D

・・・似てない?^^;
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 16:11
応神山!!!
そ〜れは、さらに裏付けになりますねぇ〜(笑)

九州の香春神社と香春岳山王大権現などがキーでしょうか???
コメ欄にありましたが・・・
「香春神社は、渡来系の神を祀る神社で、宇佐八幡宮ともゆかりの深い神社です。最澄は、宇佐八幡宮に参拝した折に、八幡神のお告げを受けて、香春神社に参拝したそうです。そして香春岳の山の神を供養したことから、山王神にご縁ができたそうです。」
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/2f5889ed7f72c77a29a4c16178ef82f0

あと大神比義なる人物もキーなのか!?
「香春の勾金から宇佐へ八幡神を大神比義が持ち込み、祭神を応神天皇とする事へ受け継がれる。これらの「要」が香春である。」
http://kamnavi.jp/toyo/kawara.htm

大神比義
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E6%AF%94%E7%BE%A9


応神天皇は百済っぽいんですがね(汗)
ただ、応神が神武を含むならば、神武天皇が始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)で、崇神天皇も御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)
崇神天皇かもしれないのか(よく分からんです)

あ!僕は特に新羅神系・百済神系のどちらが真偽とも思ってない、中立の立場ですので、一情報としてそんな対立があったのでは!?という話なだけです(礼)
実際に避けて通れそうになさそう(汗)
僕はどっちでもいい系(笑)

曹操は三国志が好きでしたので、多少知ってますが、夏侯氏の一族らしいですね。何故か孫氏を名乗っていたらしいですが、孫武の孫氏との繋がりは分かりませんでした。
誰に似てるんです?酒解神?
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 16:51
うん、大酒公?
秦氏にいてたじゃない?検索かけるのめんどいからわかって。

孫子を解説したくらいだから、忍者の祖?秦氏に似てるかなって。

秦氏は虚構で、陳氏ではないの?
神農と伏儀由来の・・・道教の。

あるいは、ユダヤ人なんて大嘘かも。
今の時点で、原始キリスト教徒という先入観は保留しておいた方がいいのでは・・・

最澄・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E6%BE%84
「先祖は後漢の孝献帝に連なる登萬貴王(とまきおう)で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。」

孝献帝は献帝であり、霊帝の次子。
「曹操の庇護を受けて許に遷都した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AE%E5%B8%9D_(%E6%BC%A2)

「建安25年(220年)、曹操が死去し、子の曹丕が魏王を襲位した。
曹丕とそれを支持する朝臣の圧力で同年のうちに、献帝は皇帝の位を譲ることを余儀なくされ、ここに後漢は滅亡した。
このとき用いられた譲位の形式は禅譲と呼ばれ、後世、王朝交代が行われるときの手本となった」

「真偽は不明ながら、4世紀から6世紀にかけて日本列島に渡来した渡来人の中には献帝の子孫を称するものが多く見られる(東漢氏参照)」

なにをコメントしたいのか、わからなくなってきた・・・
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 17:31
ダメ・・・もうヘロヘロ

考えをまとめようと自分のコメント読み返したら、
円珍=円陳
円仁=円秦
・・・にしか見えない(末期的症状)
しばらく休みます。
あとよろしく。
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 17:39
東漢氏は百済ですね(しつこい・・・笑)
「帯方郡には後漢霊帝・ 献帝の子孫である一族がいたとされる。漢から魏への政権交代の時に朝鮮における漢 の領地であった帯方郡に逃れた。とされている。」
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-19.html

帯方郡地方は、聖王の時代から百済が支配していたらしいですが、まあどうでもいいでしょう(笑)

まあ、しばらく休みましょう!
また身延・富士川へ戻りますかね・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 20:21
秦氏は大きすぎて、〜系と一括りにできないと思われます。
いろんな流れを取り込んでいるような、同族の対立もあるでしょうし
新羅系でもあるし、百済系でもあるし、賀茂系でもあるし、物部系もあるでしょう(滝汗)
だから、ある意味オールマイティ系(笑)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 20:27
それって、無意味なんじゃ・・・

ただ、理由はわからないのですが、エホバーイエスへの信仰を停止しようと思います。
名前が変わるだけなのかもしれないけど、天照ー大日ー釈迦・・・への信仰に変えます。

わたしはすべてはエホバーイエスに集約されると思ってました。
でも、冷めた。
それは秦氏=原始キリスト教徒という・・・根拠が覆りそうな予感がしているからかもしれません。

間違っていたとは思っていないけど、秦氏は、原初性の回復の過程を導く猿田彦であったのかもしれません。

それを捨てないと天台山に入れそうにないので、クリスチャンの鎧を脱いで山門を叩きます。
しかし、閣下からはまだ、身延山入りのGOサインが出ていないのです。
Posted by フォグストロン at 2012年04月20日 21:09
そうですか・・・
閣下は最近お忙しそうですもんね・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月20日 22:41
複数の記事を同時進行で作っていたら訳が分からなくなってしまって^^;
身延山はいつでもいいのですが、その前に僕は行をしなければなりません。
Posted by 獣 at 2012年04月21日 21:41
閣下がですか?
ならわたしもですね。
今、反キリストファイルの2を読み返していました。
1年前が懐かしくて^^
身延山に行くまえに熊野降臨1周年記念会、やりたいですね。
Posted by フォグストロン at 2012年04月21日 22:56
どんな行なのか気になります。(笑)
一年前〜随分遠い昔に感じてしまう。

つい最近、
一休さんが、楠一族だと知りました。(忍)
http://blog.goo.ne.jp/goo0633/e/ec900f34364119f636c5df1597c3f2db

ハジさん、ヤられちまった!?
爆サイトの人みたいに・・・(不覚)
http://chi-chi.jp/profile/
ボルミって子に・・・(想定外)
あっ、でもまいっか!(笑)
総裁は天武系(新羅)だから^^
Posted by 総裁越楠 at 2012年04月22日 01:05
破地獄さん、今、どこにいますか?
さっき、ひさしぶりにヤフー版の善悪逆転編を見に行って、「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」って目に留まって、検索したのですが。

マヌ・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8C
ヴィシュヌ・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8C

ノアとエホバみたいなのですね。
Posted by フォグストロン at 2012年04月22日 01:30
総裁、
一休さんまで楠氏の一族でしたか!(驚)
このグループは知らなかった、確かにこの中ではボルミですね(爆)



フォグさん、神仙組にありました。

超人マヌと星占いが明かす「富士の仕組と天地のビックリ箱」
http://mujaki666.seesaa.net/article/167768267.html

「神智学の教典は「超人マヌが言霊の力を使って、ピラミッドパワーを操作し、ムー・アトランティスを沈没させた」と伝えている。
超人マヌとは……『旧約聖書』に従うなら、大洪水前にカッバーラを継承した預言者「ノア」ということになる。
そして、水晶及びピラミッドが言霊の電磁力を増幅し、天然現象(電磁波=神)を操作する。
大洪水前の地球には大きな山や火山はなく、パンゲア大陸は巨大な陸塊だったと考えられている。
パンゲア大陸は、火ではなく、水の洗礼(ノアの大洪水)で滅んだのだ。」
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月22日 03:31
本当ですね。
難しすぎて、破地獄さんの解説がないと読めない・・・^^;

「この世の想念が乱れ、人類の悪しき業が積み重なると、大自然を司る天地の神々は、人々の発する悪しき言霊に反応して、大地震・火山爆発を連続させ、地球より悪いカルマを払いのける。
もし天地の主神が人類の悪業を払い清めなければ、我、強力なる言霊によって火山を大噴火させ、人類の悪しきカルマを一掃するであろう」

・・・祓によると、天地の主神がセオリツヒメか・・・
これもウパニシャッドから、真の名前、拾ってこれるのでは・・・?

引き続き閣下の記事から

・ところで、王仁三郎は何故、特定の山々で言霊実験を行なったのか。
まず、山自体が天然(又は人口)のピラミッドになっており、更に岩石中に含まれる膨大な量の石英が言霊の威力を増幅させるからである。

・また、バミューダの海底に眠るピラミッドも、天然現象コントロール装置として使用されたと思われる。
このピラミッドにはピラミッド水晶球、即ち大本の神宝「龍の玉」と同様の物が付いていた。
「龍の玉」の霊的意味は恐らく、龍の卵、龍の子、即ち龍子(粒子)である。
光(イエス・キリスト=ルシファー=龍)は虚数の波としては電磁波であり、実数の粒子として光子となる。
そして、言霊は音声(音波)と生体電気が反応して電磁波となる。

う〜ん、龍の玉や、如意宝珠は宝というより、言霊発動のネットワーク構成の道具と捉えた方がいいということなのか・・・

富士山爆発と身延山・七面山には、どういう関連があるのかしら・・・
Posted by フォグストロン at 2012年04月22日 11:16
解説できるほど、理解できてませんよ(汗)
閣下の記事はレベルが高すぎて(難)

富士山噴火を抑えている、フォッサマグナの要らしいですよ人穴も
(ほんとかどうか分からないですが)
http://www.asyura.com/sora/bd14/msg/287.html
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月23日 00:02
う〜ん・・・ありがとうございます。
今晩は、おやすみさせていただきますzzzzz・・・
(本当っぽいですね)
Posted by フォグストロン at 2012年04月23日 01:16
おはようございます。

破地獄さん、オウムと富士山の関連、かなり証拠隠滅させられているのか、ほとんどつかめませんね。
やはり、あの異常な裁判は、『人穴』を守るためのものかもしれませんね。
教団の富士宮本部って、上九一色村とおなじなのかしら?
(富士山と身延山を結んだ中間地点って、よくわからない・・・)

で、オウム真理教の主神は『シヴァ神』だそうです。
ウパニシャッドはヴェーダの部分だそうですね。
ですので、ヴェーダ全般について考察したいと思ってます。

なんであれ、オウムがシヴァ神を信じて富士山爆発を企図するにいたったのであれば、それは(オウム的)シヴァ神の意思であると認めざるをえません。
これは、仕方ない。

あ、既にコメントされていたかもしれませんが、虫は蛇だそうですね。
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/aum.html

ヴェーダ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80

リシ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B7
『リシ』の七聖賢が北斗七星と同一とされていることは以前出ましたね。
しかし、このリシでびっくり。
閣下のこの記事がリシのひとり「アガスティア」であると知って・・・

で、リシからヴェーダに浸かっていけということなのか、と思い、

アタルヴァ・ヴェーダ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80

「古名は、アタルヴァ=アーンギラサといい、アタルヴァン族とアーンギラサ族の知識を合わせた非アーリア系の古文書である。
アタルヴァン族は主に、吉祥増益の呪文を伝え、呪詛調伏の呪文はアーンギラサ族のものとされている。」

・・・非常に興味がありますが、情報は少ない。
「密教の元となった」ということは、日本の仏教は、『アタルヴァ・アーンギラサ』か・・・

しかし、「他の3ヴェーダが、他所からきた支配者階級(アーリア人系)の知識であることに対し、『アタルヴァ・ヴェーダ』はアーリア系の知識に土着の民族(非アーリア系)の知識を加え集大成したものという見方もある。」

この非アーリア系の土着の民族に物部の匂いが・・・しない?
Posted by フォグストロン at 2012年04月23日 09:49
アタルヴァ・アーンギラサの編纂に関わったという『ブリグ族』ですが、無関係かもしれませんが、『ヴリル・ヤ』というのを思い出します。

http://rerundata.net/ura/inri2039/floors/hatchUFO/UFO10.html

閣下に出逢う直前の3年前の今頃、ナチスを調べていました。
ナチスのカール・ハウスホッファーが地底人ヴリル・ヤに目をつけた。

どうなんでしょう。
お水送りは地下を通って、若狭から東大寺まで行くとされています。
しかも修二会の発祥は、考察したとおり穴の奥です。
富士山の周辺も穴が通じてるとされています。

フリーエネルギー『ヴリル』・・・オウム・・・来たるべき民族・・・封印・・・フォッサマグナ・・・どう思う?
Posted by フォグストロン at 2012年04月23日 11:59
日蓮のお題目ですが、『南無妙法蓮華経』って、実際どういう真意なのでしょうね。

アタルヴァ・アーンギラサを調べていたのですが、なぜか釈迦よりも提婆達多が密教だと感じてしまってます。

「そこでデーヴァダッタのサンガの人々は、ゴータマ・バガヴァットとデーヴァダッタとをアルハットとして尊ぶという、とても理性的な判断をしたわけです。

このことと言い、出身者たちが法華経をつくり出す中心になったことと言い、デーヴァダッタのサンガの人々は、とてもレベルが高かったようです。ゴータマ・バガヴァットから500人の弟子を任されていたレベルの高いデーヴァダッタが第2祖であったことや、マハーカッサパの流れを汲む主流派の悪い影響を受けずに済んだことや、民衆や大乗からのデーヴァダッタ批判に対抗するために第1祖ゴータマ・バガヴァットと第2祖デーヴァダッタの教えに忠実だったことが、理由と思われます。」
http://page.freett.com/ry/essay.html

サンガ・・・ガナ・サンガ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E5%9B%BD

日本の仏教は、むしろデーヴァダッタ派なのでは・・・という気がしてきました。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20081020/1224528193
Posted by フォグストロン at 2012年04月23日 15:07
いやぁ〜、フォグさん難しいのばかり持ってきましたね(滝汗)
じっくり読んでみます。
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月23日 15:19
あ、破地獄さん、ごめん。
検索途中でコメントしてるから、まとまらなくて(汗;)

日蓮は実はダイバダッタの霊統だと感じてます。

「玄奘はとりあえず集めれるものは集めつくしたので、偽経からなにからわけのわからぬ状態なので、教相判釈を帰国後行います。

教相判釈とは、その内容を吟味して、価値を鑑定する作業のことです。

でないと全く相対する2つの経典が出たりして意味が分からない。

そして何が重要か考え、唯識理論を中心とする法相宗を作り出します。(現在の薬師寺に伝わり総本山となっているのの祖)」
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20081023/1224722907

この法相宗こそが、重要であると感じているからです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%9B%B8%E5%AE%97
Posted by フォグストロン at 2012年04月23日 15:24
う〜む、付いて行けん・・・・
サンガといえば、山窩で僧伽らしいですね!
比丘僧伽、比丘尼僧伽・・・びくに・・・
日蓮は旃陀羅の子、旃陀羅は山窩ともありました。

ブッダを殺害しようとしたデーヴァダッタですか・・・何だかルシファーの匂いがしますね

蘇我氏の氏寺で、入鹿の首塚もあったという法興寺が法相宗でしたか・・・
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-5/2011_03_01.htm

Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月23日 17:28
釈迦よりもむしろ釈迦の弟子で悪者とされていたダイバダッタに、日本の仏教は帰依していたのではないか・・・
あ、ウィキにそれらしいこと書かれていました。

・真言宗の大日如来などは、提婆達多の流れを汲むものであろうか
・『法華経』提婆達多品第十二では、提婆達多は天王如来となるという未来成仏が説かれている。
これは、のちの日本仏教、特に鎌倉以後の諸宗に大きな影響を与え、この期以後の禅、念仏、日蓮の各宗は、この悪人の成仏を主張している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%90%E5%A9%86%E9%81%94%E5%A4%9A

・・・これはわたしにとっては善悪逆転です。

法相宗ですが、義淵がそうなのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B7%B5
「弟子に玄ム・行基・隆尊・良弁などがおり、道慈・道鏡なども義淵の門下であったという。」
Posted by フォグストロン at 2012年04月23日 18:28
怪僧 弓削道鏡までそうでしたか(驚)

余談ですが、行基の父とされる高志才智ですが・・・
名は「羊」らしいです(汗)
まさか行基の父は羊太夫か!!!・・・だったら面白いなぁ
羊太夫の伝承でも、息子だけが生き延び寺に預けられたとか・・・
その後の詳細が不明ですが・・・
行基の作とされる羊太夫の守本尊「千手観世音」があるとか何とか・・・
高志氏は銅の精錬に従事して、羊太夫といえば和同開珎を作ったとされている。
・・・親子かは別として同じ一族の可能性はありますね

ま!余談でした(笑)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月23日 20:56
寝てた・・・
新しいワードがたくさん入ってくるから、頭疲れる。
そういえば、余談ですが、ポケモンで妙に好きなキャラは、コダックでした。

行基は事跡が同一人物だとしたら、もっとも尊敬する人物ですね。
鬼将軍もそうですが。

神仙組は釈迦系か提婆達多系かといえば、提婆達多系だという気がします。
う〜ん、すべてが釈迦だと思っていたのは、洗脳だったのか・・・?
表が釈迦で、裏が提婆達多・・・

ヴェーダから釈迦までの流れをもっと見ないといけないかもしれないけど、とにかく「法華経」を根本経典として捉えなければ日本の仏教は理解できないし、なぜ法華経が富士山に導くのかも理解できないと思ってます。

その点、デーヴァダッタ(提婆達多)派が法華経の編纂に深く関わっていたというのは衝撃です。

法華経における提婆達多ですが、提婆達多品十二に、
「まず、釈尊が一千年にわたり給仕した阿私仙人が、今の提婆達多である、とし、この聖者が業因感果の理を示すため自ら五逆の姿を示し、地獄に堕ちたが妙法の功力によって、天王如来の記別を受けたとする。

次に、智積菩薩の問いにより、文殊菩薩の海中の弘経のありさまを説き、舎利弗の疑問によって、八歳の竜女の即身成仏を示す。

法師品では、善人成仏を明かしたが、この品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では、釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色身が本有の境智を顕わすことから、理性の即身成仏を説いたのであるが、ここでは地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏を説いたのであるから、事相の即身成仏を説かれたのである。」
http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417003.html

この竜女が、七面明神でもあるのでしょうね。

七面山ですが、吉野にもあるそうなんです。
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/minobu/T03_C03_S02_1.htm

そして、身延はもと「蓑夫」だそうです。
・日蓮聖人入山以前は「蓑夫」
・箕面山を「ミノモサン」とあって、箕面と蓑夫は密接な関係があるように推察される。
・奈良朝より平安、鎌倉期の500年間に全盛を極めた修験道は、大阪、奈良の城山、大峰山等よりその源を発し、遂に日本全土の山岳にその足跡が及んだのである。
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/minobu/T03_C03_S02_1.htm

・・・わたしは、この修験が、デーヴァダッタ派ではないか・・・と思ってるんです。
Posted by フォグストロン at 2012年04月24日 02:17
吉野にまで七面山ですか〜(驚)
「蓑夫山」は僕も以前に調べてました。
その前は「蓑歩」らしいですね!
その意味までは調べられませんでした。
八歳の竜女は善女龍王でサラスヴァティーで弁財天という説もあります。
役小角とデーヴァダッタの関連を調べたんですが、中々いいのを見つけられませんでした。

「デーヴァ」という言葉は興味深いですね!

デーヴァはデヴィルでディーヴァでダエーワ・・・何じゃそりゃ(笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AF
善悪がコロコロ入れ替わってますなぁ・・・

デーヴァもダエーワも要は、表裏一体ということでしょうね!

古代インドではデーヴァ=天
デーヴァダッタは善悪両方が含まれてますね(難)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年04月24日 04:17
ちょうど、こんなの見てましたw
なんかシンクロ嬉し・・
レインボーマンってお話自体予言的な内容ですね

http://www.dailymotion.com/video/x7am4d_yyyy-yyyyyyy-op_shortfilms


http://www.occn.zaq.ne.jp/momokun/kaikidaisakusen/Rainbowman/Rainbowman.Top.htm

Posted by 末裔 at 2012年04月26日 22:11
レインボーマンの存在は知りませんでしたが、最近レインボーマンやレインボーのシンクロが続いています。

フォグさんは月蓮、獣は地蓮(チレン=CHYREN=シーレン)だと分かりました。

Posted by 獣 at 2012年04月27日 21:36
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