2012年04月19日

汝、呼吸を止めて他界せよ!

呼吸をしているだけで至福感に満たされているということを書いたが、
日常的に意味なく大歓喜というわけではない。
穏やかな至福感を感じることは誰にでもあると思うが、
常にその状態というだけである。

実は、呼吸を殆どしていない超越瞑想の時ほど大歓喜に満たされている。
呼吸をしていないことに気づくのは、少し肉体意識が戻ってきた時なので、
完全な思考停止状態の時は呼吸も停止している可能性がある。

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中国にも、3日間くらい池に潜って瞑想する仙人の伝説もある。
また、若山さんも瞑想中に大歓喜の光のシャワーを浴びた時、
呼吸をしていないことに気がついて、慌てて息を吸い込んだという。

実際には獣も呼吸をしていない事に気づくのだが、意識的に呼吸を観察すると、
たまに微かな呼吸をしているということが分かるのだ。
従って、肉体意識が少し戻って呼吸の観察を始めた時から、
少しずつ呼吸の開始が始まっている可能性もある。

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呼吸によって取り入れる酸素の2%が活性酸素になり、
それが老化の原因となっているが、
呼吸をやめれば不老不死も可能になるという理論が成立する。

普通は呼吸を止めると酸欠で死ぬことになるが、
不食の原理もそれに似たようなものであろう。
いずれにしても、肉体意識(自我)を主体として生きていると
絶対に不可能な現象である。

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『鉄人を創る肥田式強健術』に、次のように書かれている。

肥田式強健術で精神的悟りの境地に入れる!

人体の物理的重心を鍛えれば、
心身強健となることは、すでにさまざまな実例でみた。
しかし、さらに素晴らしいのは、
そこに精神修養の妙諦(すぐれた真理)が潜んでいるということだ。
完全正確な中心を得ることによって、精神は機械のように支配されるのである。

もしピシャアッと強大な中心力が生じると、
精神の中心は自ずから下ってその一点に集中し、
一切の思考観念は機械の運動が停止するようにピタリと止まってしまう。

考えようとしても考えることは許されない。
思考しないのではなく、思考することができなくなるのだ。
明朗なる無念無想の状態は自ずから現出する。
このとき天地の万象は燦然として輝き、
樹も草も岩も流れも五色の採光を放って眼に映ずる。

最上思考の光の生命に満たされ、中心の歓喜あふれるところ、
あたかもダイヤモンドの雫を浴びるような聖楽を味わうことができるのである。
読者諸君の注意を促したいのは、ここで述べているのが単なる詩的形容ではなく、
あくまでも生理的実感であるということだ。
この真諦玄機妙用に至っては、理屈や想像では到底うかがい知ることはできない。

ところで諸君は、仏者がその昔、30年40年かかって何を悟るのか、
という疑念を抱かれたことはないだろうか?
悟りとはいったいなんだろう?
座禅で精神を麻痺させるのか。
頭脳を低劣にして無感覚にさせるのか。
それとも長時間の瞑想によって一種の自己催眠に陥り、
わずかに安心の幻影を捉えるのではないのか。
春充もそのように疑うひとりだった。

ところが、大正12年、偶然にも完全な正中心の姿勢にぶつかって、
彼の考えは180度の一大転換を遂げたのだった。

「正中心の悟得はかくも明朗でかくも鮮活なる現象であろうとは。
頭脳ますます澄撤、精神ますます闊達、身体ますます健全である」

正中心の光明世界を描写する時、
春充は大歓喜に酔いしれているかのようだ。

「オォーー完全な正中心を得た瞬間のあの絶美な天地の姿はどうだ!
何という素晴らしい詩的神境だ!
全く超現世の清さ、輝かしさだ!
清快壮絶ーーこれをなんと表現するか形容に絶している。
ただ恍惚、驚嘆、賛美、忘我というよりほかにない。
宇宙神秘の秘宝は、各人の正中心に潜んでいる。
無限の光明である。絶対の歓喜である」

だがそこには重い鉄の扉が閉ざされているのだ。
いい加減なことでは開かない。
一大鉄槌を振り上げ、渾身の力を込めて叩きに叩き、
大音響とともにこの鉄扉が打ち砕かれて、ダイヤモンドの霊光燦然たるとき、
人は初めて真の自己に生き、天地の真の姿を直視することができるのだ。

まさにこれは父子不伝の妙であって、進んで自ら得ようという者でなければ、
子といえども与えることはできない。
わが身をもってこの真諦に悟入しない限り、想像することさえ不可能だろう。


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春充のこの体験は古来、悟り、光明、イルミナシオン、黙示、ニルヴァーナ、
三昧、サマディーなどと呼ばれてきた現象に共通するものがあるようだ。
ただその中にあって肥田式強健術がユニークなのは、
一切の観念的精神修養を排し、
形をもってただちに精神を支配するという点にある。

道元は悟道の極秘として「身を直にして前に屈まず。後ろに仰がず。左右に傾かず。
耳は肩に対し、鼻は臍に対す」とただその座法だけを教えた。
そして、「初祖(達磨大師)西来して諸行を努めず。経論を講ぜず。
少林にあること9年、ただ面壁座禅のみ。
打座はすなわち正法眼蔵槃般妙心なればなり」と説いたのも、
これまた正中心を得る方法に他ならなかったのである。

打座の形をとることはさして難しいことではないが、
その正しい中心の一点に屹立することは容易ではない。
そこで「隻手の声」といった公案が工夫される。
それによって自ずから雑念が除かれ妄想が去り、
期せずして上体の力が抜けると重心は物理的中心に落ちる。
だから公案はそこに至らせるための単なる方便に過ぎないのであって、
隻手の声などにいくら奇抜な名答を付したところで、
ただそれだけでは何の価値もない。

それはほんの手段方法であって無限の意義をもつ大目的は、
厳然として他に存在する。
中心生命界を啓くこと、これである。
機械的に正中心を定めてこの大活力と大歓喜とを得る。
これこそすなわち禅の極地、悟道の妙諦であることを春充は疑わなかった。
この信念は当時、禅界随一の巨人といわれた
飯田とう隠との出会いによってますます強固なものとなったのである。

春充は飯田と隠の座禅の形が自分のそれと寸毫も違わないことを知った。
そして、とう隠も春充の強健術を見て感嘆の声を連発し、
「無我にして宇宙と合体し、活ける禅、大悟徹底の境地、
あの瞬間世界に光を与えている」とまでいっている。

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春充はいう。

「生命精神現象の最高絶美境は
決して非科学的観念妄想の上に築かれるものではない。
それは、解剖学、生理学、神経学、物理学、化学、
幾何学の上に冷厳に咲いた天華でなければならない」

つまり精神的光明世界の発現も、
人体の物理的重心である正中心にその基礎をもつものであり、
原理的には数学的厳正さをもっているということだ。
正中心から重心を足の中央に向かって垂直に落とせば、
地球の中心を貫いて無限宇宙に走り、
その直線を上に伸ばせば、脳幹中枢を通過して無窮空間を貫く。
こうして首は天に達し、足は地を貫く。

この関係で力を起こした場合、超人的強烈なものとなる。
この恐るべき力の緊張が仙骨神経叢から脊髄神経を通じて脳幹に伝達された時、
大脳の思考機能は機械的停止状態に導かれ、思考思念が許されなくなる。
すなわち真の無念無想の境地が現出する。
思考なき無こそ超越解脱であり、大自由境、大自在境である。

ここでいう脳幹というのは、脳から大脳半球と小脳とを除いた
残りの部分の総称(間脳、中脳、橋、延髄)である。
それは生命の座であり、本能以前の生命活動を司る脳の根幹といえる。
正中心運動は、脊髄を通してこの脳幹を鍛錬するものだ。
それによって全神経の統一的覚醒をもたらし、
智・情・意の精神作用を根本的に、徹底的に調整、純化、統一し、
たちまちにして超時空的聖虚へと誘うのである。

それはまさに生命精神の波動が最高潮に到達した科学的絶妙境である。
換言すれば、悟りとは生命活動の極限といっていいだろう。
心身強壮から入ってそこまで到達するところに、肥田式強健術の真髄がある。

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中心世界へと我々を招く春充の言葉に、今しばらく耳を傾けてみよう。

「きちっと腰腹の中心に力をまとめたとき、
私は忽然として全く自我を離脱して清浄悠久の涅槃に入った。
地球の呼吸は私の呼吸と全く一致した。
地球はあたかも生けるものの如く、
我々はあたかも生なきものの如く、まさに是れ人牛倶忘の域だ。
深く千尋の海底にでも在るが如く、遠く永恒の世界にでも住むかのようである。
幽かに小鳥の鳴く音が聞こえる。
眼を上げると海、山、原、林―― 一切は輝く。
みんなこぼれるばかりに光を被っている。
その美しさ!その気高さ!その清らかさ!
オオ綺麗だなぁ!!!
人工を加えたダイヤモンドをこんなに惜しげもなくバラ撒くとしたら
大変だろうなと、私はただ恍乎として驚くべき真自然の光景に眺め入った。
実にや、これこそは真健康を以て見る自然の真美であろう。
この真自然の絶美と、これを楽しみうる正中心とを、天は凡ての人に恵ませ給う。
讃うべきかな、誠の神――」

正中心練磨を行えば、あらゆる世俗の煩悩は遮断される。
これは、中心力の反発上昇力が、仙骨神経叢より脊髄神経を通って
大脳の思考中枢を停止状態に置くもので、恐怖、憤怒の感情をはじめ、
一切の苦悩の生理的作用が消えるためである。


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肥田春充は、正中心(丹田)を極めることによって、
覚醒状態で思考停止になって涅槃の境地に入ったということだ。

仙骨、そして何よりも正中心を最重要視していた春充だが、
次のように述べている。

「脳幹は生命の座であり、本能以前の生命活動を司る脳の根幹といえる」

「この恐るべき力の緊張が仙骨神経叢から脊髄神経を通じて脳幹に伝達された時、
大脳の思考機能は機械的停止状態に導かれ、思考思念が許されなくなる」


もちろん、獣も太陽瞑想などで、脳幹に霊注ぎ(ミソギ)をしている。

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同じく、仙骨と丹田を重視している若山さんも同じことを説き、
「脳幹に魂が宿っている」と言っている。
脳幹に魂が宿っているかどうかはともかく、
仙骨と丹田を最も重視している春充と若山さんが、
脳幹も同等に重視していることが注目に値する。

春充と若山さんと内海氏に共通するのは、一種の武道家ということで、
三者ともに仙骨と丹田の重要性を説いているが、
胸の重要性については特に語っていないということである。
また、獣と春充と若山さんに共通するのは至高体験だが、
春充は瞑想ではなく、正中心によって涅槃の境地に到達している。

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また、内海氏と獣は「内外反転」の感覚を獲得しているが、
春充と若山さんは「内外反転」の感覚を獲得していないように見受けられる。
だが、春充の体験をよく考えると、
獣よりも深い「内外一致」の感覚に到達していたようである。
胸を重視していない春充が、何故この領域に到達したのか……。

「きちっと腰腹の中心に力をまとめたとき、
私は忽然として全く自我を離脱して清浄悠久の涅槃に入った」

春充が説く正中心力は、腰腹の中心に力をまとめた時に発生するもので、
その為に各種鍛錬法があるのだが、
本を読んでもビデオを見ても要領がよく分からないので、
獣は「肥田式腹式呼吸法」+αだけを実践してきた。
それによって正中心も定まってくる(丹田が鍛えられる)ようだ。

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春充は言う。

「正中心練磨を行えば、あらゆる世俗の煩悩は遮断される。
これは、中心力の反発上昇力が、仙骨神経叢より脊髄神経を通って
大脳の思考中枢を停止状態に置くもので、恐怖、憤怒の感情をはじめ、
一切の苦悩の生理的作用が消えるためである」


肥田式腹式呼吸でもそのような状態になるが、
この時の脳波はシータ波で自我(肉体意識)が沈静化し、
固定観念や先入観なども外れている状態である。

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だからネオデジタル内観の準備体操として奨めているのだが、
固定観念や先入観などの囚われがなくなり、恐怖、憤怒の感情をはじめ、
一切の苦悩が消えると言っても、それは自我が沈静化している間の
一時的なものに過ぎず、幽体意識(想念界)が浄化された結果ではない。

故に、内観は避けて通れない不可欠な日課なのだが、
ネオデジタル内観をしている時だけが「内観」なのではない。
人生そのものが内観であり、常に「種観霊」を行う必要がある。

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内海氏は「人生の目的は神(真我)を識るため」と説き、
もりけん氏のハイヤーセルフは
「人生の目的はフィルターを透明にすること」だと説いている。
内観(種観霊)をすることてフィルターがクリアーになり、
神(真我)の意識に到達するので、両者の教えは同じことである。

端的に言えば、「人間は神になる為に生まれてきた」のだが、
その為の修行が「内観」であり、それは人生そのものなのだ。
換言すれば、「人間は内観する為に生まれてきた」のであり、
内観なくして浄化も解脱も悟りもない。

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自分の内面(潜在意識)を知ることは不可能だと思うなら、
それも人間型ゲシュタルト思考というものだ。
五感(肉体意識)で知覚する外側の世界の総てが、
自分の内面の投影であることを忘れてはならない。
道端にゴミや吸い殻が落ちているのが目に入ったら、
それも自分の内面の投影である。

世界の様々な事件や戦争や災害も、総て自分の内面の投影である。
人生には不可解で不愉快な出来事や、厄介な人もたくさんいる。
結論として、いかに自分の内面が不可解で不愉快で、
自分ほど厄介な人間はいないということがわかる。
そもそも全てが投影なのだから、初めから他者は存在しないのだ。

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ここからは、人間型ゲシュタルトの観点から分かりやすく説明するが、
真我を「太陽」だとすると、集合的無意識は地球全体の「空」である。
個人的な潜在意識は、自分が見渡せる限りの「空」である。
そして、地球全体(集合的無意識)に雨雲(悪想念)が覆っている。
自分が見渡せる限りの空(個人的な潜在意識)の雨雲を消すことで、
太陽(真我)が現れてくるのだが、それで仕事は終わりではない。

本質的に、自分は地球全体の空(集合的無意識)をも包み込んだ存在であり、
地球全体の空を覆う雨雲を消去していく作業が大切なのだ。
なぜ大切かと言うと、それが人間の存在理由(使命)・人生の目的だからで、
ホ・オポノポノの創始者は、そのことをよく理解していたということが分かる。

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個人的な潜在意識(幽体・想念界)を浄化して真我に目覚めた聖者でも、
集合的無意識は万人等しく暗雲が立ち込めている。
どれだけ意識レベルが高くても、どれだけ崇高な精神の持ち主でも、
9・11のテロや3・11の震災のニュースを知ったならば、
それはその人物の内面の投影なのだ。

もちろん、個人的な潜在意識の顕れではないのだが、
集合的無意識において人類は1つの生命体である。
そのことが分からない聖者は、真我に目覚めているとは言えない。
真我に目覚めれば「内外反転」の認識が生まれ、
それは必然的に「自他一体」の認識を生み出す。

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内外反転とは、外側の世界が自分の内面の投影であることに
気づくことであり、他者も自分の投影ということになるからだ。
それは、禅定が説く「自己究明」「他者救済」「生死解決」の
三位一体性と完全に一致するものである。
それを知る為に、人間は人間界に生まれてきているのだ。

つまり、自分の内面を知る為に、
それを投影する現象界に生まれてきているということである。
即ち、五感知覚で感じることの総てを内観に繋げ、
反省と感謝をすることが人間の本業なのだ。

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メインテーマに戻すが、腹式呼吸はその名の通り、
深い呼吸によって十分な酸素を取り入れるものである。
それは単なる健康効果だけではなく、
前述のような理想的な意識状態(思考停止)をもたらす。

「呼吸を止める」ということと正反対に思うかも知れないが、
呼吸停止は意識的に行うべきことではない。
いくら呼吸を止める訓練をしても、
それは僅かな時間だけ呼吸を我慢しているに過ぎない。
肥田式腹式呼吸で思考停止状態となり、そのまま瞑想を続けていると、
自然に呼吸停止に近い状態となるのである。

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呼吸停止は体に悪いのではないか……酸欠で死んでしまうのではないか……
と思うかも知れないが、それなら苦しくて耐えられなくなるはずである。
確かに、肉体意識が消滅している状態なので、
「苦しくても気づかずに死んでしまうのではないか」という意見もあるだろう。

だが、獣の経験上、殆ど呼吸をしていないことに気づいても、
全く苦しくはなく、歓喜の余韻の中で静かに穏やかな至福感に満たされている。
従って、「呼吸を止めよ!」というのは不適切な発言だが、
腹式呼吸で超越瞑想に入ると自然に呼吸が減ってくるということである。

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腹式呼吸をしている時は、腹を意識することが基本だが、
厳密に言えば、腹と腰の中心である。
肥田式腹式呼吸は基本3回で終了なので、その後はアナパナサチ呼吸を行う。
アナパナサチは普通の腹式呼吸だが、吐く息を細く長くすることが特徴である。
そして、意識が下がって思考が停止してきたら普通の呼吸に戻し、
胸に手を当てて胸を意識する。

やがて思考は完全に停止して、呼吸停止状態の涅槃の境地に到達するのである。
これで話を終わるとタイトルの意味がなくなってしまうので、本題に入りたい。
先ほど、「呼吸を止めよ!」というのは不適切な表現だと書いたが、
それはさっきの話のことである。
今回伝えたかったことは、「意識的に呼吸を止めよ」ということである。

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釈迦は意識的に呼吸を止める苦行をし、獣も同じ苦行を経験したことがある。
それは単なる苦行だが、空気の有り難さを実感する修行でもあった。
我々人間や動物にとって、何が最も大切か考えて頂きたい。
それは命だが、では、肉体生命を維持する為に、最重要不可欠なものは何か。

知花敏彦氏はヒマラヤでの瞑想中、
年齢800歳近くになるH大師に顔を水に突っ込まれ、次のように質問された。

「あなたは苦しい思いをしました。
息が出来ずに、苦しい時に、一番欲しかったものは何ですか?」


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この時、知花氏は空気、即ち、目に見えない「空」こそが実在であり、
「空」に生かされていることを悟り、宇宙意識(神)と融合したという。
その時、知花氏は「悟空」となったのだ。

H大師とは何者か、なぜ名前を明かせないのかは分からないが、
肉体・幽体・霊体に自由自在に変身できて瞬間も可能だというから、
普段は肉体で生きてはいるが、実際には既にアセンションした聖者である。

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『植物は警告する』の中には、実験木からの次のテレパシーが記されている。

「大気がいかに地球の生命全体にとって大切な命の糧を供給しているかは、
俺たち植物は身をもってありがたく感謝しているんだ。
俺たちは生きていく上に二酸化炭素や窒素、それに酸素も必要なんだ。
大気はそれを与えてくれる。
もちろん地中からも受けている。
酸素は夜休むときには人間や他の動物同様に俺たちにも必要なんだ。
俺たちは、さっきお前さんたち人間をはじめ動物たちに酸素を与えている。
地球に動物が発生したのも、
もとは俺たちの先祖がそれを放出したから今日の動物があるんだ。
恩着せがましいようだが、それが事実だ。
ところで、俺が言いたいのは、はじめに言ったように、
大気のありがたさについて俺たち植物はいつも意識的に神さまに感謝している。
だがお前さんたち人間は大気・空気を授けてくださった
神さまに手を合わすようなことはまずないね。
俺から言うのもおかしなことだが、
俺たち植物が酸素を与えていることすら知らない人間もいる。
理屈の上では知っていても感謝の気持ちなどさらにないのが普通のようだね。
こういうありさまだから、平気で空気を汚したり、植物をいじめたりするんだ。
最近極度にそれがひどくなってきたようだが、お前さんどう思うかね」


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前述の通り、知花氏は水で苦しい思いをしたが、
水がなければ人間も植物も生きていけず、その空気中にも水分が含まれている。
また、二酸化炭素は有害(悪)というイメージがあるが、
植物はそれを利用し、そして自然界に酸素を供給している。
空気の大切さが分かれば、酸素を生み出す植物の大切さ、
植物を育む太陽・月・大地・水の大切さ…………

総ては循環していることが分かるということだが、
「止息の行」をすれば空気の有り難さを実感することができる。
知花氏は止息によって宇宙意識に到達したということだが、
ドクター仲松も毎朝プールに潜って酸欠になることでシータ波になり、
その時に発明のインスピレーションを受けるという(笑)

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それはともかく、釈迦はあらゆる呼吸法を試し、
最終的にアナパーナ・サティ呼吸法に辿り着いたという。
それが、釈迦が悟りを開いた時の呼吸法である。
もちろん、アナパーナ・サティ呼吸だけで悟りを開いたわけではなく、
ヴィパッサナー瞑想による内観で悟りを開いたと言われている。

ヴィパッサナー瞑想を伝道するテーラワーダ仏教協会では、
アナパーナ・サティ呼吸法も排除して否定しているが、それは正しくない。
そのように言うと、「正・誤の二元の概念を持っているではないか」
と突っ込む人もいるかも知れないが、
獣はその二元の概念を統合した中真の視点で述べている。
また、いちいちそのようなツッコミを入れられると、何も書けなくなる。

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獣が言いたいことは、アナパーナ・サティ呼吸をした上でヴィパッサナー瞑想をし、
アナパナサチ呼吸をヴィパッサナー瞑想(実況中継)すれば、
効果は飛躍的にアップするということである。
スマナサーラ長老の元弟子で、テーラワーダ仏教協会の創立者の鈴木一生氏も後に、
「アナパナサチを排除する考えは間違っていると思うようになった」と語っている。

氏はテーラワーダ仏教協会から退いたが、その理由は明確にされていない。
獣が思うところによると、スマナサーラ長老はまだ真我に到達しておらず、
しかも日本に住んで欲ボケしているようである。
それでスマナサーラ長老から離れたのだと思われるが、獣の世界では、
スマナサーラ長老も獣の投影なので、本当に自分という存在は厄介である^^;

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さて、肥田式腹式呼吸法は、アナパーナ・サティ呼吸法を
数十分間続けたくらいの効果を、僅か3回の呼吸で得ることが可能で、
肥田式の後にアナパーナ・サティ呼吸を行えば、非常に効率が良いのだ。
また、普段からアナパーナ・サティ呼吸を意識して行なっていれば右脳と左脳が統合し、
日常的にアルファ波〜ミッドアルファ波の状態で過ごすことができるようになる。

即ち、雑念が少なくなり、感情に振り回されることもなくなり、
ネオデジタル思考がしやすくなり、頭脳レベルではない深い種観霊が、
瞬間的にできるようになるということである。
また、中真感覚の根幹は恐らく正中心なので、
その意味でも腹式呼吸を習慣にすることは非常に良いことである。

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肥田式腹式呼吸では、呼吸停止は「3秒」と定められている。
それは、腰を反らすことによって最大限に空気を吸い込むからで、
また、限界まで吸ったら少し息を洩らして、
更に吸い込んで限界の限界まで空気を吸い込むからである。
その状態で3秒以上も呼吸を止めると、
体に大きな負担が掛かって逆効果になるからである。

つまり、息を吸い込んだ状態での長い呼吸停止は、
正しい呼吸法ではないということである。
従って、肥田式腹式呼吸では3秒間の呼吸停止、
獣式アナパーナ・サティ呼吸法でも3秒間の呼吸停止である。

天人合一に至る「肥田式腹式呼吸法」
http://japan666.seesaa.net/article/143594110.html
悟りを開くアナ・パナ・サチ呼吸法
http://japan666.seesaa.net/article/180149579.html

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本題に入ってからも前置きが長くなったが、ここからが本題の核心である。
グローバルクリーンの浅井敏雄氏は次のように述べている。

【意外や意外!呼吸は浅く、ゆっくりする方が長生きできる】
    
今まで呼吸は深く、長い方が健康にいいと考えていました。
しかし、最近、呼吸は浅く、ゆっくりする方が
長生きできるという情報を得てビックリしてしまいました。
そして何度もOリングテストを繰り返しテストしてみました。
何度やっても呼吸は浅く、
ゆっくりする方が長生きできる方に正解が出てしまうのです。

何故、このような常識に反する答えが出るのでしょうか?
おそらく人間一個人が一生の間に
呼吸する量が決まっているのではないかという結論です。
人間一個人が一生の間に食べる量は
生れてから決められているという説があるのはご存知ですね。

行動はゆっくりする方が長生きできるという説も人間一個人が
一生の間に動かせる心臓の鼓動の数が決まっているということになります。
このことから長生きする秘訣が分かってきます。
行動はゆっくり、呼吸は浅く、ゆっくりと食べる量は
できるだけ少なくしていくのが最も長生きできるということになります。

人の何倍も食べ、激しい練習をする相撲取りやプロレスラー、
プロスポーツ選手が非常に短命だという話しは聞いたことがあるでしょう。
激しく呼吸し、激しく心臓を使い、たくさん食べるスポーツ選手は
いかに身体を酷使しているか理解できますか。
それでもオリンピックで金メダルを取る為に、
大会で勝つ為に日々激しい練習に耐えているのです。
金メダルという栄光だけの為に身を削っているのです。

それもその人の生き方、生きがい、人生観ですからいいと思います。
金メダルを取る為に一生分の呼吸量、
心臓の鼓動回数の半分近く使ってしまうことになるのでしょう。
もちろん運動選手の中にも長生きする人はいるでしょう。
それは生まれた時から与えられた『持ち寿命』の差から来るものでしょう。
一生の間に食べる量や呼吸量、心臓の鼓動数が初めから決まっているとしたら
あまりも不公平で非科学的だと考えられると思います。

『持ち寿命』は生れつき不公平です。ある意味では公平です。
見えない世界の法則が分かっておればの話しです。
それは先祖の徳積みの差 によるものです。
何をどれだけ食べても、激しい運動をしても長生きできるのは
その人の持って生まれた徳の貯金がたくさんあったからでしょう。
強運の運勢を持つ人はそのような人です。

この徳の差は生まれた後ではどうしようもないように考えられるでしょう。
しかしこの 宿命に近い運勢を変えることができます。
より大きな公的目的の為に貢献することです。
自分や家族以外の地球や世界の為に何か尽くすことで
短期間で徳を積むことができます。
誰にも言わず、自慢せず陰で黙々と尽くすのを陰徳といいます。
自慢してしまうとその徳分は消えてしまうというのですから
不思議な見えない世界の法則ですね。
人が見ていない所で世界の為に尽くすことが必要になるのです。

自分のことだけ考えている人はいつまでも運勢を強運に変えることが出来ず、
一生健康になれず長生きできないという事になります。
定年後の人生を何をしようか迷っている方、
世界の為、地球の為に何か行動して下さい。
間違っても隠居生活で趣味に生きるとか、旅行だけするとか、
海外でのんびり過ごすとかして、大切な晩年を無駄にしないで下さい。
地球の為にやるべきことが山積みしているのに気づかずに過ごした
無駄な60年の人生を反省して生き方を変えていきましょう。


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5年程前にこの記事を読んで、獣には信じることが出来なかったが、
一情報として保存しておいた。
そして最近になって、自分の体験からそれが事実であることが分かってきた。
但し、絶対的な真実でもないので注意して頂きたい。

現代人は姿勢の悪さなどにより、浅い呼吸で腹式呼吸が出来ていない。
それによって、脳や全身の細胞が慢性的な酸素不足になっており、
それも病気の大きな要因となっているのだ。
実際に、寝たきりの病人ほど呼吸が浅いという事実がある。

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そこで、10年程前から酸素カプセルなどが流行っていて、
病気回復の体験談などもよく聞いてきたが、
いつもこんな所に入っていたら大量の活性酸素が発生し、
結局は病気や老化を招く結果となる。

それはともかく、深い腹式呼吸で酸素を取り入れる事は
心身ともに好影響であることは常識であり、
マウスピース「快快」の絶大な効果(個人差あり)も
脳に酸素が送られることが大きな要素となっているそうだ。

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また、深い呼吸(腹式呼吸)が脳波をアルファ波〜シータ波にし、
瞑想状態に導いて自我を鎮静化させることも事実であり、
普段から腹式呼吸を意識して生活することは大切だと言える。
むしろ、浅井説のように、浅い呼吸を意識して生活していると、
かえって病気を招きかねないと言っても過言ではない。

ここでも、酸素は「善」でも「悪」でもあることが分かるが、
その二元を統合して超越するという意味がお分かり頂けると思う。
酸素を「善」、二酸化炭素を「悪」という捉え方も同じで、
二酸化炭素がなけれは植物は育成せず、酸素がつくられない。
また、空気中の二酸化炭素も、多くても少なくてもならず、
最適な比率で含有されているのである。

速くて浅い呼吸は最悪である
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浅い呼吸は病気を招くと言ったが、それを覆す浅井説は事実でもある。
つまり、良い意味で呼吸が浅くなるのは、
アルファ波のリラックス状態を超えた結果だと言えるだろう。
それは、獣の体験を見てもらえば理解できることと思う。
結局、意識的に浅い呼吸をするべきではないということだが、
「ゆっくり呼吸をする」という点では共通している。

ゆっくりと深い腹式呼吸を習慣にするのが望ましいが、
深い意識状態になると肉体感覚の低下に伴って、
呼吸も浅くゆっくりとなり、
肉体感覚が消えると殆ど呼吸をしなくても良くなるのだ。
それは危険でも不健康でもなく、最も理想的な状態だと言える。

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さて、肥田式強健術の継承者である佐々木了雲氏によると、
「息を吐き切った状態で限界まで呼吸を止めると体に良い」という。
獣は肥田式強健術の本を4冊持っているが、そのような記事は見当たらない。
だが、そのような春先の文献が残っているそうで、
一説によると、釈迦も同じことを説いていたという。

何故それが健康に良いのかメカニズムは明らかにされていないが、
獣の見解では、断食で一時的に細胞を飢餓状態にすると
長寿遺伝子がONになるのと同じで、呼吸を吐き切った状態で呼吸を止め、
一時的に細胞を酸欠状態にすることに意味があるように思われる。

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獣が昔「止息の行」をしていた時は、目一杯の息を吸い込んだ状態で
限界まで息を止めていたので、物凄く体に悪いことをしていたようだ。
感覚的には、血液が逆流して心臓が破裂しそうになり、
脳の血管が切れまくっているという感じで、
何度も意識を失って倒れていたことを思い出す。

息を吐き切った状態で呼吸を止めるのは10秒くらいが限界だが、
1日1回でも行うと良いだろう。
もちろん、1日何回行なっても良いと思うが、
獣は起床時と就寝前に「肥田式腹式呼吸」を行ない、
3回目の呼吸を終えた時に約10秒間の呼吸停止を行なっている。

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それからアナパーナ・サティ呼吸をしながら超越瞑想に入り、
無我の境地の後にインナートリップ(体内離脱)するのだが、
その時、呼吸はほぼ止まっているに等しい状態のようである。

「呼吸を止めて他界せよ」とは、そういう意味である。
だがそれは睡眠と紙一重でもある。
レム睡眠の時、脳波がシータ波になって夢を見るが、
体外離脱や体内離脱による異世界探訪もシータ波の時に起こる。
ただ、後者の場合は「覚醒シータ波」と呼ばれるものであり、
寝て夢を見ているのとは異なる。

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そしてノンレム睡眠では、睡眠が深くなるにしたがって
脈拍数と呼吸数が減少し、規則正しく深い呼吸をしているという。
深い呼吸ということだが、それは基準の問題であり、
腹式呼吸をしているのではないだろうから「浅い呼吸」だと言える。

ノンレム睡眠になると脳波はデルタ波となるが、
呼吸が止まってしまうこともあるという。
これは睡眠時無呼吸症とは違って、眠りが深い為で、
普通の人でも一晩に2〜3回は起っているそうである。

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確かに、瞑想中に眠ってしまうこともよくあるが、
あくまでも起きている状態で睡眠の世界に入るのが瞑想の極意なのだ。
しかも、幽冥界を彷徨うような一般的大多数の睡眠ではなく、
高次元の世界を体験するのだから、
その為にも日常と就寝前の内観(幽体意識の浄化)は不可欠なのだ。

また、1日は一生の雛型で、睡眠は「死の予行練習」なので、
睡眠は瞑想の延長でなければならない。
眠いという欲求で、寝ることが目的の睡眠では何の「行」にもならず、
三大本能が与えられていることの意味を見い出すことはできない。

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瞑想や呼吸法によってエネルギーを取り入れ、
究極的には睡眠も不要になり、三大本能を完全に超越した暁には、
人間は呼吸をせずに生きていくようになるのかも知れない。
これも獣の超人進化論だが、意識進化によって真我に目覚め、
その延長で自然にそのような超人になっていくわけだが、
そうなる為の努力もした方が良い。

「なることを目指す」「努力」というと信念体系領域だが、
それはまた少し意味合いが異なる。
もりけん氏が体験した道教の仙人修行でも、
「なることを目指さない」「努力をしない」「戒律なし」
というのが基本で、幽界(信念体系領域)の修行ではない。

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実際にもりけん氏も、それで6次元の天人合一を体験したそうだが、
それは仙人になることを目指し、
食にも戒律があり、瞑想をするという努力は避けられない。
『日月神示』でも戒律が戒められているが、戒律を戒めるのも戒律であり、
その他、食や色、心の持ち方や生き方について様々な戒律が示されている。

「目標」「努力」「戒律」と言っても、
3次元(人間界)や4次元(幽界)のそれと5次元(神界)のそれとでは、
文字通り次元が違うので意味合いも異なるのだ。
念の為に述べておくが、
三大本能を超越して呼吸も止めて生きることが目的ではない。

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三大本能や呼吸は意識進化の為に与えられているものであり、
その歓喜を高次元のものに昇華し、その結果が超人進化である。
今回の記事で提案した「呼吸停止」も、
その為の1つの手段・プロセスとしての健康法だということである。

尚、呼吸停止の後は苦しさのあまり、一気に息を吸い込むことになるが、
あくまでも鼻から吸って口から吐くことを忘れてはならない。
それは呼吸法の基本だが、
何故それが基本なのかを明確に説いている人を獣は知らない。

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獣の見解だが、普通に口呼吸をしていると口の中や喉が乾燥し、
口から異物を混入する恐れもあるので良くない。
鼻から吸えば鼻毛がフィルターとなり、脳への酸素供給量も増加し、
口から息を吐くと体内の炭酸ガスや邪気を吐き出す効果が大きいと思われる。

ところで、息を吐き切った後で限界まで呼吸を止めて、
本当に大丈夫なのか……と心配する人も少なくないと思う。
そこで今、検索してヒットした情報を紹介しておきたい。

生命活動の基本は呼吸なので、呼吸が最も大切だとも言える。
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右脳コラムI〜息を止めると脳が活性化する?

脳を活性化する裏ワザは・・「息を止める」ということにあった!
・・と言ったら、きっとびっくりされるのではないでしょうか。
しかし、これはどうやら、脳の生理学に基づいた本当の話のようなのです。
そのメカニズムというのは、息を止めると脳は酸素が減少していると錯覚し、
頚動脈が大きく開いて、多くの血液を脳に運びます。

それによって酸素を含んだ血液が通常以上に脳にいきわたる、というもの。
どうやら脳は、息を止めることで血液中の二酸化炭素が増加すると、
「酸素の在庫が減ってきている」=「生命の危機」と解釈し、
血管を広げ、血管網を濃密にし、
脳に酸素がいきわたりやすくするよう命令を出しているようなのです。

右脳教育・右脳学習の第一人者である七田眞先生は、
ご自身の著書「七田式右脳全開催眠法」(文芸社)の中で、
呼吸法の真髄について以下のように述べています。

「呼吸法を行う上で最も大切なポイントについては、
あまりふれられていません。
息を吸う、吐く、の間に"止める"ということが肝心なのです。」
また、「止息(息を止める)状態でイメージしたり想像したことは、
その通りになります。人は呼吸によってエネルギーをととのえています」
とも述べています。

息を限界まで吸い、いったん止める(止息する)。
そして、息苦しい限界まで我慢したら、身体の悪いものが吐く息と共に
外に出て行くことをイメージしながら、ゆっくり、ゆっくりと、息を吐く。
吐ききったら、また限界まで息を吸い、止息する。
これを繰り返すことによって、通常以上に脳に酸素がいきわたり、
脳が活性化され、天才的なイメージや発想が湧き出てくる・・。
う〜ん・・。これは今までにない、
しかし簡単にできる、画期的な脳力開発法かもしれません。

また、これに関連したエピソードで、フロッピーディスクやカラオケ、
ファクシミリなどの発明品を世に送り出した天才発明家・
ドクター中松こと中松義郎さんは、プールに飛び込み、
できるだけ長く水にもぐって、
もう限界というところまでくると水面から顔を出すという方法によって、
世界的発明の基となる様々なインスピレーションを得てきたといいます。
ご本人はこれを、「死ぬ寸前までもぐる」と言っていたとか。(笑)
これも脳の生理学に則した、理に適った発想法だったといえるのでしょう。

http://unou-tore.livedoor.biz/archives/823258.html#

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ドクター中松が息を吸ってから水に潜っているのか、
息を吐き切った後に水に潜っているのかは定かではないが、
七田眞氏の話は息を吸った後に止める話である。
だが、これは限界までやってはいけないというのが今回の話である。

では、息を吐き切った後に止めるのは、本当に健康に良いのだろうか。
そう思う人もいるだろうし、獣も自信を持って断言できる訳ではない。
そこで、もう少し検索を続けていると、次のような記事が出てきた。
http://www.genki-dou.net/sinjuku-sakebu/self/sleep2/

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頭がスッキリする、脳呼吸法!

1.普通に息を吸って、ゆっくり吐きます。
2.吐ききったら5秒我慢
3.ゆっくり息を吸います。呼吸は普通に戻します。


これは「整体の匠が新宿で叫ぶ!」というブログからの抜粋だが、
「息を吐き切ったあとに5秒間止める」というのがポイントである。
もちろん、我慢には個人差や訓練の成果もあり、秒数は関係ない。
あくまでも、自分が限界だと思う秒数が好ましいと思われる。

上記ブログより
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尚、睡眠時の呼吸を考えると、木枕も使用するのが理想である。
http://japan666.seesaa.net/article/123031294.html

それでは、まず今、腹を凹ませながら息を吐き切って、
限界まで呼吸を止めてみて頂きたい。
posted by ZERO at 22:51| Comment(2) | 瞑想と祝詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
インドでは瞑想中に呼吸を忘れ死んだ方がいらっしゃいます。
大丈夫だとは思いますが、気をつけてください。
Posted by tata at 2012年08月04日 00:22
日本でも睡眠中に呼吸を忘れ死んだ方が数多くいらっしゃいます。
起きている時に突然死する人も数多くいらっしゃいます。
大丈夫だとは思いますが、気をつけてください。
Posted by 獣 at 2012年09月02日 19:37
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