2012年05月29日

汝、大好物を満腹になるまで食べよ!

冨田哲秀氏が説く「みどり玄米7号食」では、
食べる量に制限はなく、好きなだけ食べて良いので、
空腹感に苦しむことなく実行可能とされているが、
それでは効果が半減することになる。

冨田氏は「人間の煩悩の原因は食にある」と気づいたそうだが、
それは食事内容だけではなく、食事量も大いに関係しているのだ。

大科学者だったエマニュエル・スウェデンボルグが、
霊界探訪をするキッカケとなったエピソードを紹介しよう。

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食事を済ませた私は、今夕は、やや食べ過ぎたかなと思いつつ
フォークをテーブルに置き、くつろいでいた。
不思議な経験はこのとき起きたのである。
私が食事をとっていた部屋の床面いっぱいに、
蛇やガマガエルなど気味の悪い生き物が突然湧いてでた。
私は気も動転するばかりに驚いた。

だが、しばらくするとこの気味の悪い生き物の姿は消えてなくなり、
それまで一度も会ったことのない異様な雰囲気を漂わせた人物が現れた。
彼は私に告げた。

「汝、あまりに食を過ごすなかれ」

その人物は、私にこれだけいうと私の視界からかき消すように消え、
その後には雲や霞のようなものが部屋中に漂い、私もその中に包まれた。
そしてすぐ雲や霞も消え、私は前のように部屋に一人いる自分を発見した。
私は急いで宿に帰った。宿の主人には何も話さず自分の部屋にこもって、
今の奇怪な経験について考えた。
私は体や心の疲れか何かの変調のせいかと考えてみたが、
そんなことでないのは私自身が一番よく知っていた。


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カエルを使い、煙玉で姿を消す……まさに忍者のようだが、
スウェデンボルグの前に現れた謎の人物は何者だったのだろうか……。

普通は「霊」だと思う人が多いだろう。
だが、霊視をして霊と対話したという感じでもなく、
現実に肉体として現れたような印象を受ける。
その手掛かりとなるのが「雲」や「霧」である。

いわゆる「神隠し」と呼ばれる現象に共通しているのは、
霧に包まれて肉体が消滅するということだ。
どこに消えるかと言うと「亜空間」である。
つまり、スウェデンボルグの前に現れた謎の人物は、
亜空間に棲んでいる仙人のような存在だったのだ。

最初に現れた蛇やガマガエルは、
その人物がスウェデンボルグに見せた一種の幻だと思われるが、
それによって何を伝えようとしたのか。
「汝、あまりに食を過ごすなかれ」と忠告した通り、
貪欲は気味の悪い生物のような心であるということなのだ。

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肥田式強健術の「真食養」には3つの要件があるが、
まずその2つを載せておく。

【第1要件】

その質の正しいことである。
その食物の質が、人間を構成する各種成分を完備したものであると同時に、
それが新鮮であり、完熟したものであることを要する。


みどり玄米は早熟で刈り取った玄米なので、
第1要件に適っていないが、みどり玄米の場合は特例だと言えるだろう。

【第2要件】

分量を適度にすることである。
過少なれば成分欠損となり、過剰なれば消化機能の過労を招くことになる。


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この「分量」について、『鉄人を創る肥田式強健術』から引用したい。

春充は18歳の時、奮然として体格改造に志した。
そのとき、ユージン・サンドウの次の一句に出会った。

「健全なる生活を為すには、節制に如くはなし。万事万端、節制にせよ」

春充は、世界的体育家の言葉として、これに多大の関心と、
敬意と、信頼とを払い、努力してその趣旨を守ろうと決意した。
これが、春充が生まれて初めて食物に対して注意を傾けた発端である。
「節制」とは、いうまでもなく、控え目のことである。
食べすぎないようにと、初めはそれだけの注意をするようになった。

それから間もなく、ボクシングに関する書物を読んで、
ボクサーが試合の前3ヶ月間は酒も煙草も茶も菓子もやらないと知った。
試合前にやめたほうがよいようなものは、生涯やめたほうがよいと、
酒と煙草は元からやらなかったけれども、
茶と大好きであった菓子とは、断然これを禁止してしまった。

自分の好きな、うまそうな菓子を前にして、
襲いくる食欲と戦うことは、最初かなり苦しいことであったらしい。
それだけに、自分の体育のために、
これに打ち勝つ楽しみと、誇りとを感じたともいう。

習慣の力は恐るべきものである。
春充は、これは自分の体にはいけないものだと思ったら、
だんだん嫌になって、見るだけで不快感を覚えるまでになった。
いかにも窮屈な、無味乾燥な生活のように思う人もあるだろうが、
不自然な欲求をほしいままに、われとわが身を破ることもないと思う。

春充が強健術練修から体験した生理的変化の最も著しいものは、
自然と少食主義になったことであるという。
人間に食欲のないことほど、不愉快なことはあるまい。
食欲がないと、自然美味を求める。
美味を得ても、なお食欲を呼ぶことができない。
ただ体力を失ってはならないからと、
強いて義務的に食を摂れば、かえって消化不良を起こして胃腸が弱る。
その結果、精神が憂鬱になって、何をしても活力がない。
力が早く消耗する。すべてに倦怠を感じる。

胃腸に無用の負担をさせることは、天理に背く。
食欲がないのは、絶食して胃腸を休養させろという生理上の啓示である。
それを健胃剤をとって、無理に胃を刺激興奮させて食物を詰め込み、
さらに消化剤で疲馬に鞭打って消化させようとし、
グリセリンや食塩水などで浣腸するのはまだしものこと、
果ては峻烈な下剤まで飲ませて、不健全な胃腸に非生理的な
蠕動運動を起こさせ、無理に食べた物を排泄させてしまう。

手数をかけて、自分で自分の胃腸をますます苦しめる。
なんという馬鹿げたことだろう。
食欲がなかったら、天理に従ってただ食べずにさえいればよいのに……
小利巧な人間たちは、そんな簡単な、あっさりした方法は、
あっけなくて守ることができないのだ。

これは胃腸の問題のみではない。
人事万般の文化生活の多くはこれに類するものだ。
簡単、あっさり、それで心身ともに健全、それこそありがたいことなのに、
その単純な方法が気に入らず、守れないとは、なんと気の毒なことか。


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酒も煙草も茶も菓子も摂取しないに越したことはないが、
これらは嗜好品なので、今のところ否定することを避けるが、
あまり戒律的になって急激な食事改革はしない方が良い。

好物の肉や魚、油料理などが食べられず、
粗末な食事を腹八分で我慢して、酒や煙草やお菓子などの嗜好品も断ち、
不満や欲求不満を抱えながら生活していると、
「フィンランド症候群」になることになる。

フィンランド症候群とは、健康の為に食事制限を強いられた人々が、
好き放題の邪食をしている人々よりも病気の発症率が高く、
平均寿命も短かったという実験結果による「ストレス病」のことである。
無理な食事改革で「ポジティブな世界」に行けないのは道理である。

プラシーボ効果とノーシーボ効果とフィンランド症候群
http://messiah666.seesaa.net/article/227781885.html

但し、「10日間の7号食」などの一定期間の食事改革中は、
可能な限り、厳格に実践した方が良いだろう。

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春充は、「これは自分の体にはいけないものだと思ったら、
だんだん嫌になって、見るだけで不快感を覚えるまでになった」
ということだが、合気道の創始者・植芝盛平も肉を見て気分が悪くなり、
3日間くらい食事ができなくなったという。
晩年の王仁三郎は、顔の魚を見ても、惨たらしくて食欲を失ったという。

かつての獣も、食事改革を始めた頃、
肉や魚介類を我慢するのは葛藤で、嫌いになる努力をしてきた。
殺された動物の死体は気持ち悪いものだ……
肉だけ見れば人肉と同じだ……と言い聞かせ、
スーパーなどに買い物に行っても、
肉や魚のコーナーを通ると気分が悪くなり、
生臭いニオイも不快で近づけなくなった。

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だがそれは、「健全な精神」ではない。
肉を好むのも嫌うのも不健全な精神であり、
ニュートラルになれば好き嫌いを超越し、嫌な感情も湧かなくなる。
今まで好きだった物が、見ただけで気分が悪くなるのは、
潜在意識にそのような観念をインプットしたからで、
それは悪想念以外の何ものでもない。
「気分が悪くなる」ということ自体が悪想念であり、
それを見て気分が悪くなるのも自分の潜在意識の投影なのだ。

もちろん、人間には「快」「不快」があるのは当然で、
だからこそ、中真(ニュートラル)になれば、好き嫌いという観念ではなく、
好き嫌いを超越した上で「快」「不快」によって、
自分に適した正しい食物だけを食べるようになるのだ。

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肉は気持ち悪くて気分が悪く、見るのも嫌だから食べないのではない。
自分にとって、不快で不適切だから基本的に食べないだけであり、
状況によっては感謝して食べることもある。
それは去年の御用での葛藤であり、中真を極める為の修行だった。
釈迦は出された食事に人間の指が入っていることに気づいたが、
それを冷静に食べたという逸話があるが、それが中道である。

知人の家で料理を出されたり、料理屋に接待されたりした時、
「この味噌汁はカツオの出汁が入っているから飲まない」
「この料理にはミンチが入っているから食べない」
「このデザートには白砂糖が使われているから食べない」
「酒はやめたから飲まない」と言って、
厳格な戒律を貫くのは素晴らしい反面、意固地で偏屈でもある。

それは「不健全な精神」であると同時に、
仙人界(戒律のある幽界)に通じるものである。
但し、「少しくらいなら……」と思って自分を甘やかし過ぎると、
それが当たり前になり、徐々に邪食の機会が増えていくようになる。
従って、基本的に家では厳格な食生活をすることが望ましい。

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わが胃を貴しとすれば、たった一口、たった一箸の物も残せ!

瞬間的な口腹の欲を満たして、不愉快な重々しい気分でいるよりも、
有害な多食をやめて、四六時中、身も心も晴れ晴れと輝かしくあったほうが、
どれだけ楽しいことだろう。
それが分かったら、わが身を破るような不摂生など、
ばかばかしくてできないではないか。
だから春充は、捨てたって余計な物など食べなかった。
酒好きの客に家人がビールを出して残る。
春充はどしどし捨てさせる。
捨ててもそんなものは摂らないのだ。

それを世間では、「もう少しだから片づけてしまおう」だの、
「ほんの少しだ。置くと悪くなるから」だのと言って、
もう満腹なのにさらに食物を詰め込む者がある。
これらは生命身体を養う貴い胃を掃き溜めと同一視するわけであって、
不届き極まることだ。
春充はたった一口、たった一箸の物でも、余計な物は残したのだ。
知らない者は、「それだけの物を」という。
春充はそれだけの物よりも、わが胃を貴しとしたのだ。
頑健無比な胃腸をもっていた春充でさえ、厳正な注意をしたのである。
いやこんなに厳重にするからこそ、彼の胃腸は頑健無比だったのである。

春充の胃腸はどれだけ強いのか、分からないと思われるほどだったという。
彼の少食は自然にそうなったのであり、
それで十分だから摂らないというまでのことなのである。
だからたまに遠い親戚や友人が訪ねてきてご馳走するときなど、
春充は3人分くらいを平気で平らげて、けろりとしていた。
しかもどしどし消化して、1時間もすれば何も入っていないようだという。
歯も立たないような、硬いタコの煮たのを、
大皿へ山盛りに盛ったのをまたたく間に食べてしまっても、
食べる底から溶けていって、どこへ入ったか分からないくらい、
2度、3度と立て続けに食べても何のことはない。
春充のこうしたエピソードは数多くあるが、
食養にしても一定の固定観念にとらわれるのではなく、
柔軟な姿勢をもって望むことが大切だろう。
壮年者は時に満腹になるまで食べるのも、胃を丈夫にする上でよいことだ。


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体にいけないものだと思ったら、見るだけで不快感を覚えるまでになり、
自然に玄米菜食の少食を好むようになった春充も、
客人が来た時には山盛りのタコを平らげたということは、
この時の春充はニュートラルになっていたということである。

獣はもともと魚介類も好物で、タコやイカも好きだったが、
タコやイカを食べると腎臓の糸球体を詰まらせるという。
また、単なる肉体上の健康の問題だけではなく、
「殺生の罪」や「意識の堕落」という問題がある。

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それで、タコやイカを嫌いになる努力もした。
急激に食物菜食の少食き切り替えたので、
我慢するのが大きなストレスだったからだ。
タコやイカは足が8本も生えていて、気持ち悪い生物である。
タコは蜘蛛に似ているから気持ち悪い……
生きているタコやイカを見たら、触りたくもないし、見たくもない。

また、足が何十本も生えた奇形のタコやイカ、
巨大化したタコやイカの写真などを見て、
「タコやイカは気持ち悪い」という観念を潜在意識に植え付けていった。
生きている普通のタコやイカでも気持ち悪いのに、
その死体を食べるなんて精神異常の極みである。
そう言い聞かせて、タコやイカも嫌いになって食べたくなくなった。

また、肉や魚を「人間」だと思えば食べる気も失せるだろう。

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『日月神示』には次のように示されている。

「遠くて近いものひふみの食べかたしてみなされよ。
運開け、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。
そんなことくらいで、病治ったり、運開けるくらいなら、
人民こんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの」


遠くて近いものはと、人間から遠い性質の食べ物、
つまり「穀物」「野菜」「果実」の類で、
近い所で採れた地元産のものを摂取するという意味である。

いわゆる「身土不二」の原則で、人間はその土地のエネルギー・
波動と一体である為、その土地で採れた食物を食べるのが良い。
だが、これはなかなか難しいので、国産であれば良いだろう。
また、「外国産は絶対に口にしない」という拘りは良くない。

さて、人間から遠い性質の食べ物は「快」であり、
人間から近い性質の食べ物(動物性食品)は「不快」である。
それが感じられないのは心身が不健全だからである。
あの世でも、肉食をするのは幽界や地獄の霊たちだけで、
高級霊は野菜や果実を食べるか、不食で生活しているという。

それは当然のことだと理解できるだろう。
冷静に考えれば誰にでもわかると思うが、
肉食をするのは異常なことである。
それを多くの国民が喜んで食べる時代になっているのは、
まさに終末の様相であり、また肉食が世界の諸問題の根源であり、
日本を破滅に向かわせている大きな原因なのだ。

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『日月神示』などが肉食を烈しく戒めている通りだが、
肉食が異常な行為であり、大きな罪であることが理解できるだろう。
また、肉を食べてもすぐに病気になったり死んだりしないが、
何一つ有益性のない有害な毒物であることは確かである。
食べれは確実に腸の中で腐り、無数の善玉菌を殺すことになる。

毒キノコを喜んで食べて食中毒で苦しむのは愚かだが、
それと全く同じことだと思えば良い。
「人間の食べ物ではない」「毒物だ」という強い自覚が必要だ。
狂牛病や鳥インフルエンザなども、人類への警告である。
それらによって肉の消費が強制的に減らされているのだ。
また、新型インフルエンザのパンデミックの脅威も懸念されるが、
動物性タンパク質を摂っている人は真っ先にウィルスに冒される。

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だが、それらの観念も凝り固まると、それも「異常」となるのだ。
実際、たまに多少の動物性食品を摂っても大きな問題はない。
市販のカレーのルーにも肉のエキスや脂が入っている。
また、たまにタコやイカを食べたところで害など殆どない。
だから、居酒屋で「たこわさ」や「イカの塩辛」が出てきたら、
非日常的な味覚を楽しませる為に食べることもある。
だが、普段は家ではそういうものは一切食べないようにしている。

まず、買わなければ食べる必要もないし、食卓に置かれていても
「自分とは関係ない」と思えば食べたいとも思わない。
少しくらい食べても問題ないと思うが、特別に必要とは思わないし、
たまに居酒屋で少し食べた時も「美味しい」という気持ちが半分で、
あとの半分は「不快」と「罪悪感」である。

もちろん、想念の浄化に努めているので悪影響はないが、
頑固一徹に戒律的な玄米菜食をするのではなく、
TPOに応じて多少の肉や魚介類を食べれるような
「柔軟な精神と肉体」を養う必要がある。

柔軟とは、中真・中道・ニュートラルで「健全」ということである。
「嫌いになれば食べなくても済む」という考え方は、
真の意味での「食事改革」ではなく、「ポジティブな世界」からも
離れてしまうということを根本原理として理解して頂きたい。

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本題に戻すが、気功術の佐藤金兵衛氏は、
「腹が減っていない時には食べるべきではない」
と言っているが、それは当然のことである。

昼食の時間だから……夕食の時間だから……と言って、
体が食事を要求していないのに食べるのは、
明らかに自然の摂理を無視した愚行である。
病気の時に食欲がないのも、絶食で排毒しようとしているからだ。

そこで、「しっかり食べて栄養を摂らなければ」
と言って、無理に食事をするのは愚の骨頂である。
デトックスできないどころか更に毒素を取り入れ、
自然治癒力に働く酵素が消化活動に使われることになる。
動物は具合が悪くなると何も食べずにジッとしているが、
それが正しいのである。

「空腹でなければ食べない」
「食事中に満腹になれば残す」


という二大原則を守ることが、基本中の基本である。

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『日月神示』にも「食べ物大切にせよ」と説かれているが、
食事を残すことは、食べ物を粗末にするという見方もできる。

だから、無理してでも残さず食べる……
これも人間的には尊い考え方かも知れないが、
本来、自然界には食物が無尽蔵に存在し、
人間や動物が食べる量は全体の極一部であり、
「空腹を満たしたら、それ以上は食べない」というのが自然の法則である。

幼い頃、食事を残した時に
「世の中には食べたくても食べられない人が沢山いるのに贅沢を言うな」
と怒られたこともあるが、それにつけても全く理論が通っていない。
食べたくても食べられない人が沢山いるなら、粗食にするべきである。
食べられない人の代わりに過食をするのは、明らかに間違っている。

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「残さずに全部食べろ!」「腹いっぱい食べろ!」と言うのは、
「病気や不幸になって早く死ね!」と言っているのと同じである。
早死にするだけなら大した問題ではないが、
満腹になるまで食べると意識レベルが下がることが問題なのだ。
それは単なる肉食の健康や寿命、今生における運命だけではなく、
魂と宇宙の問題だからである。

「今、食べておかないと後で腹が減る」という人もいるが、
「今は今」「後は後」である。
食べ残しは「もったいない」という観念もある。
食事を破棄することになるからだ。
だが、自然界を見れば、多くの植物や果実が、
人間や動物に食べられずに終わっている。

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「土に還元されるか」「生ゴミとして破棄されるか」という違いはあるが、
自然界の法則からすると、満腹になれば食べ残すのが正しい。
極端に考えれば分かるが、100人前の料理を出されたらどうだろうか。

全部食べなければ罰当たりだと言われても、無理なものは無理である。
それと同じで、満腹になれば、それ以上食べることは邪道であり、
満腹なのに無理して残さず食べることこそが「罰当たり」な愚行なのだ。

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満腹になったら食べないというのは基本中の基本の絶対条件として、
最初の課題は腹八分にすることである。
九分や八分や七分や明確な違いは分からないと思うが、
苦しくなるまで食べないことが絶対的な最低条件だということである。
つまり、「少食を実践しよう」ということは、特に思う必要はないのだ。

だが、食事改革は少食になっていくということが原則である。
「時に満腹になるまで食べるのも、胃を丈夫にする上でよいことだ」
という話があったが、計16日間の7号食を実践中の人は終了後、
少し食事改革をしている人もしていない人も、
一度、大好物を腹いっぱい食べれば良い。

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肉が好きなら肉だけを、魚が好きなら魚だけを、
ケーキが好きならケーキだけを大量に食べてみればいい。
もちろん、雑食でも良いが、吐きたくなるまで食べることだ。
極端なこともやらなければ「気づき」もない。
焼き肉食べ放題でもケーキバイキングでも行って、
思い存分 食欲を満たし、嫌というほど食べてみれば良い。

健康や美容のことなど考える必要はない。
健康や美容のことを考えるなら普段から厳格な食事改革をすることだ。
健康や美容のことを考えて好物の節食をし、
それを「中道」と思っているなら、それは間違いである。
一度、本能のままに、納得がいくまで思い存分にやってみればいい。

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苦しくて動けなくなるまで食べると、
「もう二度と食べたくない……満腹がこんなに苦しいなら不食体質になりたい」
と思う人もいると思うが、翌日になれば空腹になる。
具合を悪くして食欲不振になる人もいるかも知れないが、
何日か経てば、また好きな物を腹いっぱい食べたくなるはずだ。

食欲とは、そういうものなのだ。まさに無間地獄である。
内海理論でも、両極端を体験しなければ中真は分からない。
食事改革を苦行だと思うのは、根本的な大きな間違いである。

『日月神示』には次のように示されている。

「はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。
これは和すこと によって起るのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。
よろこびは神ぢゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ」


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食事は意識進化の為の行である。
それは歓喜を求める行であり、行そのものが歓喜なのだ。
そのプロセスで苦行のように感じることもあるだろうが、
あくまでも歓喜を伴った行為なのだ。
それを超越すると、不食に到達することになる。

少しハイレベルな話に飛躍してしまうが、
『あるヨギの自叙伝』に次のように書かれている。

「物質的執着を完全に断ち切った人の満ち足りた生活を想像してみよ!
衣類の心配をすることもなく、食欲に駆られることもない。
金銭の煩らわしさから解放されていて、
銭も扱わなければ物を蓄えることもなく、必要な物は常に神に委ねている」


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獣は「7号食」の実践というよりも、むしろ断食に近い感じだが、
9日目で現れた変化は、空腹が快感になって、
何か食べたいという欲望が急激に薄れたということである。
今日は10日目だが、食欲不振という意味ではなく、食欲がない。

それは昔から断食をする度に経験していたことだが、
この3年間、基本的に一汁一菜の粗食をしてきただけでも、
不食に比べると「欲望」に冒されていたことを実感した。
7号食を実践している人も、煩悩の滅却に応じて実感できるだろう。

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『日月神示』には次のように示されている。

「ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。
食物節すればツキモノ改心するぞ」


「食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。
人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、
山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。
食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ」

「一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。
腹八分の二分はささげよ。
食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。
神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。
メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。
運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。
腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。
この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。
ささげるからこそ頂けるのぢゃ。
頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。
衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。
あづけられてゐるのであるぞ。
人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。
日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ」


人民に与えられているのは食物だけということだが、
それは「肉体も自分の物ではなく、借り物である」ということだ。
神からの借り物である肉体を邪食で穢すことは大罪である。

反対の側面から見ると、「肉体は魂の守護神」でもある。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」というのも事実で、
肉体を浄化することが、幽体・霊体・魂の浄化にも繋がるのである。
まずは、腹八分の食事をすることが、心身の健康と魂の向上、
そして、カルマの解消と開運の基本となるということだ。

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「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉があるが、
「穀物菜食」と「節食」を心がけるという健全な精神がなければ、
健全な肉体は造られない。
満腹になるまで食べる習慣がある人は、
腹八分の食事では不満を覚えることだろう。

では、なぜ、満腹になるまで食べてしまうのか……
ということを、先ず考える必要がある。
それを解決しないことには、
腹八分の食事ではストレスが溜まって逆効果になることもある。

多くの場合は、食欲を満たすことで
他の様々な欲求を満たしている人が多いように思われる。
日常の欲求不満を「満腹による充足感」で満たそうとしているのだ。
「そんなことはない」と否定する人もいるだろうが、
それは無意識の行為なので自覚がないだけであり、内観が必要である。

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『日月神示』にも示されている通り、欲望は幽界と直結している為、
憑依霊(餓鬼)が人間を通して食事を貪っているのだ。
あるいは、「シッカリ食べないと体力が付かない」とか
「食べないと痩せ衰えていく」と思い込んでいる為に、
一生懸命に無理して食べている人もいるかも知れない。

断食をすれば、最初は体力が落ちて痩せてくので、
一面的に事実ではあるが、その思い込みは本当は誤った観念である。
何よりも一大決心することが重要だが、
まずは腹八分の食生活を習慣にすることが課題となる。
そして、食事改革で大切なことは、
歓喜を伴って、無理なく実践することが基本的条件である。
posted by ZERO at 21:41| Comment(8) | 食育革命と超人進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
空腹感がおきた時こそ、内観のチャンスな気がします。
これは本当に身体が欲しているのか?もしくは記憶、習慣、癖が生み出している幻覚ではないのか?

そうやってチェックしていると、不思議と空腹感も薄れます。

そしてよく噛んで食べると本当に少量で足りますね(忍)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年05月30日 08:37
更新ありがとうございます♪

ハズさん、優秀(^-^)v

私は朝は食べず、昼は発芽玄米のおにぎり二個、夜は…相変わらず(T_T)でもコーヒーは断てそうです。
☆発芽玄米お菓子化計画中☆
今日は発芽玄米の御飯に胡麻とお塩を適量混ぜて、料理用麺棒でのばして、フライパンに油をしかずに、フライ返しで押し付けながら両面をこんがり焼いて、濡れ煎餅風にしてみました♪
電子レンジで御飯の水分を飛ばして油で揚げればカリカリのおこげになるんですけど、今回はどちらも封印。焼くだけでも、ポップコーンを作ってるみたいに香ばしかったです。
Posted by oriel at 2012年05月30日 21:39
orielさん、こんにちは。
全然、優秀ではないですよ!(汗)
まだ玄米のみにはできてません。(反省)
まずはとにかく、量を少なくよく噛むことから始めてる初心者です。

徐々に抱き参らせながら、食い改めていこうと思います。

せめてもの一二三の食べ方は実践してます。
http://123.mikosi.com/06.html#2

まずは感謝して、おかげを期待せず、とにかく無になって噛んでます。
Posted by 破地獄の種子 at 2012年05月30日 22:26
orielさん、こんにちは〜^^

玄米のお菓子とは、ナイスですね〜。
「ドリトス」みたいな感じですか?(笑)
http://gigazine.net/news/20120113-doritos-movie/


ハズさん、無になって噛む。もはや悟りの境地ですね。^^

総裁は、遂に特殊配合「米1:発芽玄米1:玄米1」のライス! 

「回天ライス」の開発に成功しました。(大袈裟)^^;

米の配合により、強力な粘りが生まれ、簡単には飲み込めないので
強制的に「ひふみの食べ方」を発動!さらに、米配合は胃への消化負担を軽減し、また、玄米のみに比べ、腹持ちが良い!
ちなみに、米1:発芽玄米1 米1:玄米1の回天プロトタイプも
お勧め配合比率です。(笑)いわゆる五分五分(ごぶごぶ)
http://www.mbs.jp/gobugobu/

計量は、一合(1カップ)で、三合(3カップ)を玄米モードで焚くだけです。
(簡単)^^
Posted by 総裁越楠 at 2012年05月31日 04:06
米1:発芽玄米1の五分五分配合を試してみたいと思います。(礼)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年05月31日 09:57
米1:発芽玄米1の五分五分配合もいいですが、発芽玄米は少量でもなるべく生でかじって下さい(願)
Posted by 獣 at 2012年05月31日 10:16
閣下、
わかりました!!!
生でも、かじり倒します。(礼)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年05月31日 10:23
閣下、生かじり 了解です!^^

それを、無心で咬み続けます。(忍)

Posted by 総裁越楠 at 2012年05月31日 10:43
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