2012年09月27日

ヤタガラスの御用(三つ穴灯籠の謎)

8月17日、エドガラス(江戸のヤタガラス)が
茨城にある将門の国王神社と大宝八幡宮に行ってきたそうで、
写メールが送られて来たので載せておきたい。

大宝八幡宮の若宮にも、三つ穴灯籠があったという。
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8月31日は鎌倉で獣(大仏)に会ったという^^;
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三つ穴燈籠はたくさんのところにあったそうである。

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最後、藤沢市の遊行寺の奥の宇賀神の社にもあったそうだ。

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その宇賀神は、徳川の祖・徳阿弥が勧請したという……。

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鶴岡八幡宮にも、人目につきにくい位置に三つ穴灯籠が有ったという。

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9月5日は天海墓所に行ったという。

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二基の燈籠に彫られた紋様が「∴」と「∵」の組合わせであることは、
ネット上では未公開かも知れないそうだ。
(鎌倉の大江・毛利・島津の墓のように)。

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普通の角度では写らず、∵が不鮮明だが、右の燈籠がそうらしい。
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五重燈籠は、天海墓所前ではないが、境内にあったそうだ。
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これは日光東照宮の境内の五重の燈籠だが、
慈眼堂のが二段目に三つ穴があるのに、こっちは三段目だったそうだ。

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ヤタガラスが御子息「魁」氏を「佐倉の御用」に派遣し、
龍角寺の珍しい三つ穴灯籠の写真を撮って来たそうで、
その画像が送られて来たので載せておく。

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「十」と「∵」
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九つ穴灯籠
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九つ穴灯籠は「田」の暗号的シンボルだろうか……。
田は「□」+「十」だが、果たして……。

三つ穴灯籠は徳川のレベルではないということだが、
天海が徳川三代将軍に仕えたことを考えると、
やはり三つ穴灯籠は徳川と関係がありそうな気がする。

ヤタガラスによると、摩多羅神と関係がありそうだという。
摩多羅神と言えば、京都太秦の広隆寺の牛祭を思い出すが、
もともとは秦氏の大酒神社の祭りであった。

だが、三つ穴灯籠が東国にしかないというのも不可解である。
そこで、三つ穴灯籠を「家康」「天海」「摩多羅神」と絡めると、
家康が天海の薦めで摩多羅神を奉じ、
東照宮では家康像の脇侍として祀られていたという。

家康は下鴨神社の賀茂氏の出だったようだが、
徳川の家紋(三つ葉葵)は賀茂神社の神紋(双葉葵)を原型としている。
この三つ葉葵をシンプルにしたのが三つ穴(∴)かも知れない。

だとすると、下降三角の三つ穴(∵)の謎が説明できない。
また、「∴」と「∵」は明らかに対になっているが、
「∵」の灯籠が極めて少ないことも大きな謎である。

アリオンによると、△は出雲族、▼は日向族を意味するそうだが、
彼らがそれをシンボルにしていた訳ではないので関係なさそうだ。
しかも、「∴」の灯籠が圧倒的に多いということは、
日向系勢力の隆盛とも矛盾する。

賀茂氏が絡んでいるとすれば、賀茂氏は陰陽道の大家である。
故に、∴と∵は△と▼の陰陽を表している可能性はある。
△と▼を重ねるとダビデの星になるが、
大酒神社の大酒はもともと「大辟」と書き、
それに門構えをつけた「大闢」は中国で「ダビデ」を意味する。

陰陽道は別名「迦波羅(かばら)」と呼び、
ユダヤ教神秘主義「カバラ」をルーツとする。
迦波羅の文字自体は仏典からの借用だが、
それはサンスクリット語の「皿」を意味し、
それはカバラの本意「受け取るもの」と一致する。

もちろん、カバラの根本思想も陰陽道と同じ二元論となっており、
「∴」「∵」はやはり神秘主義に基づく暗号になっているようだ。
どうしても徳川系忍者のイメージが払拭できないのだが、
今のところ真相は不明である。

それでは、ヤタガラスから断続的に送られてくる三つ穴灯籠の画像を、
このページにて追加でアップしていくことにする。

配志和神社

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三つ鱗燈籠は達谷窟毘沙門堂

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中尊寺は、三つ穴燈籠が入り口右側に二基あったそうだ。

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毛越寺の摩多羅神

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紀州神社の社紋、鳥居にヤタガラスだったという。

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三つ穴燈籠もあったという。

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王子稲荷神社は三つ穴燈籠が並んでいたが、狐火の三つ穴だったそうだ。

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posted by ZERO at 21:57| Comment(57) | 聖地巡幸紀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
明治政府の神仏分離により祭神も変えられ、大部分が消えていった「第六天信仰」が東国に多いのにも関係してそうですが・・・

第六天魔王はシヴァ神がルーツらしいですから、やっぱりシヴァ神が左半身女性、右半身男性の両性具有ということの▽△なのか!?とも妄想しますが・・・魔多羅神もシヴァ神ともありますし(難)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年09月08日 17:17
第六天信仰=第六天魔王=信長

第六天の分布と後北条家の関係
http://www.geocities.jp/pycbb333/framepage11.html
第六天信仰の広がり
http://www.geocities.jp/pycbb333/index_009.htm
相模・武蔵・伊豆に多い理由
武田家が織田に敗れ、民衆は占領軍への迎合から『第六天魔王』の象徴を建てて、自らの護符にした。一方、武田家の旧家臣や交流者を通じて、隣国の北条氏へと広まっていった。

信長が信仰した氏神や鬼神は、サタン・ダビデに関連していた。(第六天信仰・第六天魔王)
http://bewithgods.ddo.jp/hope/doc12/12-6.html
安土城の蛇石、安土城は出雲大社!?

∴△だけなのも辻褄が合う。(合点)^^

因みに、蛇王ザッハークみたいな秘仏のある寺は、
阿倍野松虫の聖天さんと呼ばれ、総裁の総本部の近くである。(聖天は、シヴァの息子、ガネーシャ)

太子、さっそく御筆先してツイートしました。(笑)
http://twitter.com/sousaiXXrider/status/244349362174562304/photo/1
http://twitter.com/sousaiXXrider/status/244351110230462464/photo/1
Posted by 総裁越楠 at 2012年09月08日 22:28
ザッハーク総裁、
御筆先3Xです。ライダーとフュージョンしてますね〜!

武田家から北条氏の流れでしたか(驚)
勉強になりますっ!
やはりバアル・ルシファーに行き着くということですね!
聖天はシヴァの息子でしたか・・・ナルホドナルホド。

渡来系の部族が男性の象徴で浦嶋△
縄文土着系が女性として表現され乙媛▽

という説もあり、▽が少ないのも何となく分かります。
Posted by 破地獄の種子 at 2012年09月08日 23:47
閣下、ありがとうございます。

もともと三つ穴灯篭を問題提起されたのは、m君さんなのですが、本当に意味があるのか探っているうちに、自分の問題と通じ合ってしまいました。
しかもど真ん中直球・・・


わたしの印象では、なんとなく摩多羅神=秦河勝、秦河勝≒聖徳太子ならば、

摩多羅神=聖徳太子・・・なんだろうか・・・と。
もちろん根拠なく自信もありませんが・・・


平泉中尊寺、近々息子に行ってもらいます。
毛越寺も寄ってもらおうかと・・・

本当に意味があるなら、なにか起こるはずでしょう。
息子の名前には、『魁』の字が含まれてるのも因縁めいてて・・・
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月09日 12:50
魁の御用ですね!^^

東照宮の画像追加UPしました。
Posted by 獣 at 2012年09月09日 15:53
中国では、北斗七星の柄杓の器の部分を作る、天枢、天璇、天璣、天権の4つを「魁」というそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%97%E4%B8%83%E6%98%9F


昨日は、彼は佐倉から印旛沼を回り、龍角寺岩屋古墳の画像を持ち帰ってきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E8%A7%92%E5%AF%BA%E5%B2%A9%E5%B1%8B%E5%8F%A4%E5%A2%B3

この龍角寺にも、三つ穴灯篭が二基あり、すこし珍しい紋様もありました。
よければUPお願いします。

平泉には13〜14日訪問予定です。
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月11日 09:55
画像upお安いご用です!朝飯前です!
朝飯は食べませんけど^^;
しかも、もう夕方ですけど^^;
昼飯も食べませんけど。
晩飯もほとんど食べませんけど(笑)
Posted by 獣 at 2012年09月11日 15:19
魁は、カイ(X)ですね。^^

閣下、
すなわち、朝昼晩飯前?!ですね。(笑)

フォロワーの方に、このブログを
紹介してみました。(忍)^^
Posted by 総裁越楠 at 2012年09月11日 15:38
朝昼晩飯前……(笑)
考えれば考えるほど難解な言葉ですね^^;
Posted by 獣 at 2012年09月12日 08:14
閣下・・・考えるって・・・難解って・・・^^;

東照宮の燈籠は平林寺ほどに三つ穴が並んでいたのですが、
http://kemono666.seesaa.net/article/273880760.html

その平林寺、松平伊豆守信綱の遺志によって現在地に遷されとそうです。
元は、埼玉県岩槻にあったらしい・・・

http://hya34.sakura.ne.jp/adatisakitama/heirinnzi/iwatukiheirinnzi.html

↑ の記事では、
『1375年(永和元年)太田道灌の祖先である太田備州守は鎌倉円覚寺第29世住職を務めた石室善玖を招き崎西郡渋江郷金重村(さいたま市岩槻区平林寺)の地に金鳳山平林寺を建立しました。』


太田道灌は円覚寺のスパイだったそうであるから、意味深・・・
おまけに、なぜか一番目の画像の大宝八幡宮の釣鐘が、平林寺の釣鐘であったそうな・・・
http://www.shimotsuma-kankou.jp/upsys_pro/index.php?mode=detail&code=339

しかもこの釣鐘・・・曰くつき・・・
『その奥方の智御前は先祖代々伝わる釣鐘をかぶって、城中の池に飛び込み自殺』
http://www.geocities.jp/jcsqr915/sakasai1.html


破地獄さんの専門分野・・・?
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月13日 00:48
ど、どの辺りが専門分野・・・(滝汗)
Posted by 破地獄の種子 at 2012年09月13日 03:17
え、違いましたか?オカルト大師かと・・・^^;

鎌倉五山というのがひっかかっています。
・建長寺
・円覚寺
・寿福寺 
・浄智寺
・浄妙寺 

五山はすべて臨済宗なのですね・・・
この臨済宗を統括するのが、僧録らしく、崇伝が家康から任命されたそう・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%A6%85%E5%AF%BA


西国になく東国となると、鎌倉五山関係かなと思ってます。


道興という聖護院の僧も気になってます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E8%88%88

『廻国雑記』という著は、連歌師宗祇の作と思われていたらしい。
連歌というのもひっかかります。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/8646/1/sundaishigaku_49_1.pdf


↑の文中、家康の政策において、「祷葬分離」が図られたらしい。

祈祷仏教は修験に、葬式仏教は禅宗(臨済宗・曹洞宗)に、という風に。
修験は、「密教に陰陽道を加味した修法」だそうです。


なんて表現していいのか、神仏と一体になりたいという信仰の歴史のようなものに、徳川幕府のビューロクラシーによるシビリアンコントロール・・・というような縦の統制みたいなものを感じます。

果たして、禅が導くものは真の悟りなのだろうか・・・?という気がしてくるのですが・・・
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月13日 10:52
崇伝とは家康の神号について天海と対立した人物ですかぁ!
鎌倉は晴明とも縁が深そうですしね・・・
http://www.mpchiba.com/youkai/mp_short.cgi?tid=detail11001&equal1=27

八雲神社にある晴明石には乗りました(笑)
http://park17.wakwak.com/~tatihana/onmyou/photo_html/kamakura.html

「祷葬分離」とはビジネスと分けたということでしょうか!?
じゃあ今はビジネスが主ですね・・・

禅で真の悟り・・・人によるんじゃないですかね???
悟れる人もいればダメな人もいるような
Posted by 破地獄の種子 at 2012年09月13日 15:19
あの・・・その清明石って、乗ると御利益があるのですか・・・?

鎌倉に魅了されてます。
こんな呪術的な都市は他に知りません。
で、あなたの紹介サイトの画像を繰ってみているのですが、これはもう頼朝以前になにかあったとしか思えない。

鎌倉の鎌倉たるものは『やぐら』にあるのではないかと感じるのですが、縄文時代の墓らしいですね。

頼朝は京に対峙しうるバックグランドを縄文の神に求めたのではないか?と妄想します。

鎌倉の地形については、ようやく研究対象とされているような・・・
http://www.himoji.jp/jp/publication/pdf/nenpo/No04/025-054.pdf

仏教形式でもって、古代の神を祀るみたいな・・・どうやろ?

『処が釈尊入滅後数十年を経てから婆羅門(ばらもん)宗の行者の中に傑出した一人物が現われた。
之が彼の有名な維摩居士である。
この維摩こそ禅宗の開祖であって、この本流が彼の臨済禅である。
処が彼は業成るや印度を捨てて支那内地に移り布教の為各地を巡跡し、
最後に至って有名な五台山に登って道場を開き道教の祖となったのである。
其様な訳であるから本当からいえば、禅宗は仏教から出たものではなく日本に入ってから仏教化したものであろうし、
そうしなければ布教上にも困難があったからでもあろう。』
http://plaza.rakuten.co.jp/shumeic/diary/?ctgy=28


しかし、鶴岡八幡には、元々若宮があったらしいですね。
その若宮を大宝八幡に移したそうです。

「大宝八幡宮は関東最古の八幡宮で大宝元年(701)、藤原時忠公が筑紫の宇佐八幡宮を勧請創建したのがはじまり。
 平将門も戦勝祈願にたびたび参拝し、源頼朝は、奥州征伐平定の日に鎌倉の鶴岡八幡宮若宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建した。境内は平安時代から南北朝時代にかけてあった大宝城跡となっている。」
http://www.jahikari.or.jp/kouhou19.html


三つ穴灯篭はその若宮にだけ立っていました。
若宮とはなんなんでしょう?

若宮が重要ならば、思い出すのは、春日大社の若宮ですが・・・

「若宮神社の祭神・天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)は、本社第三殿に祭られている天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子神であるため若宮と呼ばれる。この祭神は困難を乗り越えて高天原から天の水を持ち帰ったことから水神・生命・知恵の神として信仰されている。」
http://www.asahi.co.jp/rekishi/04-04-28/01.htm
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月14日 10:05
若宮について・・・

「・・・あたかも後世八幡に若宮あり、熊野に王子あると同じくこれ等のイタキ、イタケはすべて皆御子思想に胚胎せる霊巫の名称にほかならざるべし。
御倉板擧神を五十猛命とする柳田國男氏に敬意を表してここに採録した」
http://kamnavi.jp/it/kinki/ise.htm#miehate


『御子思想に胚胎せる霊巫の名称』って、漠然としててよくわからないのですが、折口信夫も神道における重要な神が思兼神とともに、「ミクラタナ神」をあげていたので、よくわからないなりに信じますが・・・(汗)

神道の理論に入っていくと抽象かつ難解で仕方ないですが、
http://mesiyakyou.blog13.fc2.com/?mode=m&no=54より、

「○御倉板擧神のミクラタナのタナとは、天文(天体の諸現象)という義である。タナバタ(七夕)という言葉も、タナ(天体運行)ハタ(機織り)であって、天体の諸星が縦横に運行して、ちょうど機織りのような状態であることから来ているのである。天体のすべてが一連の玉繕に貫かれて、縦横無尽に自在に運行して、美しい機織りの姿をとっている大境界、即ち大御神の大宮殿を指して、ミクラタナというのである。」

「この5母音がアマテラスという母性の象徴であり、8つの父韻を八幡と呼び、スサノオという父性の象徴を表しています。この5つの母音と8つの父韻という父と母の掛け合わせにより五十音図が形式化され、万物を作り出す雛型になっているという世界観なんです」

わかったようなわからんような・・・
映画館で映画を見せられているような、一歩外へ出たとたん、虚構と化してしまうような不明瞭さ・・・
これが現実界で確認できるようになることが神道的な覚醒なのだと感じます・・・
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月14日 13:03
>京に対峙しうるバックグランドを縄文の神に求めた
ナルホド、天神に対しては地神ですかね・・・

御倉板擧神を五十猛命とする・・・「五十」は五十音ですか!
母音と父韻も確かに納得な話ですね!
う〜む、そうなると神話って・・・言霊学の話になりますねぇ・・・

この「共感覚」が覚醒している人間にしか分からない世界なのかもしれませんね・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A

Posted by 破地獄の種子 at 2012年09月14日 17:06
それも封印の修法の影響だと思うんですがね・・・

前に、「五十猛尊と天村雲命とは異名同一神か?」というのを考察したのですが、
http://kamnavi.jp/it/murakumo.htm

この天村雲命・・・

「「瓊々杵尊がご降臨の時、この地に水が無く、天村雲命が再び高天原に上がられ、天真名井の水種を移されたと伝えられている。」があり、今でも清水が沸いている。この水を産湯に使ったことも考えられる。ここが瓊々杵尊の生誕地として最有力である。」
http://www.geocities.jp/mb1527/ninigi.html

・・・春日大社の若宮縁起の天押雲根命の水徳とおなじですね・・・

五十猛尊=天村雲命=天押雲根命=若宮・・・でええんやろか???
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月14日 18:20
確かに天五多底命(あめのいだてのみこと)で一緒とよくありますね
ただそうなると、彦火明命と素戔嗚尊が同一神になるというのがはたして・・・

天押雲根命ですか?
う〜むよく分からんですが、そうなると天児屋根命=彦火明命=素戔嗚尊になってしまいますね(汗)
でも案外、同一の部分もあるのかもしれない・・・・
Posted by 破地獄の種子 at 2012年09月14日 21:22
ありがとうございます。
今日は若宮にこだわってしまいましたが、春日大社の若宮おん祭りは12月17日ですね。
このあたりと東大寺のお水送りを考察したことが懐かしいです。

なぜか12月17日をひとつの目安にして、2012年を終わらせていきたいと思います。

ありがとう
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月14日 22:14
三つ穴灯篭ですが、息子の持ち帰った画像によると中尊寺の入り口にあります。
2基です。
毛越寺では確認できなかったですが、一ノ関の配志和神社には並んでいます。
東北までは確認できたということで、ひとまずご報告します。

昨日、雨だったので、空いているかと思い「ツタンカーメン展」を観に、上野の森に出かけたのですが、1時間半待ちでした。
時間潰しに近辺を散策して、天海毛髪塔も見てきました。
前夜、三つ穴を確認していたのですが、やはりそうでした。

展示物はアマルナ改革を知っていれば、興味深く観賞できるもので、実にすばらしかったです。

その後、東大の近くの龍光寺で、京極家墓所を見ました。
三つ穴でした。
続いて、吉祥寺に出向きました。
今、榎本武揚に興味を持っているので、お参りしました。
松前氏の墓を探すために墓地内をうろうろして、異様な光景に遭遇しました。
こんな感じ・・・
http://poreporetraveler.blog96.fc2.com/blog-entry-494.html

三つ穴を二か所で確認しました。
ひとつは新発田藩第五代藩主溝口 重元の墓と、ひとつは高家大澤家2代、基重の墓の前でした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E9%87%8D%E5%85%83
http://www.digistats.net/w/index.php?%E5%A4%A7%E6%B2%A2%E5%AE%B6(%E9%AB%98%E5%AE%B6)

これらのことを考えると、奥三河と武士の発生、その向こうにあるのは、ヤジロウだという気がしています。
キーワードは『連歌』ではないか・・・と。


明智光秀の愛宕百韻に参加した里村紹巴
その師である里村昌休 通称は弥次(二)郎・・・?
http://kotobank.jp/word/%E9%87%8C%E6%9D%91%E6%98%8C%E4%BC%91


佐渡と時宗、連歌の関係の深さ・・・
http://blog.livedoor.jp/challengersglory1/archives/51686879.html

以上から、ヤジロウが歴史を仕掛けたのじゃないか・・・。

・フグ計画の真相か?
「しかし満州の広大な土地は、モンゴル所有でもない中国所有でもないということを、ユダヤは早くから知っていたんですね。
そこでバカな日本軍を使って満州に進出させ、満州事変が勃発。
満州事変はユダヤの仕掛けた罠だったのです。」
http://melma.com/backnumber_180248_4560622/

・日光の家光廟の名称「大猷院」に感じたのは、これだったんだろうか・・・
「日本のピラミッドで有名な酒井勝軍(かつとき)であるが、ユダヤ人のことを「猶太(ユタ)」として、「猶太人の世界征略運動」「猶太民族の大陰謀」などの書を著している。」
http://iwayasynryo.sblo.jp/article/29657946.html
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月20日 10:40
閣下、ありがとうございます。

三つ穴灯篭と三井家の関係についてのご指摘、調べましたが、これもやはり南北朝に関係しているような印象です。

今も続く藤原式家(南朝)と藤原北家(北朝)の対立構図
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=264518


↓ これは南朝勢力を魔教徒と呼んでいますね・・・(汗;)
http://ameblo.jp/sinkasyak/entry-10333765268.html#main


どっちがどっちやら・・・(難)
やはり日本(二本)を捨ててアジア的視野に立つ時、∴∵は統合されるのじゃないか・・・・?
それがイスラエル12支族の勢揃いという感じが・・・


しかし、籐堂高虎は三井氏なんですね(驚)
父は籐堂虎高(ややこい;)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E8%99%8E%E9%AB%98


三井というと、為替を連想しますが、テンプル騎士団を連想もします。

巨大金融機関としての発達
「巡礼者の預金証を作成し、彼らの資産を預かるサービスを編み出したことである」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月28日 11:03
大本神諭・日月神示などで「イシヤの仕組み」と言われていますが、石屋は神社の石 灯篭を建てる職人なども、「石屋」と呼ぶようです。そして、いわゆるフリーメーソン(自由の石工)の工作を指して「イシヤの仕組み」と表現しています。


Posted by 石屋 at 2012年09月28日 19:33
石屋さん、はじめまして。
では、墓石屋もフリーメーソンですかね(笑)
近代フリーメーソンは石工とは関係なさそうですが……。
Posted by 獣 at 2012年09月29日 02:17
紀州神社と王子・王子稲荷神社、飛鳥山一帯は豊島氏に興味を抱いて訪れました。
東国の武士は熊野権現への信仰が篤いようですね。

成増からの帰途、立ち寄ったのが、江古田の浅間神社と沼袋氷川神社で、それぞれに三つ穴灯篭がありました。
これ以外にも方々で遭遇します。
ちなみに近所の(三鷹下連雀)の八幡さまもそうでした。

三つ穴そのものをキーワード検索できないので、周辺から検索をかけていくよりないのですが、南朝の護良親王が落ちていった話が佐倉や相馬にかけてあるようで、これらが将門や義経伝説とシンクロするような・・・
しかもそれは奥羽列藩同盟ともシンクロするような・・・


前に引用した伊那の石工の記事ですが、
http://kemono666.seesaa.net/article/277891074.html#comment
宋の石工は南宋のようですね。
この南宋と北宋の後の金、それを滅ぼした元、元にひれ伏した高麗・・・
これら中国情勢が、日本に波及しているのが次々ともたらされる宗教なのでは?という気がしています。

「勝手な推量だが、石=伊氏、伊奈=伊那、そして中国の那の国…と並べてみると何だか関係がありそうに考えられて来る。」
http://www.ab.auone-net.jp/~inaishi/shimojima-ronbun.htm


この那の国は奴の国であり、安曇族らしい・・・
http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-edo/kinin.htm


那の国と羅の国・・・那羅?
ひきつづき検索。
Posted by 葛篠宮 at 2012年09月30日 14:01
アテンとアメンについてはやはりよくわからないですが、非常な熱意を以て、わたしの認識を糺そうとされているのはわかりました。

そのことを、あれ以来、反芻していると昨日、やはりDNAもしくはRNAが起こしていることなのではないか・・・?と思うようになりました。

外在であるが内在である・・・しかし、それは絶対的な点存在であるし、包括的である・・・しかも全知全能である・・・などを考慮すると、遺伝子しかないのではないか・・・


アヌンナキの遺伝子操作について、閣下の記事が出てきます。
http://mujaki666.seesaa.net/article/167654612.html

さらに検索して・・・http://bewithgods.ddo.jp/hope/index.html

真偽はわかりませんが・・・
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月01日 10:16
アヌンナキの遺伝子操作は十二条のストランドを二条にするとかいう・・・

バシャールによると、人類の体は十二条のストランドを持つことはできないので、二条のストランドと第三のエーテル体のストランドを持っているらしい。

その第三のストランドは二本のストランドを繋げる役目をしていて・・・

DNAを活性化させ、エネルギーを調整するというのは、DNA分子に情報を入力して、他レベルのエネルギーにアクセスするということであり、DNAを作り上げることではないそうです。

http://and49873.seesaa.net/article/165551221.html


認識の完成とは、認識の戦いの裏側で、第三のDNAを活性させることだったのかと思います。

認識の戦いにおけるゲーム理論「二人零和有限確定完全情報ゲーム」とは、ネズミ講に似ており、それは一字金輪仏頂尊の修法におなじと感じます。
一字金輪仏頂尊の修法は、他の行者の修法の無効化というよりは、その功徳を奪うものであるそうです。
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月01日 15:21
飛鳥山には渋沢邸宅跡があり、日本橋の兜神社を遷した兜稲荷神社もあるのですが、
http://kemono666.seesaa.net/article/262297633.html

「この社は、最初、三井組の為換座として新築された時、三井の守護神である向島の三囲神社から分霊を勧請し、兜社と名付けられたものでした」
http://members2.jcom.home.ne.jp/70little_rascals0201/gedokuzai/gedokuzai/asami/asami05.html

ここで三井に出逢うとは予想していなかったので、飛鳥山や熊野王子・三井と将門にはなにかあるのだろうと感じました。
それがずっと頭の中にあって、考え続けているのですが、閣下のアリオンの記事にも出てくるDジャンプ=ディメンション・ジャンプのようなものが、日本の歴史にも起こっているのかもしれないと感じました。

太田道灌がなぜ執拗に豊島氏と江戸氏を滅ぼさねばならなかったのか?
それは彼らに決定的な何かがあったからだと感じます。

国立銀行は三井組からだと思ってましたが、小野組との協力のもと設立のようですね。
この小野組・・・あんまり聞いたことないので検索すると・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84


紀州藩と三井は蜜月の中で、維新の陸奥宗光は紀州藩出身であり、古河に二男を養子に出しています。
小野組の破産により、古河は興ったようですが、飛鳥山には渋沢と陸奥宗光邸があったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B2%B3%E5%B8%82%E5%85%B5%E8%A1%9B


閣下と奥多摩に行ったときに見つけた将門神社ですが、
http://kemono666.seesaa.net/article/279375319.html

案外と故地かもしれません。
「このあたりは三田氏の支配地として将門の遺跡の多い所で電車が青梅方面から来て鳩の巣駅近くに着く寸前のトンネルの山は将門山といい、そこに将門神社がもとはあったという。ここから多摩川を見下す先に将門原があり将門の館跡という」
http://www011.upp.so-net.ne.jp/dhistory/tai_2_14.htm


この三田氏ですが、どう記事中、「三田氏始め壬生吉志の姓たり」

わたしが捉われている武蔵国ですが、武蔵国造の同族争いとは「吉士族」のことだそうです。
なにやら円仁も壬生吉志族であるかもと・・・

しかし・・・金目当てか・・・ま、たしかにそうだが・・・
仕方ないわな。
神の方が、すべて(人間としての尊厳さえ)を失い続けるか、いうことを聞くか?と迫ってくるのだから・・・

便宜上「神」とは呼びますが、遺伝子が宿主に危機を知らせているのだとは感じます。
宿主の危機はすなわち遺伝子の危機なのですから。
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月02日 12:01
閣下と武蔵国の三つ穴灯篭設置神社はすべて回りたいくらいですが、そうもしていられないので、取り急ぎ飛鳥山は調べがつき次第、ご案内いたします。

桓武平氏・・・しかし難解です。
八幡信仰は平氏から源氏に移ったようですね・・・
これと妙見・稲荷信仰の関係を理解する必要があると感じます。

ここも行ってみたいが・・・遠い・・・
箕田源氏・・・氷川八幡
http://kotora888.art-studio.cc/kounosu_kohungun/HTML/hikawa_hachiman.html


閣下に出逢ってないころ、一番苦しいとき、エヴァネッセンスを繰り返して聴いていました。
クレイドルを教えてくれたお礼に・・・
http://www.youtube.com/watch?v=CdhqVtpR2ts&feature=relmfu
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月02日 13:23
円仁の出身地は栃木県の岩舟町で、天台山のある天台県と交流しているそうです。
円仁は最後の遣唐船に乗ったそうで、天台山に行きたかったけど許可が下りずに五台山に行ったそうです。
http://www.town.iwafune.tochigi.jp/General/static/furusato/ennin/index.htm

天台山国清寺・・・これが検索しても正体がつかめない・・・
天台智ぎが天台宗を開くまえから、聖地であったそうですが、今は禅宗らしいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36543517.html
(ちなみに管理者さまのおともだちに千田氏が・・・)

天台県は西晋と陳によって、始豊県と呼ばれたらしい。

豊干・寒山・拾得も天台山国清寺に居たそうです。
http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/rekisi-siryou/z0170shiode-hideo-togyuu/sanshou-shiryou/kanzan-jittoku/kanzan-jittoku.htm

契約の箱が一時保管されていたという説もある天台山ですが、知れば知るほど不思議です。
http://www1.odn.ne.jp/~jyourei/keiyakunohituginana.html

天台智ぎの師、聖徳太子に生れ変ったという慧思・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A7%E6%80%9D


頼朝の次男実朝に似たような話しがあるのです。
「前世の居所と信じる宋の医王山を拝す為に渡宋を思い立ち、陳和卿に唐船の建造を命じる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%AE%9F%E6%9C%9D


その悲願は実らず葛山景倫という人物に託するのですが、この人が出家して「願性」と名乗り紀州に実朝の頭蓋骨を祀る寺(西方寺)を建てるのですが・・・
http://www.kagemarukun.fromc.jp/page024.html

この寺の開山を「無本覚心」に頼んでいます。
この心地覚心が、1247年上野国(群馬県)世良田長楽寺に居たらしい。

「無本覚心は長楽寺の住持釈円栄朝(?〜1247)に「法姪の礼」をつくした。無本覚心はここで釈円栄朝に「仏教の大意、いかが用心せん」と問い、釈円栄朝は「忍辱精進し、一塵財も蓄えざれ」と答えた」・・・


・・・金氏
「持統4年(695)、新羅王家後裔の許満等12人が京より武蔵国に下向居住するに始まる。
 天平5年(733)、徳師の代にさらに新羅人男女53人が武蔵国埼玉郡に居住、子の知仙は陸奥国美原郡伊治城に遷る。
 後裔の為時は気仙郡司となり、子孫は奥羽に栄え今野、紺野、金野、昆、金成などの苗字を派生させる」
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03021.htm

↑ この金氏系図に斉明・皇極といわれる善徳・真徳女王が見えます。


つらつらと並べていますが、これらが三つ穴燈籠を巡る事象ではないか・・・
なぜ、情報操作されているかの深い理由は・・・わかりません。
それをつきとめないと終わらないのだというのはわかりますが・・・
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月03日 15:41
霊的革命・・・新国号は「ヤマトゥ」ってのはどうだろう・・・
宇宙戦艦ヤマトは海外でも知られているから・・・^^;

頼朝・頼家・実朝と鎌倉御家人を検索していますが、

富士の巻狩り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E3%81%AE%E5%B7%BB%E7%8B%A9%E3%82%8A

において、頼家はあの「人穴」探索を命じているのですね・・・

「【吾妻鏡 建仁三年(1203) 6月3日】    
 
将軍頼家は(伊豆から)富士の狩倉に移った。富士山麓にも人穴と称する洞窟があり、頼家は重宝の剣を与え仁田四郎忠常主従六人を探検に差し向けたが、その日には戻って来なかった。
 
一昼夜後の10時頃に仁田忠常が人穴から出てきた。洞窟は狭いため全員が松明を持って前へ進むのみだった。流れを渡り蝙蝠が顔を遮る回数は限りなく、その先は大きな流れがあって渡れない。火で対岸を眺めると郎従四人は忽ち命を落とし、その際に現れた霊の教える通り恩賜の剣を河に投げ入れて命を全うした、と。
地元の古老が語る言葉によれば洞は八幡大菩薩の御在所なので昔から奥を見る事はできない、今回は恐ろしい結果である、と。」
http://23.pro.tok2.com/~freehand2/rekishi/rekishi-03.html


八幡大菩薩が浅間大菩薩となっている記事もあるようですが、これの祟りではないか・・・なんて感じてしまいます。

頼家の最期・・・(偶然知りましたが、本当だろうか・・・)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1389102058


そして、シンクロですが、画像にある三つ鱗燈籠の達谷窟毘沙門堂、富士講開祖の角行が修行していたのですね・・・

「当初修験道の行者であった角行は、常陸国(一説には水戸藤柄町)での修行を終えて陸奥国達谷窟(悪路王伝説で著名)に至り、その岩窟で修行中に役行者よりお告げを受けて富士山麓の人穴(静岡県富士宮市)に辿り着く。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E8%A1%8C_(%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%AC%9B)

「角行は富士登拝や水垢離を繰り返しつつ廻国し、修行成果をあげるたびに仙元大日神より「フセギ」や「御身抜」(おみぬき)という独特の呪符や曼荼羅を授かった」というフセギですが・・・

http://www.geocities.jp/suruga2233776/fujikyo/sub04.html

↑ この図柄が三つ穴と関係あるのかも・・・

江戸時代に流行った富士信仰や庚申信仰は、古墳時代の古墳を祀るための方便ではないか・・・?という感じがしているのです。

http://paralleli.life.coocan.jp/kofunblog2/?p=34


 
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月04日 02:09
フセギを検索していて、秩父百社の簗瀬神社というのにあたりました。
ここの祭神、なんと「天之狭霧命」ですって。
http://ameblo.jp/hijiri-jinjya/archive2-201202.html

行ってみたいですね^^
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月04日 03:04
角行が達谷窟で修業するまえにいたという常陸国(一説には水戸藤柄町)に洞窟があるのか調べたけど、よく分からない。

近くに吉田神社というのがあり、そこに朝日三角山古墳があるので、その関係なのかと思い、調べてみました。

朝日三角山古墳
http://www.genbu.net/data/hitati/yosida_title.htm?print=on

↑ 吉田神社の燈籠の画像、三つ穴に見えなくもないような・・・

おそらく近くなんでしょうが、吉田古墳という八角形の古墳があるらしく。
http://sgkohun.world.coocan.jp/ibaraki/mito/yosida.html

那賀国造のテリトリー内であるそうです。

虎塚古墳
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/49385024.html
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月04日 13:19
仙台伊達家ですが、伊達正宗の娘と家康の息子が結婚しているのですね。

このふたり、五郎八姫(いろはひめ)と松平忠輝、クリスチャンの履歴もあるとかないとか・・・

伊達正宗も、慶長遣欧使節団のローマへの派遣を家康に許可させるなど、牽制をかけているような・・・

で、やはり、ヤジロウに戻るのですね。
彼の実在を信じるか信じないかで、明暗に分かれるといっても過言ではないほど。


「先に述べました1500年代の岩屋梓梁の動きは、その子孫といわれる薩摩の英雄、西郷隆盛に代表される明治維新の動きに見ることができます。岩屋梓梁は、日本史に隠された天才といわれた僧であり、スサノオとして弥勒の使命を受け、アジア太平洋地域を中心に、海洋交易文明圏をつくろうとした人物でありました。ユートピアを夢見て動いた当時の弥勒下生運動は、薩摩を土台に全国規模にまで発展しましたが、岩屋梓梁をはじめとする真方(まかた)衆が築いた易断(ゆた)政府に反感を持った朝廷の弾圧により一掃され、東北地方に追放されることになります。

岩屋梓梁を初めとした真方衆がなぜ弾圧を受けるようになったのか、その原因の背景には、複雑に絡んだ歴史的なカルマが潜んでいたように思います。岩屋梓梁の先祖は、1378年(天授4年)にインドネシアから琉球に渡来したアラブの高僧、真穂梁夢(マホラム)にたどることが出来ます。真穂梁夢は、インドネシアのパレンバンを拠点に、アジア太平洋圏に栄えていた丸十字の紋章を持つ海洋交易王国、シュリビジャヤ帝国の王統を継ぐ高僧であったといわれます。

岩屋梓梁をはじめとした真方衆が弾圧を受けた原因の一つには、血筋に絡む問題が隠されていたようです。アラブの血を受け継ぐ岩屋梓梁に、国家の統合を許すことの出来なかった朝廷の意向であったようです。アラブ民族は、日本から世界に散らばった大和民族の血を継いだ、南朝のルーツである民族ですが、その元帰りとして事実を、当時の朝廷は受け入れることができなかったのでしょう。」
http://wao.jpn.org/wao/message1202.shtml
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月05日 11:39
同サイトよりの大幅な引用が続くと思いますが・・・

「裏神道の体制は、紀伊半島を拠点とした3つの柱に別れ、アマテラスが地上に顕現するまで、国体の柱として機能する仕組みになっていました。その柱の頂点に立つ人物、アマテラスと関係の深い瑞鳥の八咫烏にたとえることができ、紀伊半島を拠点に裏神道の歴史を築いています。

この裏神道の歴史と連動した動きが、アマテラス、スサノオ(ツキヨミ)の復活を段階的に再現した歴史であり、古い歴史では、山形出羽三山と南九州の歴史にみることができます。

山形は、西暦600年代に出羽三山を開山した蜂子皇子と、従兄弟の聖徳太子が表裏の関係として、また南九州では、1549年にフランシスコ・ザビエルを日本に案内した薩摩人の岩屋梓梁と、当時の皇太子の表裏関係に相似象として見ることができます。歴史的には、山形を中心とした蜂子皇子と聖徳太子による弥勒下生運動が、岩屋梓梁と当時の皇太子の弥勒下生運動に、継承されたものとみることができるでしょう。

蜂子皇子と岩屋梓梁に共通する事実は、どちらもアラブの血を受け継いでいたということでありますが、これは、迦楼羅神とも繋がるスサノオの使命的立場であったと推察することができます。近代歴史では、大本の出口聖師がその使命を継承し、天命未完成のままに、現代に引き継がれています。

岩屋梓梁は、蜂子皇子の使命を引き継いだ使命者でありますが、岩屋梓梁が全国規模で展開した弥勒下生運動については、近代日本史から全て抹消された史実があり、歴史を封印するために長い年月に渡り鎖国をしてまでも歴史を改ざんし、隠蔽しなければならなかった幕府の意向が隠されています。岩屋梓梁の子孫と言われた西郷隆盛は、岩屋梓梁を心から敬愛した人物でありましたが、保存していた岩屋梓梁の歴史的な記録は、明治政府時代に全て抹殺されたといわれています。」
http://wao.jpn.org/wao/message1202.shtml
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月05日 11:44
岩屋梓梁と、当時の皇太子の表裏関係に相似象・・・の当時の皇太子とは誰なのか?

1549年は天文(1532年から1555年)年間にあたりますが、後奈良天皇の御世、弥勒下生運動が日本列島を席巻したのか・・・と思って眺めるとなかなかロマンがあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87_(%E5%85%83%E5%8F%B7)

後奈良天皇の皇太子が、次代の正親町天皇でいいのだと思うのですが、

「弘治3年(1557年)、後奈良天皇の崩御に伴って践祚した。
当時、天皇や公家達はすでに貧窮していた。
戦国大名・毛利元就の献上金があるまで、3年間即位の礼を挙げられなかった。
正親町天皇は、元就に褒美として従五位下・右馬頭という位階を授け、皇室の紋章である菊と桐の模様を毛利家の家紋に付け足すことを許可した。
さらに、本願寺法主・顕如も莫大な献金を行っており、天皇から門跡の称号を与えられた。これ以後、本願寺の権勢が増した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%AA%E7%94%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87


本願寺勢力が易断政府であり、真方衆であると読み替えていけば、このDジャンプを理解できるだろうか・・・・?
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月05日 15:07
プロジェクト・ガイアさまの記事で、興味深い点のひとつ。

「当初、小惑星は、地球の致命的な急所をねらって飛来していたようですが、その場所を攻撃すれば、地球全体を破滅に導くことができる場所だったようです。」
http://wao.jpn.org/wao/message1101.shtml#m02

この地点<竜神の本拠>とされていますが、富士山の北方60キロ、東洋一のラジウム泉とは、増富温泉のようです。

酒折宮・・・身延線・・・甲斐の武田・・・

どんなところだろうと思ってYOUTUBEを見たら、意外やリチャード・コシミズ氏が健康講座を開催していました。。。
http://www.youtube.com/watch?v=1GVMd3gcEyw

氏は知っているんだろうな・・・

「彼ら銀河宇宙連合体は、鳳凰や天神にたとえられ、彼らが最初に地球に降り立つ地点が、〈龍神の本拠〉であります。」

「当地は、地球のエネルギースポットの起点となる場所で、人工的に造られた波動エネルギー装置としての機能を持った、特殊な磁場を有しています。」

「この地域には、東洋一のラジウム鉱泉があり、地下には、水晶鉱脈もあって、宇宙エネルギーと呼ばれる特殊な波動エネルギーの受信と蓄積を行い、また、地下の水脈などを介して、エネルギーを発信している重要な拠点であることがわかりました。まさに光のエネルギーを結ぶ要となる場所であります。

筆者の観察から、このエネルギースポットは、地球生命体の神経回路の中枢に位置する、脳の松果体と脳下垂体にあたる場所であり、ここの磁場を調整することで、地球全体の磁場調整ができることがわかりました。」


・・・・閣下に行ってもらわなきゃ・・・
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月05日 16:24
それで増富温泉と仰っていたんですね。
分かりましたよ・・・頑張らずに頑張ります。。。
Posted by 獣 at 2012年10月06日 02:15
近頃、閣下はご多忙で、なかなか以前のようにご一緒できませんね・・・
これもなにかの力が介入している気がします。

増富温泉かどうかは確定できませんが、おそらくその一帯でしょう。
信州行きの行き帰り、そのあたり一帯に異様なものを感じたのはそれだったのかも・・・
行きは八ヶ岳、帰りは妙義山の方向に怯えていました。
閣下の腕をつかませてもらっていたのも、そのあたりを通過中でした。

地図で確認すると御巣鷹山もそのあたりですね。

ラジウム鉱泉と水晶鉱脈がキーポイントのようですね。

火と水は「火(光)と水(水晶を土台とした波動科学)」と定義されています。
火はともかく水とは水晶のことだったのか・・・?
http://messiah666.seesaa.net/article/209358128.html
(ジュエリー博物館のあたりで、人事不省になり、バスを下車して、急遽一泊したのでしたね)
http://messiah666.seesaa.net/article/209379075.html


検索してみると、興味深い情報が・・・
http://www.h4.dion.ne.jp/~mf124/sub-3-kodai-siryou.html

「五芒星・六芒星(カゴメ)は、地球のエネルギー集積回路。水晶もエネルギーを集積する。

波動兵器”の防衛として、結界建造。飛鳥稲淵宮殿跡地の亀石中心に配列された十二芒星」

あと、
亀=六角形、六芒星のこと。  魂の乗り物である“マカバ”を意味する
鶴=マニ宝珠、如意宝珠を意味し、神を現す
鶴と亀が滑った・・・六角形、六芒星とマニ宝珠、如意宝珠が一体となる


そろそろHNを変えようと思っていました。
次は「阿羅耶」にしようと考えていたけど、これを見て、10のマイナス26乗である「涅槃寂靜」にしたいです。

閣下、ご承認をお願いします(礼)
Posted by 葛篠宮 at 2012年10月07日 11:25
はい、どうぞ〜♪
Posted by 獣 at 2012年10月08日 21:08
ありがとうございます〜♪

では、涅槃に入らせていただきま〜す^^
Posted by 涅槃寂静 at 2012年10月08日 21:17
なんかTwitter内でも、キャラ変更する人がチラホラいたから、なにかの予兆かな?
(°Д°)★



ワタシもサムネを女子にしたら、本部の壁紙がクラッシュしたのでヤメました。(°Д°)(笑)
Posted by 総裁 at 2012年10月10日 23:19
三つ穴灯篭は、三星堆の三つ星のことなのだろうか?

「伝説によるとこれらは玉皇大帝(道教の最高神)が天上から撒いた3握りの土がここに落ち、まるで金色に輝く3つのの金星のようだったことから、「三星堆」と名づけられたという。また「三星堆」と、川を挟んで向かい合ったアーチ形の台地である「月の湾」は地元では地相のよい土地として知られ、人々から「月に寄り添う3つの星」という美しい名で呼ばれている。」
http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/rmhb/japan/j2001-5/sanxingdui.htm


「殷墟」には、王自体の遺跡は発見されてなく、イシンの受祭者または執政官が支配した遺跡・・・セレンディピィティさん「殷墟」より
Posted by 涅槃寂静 at 2012年10月14日 14:12
個人的に三星堆は最重要な文明だという気がしています。
三星堆文明の中でも夏・商文明が重要そう。

http://view.chinawave.co.jp/detail/106.html

なぜか太平洋戦争はこの文明の隠匿を図って起こされた気がします。
日本軍の真の目的はこの文明の再興ではなかったか・・・?
三星堆遺跡を地図で確認するとチベットや、四川省に近いのですね。

天皇家がシュメール由来であれば、商の末裔との関係はどうなるのだろうか・・・

それとキリスト教会との関係・・・あるいは原始キリスト教と呼ばれるものとの関係
Posted by 涅槃寂静 at 2012年10月15日 12:19
私の父方の姓は高城です。熊谷の高城神社には三つ穴灯篭がありますが、それだけでなく。
高城神社の三つ穴灯篭をググってみてください。
Posted by m君 at 2012年12月06日 17:26
三柱鳥居が生命の樹であることは間違いありませんね。
象徴として三位一体の絶対三神とすれば、これはユダヤ教徒ではなく原始キリスト教徒による鳥居でしょう。
そこで問題ですが、三穴鳥居と三柱鳥居を関連付けてしまいますが、果たして(秦氏て)本当にそうでしょうか?

∴が生命の樹なら、∵は死の樹ということになります。
では、△と▼の統合でしょうか?
聖母が下鴨神社で生まれた人間と知り合いなので聞いてもらいましたが、知らないと言われたそうです。
∴も∵も基本的に東国特有のものですからね。
だとしたら三柱鳥居との関連性は希薄になります。

しかし無関係ではなく、三井が秘密を知っているはずです。
そこから色々と憶測は出来ますが、なかなかピンと来るものがありません。
今のところ、徳川の忍者と関係があるように思っていますが……。

それ以外にカバラで∴を用いる暗号がありますが、鳥居との関係は見い出せません。
Posted by 獣 at 2012年12月07日 01:49
m君さま、はじめまして。
貴ブログで三つ穴灯篭を知ったのは5月くらいだったと思います。
それからの経緯はこの閣下(獣さま)のブログ内でコメントおよび報告させていただいています。
大きなヒントを与えていただいたことにお礼申しあげます。

『高城』はわたしには「高木神=高皇産霊神」に思えますね。
Posted by Mare Foecunditatis at 2012年12月07日 12:30
何故か、三柱鳥居、三つ穴灯篭、秦氏、古代ユダヤ、六芒星を追っかけています。
岐阜県大和町の三柱鳥居は、4回目の挑戦でやっと見つけました。

『三井が秘密を知っているはずです。』私もそう思います。
三井家の守護神は三囲神社で、そこには、三柱鳥居、三つ穴灯篭の両方があります。
三柱鳥居は日本の西方、三つ穴鳥居は東方に分布し、西方と東方の勢力の手打ちが三囲神社なのかと、勝手に想像しています。

また、加治 将一の「失われたミカドの秘紋」は、三囲神社で始まり、三囲神社で終わります。加治さんは意図的に、そんな展開にしたはずです。意図はわかりませんが。

小説ダビンチコードには六芒星が頻繁に登場します。
ダビンチコードはルーヴル美術館のガラスのピラミッドで始まり、ルーヴル美術館のピラミッドで終わります。
Posted by m君 at 2012年12月11日 18:14
何故か、三柱鳥居、三つ穴灯篭、秦氏、古代ユダヤ、六芒星を追っかけています。
岐阜県大和町の三柱鳥居は、4回目の挑戦でやっと見つけました。

『三井が秘密を知っているはずです。』私もそう思います。
三井家の守護神は三囲神社で、そこには、三柱鳥居、三つ穴灯篭の両方があります。
三柱鳥居は日本の西方、三つ穴鳥居は東方に分布し、西方と東方の勢力の手打ちが三囲神社なのかと、勝手に想像しています。
Posted by m君 at 2012年12月11日 18:16
重複して書き込んでしまいました。削除の仕方がわかりませんので、よろしく、お願いします。
Posted by m君 at 2012年12月11日 18:21
m君さん、興味深いお話ありがとうございます!
また何か発見がありましたら情報交換をお願い致します。
Posted by 獣 at 2012年12月12日 18:36
浦和には、鹿島台という地名があります。鹿島神宮と関係あるのかなと思い、私が知っている浦和の唯一の神社、調神社に行きました。なんと、三つ穴灯篭がありました。

今夏、研修旅行で、新潟県の月岡温泉 白玉の湯 華鳳に泊まりました。帰り際、ホテルの玄関の脇に三つ穴灯篭を見つけました。このホテルを選んだのは、私ではありません。

こういう偶然はよく経験するので、ああ、またかと思うだけです。
Posted by m君 at 2012年12月13日 14:09
岐阜県郡上市会議員 森よしとさんのブログに大和町の三柱鳥居は「平成6年8月1日建立。」と書いてあります。
http://morigujojoho.seesaa.net/article/118248085.html

さらに三柱鳥居の意味として
天と地が初めて拓かれた時、既にそこに三柱の神が成っておられたと神典は伝えております。その名は

 天御中主神(あめのなかぬしのかみ)
 
 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
 
 神皇産霊神(かんみむすびのかみ)

と称されます。

 この三神が万物を創造され、以来無限のエネルギーを与えられ続けているのであります。 
 
 三神の姿・形を大宇宙に見るならばそれは「太陽」と「月」と「地球」であり、地球にあっては「水」と「光」と「空気」であります。そして人間社会にあっては「愛」と「理解」と「尊敬」と言えます。

 三者それぞれ、独自のエネルギーが完全にバランスを保つように一つに絡まる事が大切であります。

 古来わが国では、最も安定した力を三本柱と称してきました。また日本民族の発祥以来皇統に伝わる三種の神器もこの事と無縁では無いと思います。

 この三神、三体の偉大なる力とその働きを確信し、生き通すならばこの宇宙にはさらなる調和と繁栄がもたらされるでしょう。
http://morigujojoho.seesaa.net/article/118290470.html
Posted by m君 at 2012年12月13日 14:15
Mare Foecunditatisです。

閣下を調神社にご案内したことがあります。
http://kemono666.seesaa.net/article/273993140.html

このころは私どもにも三つ穴灯篭のシンクロが始まっていたので、行く先々で遭遇するようになっていました。

調神社の『調』ですが、『調の押手(トノヲシテ)』のことなのかもしれませんね。

調和と秩序をもたらす文。すなわち「ノリ(法・則・典・範)」「タテ(経・縦・立)」。
「タテ」とは「上から下への道筋」「源に在るもの・根源・原理」を言い、これは結局「陽陰なる道」を起源とする。 =アメナルフミ(陽陰なる文)。
http://gejirin.com/src/To/tonoti.html
Posted by 涅槃寂静 at 2012年12月16日 11:56
三峯神社の三ツ鳥居。鳥居の柱は4本ですが、神社の説明書きには、三ツ柱鳥居と記されています。三柱鳥居と関係があるのでしょうか。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/3tuhasira.htm
Posted by m君 at 2012年12月18日 16:49
どうなのでしょうね・・・
記載誤りなのか、わざとなのか・・・
オカルト的解釈からすれば、三ツ鳥居は三ツ柱鳥居を展開したものかもしれませんね。
閉じた三ツ柱鳥居の前後の段階とかになるのかな・・・

その三ツ柱鳥居が、阿曇磯良の墓を囲って立っているのがありました。
http://pics.livedoor.com/u/hero1945/7301736

一見して、阿曇磯良を封じ込めているように見えます。
例のホツマでは、イソラ=生霊らしいです。
ということは、阿曇磯良=安曇氏の生霊・・・?

三ツ柱鳥居=海人の封印?

三ツ柱鳥居の画像を眺めていて、錐体の体積が柱体の体積の1/3になることに関係あるのか?と考えました。

三角錐×3=三角柱・・・三ツ柱鳥居?
三角錐・・・山?・・・ピラミッドと言いたいところですが、四角錐なので残念。

・・・謎ですね・・・
Posted by 涅槃寂静 at 2012年12月19日 11:39
あけましておめでとうございます。

△▽は宇宙の無限大無限小を表すという記事に遭遇しました。
ただ・・・話が異星人に飛んでしまいますが・・・

http://www14.plala.or.jp/tm86/newpage8thebook.html

ちなみに卍は「宇宙にあるものはその形が変わるだけで永遠に存在することを表す」そうです。
Posted by 涅槃寂静 at 2013年01月03日 11:44
△と▽は合体しないと無限大にも無限小にもならないと思います。
卍と十で黄金ピラミッドですね!
Posted by 獣 at 2013年01月18日 16:25
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