その属性から無数の神々が誕生した。
それを人々に分かりやすく説明する為には神々を擬人化して、
様々な比喩を使った「神話」というストーリーが必要となった。
また、様々なバージョンが作られて迷信が蔓延ったことは想像に難しくない。
そこでアクエンアテンは、アマルナ宗教改革を断行したのだろう。
占星術では、太陽のマークはマルチョンである。
簡単に説明すると、太陽は宇宙創造の唯一絶対神「アトゥム」の象徴、
そして、「ラー」と呼ばれていた太陽の光こそが、
アトゥムの本質(エネルギー)であり、それさえ信仰していれば良い
というのがアクエンアテンの主張だったと思われる。
アトンが従来の神々のように人間の姿で描かれなかったことからも、
太陽から人格神的要素を除いて、純粋な太陽光信仰を示したのである。
本質論に於いて「一神教」も正しい。
三位一体説や善悪二元論は本質的実相ではなく、
総てはワンネス(一なるもの)だからである。
ヒンドゥー教という多神教の土壌であるインドで、
ヒンドゥー教をもとに真理を説いていたサイババも、
「神は1つです」と教えていた。
だが、アトン一神教を正当とするならば、アマルナ時代以外の
エジプト史上の王や人々の信仰を全面的に否定する立場となる。
究極真理に於いては「一神則多神則汎神」である。
その「多神」「汎神」を排除して、
原初の唯一神のみの一神教を打ち出したのが、
アクエンアテンの最大の誤りだった。
アトンが唯一絶対神という考えは間違いではないが、その観念により、
人々が認識する「アトン」という神性は大きく変容していった。
人々の認識が変容したのではなく、人々が気づかぬうちに
「偽のアトン」を信仰するようになったのだ。
もっとも、アトン信仰者たちは、
初めから「偽のアトン」を信仰させられていたとも言える。
それは、人々がアクエンアテンの真意を理解できていなかったのか、
アクエンアテン自身が初めから「偽のアトン」の啓示を受けて
操られていたのか……それは分からない。
いずれにせよ、それも「ミロクの世」の創造の為の神の経綸である。
結論から述べてしまったが、順序立てて説明していこう。
まず、古代エジプトで信仰されていた神々も、
本質的には「多神にして一神」である。
だが、アクエンアテンは多神を「悪神」として排除し、
アトンを唯一神とした。
そこでアトンは孤立した一柱の神となり、善悪二元論を生み出した。
善悪二元は宇宙進化の原動力で、「ミロクの世」の実現の為の神の経綸
(宇宙プログラム)であり、善悪二元論を否定しているわけではない。
だが、短刀直入に言うと、どういうわけか、
アトン信仰者が崇拝するアトンは「善神」ではなくなった。
その事情が、王仁三郎の『霊界物語』に比喩的に示されている。
盤古大神は本来は悪神ではなかったが、天則に違反して太陽神界から天降った。
そして、悪霊(八頭八尾の大蛇)に憑依され、
国常立大神の神政を破壊する悪神の総大将となった。
これは、「ルシファーの堕天神話」を彷彿させる。
実際に、盤古大神は悪神の総大将になったわけだから、
サタンである「ルシファー」と同一視しても差し支えないだろう。
ルシファーは「七つ頭の年老いた蛇=竜」なので、頭の数は1つ違うが、
盤古大神ではなく「八頭八尾の大蛇」ではないのか、と思うかも知れない。
だが、憑依されたことで同じ姿になったと考えれば良い。
もちろん、実際に「八頭八尾の大蛇」や「金毛九尾」の姿をした
悪神が存在するわけではなく、あくまでも比喩・象徴である。
要点は、本来は悪神ではなかった盤古大神が、
太陽神界から堕天して「悪神の総大将」となったということだ。
それが「アトン」である。
もちろん、絶対神である「アトン」は太陽神界の最高神のままだが、
その反作用のエネルギーが地上に降ろされ、人類の悪想念
(邪気=八頭八尾の大蛇)と干渉を起こしたということである。
「アトン=盤古大神=ルシファー」
だが、ルシファーには善悪の表裏一体性がある。
獣は「ルシファー=国常立尊」であることを明らかにし、
どちらも本当は善神だったことを説いてきた。
それが「善悪逆転論」だが、それには裏と表の意味があり、
更にそこから「善悪統合論」に発展して完結する。
だが、善悪逆転とその裏の意味を人はなかなか理解できない為、
獣の説法がなかなか人に伝わらない。
話を戻して、少し詳しく表現すると以下のようになる。
「アトンの影=盤古大神=国常立尊の影=悪のルシファー」
アトン一神教徒は、それを「原初の唯一絶対神」だと思い込んでいるのだ。
そして、国常立尊の隠退後、盤古大神が地球神界の主宰神となった。
出口ナオに憑った艮の金神(国常立尊)は、
『大本神諭』の中で次のように示している。
「この世を始めた神なれど、余り我が強うて
丑寅へ三千年と五十年押し込められて居り……」
三千年と五十年というのは「3050年」という意味ではない。
三千年は「約3000年」という意味で、五十年も「約50年」という意味で、
「約3000年の長期間」と「約50年」という時節を示している。
三千年は「三千世界」と掛けているように思われるが、
アマルナ改革(紀元前1368年頃)からの「約3000年」を示している。
王仁三郎はこのように述べている。
「御経綸三千年に満ちぬるは明治の二十四年なりけり
昭和歴十八年の元旦は五十年準備の満てる日にぞある
五十年の地の準備神業を終え十八年は第一年となれり
三千年と五十年にて切替の準備は全く出来上がりけり
昭和十八年末の年より三千年のいよいよ仕組の幕は上がる」
明治24年に3000年が満ち、25年の節分に出口直に艮の金神が憑った。
明治25年(1892年)の「50年」後は昭和17年(1942年)で、
昭和18年の元旦に大本の雛型神劇は終了した。
だが、『大本神諭』が「お筆先」と呼ばれているのに対して、
『日月神示』では「神示」と書いて「ふで」と読ませている。
つまり、『大本神諭』と『伊都能売神諭』は、
『日月神示』の先駆けのクッションなのだ。
そして、『日月神示』には次のように示されている。
「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシアも、
外国は一つになりて神の国に攻め寄せてくるから、
その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ」
現界は神界の投影であり、
移写されるのにタイムラグがあることを物語っている。
従って、「三千年と五十年押し込められて居り」という筆先が降りた時、
国常立尊の復活は現界に於いては実現していなかったことになる。
昔の獣コレクション@
現界に於ける国常立尊の復活宣言は、「ふでさき」ではなく「ふで」である
『日月神示』が降ろされた昭和19年(1944年)だと解釈するべきであろう。
奇しくも、それは大本の経綸で「50年」の地の準備神業を終えた翌年である。
それが「アマルナ改革から三千年」という意味で、筆先に示されていたのだ。
そして、『日月神示』発祥の年である1944年から50年後は1994年である。
その翌年明けの1月17日に阪神大震災が発生し、国常立尊が復活したのだ。
つまり、「アメン=国常立尊」なのだ。
アメンは「嵐の神スサノオ」で、悪魔として貶められた「バアル」である。
昔の獣コレクションA
スサノオは「艮の金神」と呼ばれている為、以下の等式が成立する。
「アメン=バアル=スサノオ=艮の金神=国常立尊」
それが「善のルシファー」であり、本来の絶対神「アトゥム」なのである。
国常立尊(アメン)は盤古大神(アトン)に封印された。
それが人間界に移写された事件が、「アマルナ改革」だったのだ。
アメンは嵐の神だが、ラーと習合して「太陽神」として崇められていた。
即ち、アメンの埋没とアトンの台頭は、太陽神の政権交代だったのである。
繰り返すが、「アメン=善のルシファー」、「アトン=悪のルシファー」である。
昔の獣コレクションB
そして、『日月神示』には次のように示されている。
「次の岩戸閉めは天照大神のときぞ。大神はまだ岩戸の中にましますのぞ。
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がおでましぞと知らしてあろう」
もはや説明の必要はないと思うが、名前を当てはめると次のようになる。
「アメンはまだ岩戸の中にましますのぞ。
ダマシタ岩戸からはアトンがおでましぞと知らしてあろう」
まだ信じられない人がいると思うので、もう1つの証拠を提示しておこう。
出口ナオに憑ったの国常立尊だが、ナオ自身は国常立尊の影である
悪神の総大将「盤古大神」の型役者を演じさせられていた。
盤古大神は「アトン=ダマシタ岩戸から出てきた偽の天照大神」であり、
「悪のルシファー=ヤマタノオロチ」である。
昔の獣コレクションC(ツタンカーメンのエンドウ豆)
一方、出口王仁三郎は「スサノオ」の型役者、
即ち「アメン」であり「バアル」であり、「善のルシファー」である。
ナオに「天照大神」が憑り、王仁三郎に「スサノオ」が憑って、
「火水の戦い」という大喧嘩を度々したことは有名なエピソードだが、
そのことからも理解できるだろう。
それが「アトン」と「アメン」の対立で、
「アトン=天照大神」「アメン=スサノオ」という構図になっている。
即ち、王仁三郎が「アメン」、ナオが「アトン」の型役者で、
「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」の関係でもある。
ここで、もう一歩突っ込んだ話をしたいところだが、
順序立てて解説した方が良いと思うので、今回はこの辺にしておく。
20歳の時(14年前)の獣

