2012年10月11日

【善悪逆転論】太陽神アトン(アテン)の正体R

王仁三郎が救世主であることが明かされ、大本で善悪逆転劇が起こった。

つまり、王仁三郎が「バアル」で、ナオが「アトン」だということである。
従って、月海氏はナオに憑る「国常立尊」を「アトン」だと解釈している。

月海氏の言葉で言えば、国常立尊こそが今まで「ヤハウェ」と呼ばれていた神で、
実はバアル(スサノオ)に倒される竜(サタン=悪神アトン)だと言うのだ。

そう思ってしまうのも無理はないかも知れない。

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月海氏の記事を転載する。

理論派霊学者・友清歓真は一時大本教の役員であったが、
派閥争いから一方的な追放勧告を受け、憤慨して檄文を配布。
そこには「大本教の裏の秘密を見破って、撲滅の決心をするに至った。
艮の金神は世を惑わす邪神である」とまで糾弾している。

そもそも大本という宗教は、
清冽なようでいて俗悪、正義であるようでいて邪悪であった。

なぜなら大本の筆先にも
「出口家と言うのは悪神の懸かる家系である」
「日本にこういう悪いことが起こってくるぞ、ということを大本にしてみせる」
と示されるように、「悪の世の写し鏡」となる型を持っていたからである。


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ここで少し解説を挟みたいところだが、続きをお読み頂きたい。

大本教の開祖直にとっては自分に懸かる艮の金神
(天照大神の霊系の神として霊界物語に描かれる)
こそが正神と信じていたわけであるが、
古代ユダヤの宗教を霊的に知っていたのか知らずか、
王仁三郎にとってはスサノオこそが日本の正神だという主張があった。

直を生神様と大本教の幹部たちと王仁三郎の違った視点が
「霊界物語」には節々に暗示されている。
「霊界物語」では天照大神は全くの悪役といっていい程の扱いになっており、
直に神懸かる国常立大神も、
なぜか悪神の味方ばかりする指導力のない蒙昧な神として描かれている。

王仁三郎は直を始めとする大本幹部たちに、比喩的に
「貴方たちには何も分かっていない。
国常立も天照大神も実は本当の救済神ではなく、狭量な邪神の類なのだ」
と言っているのである。

王仁三郎にとって日本を正道に戻すということは、本来、天の岩戸から
出現できなかった生まれ変わったスサノオ命(天照国照彦火明命)を、
再び岩戸を開け直すことによって出現させることに他ならなかったのである。
しかしながら「霊界物語」に登場する悪神、邪神たちは、
最後には全てスサノオ命の忍耐強い慈愛の心でもって改心されていく。
スサノオは決して力でねじ伏せたり、悪を滅ぼすといった行動にでないのである。

直に懸かる艮の金神が「恐ろしい天災や戦争で悪の世を滅ぼすぞ!」
と言っているのとはまるで違っている。
天災や戦争を演出するのは、決して正神のすることではないということである。
もし人が、天災や戦争を神の審判と思うなら、
それは悪神、邪神を間違って崇めていることであり、
その人の心も悪心と邪心で満たされてしまうだろう。

「天変地異の預言を行なって人々を不安にさせて改心をせまる」
のが邪教であることは「霊界物語」に登場する
ウラナイ教団という邪教集団の姿を借りて描かれている。
その「ウラナイ教」の看板の裏には
「宗教おおもと」というルビが振ってあるというのである。
王仁三郎が大本教に対して強い反発感を持っていたことは歴然としている。

このウラナイ教団は一見、預言や教えがたいへん正しいように見えるので、
中にいる信者はそれが邪教であるとはなかなか気づくことがない。
しかし本当は自分だけが神様に気に入られて
天変地異にも生き残りたいと願う自分勝手な人たちの集まりなのである。
そして大変にしつこく、最後まで正神の働きを邪魔していくのである。
この王仁三郎の視点こそが「旧約聖書」を裏読みするポイントなのである。


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それでは解説するが、お筆先には「悪の世の写し鏡」ではなく、
「善悪二つの型を出すところ」と明記されている。

「大本は善悪二つの型を出すところ、他人には傷はつけられぬから、
ナオの血筋に悪の御役をさせるぞよ」


「大本=出口ナオ」「裏大本=王仁三郎」と定義すれば、
大本は「悪の世の写し鏡」である悪神の宗教だったのは事実である。

故に、王仁三郎は二度に渡る「大本弾圧事件」を政府に起こさせたのだが、
それは宗教破壊、日本の破壊、世界の破壊の型であり、
正神「国常立尊」のエネルギーによって現実化するものである。

破壊というのは「立替え立直し」の「立替え=解体」であり、
決して滅亡を意味するものではない。

ナオの死後、お筆先(大本神諭)の続編である『伊都能売神諭』が、
王仁三郎を通して降ろされた。

「艮の金神国常立尊が、明治二十五年から永らく出口直の体内を借りて、
若姫君の命と引添うて変性男子(ナオ)となりて、
三千世界の世の立替の経綸を、筆先に書かして知らしたなれど、
後の立直しの筆先は未だ書かしてないから、
変性女子(王仁三郎)の体内を借りて是から時節に応じて書かすぞよ」


艮の金神(国常立尊)が、月海氏の言うような悪神ではないことが分かるはずだ。

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陰陽道では、艮の金神は「猛悪の祟り神」とされているが、
金光教の立教によって「艮の金神」が祟り神ではなく、
民衆を救う慈悲深い神だと説かれた。

そして、金光教の信者だった出口ナオに艮の金神が憑り、
大本が立教したのだが、
王仁三郎は「国常立尊も天照大神も邪神の類」と言っている。

王仁三郎が、国常立尊(艮の金神)を邪神と定義する理由は何か……。

「救世主なるものは釈迦にもあらず、キリストにもあらず、
誠の世の救世主は瑞の霊・素盞鳴尊なり」


「スサノオ=艮の金神=国常立尊」で、「ルシファー」とも呼ばれているが、
「スサノオ=ルシファー」には「厳霊」と「瑞霊」の表裏がある。

瑞霊(救世神スサノオ)からすると、厳霊は比喩的に「邪神」なのだが、
それを文字通りに解釈するのは根本的な間違いである。

根本的な間違いなのだが、人々が根本的な間違いをする必要がある為に、
王仁三郎は意図的に、艮の金神(国常立尊)を邪神と定義したのである。

『大本神諭』にも次のように示されている。

「地の先祖はやはり悪神でありた、龍神は邪神でありたと申して……大神を恨みて……
やはり国常立尊も皆邪神でありたと申すぞよという事が、早うから諭示してあるぞよ」


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古来より、国常立尊は「祟り神」、
スサノオも「悪神」として封印され忌避されてきた。

両者は「艮の金神」として一体の神である為、
スサノオが救世神で、国常立尊は悪神という定義が
間違いであるということは分かるだろう。

王仁三郎はそのようなことは百も承知だった。

「王仁三郎が内心、大本教に対して強い反発感を持っていた」
とのことだが、それは大きな間違いである。

たとえ、王仁三郎が大本や直や国常立尊を批判したとしても、
厳霊の役割についても知り尽くしている王仁三郎にとっては、
全ては神芝居(雛型経綸)だったということである。

王仁三郎は「天照大神」に対しても邪神と言っているが、
スサノオ(バアル)も本来は「天照大神」である。

そのことは既に熟知されていると思うが、
スサノオに対立する「天照大神」と呼ばれている神は、
皇祖神のルーツとなるユダヤの神「アトン」のことなのだ。

以下の部分は重要である。

「王仁三郎にとって日本を正道に戻すということは、
本来、天の岩戸から出現できなかった生まれ変わったスサノオ命
(天照国照彦火明命)を、再び岩戸を開け直すことによって
出現させることに他ならなかったのである」


それが「真の天照大神の岩戸開き」=「キリストの再臨」=
「スサノオ・ニギハヤヒの復権」で、
獣の言葉で言えば「獄悪鬼族の復活」ということになる。

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以下の部分についても解説しておこう。

直に懸かる艮の金神が「恐ろしい天災や戦争で悪の世を滅ぼすぞ!」
と言っているのとはまるで違っている。
天災や戦争を演出するのは、決して正神のすることではないということである。
もし人が、天災や戦争を神の審判と思うなら、
それは悪神、邪神を間違って崇めていることであり、
その人の心も悪心と邪心で満たされてしまうだろう。


普通の人は「なるほど」と思って、
国常立尊(艮の金神)を悪神だと思うかも知れない。

いみじくも、国常立尊がナオに降ろしたお筆先に、
王仁三郎(スサノオ)が救世主で、ナオは悪神のお役だと示されている以上、
そのように解釈してしまうのも無理はないが、根本的な取り違えである。

艮の金神は善(霊主体従主義)のエネルギーであり、
改心しなければ天変地異や大戦争が起こることを警告しているのである。

それは悪(体主霊従主義)を改心させる為の艮の金神の働きであり、
悪が改心すれば大難は小難となり、小難は無難となるのだ。

艮の金神は決して世界を滅亡させようとしているのではなく、
「ミロクの世」の創造を説いているのである。

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また、艮の金神が天災や戦争を演出しているのではなく、
天災や戦争が艮の金神の審判なのではない。

いや、それは一面的には間違いではないのだが、
根本的な「取り違え」だと言っているのである。

『日月神示』にも次のように示されている。

「天変地異を神の怒りと取り違い致してはならん」

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そして『大本神諭』では、地震や雷という龍神(艮の金神)の
活動力の本質を、次のような当て字で表現されている。

「慈神、神也、火の雨降らせて戒めねば……」

そして、『日月神示』には次のようにも示されている。

「早うこの神示読み聞かせて、一人でも多く助けてくれよ」

「一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ」

「一度に立て替えすると世界に大変が起こるから延ばし延ばしにしているのざぞ。
目覚めぬと末代の気の毒できるぞ」

「何もかも、人間もなくなるところまで行かねばならんのぞ。
人間ばかりでないぞ、神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。
人間というものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、
いざとなりての改心は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ」

「何もかも三分の一じゃ。
大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組みぢゃ。
三分難しいことになっているのを、天の神にお願い申して、
一人でも助けたさの日夜の苦労であるぞ」

「鬼の目にも涙ぞ、ましてや神の目にはどんな涙もあるのざぞ」

「今の有様では、いつまでたっても掃除は出来ん。
ますます汚れるばかりぢゃ。
一刻も早く日本を足場として最後の大掃除を始めてくだされよ。
神が致すのでは人間が可哀想なから、くどう申しているのぞ」


このような厳しい父性の言葉の裏に、深い慈愛が感じられないのは、
瑞霊に偏っているからであり、正神を悪神と取り違えしてしまうのである。

厳霊はこのように恐怖を煽って改心を求めるが、
それは瑞霊である救世神「スサノオ」の力を発現させる為でもあるのだ。

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「天災や戦争を神の審判と思うなら、それは悪神、邪神を間違って
崇めていることであり、その人の心も悪心と邪心で満たされてしまうだろう」


というのも、根本的に大きな取り違えでだが、表面的な意味では正しい。

神によって最後の審判が下され、改心しない悪人は滅びる……
だから自分は改心して神を信仰して救われよう……。

それが月海氏が指摘する、邪心・悪心に満たされてしまっている状態で、
月海氏が言うヤハウェ(アトン)に支配されている証拠だが、
『日月神示』にもそのことは明記されている。

「何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心、我れよしぞ」

その意味では、文字通りにしか解釈できない「日月神示原理主義者」は、
邪心・悪心に満たされてしまっているかも知れない。

だが、逆に言うと、同じように『日月神示』を表面的な解釈で批判する者も、
邪心・悪心に満たされてしまっている状態なのである。

「天災や戦争が神の審判」だと思うのは、取り違えだということを書いたが、
それは「日月神示否定派」の月海氏が指摘するまでもなく、
『日月神示』が説いていることである。

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神の審判とは何か…………
何度も言うように、それは自分が映し出していることである。

「審判」とは比喩であって、決して外在神が人類を裁くわけではないが、
その表現も決して間違いではない。

「最後の審判」は「カルマの総決算」だと思えば分かりやすい。

全ては内面の出来事なのだが、人々が内面に目を向けない為に、
外面に現象として顕れるのである。

故に、審判は外在神による天罰とも言えるのだが、
それは内在神が外在神として顕れて強制内観をさせられているのだ。

『日月神示』は、そのことをくどいほど説き続けている。

「大峠の最中になったらキリキリ舞いして、
助けてくれと押し寄せるなれど、その時では間に合わん。
逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。
皆己の心であるからぞ」

「世界見て己の心早う改心致されよ。
戦恐れているが、臣民の戦位、何が怖いのぞ。
それより己の心に巣食うている悪の身魂が怖いぞ」


前述の「神が致すのでは人間が可哀想なから、くどう申しているのぞ」
も同じ意味で、艮の金神が外在神として現れて地上の掃除洗濯をすると、
天変地異で人類は殆ど残らない為、原因の世界である内面に目を向けて、
想念の浄化をせよという意味なのである。

厳霊はこのような厳しいことを伝えてくるが、
「瑞霊=善」「厳霊=悪」と解釈するのは間違いである。

悪神とは、厳霊(国常立尊)のシャドーである
「盤古大神(アトン)」のことなのだ。

「国常立尊」と「盤古大神」は善悪の表裏一体の同一神だが、
「国常立尊=盤古大神」が悪神だと解釈してしまっていることが、
月海氏の根本的な間違いなのである。

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続いて、月海氏の話を紹介しよう。

モーセ以降、バールとヤハウェ神官は激烈な覇権争いをするようになる。
当然、ユダヤ人の宗教に深く根を張っていたバール神に対抗するために、
新参のヤハウェの神官は特別な甘言をもって布教活動を行うことになった。
そこから生まれたのが「ヤハウェの神は、ユダヤ人を自らの選民とし、
他民族にはない繁栄を約束してくれた。
だからバール神などを信仰してはならない」という教義だったのである。

これがいかに傲慢な言い分であるかは、
良識のある民族であったならすぐに気づくべきであるが、長年、
不遇に打ちひしがれていたユダヤ人の間には熱狂的に広がっていった。
「ヤハウェを信仰しないから、ユダヤは数々の受難にあった。

しかし、ヤハウェを信仰しさえしていればいつかヤハウェが天誅を下し、
他民族を制圧してユダヤ人の王国を建設してくれる」
ユダヤの狂気はここから始まったのである。
しかしこの教義は何かに似ていないだろうか?

それは「悪人が裁かれる世が来る。世界が泥海となる。艮の金神に改心せよ!
改心すれば救われる」という大本の開祖直の教義であり、
近年においては「ハルマゲドンがくる。私たちだけが真理に目覚めたものだ。
真理に目覚めないものは無間地獄に堕ちる」というAUM真理教の教義である。
このような教義にはバールの見せる「神の慈愛」「神の犠牲」のかけらもない。
王仁三郎は、これを「メシアの経綸を最後まで邪魔をするウラナイ教」とした。


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オウムが大本の系譜を霊的に受け継いでいることは同感だが、
月海氏は1つ大きな勘違いをしている。

その大きな勘違いとは、「アトン=国常立尊」という定義で、
『大本神諭』がユダヤ教の霊統だという解釈だが、
大本がユダヤ教(アトン信仰)と一致していることは事実である。

月海氏は「バアル」と「ヤハウェ」の対決と表記しているが、
「ヤハウェ=アトン」という一面的な定義をしてしまうと、
善悪逆転の裏の意味を読み取ることができない。

それで、月海氏は「ヤハウェ=アトン」ゆえに「アトン=国常立尊」
という誤った解釈をしてしまっているのだ。

何度も言うように「バアル」と「アトン」と表記が正しい。

従来は、アトンが「神」で、バアルが「悪魔」とされてきたが、
「ヨハネの黙示録」で逆転現象を起こしていることは理解できたと思う。

「ヤハウェ」と「サタン」という表記では逆転現象に気づかないが、
主(ヤハウェ)がアトンから「バアル」に変わり、
サタンがバアルから「アトン」に変わっているのだ。

その証拠は既に解説してきた通り、バアルは「牛」、サタンは「龍」で、
それは「王仁三郎」と「ナオ」に対応している。

ナオに憑った国常立尊は龍神で、王仁三郎によっても「国常立尊は邪神」
とされている為、月海氏は取り違いをしているのである。

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「ナオの血筋に悪の御役をさせるぞよ」と示されている通り、
ナオに憑った国常立尊が悪神なのではなく、
悪神「盤古大神=偽の天照大神=アトン」
の型役者を演じさせられたということである。

「スサノオ=艮の金神=国常立尊」という定義を元に
善悪の対立構造を示すと、以下のようになる。

正神「国常立尊=真の天照大神=バアル」
悪神「盤古大神=偽の天照大神=アトン」


ここで、分割して善悪の図式を改めて認識して頂きたい。

「国常立尊」と「盤古大神」
「真の天照大神」と「偽の天照大神」
「バアル」と「アトン」
「スサノオ」と「ヤマタオロチ」


故に、月海氏が誤解している「スサノオと国常立尊の対立」
という定義は根本的な間違いなのである。

また、それぞれの善悪が表裏一体の関係であることも忘れてはならない。

善悪それぞれに裏表があり、それが四位一体の「YHWH」であり、
殺戮の天使「メルカバー」とも繋がってくる。

月海氏が説く「善悪逆転」の認識だけでは、
決して「真の善悪逆転」を理解することはできず、
「善悪統合」に至ることはない。

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王仁三郎の『霊界物語』には「国常立尊は邪神」と示されているが、
次のようにも示されている。

「国祖国常立大神はトルコのエルズルムに神都を作ったが、
八又八尾の大蛇や金毛九尾の狐が神人に憑依して天地の律法を破壊したため、
国常立大神は隠退を余儀なくされ、
地球の東北にあたる日本列島に押し込められることになった。
国常立大神に代わって実権を握ったのは常世彦である。
常世彦はエルズルムを拠点に我が物顔で地上を支配して神政を汚したため、
地上世界は乱れきり、大地震が頻発し、
降り続く雨によって地上はかつてない大洪水となった。
この惨状に責任を痛感した国常立大神と妻の豊国姫は宇宙の主宰神に詫びを入れ、
二人で天教山の噴火口に身を投じた。
この自己犠牲による地球救済の業を施した為に宇宙の主宰神は
伊邪那岐命と伊邪那美の二神を遣わして、再び地上界を再生させ、統治させた」


ここに登場する「常世彦」は「盤古大神」のことだが、
政権交代によって、国常立大神は隠退を余儀なくされ、
地球の東北(鬼門=艮)にあたる日本列島に封印されたというのは、
『大本神諭』や『日月神示』の主張と同じである。

また、このストーリーを見れば、
国常立尊が正神で、常世彦が悪神であることは一目瞭然である。

国常立尊の夫婦神が天教山の噴火口に身を投じたというのは、
「噴火鎮護=マグマが地底に鎮まった」ということの比喩だが、
国常立尊(艮の金神)が「贖罪神」であることを明確に物語っている。

ちなみに、この時の政権交代は「ノアの大洪水」の次元変動で、
大洪水後は悪神(盤古大神=常世彦)の支配する世界に転換したようだ。

だが、大洪水後の泥海の世界を修理固成する為に、
マグマである龍神=正神「国常立尊」も活発に働いていたはずで、
それが再び地底に鎮まった(獄に封印された)時の大変動が、
「出エジプト記」の時代の天変地異だったと考えられる。

言うまでもなく、その型示しを行なったのがアクエンアテンである。

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思い出して頂きたいが、「国常立尊」はアトンに封印された正神であり、
アトンの正体は国常立尊のシャドーである「盤古大神」なのだ。

「ナオの血筋に悪の御役をさせるぞよ」

「大本=出口ナオ=悪」「裏大本=王仁三郎=善」だが、
ナオに憑った国常立尊が悪神なのではない。

ナオは悪神である盤古大神(アトン)の型役者を演じさせられたのだが、
ナオが書記した『大本神諭』はあくまでも正神「国常立尊」の預言書であり、
決して悪神「盤古大神」の啓示ではない。

この部分をハッキリと理解しておかないと、
「善悪逆転の裏の意味」を理解することができない。

念の為に言っておくが、ナオに国常立尊が憑ったが、
もちろん根源神(ガイア意識)が憑ったわけではなく、
そのエネルギー傾向(霊統)の高級霊が憑ったのである。

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そもそも、王仁三郎は「スサノオ」、ナオは「国常立尊」で、
両者は「艮の金神(鬼)」において同一神格である。

艮の金神(鬼)は「封印されていたバアル」であり、
龍(サタン)を倒す救世神である。

国常立尊は確かに「龍神」と表現されており、
出口ナオ(国常立尊)はサタンである「龍」ということになるが、
それだけでは「善悪逆転論」を理解したとは言えない。

サタン(龍)も封印されていた存在であり、
それは天界から追放されたスサノオ(バアル)だからである。

そして、東洋に於いて龍は神であり、
サタンは西洋と対立する「東洋」を示唆しているのだ。

王仁三郎(鬼三郎)は鬼、即ち、
封印された牛神バアル(スサノオ)の御魂の持ち主だった。

大江山の近くの綾部に住んでいたナオも、節分に艮の金神(鬼)が憑った。

王仁三郎は、ナオに憑った艮の金神を「国常立尊」だと断定したが、
スサノオも「艮の金神」と呼ばれている。

話が元に戻ってしまったが、国常立尊は丹後の海人族の氏神で、
もともと籠神社の奥宮「真名井神社」に祀られていた主祭神である。

その真名井龍神から降ろされたのが『龍宮神示』なのだ。
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