2012年10月11日

【善悪逆転論】太陽神アトン(アテン)の正体S

キリスト教はユダヤ教を受け継いで、アトンを主(ヤハウェ)として信仰し、
バアル(ルシファー)を悪魔と定義してきたが、
それに真っ向から対立したのが異端のキリスト教「グノーシス派」である。

色々な名前が出てくると更に複雑になるので、概要だけを述べるが、
グノーシス主義は、イエスが救世主(キリスト)だったことを認めるが、
一般のキリスト教が説く神と悪魔は実は逆だと主張している。

正統なキリスト教の立場からすると、
グノーシス主義は「悪魔崇拝の反キリスト教」であり、
キリスト教の一派として認知できないものである。

だが、イエスをキリストだと認めている点では、
グノーシス主義も「キリスト教」には違いない。

もちろん、グノーシス主義の立場から見ると、
一般のキリスト教こそが「悪魔崇拝の反キリスト教」ということになる。

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グノーシス主義は、自己の本質(魂)と真の神の認識への到達を求める思想で、
真我を覚醒して悟りを開く為の教義ということになる。

グノーシス主義の基本的な思想は「反宇宙的二元論」と呼ばれるもので、
「反宇宙」とは否定的な秩序が存在するこの世界を認めないという立場である。

迷妄や希望的観測を排して、現象的に率直に真摯に世界を眺めると、
この宇宙は「悪の宇宙」に他ならないと主張している。

従って、宗教の神が善だというのは誤謬であり、
善とされる神がこの悪の世界の原因であるなら、
それは「悪の神」「偽の神」だと説いている。

だが、どこかに「真の神」が存在し、
「真の世界」が存在するはずだと考えられている。

また、悪の世界は「物質」で構成されていて、
それ故に「物質は悪」であり「肉体も悪」だと定義されている。

禁欲主義もグノーシス主義の特徴だが、肉体を悪とする結果、
「霊」こそは実在であり真の世界だとしている。

つまり、「善悪二元論」を基に「善悪逆転論」が説かれているのだ。

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霊主体従主義は「善」、体主霊従主義は「悪」という
『日月神示』の定義にに基づけば、グノーシス主義の教義は正しい。

もちろん「獣の善悪逆転論」は、グノーシス主義の影響を受けたわけではなく、
『日月神示』の理解や内観の結果、自然に悟った真理である。

グノーシス主義の教義を一般的な言葉で言えば、
「ヤハウェ」が悪魔で、「ルシファー」が神だという思想である。

つまり、「アトン」が悪魔で、「バアル」が神であり、
イエス・キリストは「バアルの預言者」だったと説いているのだ。

換言すれば、イエス・キリストは「ルシファーの預言者」だったのである。

「反宇宙的二元論」も基本的に正しい宇宙観である。

自分の潜在意識・想念界が「悪神」を生み出し、
自分が「悪の宇宙」を映し出しているからである。

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どこかに「真の世界」と「真の神」が存在するという考えも正解で、
「真の世界」は内側にある5次元の世界であり、「真の神」は真我である。

また、物質や肉体を非実在の「悪」と定義するのは「霊主体従主義」である。

それが禁欲主義に繋がっているということは、少し前に書いた通り、
バアルのエネルギー(破壊衝動)は禁欲的欲求ということになる。

また、獣は善悪など「二元の等化」を説いているが、
この世界が宇宙が二元で構成されていることを否定しているわけではない。

本質的には一元論であり、それが悟りの境地なのだが、
宇宙が進化の為に二元化されていることは事実であり、
またそれによって中真を知ることができるのである。

故に、『日月神示』も過激な二元論を説いているが、
実は一元論であり三元論でもあるのだ。

それは、黄金太陽(ピラミッドの謎=5次元の入口)
を解明すれば、明確に認識できるようになる。

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グノーシス主義と言えば、イルミナティの創立者
アダム・ヴァイスハウプトを思い出す人も多いだろう。

端的に言えば、イルミナティは
グノーシス主義の「ルシファー崇拝」を基本としている。

ヴァイスハウプトは、フランスの啓蒙主義や百科全書派の影響を受け、
イエズス会への反発心を高めていったと言われている。

そして、古代エジプト、ピタゴラス学派、ユダヤ教エッセネ派、グノーシス派
などを研究し、更にフリーメーソンのカバラに興味を持っていったという。

古代エジプトの研究では、「シリウス信仰」だったことを突き止め、
太陽崇拝は庶民の信仰に過ぎず、王はシリウスを信仰していたという。

たが、それは正しいとは言えない。

歴代のファラオは「太陽神アメンの子」とされていたし、
アクエンアテンにしても「太陽神アトン」を崇拝し、
民衆には王である自分(アクエンアテン)を崇拝させていたからだ。

従って、王が太陽神を信仰し、民衆は王を神として崇めていたのだ。

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だが、ヴァイスハウプトの話は間違ってもいない。

月海氏によると、「バアル」は古代エジプトで、
オリオンの三つ星として象徴されていたという。

「太陽」として象徴されたり「金星」として象徴されたり、
「オリオンの三つ星」として象徴されたり様々だが、
バアル(スサノオ)の御魂を持つ王仁三郎も「オリオンの君」と呼ばれ、
背中にはオリオンの三つ星の配列のホクロがあったという。

エジプトの3大ピラミッドはオリオンの三つ星に対応させた建造物だが、
これはエジプト文明の遺産ではなく、ノアの大洪水前の産物である。

そして、スフィンクスが獅子座、ナイル川が天の川に対応しているのだが、
その時代はシリウスが信仰されていたのである。

シリウスは「太陽の奥の太陽」と呼ばれ、太陽に影響を与えている恒星である。

故に、イエスが言った「天の父」はシリウスを指し、
シリウスと太陽の関係は「父と子」なのだ。

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オコツトによると、3大ピラミッドはムー人たちが「意識進化装置」として
ノアの大洪水前に建造し、オリオン領域にアセンションしたという。

彼らが「バアル信仰者」だったことは言うまでもないが、
換言すれば「ルシファー信仰者」だった。

「バアル=ルシファー」は「明けの明星」だが、
バアルは「オリオンの三つ星」、ルシファーは「シリウス」で象徴されている。

故に、ルシファーとイエス・キリストの関係は「シリウスと太陽」であり、
バアルはオリオンの三つ星でもあるが、シリウスでもあるということになる。

アリオンは次のように自己紹介している。

「私はシリウスを軸に、この太陽系を含むオリオン星系を司るエネルギーである」

また、アリオンは「ミカエルの力の一顕現」を名乗っている。

ミカエルはルシファーの双子の兄弟だが、アリオンは次のようにも言っている。

「我々のコード・ネームは『光』。明けの明星。金星の覇者」

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すべからく、これはミカエル(アリオン)とルシファーが
一体のエネルギー(双子の兄弟)であることを物語っている。

ルシファーの語源は、ラテン語の「ルチ・フェロ(光を運ぶ)」で、
太陽神を象徴するイエス・キリストは「私は世の光である」と言った。

故に、アリオンとルシファーとイエス・キリストは、
「明けの明星」と「光」という共通する象徴を持っているのだ。

もちろん、バアルも「太陽」や「明けの明星」で象徴される同一神となる。

そして、封印された竜(ルシファー)は「国常立尊」のことである。

アリオンは言う。

「鬼が封印されたというのは一面的な見方であり、実際には自ら姿を隠した」

それが「艮の金神」だが、龍(国常立尊)は
「艮の金神」という特性に於いて、鬼(牛=スサノオ)と一体である。

従って、古代エジプトに於けるアメンの封印の神界の原因である
「国常立尊の封印」ということについても、
「悪神の多数決により隠退を余儀無くされた」と示されているのだ。

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悪神とは「体主霊従主義」のエネルギーであり、
正神である国常立尊は「霊主体従主義」のエネルギーである。

国常立尊が封印された理由は、明確に示されている。

「一切の悪を許さぬ厳格な神政を敷いていたからである」

つまり、国常立尊は「グノーシス主義」の神なのである。

逆に言うと、グノーシス主義は、国常立尊の系譜の思想体系であり、
獣が説く「善悪逆転論」はグノーシス主義の教義と全く同じである。

獣がキリスト教を批判する理由が分かるだろう。

だが、獣は「霊主体従主義者」ではなく、
「善悪逆転論」を真理だと説いているのではなく、
本心でキリスト教の「御用の悪」を否定しているのではない。

逆に言うと、獣は「グノーシス主義」を批判する者である。

キリスト教は悪(体主霊従主義)で、
グノーシス主義は善(霊主体従主義)だが、
獣は両者を統合した中真だからである。

王仁三郎が国常立尊を「邪神」と説いたのも、
そのような意味が含まれているのかも知れない。

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一切の悪(体主霊従主義)を許さぬ厳格なグノーシス主義の
国常立尊も、『日月神示』の中で次のように示している。

「悪を悪と見るのが悪」

「悪も御役であるぞ。この道理よく腹に入れて下されよ」

「悪も神の御働きと申すもの。悪にくむこと悪ぢゃ。
善にくむより尚悪い。何故に判らんのか」

「悪で行けるなら悪でもよいが、悪は影であるから、
悪ではつづかんから早う善に帰れと申すのぞ」

「善でつづくか悪でつづくか、この世に善と悪とがあって、
どちらで立って行くか、末代つづくか、得心ゆくまで致させてあったが、
もう悪ではつづかんことが悪神にも判って来るのであるから、
今しばらくのゴタゴタであるぞ」

「悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、
悪が表に出ること相成らん。
悪を食ふて暮らさなならん時近づいたぞ、
悪を噛んで、よく消化し、浄化して下されよ、
悪は善の仮面をかぶっていること多いぞ、
だが悪も大神の中に生まれたものであることを知らねばならん」

「悪魔の仕組はこの方には判りているから一度に潰す事は易いなれど、
それでは天の大神様にすまんなり、悪殺してしまうのではなく、悪改心さして、
ミロクの嬉し嬉しの世にするのが神の願いざから、この道理忘れるでないぞ」

「悪の総大将よ、早よ改心なされ。
悪の神々よ、早よ改心結構であるぞ。
いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。
悪とは申せ大将になる身魂、改心すれば、今度はいつまでも結構になるのぞ」

「悪も御苦労の御役。この方について御座れ。
手引いて助けてやると申してあろが。
悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」

「悪も善に立ち返りて御用するのざぞ、善も悪もないのざと申してあろがな」

「悪の世が廻りて来た時には、
悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ。
悪も元を正せば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、
憎むと善でなくなるぞ、天地にごりてくるぞ」

「悪神よ、今までは思う通りに、始めの仕組通りにやれたなれど、
もう悪の利かん時節が来たのであるから、早う善に立ちかえりて下されよ。
善の神まで捲き入れての仕放題。これで不足はもうあるまいぞや」

「今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、
輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ。
この御教に人民は、すっかり騙され悪殺すことが
正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ。
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、
平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、
悪はますます増えるのみ、悪殺すてふそのことが、
悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ」

「本来悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、
八岐大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生ける神、
神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、
あななふ所に御力の輝く時ぞ来るなり、善いさかへば悪なるぞ。
善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ。
ただ御光のその中に、喜び迎へ善もなく、
悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし」


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以下も『日月神示』だが、これは厳霊系ではない。

「善のみにては力として進展せず、無と同じこととなり、
悪のみにてもまた同様である。
故に神は悪を除かんとは為し給わず、
悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。
何故ならば、悪もまた神の御力の現れの一面なるが故である。
悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、
地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる
科学的平面的行為であって、この行為こそ、悪そのものである。
この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。
悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の善悪となすことによって、
三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。
この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる」

「すべての善は、・より起こり、・に還るのと同様、
すべての悪もまた・より起こり、・に還る。
故に、神をはなれた善はなく、神を離れた悪のみの悪はあり得ないのである。
殊に地上人はこの善悪の均衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、
悪を取り去るならば、地上人としての生命はなく、また善はなくなるのである。
この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。
この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。
悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。
所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである」

「地上人は絶えず、善、真に導かれると共に、また悪、偽に導かれる。
この場合、この平衡を破るようなことになってはならない。
その平衡が、神の御旨である。
平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、
超大平衡にと進み行くことを弥栄というのである。
左手は右手により生き動き、栄える。
左手なき右手はなく、右手なき左手はない。
善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。
神は善・真・悪・偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。
新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生まれ、神に育てられつつある。
始めなき始めより、終わりなき終わりに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである」

「霊人に於いては、善悪の両面に往することは、原則として許されない。
一時的には仮面をかむり得るが、それは長く続かず、自分自身絶え得ぬ事となる。
地上人といえども、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。
しかし、悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために
課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。
悪と偽に、同時に入ることは、一応の必要悪、必要偽として許される。
何故ならば、それがある為に弥栄し、進展するからである。
悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、
歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからである」

posted by ZERO at 12:37| Comment(0) | 歴史・アカシック修復 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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