アトン(偽の天照大神)が地上を支配する「神」となった
…………ということを書いてきたが、
同様のことは半田広宣氏も述べている。
ユダヤ教のごく一派であったイエスの教えは、
パウロの政治的手腕によってローマ人にも受け入れられ、
世界宗教への道を歩んでいく。
しかし、ここで本来のイエスの思想は大きく歪曲される。
4世紀に宗教会議が開かれ、原始キリスト教やグノーシス主義など
ローマ的解釈以外のキリスト教を異端とした。
これによってキリスト教はローマの政治力学の中枢に組み込まれることになる。
キリストを迫害した者が今度はキリストの御名においてその異端を迫害する――
ヨーロッパ社会は、キリスト教によってもたらされた
このローマ的な分裂気質をその底流に引きずりながら、
いびつな屈折した集団心理を原動力として、歴史の車輪を回していったのである。
しかし、この正統と異端が転倒した精神構造を
引きずってきたのは何もヨーロッパだけとは限らない。
この2000年の歴史の変遷を見れば、私たち人類を
支配してきた世界精神の素性は大方の見当はつくだろう。
キリスト教といわず、ほとんどの宗教は政治的支配の手段として用いられ、
政治は常に為政者たちの道具として使われ続けてきた。
経済は個人的欲望の排泄行為として機能し、
科学テクノロジーは殺人機械として進歩した。
欲望、不信感、嫉妬心、憎悪……。
文明とは、これら人間の心の内に潜む黒い影を
栄養分として成長してきた化け物なのかも知れない。
私たちの歴史に登場してきたほとんどの知的生産物が、
人間の精神に根深く巣くった覇権主義や他罰主義という
怪物の下に動かされてきたことを、一体、誰が否定できるだろうか。
これらの怪物は常に多くの最良の精神たちを威嚇し、
迫害し、時には抹殺さえしてきたのだ。
そして、それら多くの犠牲的精神が存在したにも関わらず、
この世界の在り方がどれだけ変わったというのだ。
獣と違って、なかなか知的な文章だが、
これはアトンが地上を支配してきたことを意味する。

また、次のように書かれている。
「愛」とは、おそらく私たちが創造や
文明の発展と呼ぶ差異の増殖とはおよそ無縁のものなのだ。
むしろ、真実の「愛」とは、現存しているあらゆる創造物の
解体作業の中から立ち上がってくるものと考えるべきである。
人間が文明という名のもとに作り出してきたまやかしの創造を
破壊し尽くすものが真実の「愛」の正体でなければならない。
その意味では、世界は神の落ち度によって出現したのかも知れない。
これも共感するところだが、「神の落ち度」というのは不適切な表現で、
正神が封印されたからだが、実は正神が自ら隠退したのである。
次のオコツトと半田氏の交信記録を見て頂きたい。
「そろそろ、真の創造と破壊について考える時期に来ているのではないですか」
「真の創造と破壊…ですか?」
「真の破壊とは、実はあなたがたが創造行為と思い込んでしまっているもの、
つまり、事物の多様化や情報の無限増殖にあるのです。
あなたがたの科学は目の前に与えられた自然を分析し、
それに伴い多種多様な言葉を作り出していきますが、その知的体系が膨らめば膨らむ程、
人間にとって重要な精神原理が失われていっていることを知らねばなりません。
物質的知識の多大な習得にもかかわらず、
それによってもたらされてくるものは精神的秩序の深刻な喪失なのです。
この喪失こそ宇宙的な意味での真の破壊と呼んでいいものです。
あなたがたは、文明の進化に加速度を与えてきたもの、
すなわち、あなたがたに創造力や思考の多様な発現を与えている
その源泉を神と呼んでいるのではありませんか。
目の前に与えられた自然に対し、その秘密を解き明かし、
神の創造行為にその個的な意志を持って人為的に加担すること……
あなた方はそれらの作業を人間に与えられた貴い創造行為だと信じ込んでいるはずです。
しかし、タカヒマラが最終構成に入れば、
もはやこの存在は宇宙的秩序の破壊をもたらす偽りの神であり、
オリオンとの連結を喪失させ、宇宙を死に至らしめるものとなるでしょう」
「私たちが創造行為と呼ぶものが破壊……
では、私たちの文明が作り上げてきた知識体系や創造活動はすべて無意識なもので、
ただ偽りの神に奉仕してきただけだったとおっしゃるのですか」
正神は創造神で、悪神は破壊神というイメージが一般的にあるので、
獣は少し前に、敢えてその逆のことを述べた。
悪神は物質文明の「創造神」で、正神はその「破壊神」だという一面的事実である。
前述の半田氏の「愛」についての話を見ても、獣の話は理解できるだろう。

だが、本質的意味では、正神が創造神で、悪神は破壊神である。
それは次のオコツトの話を読めば分かるが、悪神は「御用の悪」ゆえに、
オコツトは「偽の神(悪神)」という半田氏の表現を否定している。
「いいえ、そうではありません。
なぜならば、あなたがたが歴史の中で立ち上げてきたあらゆる学問の
究極の目的とは、この認識原理の転倒に気づくことにあるからです。
物質的な知識の累計こそが人間にこの転倒原理を気づかせる唯一の方法なのです。
ですから、プレアデス的統制、物質的な知の体系が成長してきたと考えて下さい。
あなたがたの眼前に展開されている宇宙は、
真実の宇宙構造が完全に転倒させられた影のようなものですから、
この写像から獲得されるあらゆる知識は宇宙的真理を全て含んでいます。
しかし、真理はあくまでも転倒された真理にすぎません。
現在あなたがたが作り出している社会システムは、
この転倒した真理への信奉により生まれています。
タカヒマラから俯瞰すれば、物質的知識の獲得の目的は、
そこで得られる知識ではなく、それらの知識に根本的な刷新を与えること、
つまり、物質的知が精神的な知へと変容するところになるのです」
「なるほど…つまり、知の変容というわけですね。
もちろん、僕もそれはうすうす感じてきたことです。
で、それは物質的な知識自体の中に、その知識、
自らを変容させる力が内在しているということでしょうか」
「もちろんです。
真の破壊行為とは、あなたがたにとって眼前に展開されている
世界の多様性を『一なるもの』に統合していくところにあります。
これこそが私たちが定質と呼ぶ力のことなのです」
「全てを『一なるもの』に持っていく力と、
それに対して無限の多様性を生み出してくる力か……。
それが、あなたがたが定質と性質と呼ぶものの関係でもあるのですね」
「はい。オリオンの力とプレアデスの力の関係にあります」
「ということは、真の創造をもたらすものがオリオンで、
真の破壊をもたらすものがプレアデスだということですか」
「いいえ、それは違います。
オリオンとプレアデスは、いわば宇宙の進化とその反映の関係にあるものです。
創造の原因を送り出すのがオリオンで、その創造を育むのがプレアデスです。
プレアデスは決して破壊を招く力を送り込んでいるわけではありません。
新しい創造原因を作り出す為の種子、人間を宿している母胎と呼べる部分です。
タカヒマラに真の破壊をもたらすものとは、
このオリオンとプレアデスの結合が逆転させられた時に出現します。
それが私たちがスマルと呼ぶもののことなのです。
スマルは人間の意識がプレアデス的領域を宇宙の本質と錯誤した時に生まれる、
いわばオリオンの進化の力が完全に転倒させられたところにある力です」

「スマルがオリオンの転倒したもの……で、
その転倒とは具体的に言うとどういうことを意味するのですか」
「人間の意識を人間の内面に偏映させ、止核化させる力を意味します」
「止核化と言うと……?」
「核質に閉じ込められてしまうということです」
「つまり、物質……人間型ゲシュタルト」
「そうです。
プレアデスは光によって意識進化の新しい方向性を投げかけているのですが、
スマルが核質膜を作り出し、この反射作用に方向を持たないように
感性球領域の中に人間の意識を封じ込めてしまっているのです。
そのためにプレアデスはその偏映を解くことができなくなっています」
「それは、人間の意識がミクロとマクロを
等価なものとして見られないということを意味するのですか」
「そういうことも含みます。反転する力が顕在化を起こしていないということです。
プレアデスが進化の方向性を見失うとスマルの力が増長し、
タカヒマラは次なる進化を不連続にさせてしまうのです」
「なるほど、核質化した次元における不連続質とはそのような意味だったのですね」
「ええ、その通りです。
現在、多くの地球人の意識にプレアデスが進化の方向を失った状態が見られます。
あなたがたが客観的世界と呼んでいる空間ゾーンは、
人間にタカヒマラの全体性を反映として見せているいわば反射の場なのですが、
ここに人間の意識が完全に落ち込んでしまうと、
プレアデスはオリオンへ逆方向から力を交差させるように働きだしてしまいます。
そうなると、プレアデス領域の有機体が破壊され、
シリウスの意識調整システムとの連結が断たれてしまうのです。
最終構成に入る前であれば、この働きは人間という次元の内部における
正常な成長として考えることもできます。
しかし、最終構成以後もそのような方向性を持つとすれば、
それは虚無への力以外の何物でもありません」
オコツトの話は難解なので、何となく理解できれば良いだろう。
獣もよく理解していないが、獣の話の骨子と同じであることは分かる。

さて、話のテーマを戻そう。
バアルの封印とアトンの台頭が何を意味するかは、もうお分かりだろう。
バアルは人間の真我(魂)で、アトンは自我(偽我)である。
つまり、人間が真我を見失って、
自我を「自分」だと認識するようになったということである。
真我(魂)は本来、5次元の存在で、人間の「本守護神」である。
人がそれを見失ったということは、「神を見失った」ということなのだ。
それで自我は、外側の世界に神を求めるようになったと言えるだろう。
『霊界物語』によると、盤古大神(アトン)はもともと悪神ではないが、
天則を犯して太陽神界から天降り、八頭八尾の大蛇
(人類の悪想念)に憑依され、悪神の総大将になったという。
太陽神界とは、人体の胸に位置する5次元の想念界(涅槃)のことである。
その太陽神界の主は、太陽神バアル(真の天照大神)である。
アトン(盤古大神)も太陽神だが「偽の天照大神」である。
アトンは太陽神そのものではなく、「太陽の光」を神格化したものである。
つまり、肉体意識である自我(アトン)は、
魂の意識である真我(バアル)の投影だということである。
「太陽神界から天降った」というのは、そういう意味なのだ。
盤古大神(アトン)はもともと悪神ではなかった。
それは、肉体意識(自我)そのものは本来「悪」ではないということである。
それが悪神の総大将になったのは、八頭八尾の大蛇に憑依されたからだという。
その意味は、3次元の肉体意識である自我が、4次元の幽体意識の副守護神
(潜在意識の悪想念)に支配されるようになったことを示している。

だが、4次元に存在するのは幽体意識だけではない。
六道を見れば分かる通り、3次元の人間道を除いて、
4次元の最上界に「天上道」がある。
天上道でもまだ幽体は持っているが、
幽界意識(潜在意識)を浄化して霊体意識に目覚めた状態である。
それを「正守護神」という。
神(真我=魂の意識)を見失った自我に対して、
「正守護神」は「本守護神(自我=魂)」と「自我」の仲介役として、
自我に様々な気づき(直感)を送るが、自我はなかなかそれに気づかない。
そこで、5次元のハイヤーセルフ(仮の自己)が
様々な方法で自我にメッセージを送ってきているのだが、
副守護神(悪想念)に支配された自我はそれにも気づかないでいるのだ。
潜在意識が浄化されてくると、正守護神からのメッセージの感受性が高まり、
瞑想時には対話も可能となる。
そして、潜在意識が浄化され天上道(フォーカス27)のレベルに到達すれば、
アセンション予備軍に入ることが可能となるのだ。
天上道に達していなくても、食事改革や内観、ホ・オポノポノや祝詞などで
「身魂磨き」に努めていれば、天上道に引き上げられる可能性もある。

誤解のないように言っておくと、
獣は「アトン信仰否定主義者」ではないということである。
獣を構成する▼がアトンだからである。
もし、アトン信仰を批判するバアル信仰者がいたら、獣はそれを批判する。
善を説く人には、悪の立場からその人に指摘をする。
肉食を批判する人にも厳しい指摘をする。
アトンの話に戻すと、善悪統合(黄金太陽の完成)は
アトン信仰とバアル信仰の統合である。
別の表現をすると、善(霊主体従)と悪(体主霊従)の統合が
「霊体一致」なのだ。
反対の立場から指摘して戦わせ、
統合させて中心に導くのが「中心のやり方」である。
獣の記事を読んで思い違いをして、反感を持つ人もいると思うが、
▼の力も必要であり、それも必然・必要・ベストなのだ。
汝の世界では、獣という人間は実在ではなく、
汝の投影であることを忘れてはならない。
バアルとアトンの本質は表裏一体の内在神(神と悪魔)であり、
バアルとアトンの戦いは自分の内面での出来事である。
アトンが存在しなければ「ミロクの世」は実現しない。
じきに獣が言っていることが理解されると思うが、
その時が汝自身の自己救済であり、
獣の世界においても自己救済(他者救済)になるのだ。
念の為に言っておくと、自己救済とは大宇宙の浄化のことである。

1つ認識しておいてもらいたいのは、
獣は内海氏が説く単なる中真ではなく、全体であり尚且つ中真である。
従って、本質的な話をすると、
獣に対する反対意見というものは存在しないということである。
例えば、「中国にミサイルを飛ばせ」というような意見は中真ではないが、
それは全体の中の片方の極に過ぎない。
従って、獣は(真我では)その意見に反対もせず、その勢力も必要なのだ。
但し、そのようなことを主張する人がいたら、
(本心ではないが)真逆の立場から批判する。
逆の場合も同様で、その時は獣は中国を非難する立場から指摘するだろう。
これ以上、言葉での解説は不可能だが、少し話を続けよう。
棒磁石の(N極)がアトン、(S極)がバアルである。
どちらがN極でもS極でも良いのだが、
棒磁石を半分に切って(N)と(S)に分けても、
それぞれにまた(N)と(S)が発生し、
(N)と(S)を分離することは絶対にできない。
バアルとアトンの関係は、磁石の(N)と(S)と同じなのである。
別の表現をすると、バアルとアトンの関係は、コインの裏表と同じである。
スウェデンボルグは、あの世とこの世の関係をコインの裏表で喩えた。
バアルとアトンの関係も全く同じである。
あの世主義(霊主体従主義=内側主義)がバアルで、
この世主義(体主霊従主義=外側主義)がアトンである。
霊界と人間界が表裏一体であるのと全く同じ原理で、
バアルとアトンは表裏一体なのである。
もちろん、アトンを改心させる必要がある。
命懸けでアトンと戦い、改心させて抱き参らせる……
それが善悪統合(霊体一致)であり、
内観の果ての「黄金太陽」の構成なのだ。

アトン批判は「善悪逆転主義=霊主体従主義」である。
獣は「善悪逆転論」を説いているが、善悪逆転主義者ではない。
善悪逆転はあくまでもプロセスであり、獣は善悪統合主義者である。
それは、世の中全体が反転していないアトン信仰(物質主義)だからである。
スピリチュアルに傾倒している人であっても、
真我(魂の意識)に目覚めていなければ、自我(肉体意識)で生きている
アトン信仰者(物質主義者=体主霊従主義者)ということである。
にも関わらず、思想だけスピリチュアル(霊主体従主義)に
偏っている人が殆どであり、その場合、
獣は体主霊従主義(アトン信仰)の立場から批判することになる。
「批判」と言うと、中真から外れた不調和な対立のように
思うかも知れないが、それが根本的な大間違いなのだ。
「霊主体従の霊体一致」ゆえに、基本的には霊主体従主義の立場を取るが、
その反対の立場を取ることもあるが、それは中真に導く為に他ならない。
獣の善悪逆転論はグノーシス主義と同じである。
獣がキリスト教を批判するのは、グノーシス主義の主張と同じで、
キリスト教がアトン信仰だからである。
だが、グノーシス主義を説く者がいれば、
獣はキリスト教徒の立場からグノーシス主義を批判する。
グノーシス主義は悪(体主霊従主義)を否定しているからである。
善の立場の者が「御用の悪」を批判することこそが極悪なのだ。

獣はキリスト教徒でもある。いや、超キリスト教
(ユダヤ教ルシファー派=ナイトルシファー)の開祖である。
「ヨハネの黙示録」では善悪が逆転していることを述べてきた。
主がサタンである竜を倒すが、それはスサノオのヤマタノオロチ退治である。
スサノオが主バアルであり、今まで主とされてきたアトンが竜になっている。
そして、天皇は霊的に「イエス・キリスト」なので、
天皇のバックのヤタガラスは「原始キリスト教徒」でなくてはならない。
と言っても、彼ら日向族は「アトン信仰者」である。
なぜ、原始キリスト教徒の末裔である賀茂氏が、
スサノオ(バアル=キリスト)を封印し、アトン信仰になったのか……。
封印は終末に解くことを前提とし、
悪(体主霊従)の時代に転換する必要があったからである。
出雲族(鬼=スサノオ)が封印されたというのは一面的な見方で、
実際には自ら姿を隠したというのも、
それを分かった上で政権交代したことを暗喩している。
獣はバアルもアトンも信仰していない。
どちらも自分自身であることを分かっているからである。
但し、獣の中でのバアルとアトンは分離していない。
「バアル+アモン=バラモン」という話があったが、
獣は「バアル+アトン=バラトン」である。
どういう事かと言うと、順序立てて説明しよう。

イエスは言った。
「人は同時に2つの主人に仕えることはできない」
2つの主(ヤハウェ)とは、善神「バアル」と悪神「アトン」のことである。
つまり、「真我」と「自我」の2つを同時に自分の主体には出来ないという意味だ。
人は自らの魂(真我)を本守護神として忠実にならなければならない。
「ならなければならない」ということはないが、
意識進化の流れに身を任せて正神に仕える者は、自我の思考や感情を捨て去り、
自らの魂の声に従順になる必要があるということである。
だが、真我に目覚めると、「自分」という意識が魂と同化する為、
本守護神である自分(バアル)を信仰することはなくなるのである。
また、真我に目覚めた段階で、潜在意識の悪想念である「アトン」は浄化され
(副守護神は改心し)、魂(バアル)と共に正しい働きをするようになる。
バアルとアトンの統合で象徴的な体験をしたのが、魔界戦争のラストだった。
獣は自分のシャドーである魔王(アトン)を倒したが、
その直後、獣は魔王(アトン)と一体化したのである。
「バアルは何者か」と言えば獣自身であり、
「アトンは何者か」と言えば獣自身である。
この3年間、言葉を変え表現を変え、同じことを繰り返し説き続けてきたのだが、
獣が「アトン信仰批判者」だと受け取っている人がいるとしたら残念である。

獣は二元論的で、基本的に善の視点で書いているが、
そのように受け取るのは根本的な間違いで、
獣自身はあくまでも中真(ニュートラル)に位置している。
どちらの道を選択するかは個人の自由だが、まだまだアトンの力
(体主霊従主義)が優勢な時代なので、「ミロクの世」の創造の為に、
厳霊「艮の金神」の立場から説いているのである。
もっとも、その立場から説いているだけであり、それは正確な表現ではない。
混乱を招く恐れがあるので、これ以上、話さない方が良いかも知れないが、
救世神「バアル=スサノオ」は「瑞霊」である。
獣は内観と魔界戦争によって悪神アトン(自分の影)を改神させ、
「善悪統合」を実現し、瑞霊と厳霊も統合した絶対的中真を獲得している。
故に、瑞霊である救世神「バアル=スサノオ」の視点から説法しているのだが、
それは同時に、厳霊「艮の金神=国常立尊」の要素も含まれている。
全体としては「盤古大神=アトン」を含んでいるが、
その中真は改神した「盤古大神=アトン」とも合一した中真なのだ。
獣が説く「内外反転の内外一致」の宇宙観、
外在神は内在神の投影だが同一存在、
自分の世界には自分しか存在しない(他者は投影)が、
内側の集合的無意識で一体として大宇宙を形成し、
その陰陽(善悪)二極のエネルギーが正神と悪神だが、
自我によって全てを正反対に捉えていたという事実、
そして、善悪逆転とその裏の意味を理解した上で善悪統合し、
その全体でありながらその中真の視点を獲得しなければ、
獣が時と場合により、そして相手により、
様々な立場から中真に導いていることを理解できないだろう。
今は理解できなくても良いが、理解できなくて牙を剥く人がいると、
少しやるせない気持ちになるが、それも獣の自我である。
牙を向けてくる人も獣自身であり、また「善悪統合」の為の衝突だからだ。
故に、今は理解できないことも必然なのだと痛感している。
「世の元の大神の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ。
この仕組分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ。
知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ」
今まで獣にそのことを解説させようとした人が2人いたが、
今回の一連の連載記事も含めて、少し語り過ぎた部分がある……。

獣(青森白木上大神)の特性は「中立」である。
青森白木上は義理天上日之出(弥勒大神)の分魂で、
当然ながら義理天上日之出も中立系である。
獣の知人に義理天上日之出の御魂の人物がいるのだが、
お互いに波動・波長が合っているのが分かる。
そして、獣の話をよく理解してもらえるので、
その点から見てもテンテンのタマシラベは本物である。
先日、ある人の発言に対して、獣は全く正反対の立場から話した。
どちらが正しいかという問題ではなく、反対の極からの意見した。
それは獣のいつもの手法なのだが、
普通の人には獣が中真・中道・中立だとは理解できない。
だが、その時すかさず、義理天上日の出が
獣に対して「やっぱり中立だな!よく分かる」と言った。
中真を知らない人は中真を観念的に理解しているだけで、
中真を知っている者が語る観点を知ることはできない。
が、別に知らなくても良いのである。

霊主体従(バアル信仰) → 体主霊従(アトン信仰) → 霊体一致(善悪統合)
この次元転換が「神の経綸」であり、それを人に合わせて様々な角度から説き、
善と悪を戦わせ、善と悪に改心のキッカケを与えているのである。
善と悪は「霊と肉」、「内と外」でもあり、且つ様々な二元の両極を意味する。
もし獣の話が全く理解できない場合、善悪の概念を根本的に取り違えているか、
悪の役割の重要さを軽視しているからである。
「今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、
その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た」
「愈々と成りた時には神が誠の神力出して、
天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて
万劫末代、言う事聞きますと改心する処までゆすぶるから、
神の国、神の臣民心配致すでないぞ」
『日月神示』は、このように悪神に対して攻撃的で挑発的だが、
悪神の正体は『日月神示』を降ろした神自身であり、
中真に位置しながら善の視点から発言していることがよく分かる。
艮の金神(バアル)のシャドーが盤古大神(アトン)なので当然である。
その証拠は、次の神示を見ても良く分かるはずだ。
「金では治まらん。悪神の悪では治まらん。ここまで申してもまだ判らんか。
金では治まらん。悪の総大将もそのことを知っていて、金で世を潰す計画ざぞ、
判っている守護神殿早よう改心結構ぞ」
「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてミロクの世と致すのぢゃ」
悪神の計画は正神の計画であり、悪神と正神の共同作業でミロクの世となる……
もっと言えば、悪神と正神は分離した別々の神ではないのである。

ヒンドゥー教の絶対神は「創造神」「維持神」「破壊神」の三位一体だが、
創造・維持・破壊は、総て大いなる「創造」の一環であり、
絶対三神は即「絶対唯一神」のだ。
正神と悪神という二元論も三位一体も、それぞれ一面的事実だが、
本質的には唯一の内在神が存在するだけなのである。
言葉では外在神を否定しているが、そのように説く必要があるからで、
外在神を求めるのは、神を3次元の人間界に引き下ろし、
3次元の世界に神を発見しようとする行為に過ぎず、
実際には外在神は内在神であり、外側は内側なのである。
話を戻すが、神示はなぜ、正神の視点から悪神を挑発し、
攻撃的な態度の発言をしているのか……。
それは、悪神「盤古大神(アトン)」の最後の力を引き出す為であり、
同時に、救世神「スサノオ(バアル)」の力を顕現させる為である。
そして、その正神も悪神も自らの内在神であり、正神と悪神の最終戦争
「ハルマゲドン」の本質が、内観であることを理解しなければ意味がない。
終末は宇宙輪廻の転換期であり、宇宙カルマの総決算の時代である。
「原因の世界」である内面で処理しなかった人類の悪想念は、
大難のままに外側の世界に顕れることになる。
そして、外側の世界も他者も自分の投影であることが分かれば、
全ては自分自身の問題に他ならないのである。

バアル(スサノオ)とアトン(ヤマタノオロチ)は同一神であり、
両者の最終戦争「ハルマゲドン」は自分の内面の出来事である。
そのことは、神仙組2「善悪逆転論」の最後に紹介した
須藤アキオ氏の『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』
の中で、心理学的見地から分かりやすく解説されている。
「じつは、太陽は秒速19キロメートルの速さで織姫の方向へと動いているのだ。
すると、当然ながら地球も織姫へと向かっていることになる。
そして、地球は公転をしているから、大地のエネルギー、
言霊の象徴である螺旋形を描いて織姫の方へ進んでいるのである。
ますます悪化しているかに見えるこの世界も、
明らかに神の仕組に向かって進んでいるといえる。
地球がこのまま次元変動を起こさなければ、
学者は32万5000年でベーガに出逢うことになると測定している。
しかも1万2000年後には、この織姫を中心に星々が回転する、
つまりいまの北極星にとって代わるというのである。
しかし、夜空を眺めると、この織姫、琴座のベーガを蠍座が襲おうとしている。
蠍座は中国では天空の青龍とされているごとく八岐大蛇だろう。
この蠍座、悪魔は、オリオンの君とされた出口王仁三郎
(救世主の型役者)の三ツ星と似た三ツ星をもっており、
オリオン座が沈まなければ、180度隔てた蠍座はけっして昇らない。
つまり偽救世主なのだ。人類の総体的な意識は暗黒面を抑圧してきた。
この無意識界へと無理矢理押し込んだ反面を心理学では「影」といい、
自己実現に際して、まず最初に夢に登場する象徴人格だとする。
この人類の意識こそ、出口王仁三郎が型役を演じた救世主スサノオであり、
「影」こそが八岐大蛇だろう。
スサノオは自らの「影」、八岐大蛇の尻尾から剣を取り出して、これを克服する。
『古事記』はそう記しているが、王仁三郎は言霊で言向和すのだと訴えているのだ。
けっして否定してこれを押し込めるのではない。
まさに霊体一致の霊主体従を地で行く姿ではないか」

『日月神示』には、次のように示されている。
「此の世では、人間の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ」
「戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない。
世界中の洗濯ざから、いらぬものがなくなるまでは終わらぬ道理が判らぬか。
臣民同士のいくさでない、カミと神、アカと赤、
ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ。
それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ。
早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一」
「人間のイクサや天災ばかりで、
今度の岩戸ひらくと思ふていたら大きな間違いざぞ。
戦や天災でラチあく様なチョロイことでないぞ。
あいた口ふさがらんことになりて来るのざがら、
早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ。
肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな。
世界の事は皆、己の心に移りて心だけの事より出来んのざぞ、この道理判りたか」
「今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。
神々様、守護神様、今度は悪は影も残さんぞ。早よう改心なされよ」