2012年11月09日

宇宙を創造する食生活

俳優の川津祐介氏の著書『こんなにヤセていいかしら パートU』、
去年、エゾガラスにも進呈したが、もう1冊あるので紹介したい。

中2の時、ミイラのようになりたくて、絶食とハードな運動をしていたが、
もっとドクロのようにカッコ良くなりたくて、この本を買ったのだった。

そして、この本に書かれている骨盤体操をしていたのだが、
「食」について非常に感銘を受けることが書かれていた。
学生時代は拒食症や過食症を繰り返してきたが、
獣の食事改革はこの時に始まっていたのかも知れない。

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【食べることへの理解】

私達の星、地球では炭の粉粒(炭素)をベースにして自分の身体を造っている。
山火事が治まった所に入ってみると木も草も虫も小動物も、
そして時には人間すらも炭になっていて「ああ生物はこの星ではみんな
炭をベースにして自分の身体を造っていたんだな」と改めて思う。

それは炭素が炭素同士、あるいは他の原子と様ざまな結びつき方でできる
(共有結合)ことや、いろいろな形のもの、いろいろな性質を持ったもの、
をつくり出す性質を持っているからだと考えられている。

いま地球上の生物は、動物、植物から水中の微生物まで含めると、
100兆トン以上になると推定されているが、生物界から無生物界へ、
そして無生物界から生物界に炭素が行ったり来たりしている。
食べるということは、無生物界から植物が炭酸同化作用で取り入れた
炭素を体内に取り入れて有効に使うことである。
そして、呼吸したり排泄したり、あるいは死ぬということは、
これをまた循環する輪の中に返していくことである。


これとはまた別の意味で、食事というのは「輪廻」そのものである。
そのことについて書こうと思っていたところだが、
今回の話から少し論点がズレるので改めて書くことにしたい。

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【供養を受ける】

食べるということは、他の生物の生命をいただくということである。
ごはんであれパンであれ野菜であれ魚であれ肉であれ、
ともかく私たちがこれを食べるという時には相手の生命を奪って、
私たちの身体の中に取り込んでいるわけである。
言葉を変えると、他の生き物、野菜とか果物とか鳥とか牛とか豚とかは
私たちが生きていく為に自分達の命を捧げてくれているという事になる。

私たちは他の生き物たちの生命の供養を受けなければ
生き続けていくことのできない存在なのである。
食べ物をいただく時、このことをどれだけ自覚しているだろうか。
そしていま奪い続けているさまざまな生命に、
自分が今生きているということが値しているかどうか、
ということについて振り返ることがあるだろうか。
このことはよく考えたい、深く深く考えたい、と思う。


人間が生きていく上において、「食べる」ということは原点である。
その「食べ物」そして「食べる」という行為と気持ちについて、
深く思いを馳せたことのある人がどれだけいるだろうか。
それは断食で飢餓を体験しなければなかなか意識しないことだろうし、
意識したとしても本当の意味での理解や実感は伴わないはずである。

断食を強要するわけではないが、半日断食や食事制限によって、
食が意識進化の神業であることの意味を深く感じ取って頂ければ幸いである。

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【よりよく生きるために食べる】

他の生物の生命の供養を受けなければ生き続けることができない――
この星の上で私達が生きていく為には避けて通れない仕組みである。
考えようによっては何と厳しい仕組みであろうか。
それを真剣に考えると私は生きている事がとても切なくなってくる。
そのことを深く思う時、必要以上に食べたり、
一度食べた物をわざと戻したり、体重超過で病気になったりするのは、
それだけでもう罪深い行為に思えてくるのではないだろうか。

食べた物を無駄なく吸収し、十分に生かしきるということが、
生命の供養を受ける私たちが答えていく道ではないかと思う。
また、常に私が思うことは、一個のジャガイモ、一粒のお米、
一尾の魚はひょっとしたら、より高い意識に出会いたいと願って、
自分の生命を喜んで投げ出してくれているのかも知れないという事である。

私たちが食べるということは、その食べるということを通じて、
ジャガイモやお米や魚に出会うことであり、もっと言えば、
より高い意識に出会う機会を与えるということになるのかも知れない。
こう考えてくと、私たちは意識の輪廻の中で、
非常に重要な役割を与えられているということになる。

野菜をいただくなら野菜以上、牛をいただくなら牛以上の
高い意識を持たなければならないことになるのではないだろうか。
私たちはいま、それがちゃんとできているだろうか。


『日月神示』には次のように示されている。

「草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。
出世するのざから嬉しいのざぞ、
草木から動物虫けら生れると申してあろがな」

「そなたは、食物は 自分でないと思うてゐるが、
食べるとすぐ自分となるでないか」


食べた物は消化して出ていくと思っているかも知れないが、
人間の肉体(血、細胞、骨、皮膚などすべて)は、
食べ物によって造られているのであり、
食べた植物や動物の記憶や意識を受け継いでいるのである。

そして、野菜や果物は基本的に食べられることを喜びにしているが、
魚や動物などは人間に食べられることを望んでいるわけではない。
仮に食べられたとしても、高い意識に出会って成仏できれば良いのだ。

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【宇宙の創造行為】

食事は人と自然との大切な関わりの一つの表れであり、
宇宙の創造行為への参加であると私は考えている。
しかしだからといって深刻に受け止め、儀式ばることはない。
食事をするという行為の根底には大きな喜びがどっしりと横たわっており、
「楽しむ」ということが食事に対する最も正しい基本的な姿勢だと思う。

食べる事の真の楽しみ、喜びを探求していくと人はついに
菜食、自然食に至るのではないかと私は感じている。
人間の生理的機能が最も健全に保たれるのは、
肉や脂や蛋白質が少量、あるいは皆無の場合である。

植物を中心にした食事の摂取とある種の病気の予防には、
積極的な関連があることが多くの科学的証拠によって裏付けられているが、
食の楽しみを深く追究していくと人は菜食に近づいていくようである。
しかし、急激に食事の内容を苦しい努力によって変える事を奨めたくない。
それは食べる喜びを奪ってしまう可能性があるからだ。

@ 少しずつ肉の量を減らしていく
A 少しずつ肉の質を変えていく
  脂身から赤身へ、牛から羊へ、羊から鶏へ
B 豆などの植物性タンパク質を増やす


そんな工夫をしていくと食事を楽しみながら身体の知性を
向上させていくことができるのではないかと私は考えている。


須藤アキオ氏は『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』
の中で、次のように述べている。

「肉食をやめることはそれほど難しいことではない。
人間の欲は際限を知らないが、人間の身体は案外、
満たされれば満足するようにできているのだから、
やめようとして苦労するよりも、
植物性タンパク質(豆腐や味噌などの大豆食品)
を多めに摂取すれば、自ずと肉は欲しいと思わなくなる。
これは単純な精神論が嫌いな私が保証する」


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【習慣ができるまで努力する】

ここまで読まれた読者の方は、
何と当たり前の事しか書いていないのだろうと驚かれたかも知れない。
しかし、一つ一つのことをご自身の食生活に照らし合わせてみると、
この当たり前の事が行われていない事に驚かれるのではないだろうか。
正直に告白すると、この章に書かれてあることは、私の努力目標だ。
すべてのことが難なく行なわれているわけではない。
しかし、努力目標を掲げ、それに近づこうと努力するプロセスの中で、
私の健康は、どんどん良い方向に向かっていくのを感じている。
何でもない事を当たり前に出来るようになるまで一緒に努力してみませんか?


目標や努力は手放すべきだが、「目標」や「努力」という観念ではなく、
菜食の少食が喜びとなるのが理想であり、その為の食事改革は、
ある意味、目標と努力と言えなくもないが、そのように思わない事である。

究極の快感、究極のグルメは「不食」である。
と言っても理解できないと思うが、
食が「宇宙の創造行為」というのは大げさな話ではない。

食の真の楽しみ、喜びを探求していくと菜食、自然食に至る、
ということだが、実際には(獣の場合)菜食は受け付けなくなった。
それは肉や油の害を中和する必要がなくなったからだと思うが、
とにかく油や調味料などで味付けした「料理」が欲しくなくなり、
淡泊でアッサリした自然の物を好むようになってくるものである。

タンパク質の場合は、植物性であっても極力控えた方が良いが、
肉食と比べると害は少ないので、肉食を減らしていく過程では、
植物性タンパク質を増やすのも一つの方法だと言えるかも知れない。

肉を食べたければ食べれば良いが、
それは欲望(悪魔)と良心(神)の葛藤である。
このタイトルの通り、「習慣ができるまで努力する」ことは必要である。

「身魂磨きとは、善いと感じたこと直ちに行うことぞ」
(日月神示)

今、今年の冬至に向けて、「最後の正念場」である。
食欲との戦いがあり、周りの人達から変人と思われようとも、
良心に従って、自分が信じる道を進むことが何よりも大切である。

汝の人生も「我が闘争」なのだ!

そのフラストレーションに耐えられなくなったら、
たまに焼き肉食べ放題にでも行って、死ぬほど肉を喰らえば良い。
魚介類でも食中毒や猛烈な下痢になるほど食べれば良い。
そうしているうちに、快適で適切な食事を好むようになってくる。

真の食事改革のキッカケは、今の食生活に対する自己嫌悪から始まる。
「我慢」と「過食」の両極を体験することを提案したい。

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posted by ZERO at 22:41| Comment(2) | 食育革命と超人進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
リアル創聖のアクエリオン。
Posted by 電車男。 at 2012年11月18日 13:19
勿論物理学はハードSFですよ。
Posted by 電車男。 at 2012年11月18日 13:20
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