2012年11月12日

信念領域体系からの脱出

「大乗仏教から小乗仏教へ=宗教破壊2」
http://kemono666.seesaa.net/article/241743809.html
で、「法華経の一大主旨は、実は一切の宗教の否定にある」
という話を紹介したが、その続きを載せておきたいと思う。

そのことは日蓮聖人の大事な信条として、
「王仏冥合」の一言にすべてあらわれています。
王仏冥合とは、仏教の教えが自然と人間の全ての活動
(政治、経済、教育、その他)に知らぬ間に溶け込んでいって、
逆に人間のあらゆる活動は自然体を元に造り上げられ、
その間に一切の差別や矛盾がなくなってしまうということです。

これは言うまでもなく、昔の「祭政一致」とか、
ましてや特定の宗教が政治と結びつくといった
現代の不自然な状況などとはまったく違います。
早い話が「宗教の否定」ということです。
宇宙にはもともとそんなカテゴリーは存在しないのです。

仏教はそれ自身、宗教の一種であるとは認めていません。
人間はいつまでも何宗だ何教だといっているようでは、
決して真の自然体に至ることは有り得ないのです。
こうした自然体の世界こそまさしく“法華経化の時代”で、
後で述べる「不老不死」にしてもその一つの顕れと言えるでしょう。

しかし、現在のような混乱と不安に満ちた世界の状況から考えると、
こういったユートピアが成立するなんて、
とうてい信じられないと思われるかもしれません。
たしかに世界中の人々が今そのような死全体の心を得ようと
いくら努力しても、所詮「ゴマメの歯ぎしり」でしかないでしょう。


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日本人の宇宙進出こそが実現のカギを握る

しかし、ここで述べているのは法華経の予言というのは、
決してウソでもなければ実現不可能なことでもありません。
ユートピア実現のための“法華経化”のきっかけは、
人間の宇宙への進出によって起こります。
しかも、真の意味でその先駆けは日本人によってなされるでしょう。

仏教的表現をするなら、日本人には「煩悩の障り」はあっても、
「所智の障り」がほとんどありません。
「煩悩」とは簡単に言えば、エゴから生じる欲望です。
「所智」とは、いわば人間のもう一種の「くせ」で、
それは知識とか信念・信条のことです。
所智はとくに西洋人(インド人にもいえる)の場合、
善悪は別として問題視されるのです。

『宇宙からの帰還』によると、宇宙へ進出した飛行士のうち、
東洋的思想をも身につけていた人々は、
一瞬のうちに煩悩障が消滅するとともに、いわゆる無差別智
(自然体の智恵)を得て、冴え渡った意識状態(悟り)に至っています。

しかし一方、キリスト教を頭から信じ込んでいた人などは、
その煩悩障が消え飛んだのがかえって災いして、
ガチガチの信者になってしまう(信念がますます強くなる)ので、
所智障は煩悩障とともに自然体を失う二大要素とされているのです。

ちなみに釈尊が悟りを開いた時、「われ一切の勝者、一切の智者となれり」
と叫んだといわれていますが、勝者とは煩悩に打ち勝った
(コントロールできるようになった)ということで、智者とは
一切の偏った知識や信条を捨てた(囚われなくなった)という事です。

日本人はその点(神の国だから?)外国人から見て、
宗教心がないとか、独自の哲学がないとかいわれますが、
それがかえって幸いしているのです。
外国人はよい意味で個性が確立し、自我意識が強く、
その結果、ユニークな哲学思想も数々生まれてきました。

もちろん一部には例外(東洋思想の理解者)もありますが、
宇宙進出に伴って自然と生じる「煩悩障」の消滅がかえってアダとなり、
そのために「所智障」が強く浮上して、
宇宙で生じる直感をひどく曲がったものにするのです。

ところが日本人にはそれがあれません。
したがって、日本人が宇宙に進出することによって直感が冴え渡り、
地球上のあらゆる難問題を一挙に解決するようなヒントや
科学技術が続々と生まれてくるはずです。

天皇制の善し悪しの問題はいずれ解消されるでしょうが、
結果的に日本人は知らず知らずに「無我の訓練」を積んでいたのです。
日本の教育にもその傾向があらわれています。
日本はそうした無我自然体の根づくべき国として、
昔の偉人たちは早くから直感していました。
この点に関して、アインシュタインも著書の中で詳しく述べています。


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この話は「信念体系領域」を思わせるが、実際にその通りである。

宇宙進出の話が出てきたが、人類(日本人)が宇宙に進出するのは
宇宙連合の仲間入りをしてからだろうから、数十年先のことだろう。
それまでは地球上のあらゆる難問題を一挙に解決するようなヒントや
科学技術が続々と生まれないのかというと、そういうわけではない。

宇宙空間に出るとどうなるかというと、右脳と左脳が統合する。
そうするとシータ波となり、先入観や固定観念が消えて、
直感的に真理を会得するようになる。
それは悟りの意識状態となった宇宙飛行士の例を見れば分かるが、
宇宙空間に出なくても脳波をシータにすることは可能である。

政木和三氏は3000件もの発明を、シータ波の時に10秒以内に完成させている。
そのような発明は科学的知識を持つ者にしかできないことだが、
人間の意識進化とは、右脳と左脳が統合して自我が消滅し、
直感的に宇宙真理を悟ることであり、そこに信念などは存在しない。

これから人類は徐々にそうなっていくのだが、勝手にそうなるわけではない。
地球の次元上昇の波に乗ることによって、そうなっていくのだが、
では、地球の次元上昇の波とは何かというと「集合的無意識」である。

その集合的無意識が次元上昇(意識進化)に向かう原因は、
一部の人々の修行による右脳と左脳の統合だと言えるだろう。
右脳と左脳を統合して悪想念を浄化し、
先入観や固定観念、信念を外して「煩悩障」や「所智障」を消滅し、
輪廻を解脱し真我を覚醒させる作業が「ネオデジタル内観」なのだ。

詳しくは後に譲るとして、とりあえず続きを見ていくことにしよう。

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人間の価値観が大きく変わる時代が到来する

ところで、技術革新として最も注目されているのが、
「核融合の実現」と「心の働きと科学技術との関係」の解明でしょう。
日本が現在、各国から経済摩擦など色々な点で外圧を受けているのは、
日本の経済力を宇宙へ向けるべきだという暗示として受け取るべきです。

現に日本はそうした宇宙開発技術、とくにエレクトロニクス、ロボット、
金属研究(宇宙では特殊な金属<合金>が造れることが既に証明済み)
といった方面で、第一級の力が備わりつつあるといった状況です。

超電導技術とともに核融合技術の面からも、
日本は他国と比べるとかなり進んでいると言えます。
たとえば、核融合技術が完成するとどうなるでしょうか。
その燃料は海水中に無限にあり、その発するところのエネルギーは
ありあまるほど。しかも経済的です。

ちょっと考えてみても、原子力問題、石油問題、公害問題、
轢いては食糧問題などの難問題は一挙に解決できるでしょう。
ましてや、UFOやテレポーテーションンの現象が解明されたら、
それどころではありません。
たとえば、法華経の経文の中に「身出光明、飛行自在」とあるのは、
いったい何を意味するのでしょうか。

もしこれが実現すれば、人間の価値観は大きく転換するに違いありません。
私利私欲に走ることは損になり、自らを傷つける結果になることを、
身を持って知らされるでしょう。
いずれにしても、超電導技術にしろ核融合技術にしろ、
その完成はもうわれわれの目の前に迫っています。

人間そのものの研究も、それとともに大変化するでしょう。
そして最終的にユートピアの実現は否応なしに起こるに違いありません。
結局、その結果として人間の心も
そういった状況に合わせざるを得なくなってくるのです。
自然体は精神と物質の両面から達成されるべきものであり、
“法華経化の時代”とは、それ以外のなにものでもないのです。

しかしながら、法華経の予言は、こうしたユートピアが実現する前に、
人間の間に大きな摩擦が生じるであろうことも併せて予言しています。
それは、人間が二分化(自然体に至りにくい人もいる)するためです。
言いかえると、人類のこれまでの業(煩悩障や所智障)から
容易に抜けられない人も少なくないからです。
だとしても、それは「生みの苦しみ」として、
人間が真のユートピア実現のために通過せざるを得ない試練なのです。


人間の心がそういった状況に合わせざるを得なくなってくる……
オコツトの話と通底するところがあって興味深い。
自然体が、精神と物質の両面から達成されるのが“法華経化の時代”
とは、まさに「霊体一致」のミロクの世を意味している。

尚、これまでの業(煩悩障や所智障)から容易に抜けられないというのは、
信念体系領域から抜け出せない人が少なくないということである。

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ユートピア実現は精神のあり方次第による

真の意味で平安な世界が実現するためには、
まず何よりも人間の精神の在り方如何にかかってくるでしょう。
しかし人間の心、つまり心の働きというのは、
人体の条件や生活環境と一体不離なものですから、
あまりに心の方面ばかりに目が行くのもどうかと思います。

例えば、すべての人間が悟りを開くとか、超能力を得るとか、
あまり現実的ではありません。
龍宮城のような世界が生じるというのであれば、
それはある意味で人間世界の退化や滅亡に繋がる恐れもあります。

科学の発達やその結果は、好ましいものとばかりは言えません。
あらゆるものの発展の過程においては、
そうした副作用や副産物をともなうものなのです。
だからと言って、科学技術の発達という現実を一切否定して、
人類が原始の生活に戻ろうとしたり、
都合の良い部分だけを受け入れようとしても無駄なことでしょう。

私自身もこうして予言の解読に携わっていると、現実肯定というか、
少なくとも人類共通の無意識というものはすべて知り尽くしており、
着々とその方向に向かって進んでいるという事がよく分かるのです。

人間の心の在り方を良くしようとする努力は結構なことですが、
それがすべてではありません。
良くしようと努力すること自体、
逆にそうでないことを認める結果になりかねないからです。
人間の将来はそうではなく、むしろ科学技術が高度に進歩して、
人間の心の在り方の方をそれに合わせざるを得ないような、
正しい科学の時代がやってくるということなのです。

これは、コンピュータが人間を支配するような
本末転倒した意味とはまったく違います。
一言で言えば、心の働きと科学技術の間には
直接的に密接な繋がりがあるということなのです。
ミクロな世界の研究がマクロな世界の研究と一本化される
といったら、皆さんにも分かって頂けるのではないでしょうか。
具体的に言えば、心の働きも一種のエネルギーだということです。


これもオコツトの話と符合するが、獣が言いたいことを
完璧に言い表しているので解説の必要はないだろう。

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しかし、人間には長い時間や経験によって、
心の「くせ」というものが作り上げられています。
それが一瞬のうちにすべて消えるというわけにはいきません。
言いかえれば、人間の大小真偽さまざまな、
いわば価値観とか衝動といった「くせ」(業)がありますから、
もし現実にユートピア世界を迎えたとしても、
なかなかそれに気づかず、苦しみや悩みが増大する恐れもあります。

つまり、価値観の混乱が生じるのです。
価値観を見失うと言ったらよいかもしれませんが、
すべての混乱はそれより生じてくるのです。
そうした事態をあらかじめ防止する方法は、
残念ながら今のところありません。

もちろん、ユートピアはすべての人々がその個性を発見し、
存分に発揮すべき自然体の時代です。
その時、多くの価値観を見失った人々に対し、
彼らの進むべき方向を体現し導く人間が何人か出現するのは、
別に奇跡でも何でもなく、自然の要求と言って良いでしょう。
要するに、人々の価値観を修正し、あるいは拡大するために、
必然的にメシアが出現するのです。


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ここで言う、価値観とか衝動といった「くせ」(業)というのは、
先に出てきた「容易に抜けられない業(煩悩障や所智障)」、
すなわち「信念」のことである。

それは柳川氏も述べている通りである。

・「所智」とは、いわば人間のもう一種の「くせ」で、
それは知識とか信念・信条のことです。

・キリスト教を頭から信じ込んでいた人などは、
その煩悩障が消え飛んだのがかえって災いして、
ガチガチの信者になってしまう(信念がますます強くなる)ので、
所智障は煩悩障とともに自然体を失う二大要素とされているのです。


まず、ポジティブな世界に移行する為には、
ネガティブな世界(幽界)から脱却する必要がある。
フォーカスレベルで言うと、まず「フォーカス23」から脱却することである。
そこを脱出すると、信念体系領域(フォーカス24〜26)と呼ばれる世界がある。

そこには様々な信念を持つ霊団の集まりがあり、
善霊の世界(陰界)も悪霊の世界(陽界)も存在する。
いずれも幽界であり、信念が強いほどレベルが低くなる。
つまり、信念の度合いによって意識レベルが決定し、
善悪は基本的に関係ないということになる。

悪的な想念は早々に浄化した方が良いことは言うまでもないが、
ここでは善的な世界(陰界)について述べておきたい。
悪想念を浄化して善的な意識を獲得しても、
この「信念体系領域」を抜け出すことは難しい。

それを抜け出して、ようやく「天界」と呼ばれる
フォーカス27(輪廻転生地点)に上昇する。
それを解脱して初めて涅槃(5次元)に突入するのだが、
ポジティブな世界に行く為にはフォーカス27に到達しておくことである。

その為には「信念体系領域」を脱却する必要があるのだが、
今年の冬至までには難しい人も多いかも知れない。
だが、フォーカス24〜26のうち、
出来る限り26くらいまでには達しておいた方が良いだろう。

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「信念」には様々な信念があるが、
中真感覚(直感)を妨げる最たるものが「教育」と「宗教」である。
それは内海氏も言っていることだが、獣は内海氏の本を読む以前から、
その2つの破壊を主張し続けてきた。

具体的なことを書き出せばキリがないので要点を書いていくが、
要は「道徳」や「教義」というものに囚われ、
自分で真理を感じ取れなくなっているのだ。
道徳や教義も真理の断片かも知れないが、
それはあくまで断片であり、また、歪められたものでもある。

仮に、それが正しい内容であったとしても方便であり、
正しい理解ができずに勝手な解釈をしていることが問題なのだ。
それに凝り固まって縛られていると意識の拡大ができないことになる。
特に、特定の宗教の教義を信念にしていると、
なかなか信念体系領域から抜け出せないのである。

少し前にも紹介したが、
坂本政道氏の『死後体験』に載っている話をもう一度載せておこう。

フォーカス24〜26は全体として信念体系領域と呼ばれる。
この世界はいくつもの世界に細分化されている。
あらゆる時代、地域の人たちがここにいる。
例えば、キリスト教の一つの宗派を信じる人たちの想いが創った世界。
彼らはそこが天国だと信じて疑わない(疑った人は抜け落ちてしまう)。
キリスト教の様々な宗派に応じた「疑似天国」がいくつもある。


獣はその世界を確認したわけではないが、
スウェデンボルグの話とも一致する話である。
もちろん、キリスト教に限った話ではない。

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『日月神示』には次のように示されている。

「神から出た教えなら、他の教えとも協力して共に進まねばならん。
教派や教義に囚われるのは邪の教え。豚に真珠となるなよ」

「そなたはまだ方便を使っているが、方便の世は済んでいるのぞ。
方便の教えとは横の教え、いろはの教え、平面の教えのことぞ。
仏教もキリスト教も回教も、みな方便でないか。
教えはみな方便ぢゃ。教えではどうにもならん。
ギリギリの世となっているのぞ。道でなくてはならん。
変わらぬ太道でなくてはならん」


様々な宗教宗派の教えを勉強している人は、柔軟性があり、
深い理解に繋がるケースもあるのでそれはそれで良いのだが、
もう1つの問題は「戒律」である。

「戒律を作ってはならん。
戒律がなくてはグニャグニャになると思うであろうなれども、
戒律は下の下の世界。
今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪は要らんぞ。
戒律する宗教は滅びると申してあろうがな」

「歓喜に裁きのないごとく、神には裁きなし。
裁き説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ。
戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん。
裁きを説くのは自分で自分を裁いていること。人民に罪なし」


神仙組のブログ説明に、
「5大方便(罪と罰・カルマ・輪廻・地獄・プラス思考)を斬る」
と書いているが、この5大方便の観念をなくしていく事が重要である。

「最後の審判」についても誤った解釈をしている人が多いが、
それも非常に大きな問題なので、過去の記事を検索して読んでもらいたい。

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内海氏は「何も信じてはならない」と言っているが、
「信じる・信じない」の二元を超越することが大切である。
最大の問題は「神仏」の概念である。
いわゆる「信仰心」だが、これも強烈な信念となって
真我(神性・仏性)の覚醒を妨げる大きな原因となっている。

少し前にも紹介したが、桑田二郎氏は『神次元の書』で次のように述べている。

「人は“神”という言葉を何気なく口にしてはいるけど、
その深い意味合いを分かっている人となると少ないのです。
皮肉な話なのですが、神を信仰しているグループの人の方が、
全く神を信じようとしない人たちよりも、
むしろ神が分かっていない、というまことに、けったいな話!
でも、ほんとに、そうなのです。
どういうことかというと、神を信じるグループの方は、
神というものに、それなりの概念を持っています。
悪く言えば、神のイメージを固定観念化させてしまっているのです」


知花敏彦氏はこう言っている。

「神とは何か、自分とは何か、私達はたくさんの宗教の教えにより、
いろいろな神があると考え、さまざまな概念を植え付けられています」


肥田春充は『宇宙倫理の書』という宗教的科学書を書き残したが、
宗教は国民を奴隷にするものだとして猛烈に批判した。
人々を盲信させ、自らの無限力を否定するような宗教がはびこっては、
日本は滅びてしまうと言って、新興宗教を徹底的に攻撃したのである。

「私は天下の大無頼漢である。悪党の巨魁である。
けれども天下の生神どもは、私の足元に踏みにじってやる。
悪党に踏みつけられるような神様じゃ、致仕方あるまいな」


『日月神示』は次のように主張している。

「仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしていたのであるなれど、
仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、暗闇の世となったのであるぞ、
その後はもう乱れほうだい、やり放題の世となったのであるぞ、
これが五度目の大きな岩戸しめであるぞ」


王仁三郎は言う。

「わしはなあ、この世でまず仏教を滅ぼす型をやるのや。
それがいろいろな宗教を滅ぼす型になるんや。
宗教というものがないのが、ほんま素晴らしい世の中になるんや」

「宗教家の主張する死神死仏を葬って、蘇らせるのは活気凛々たる真実の神だ」


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王仁三郎は、反キリスト(666の獣)の予型だったが、
「ヨハネの黙示録」には次のように予言されている。

「そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、
その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した」


故に獣は、聖書で「神」と呼ばれてきた存在を「サタン」と断定し、
「サタン」と呼ばれている存在を「真実の神」であることを公開した。
その神や悪魔の概念をはき違えている人が多いのが問題だが、
まずは「善悪逆転」の認識を広めることが先決である。

その他、今まで神仏を罵倒するようなことを書いてきたが、
多くの宗教団体や神社などに君臨している神仏が、
幽界霊であることを獣は見抜いていたからである。
岡田多母氏の師匠の天翠氏もそのことを見破り、
「育ての親」という言葉で表現している。

今まで神仏として人類を支配してきた「育ての親」の時代
(体主霊従の時代)が終焉を迎えようとしている今、
彼らは波長の合う人間にしがみついて最後の悪あがきをしているという。

『日月神示』にも次のように示されている。

「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、
勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言」


「そなたは神に凝り固まっているぞ。
凝り固まると動きのとれんことになる。
一度そなたのもつ神を捨てるとよいぞ。
捨てるとつかめるぞ」

「そなたは一度神を捨てよ。
神にしがみついているから、小さい囚われた、
ゆとりのない神を、そなたが作り上げているぞ。
信ずれば信ずるほど危ないぞ。
大空に向かって大きく呼吸し、今までの神を捨てて心の洗濯をせよ。
神を信じつつ迷信に落ちていると申してあること、よく心得よ」

「真の信仰に入ると宗教に囚われなくなるぞ。形式に囚われなくなるぞ。
真の信仰に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。
今に岩戸ひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ」


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宗教とは無縁の人であっても、個人的な人生の目標を強く持ち、
努力して生きている人たちが数多く存在する。
それもまさしく「信念」であり、個人的な一種の宗教である。
それ故、信念体系領域から抜け出せられない人が多いのである。

また、信念は妄想の確信だけではなく、自分の経験にも基づいている。
その経験や体験によって価値観や固定観念などの信念が生まれるが、
人間が五感知覚で認識することは全て錯覚であり、幻なのだ。
目で見て、耳で聞き、手で触って確認したことでも真実ではない。
目の前にあるリンゴを手に取っても、手もリンゴも実在ではないのだ。

量子力学的にそのことを理解して、常に意識して生きていれば、
今まで自分が築き上げてきた信念や価値観は徐々に崩壊していく。
それは一種の「自己破壊」だが、そもそも自我は実在しない偽我であり、
それを破壊していく勇気と決断が必要なのである。

だが、それで柳川氏が言うように「価値観を失う」ということはない。
信念や価値観の崩壊とともに「真理」に目覚めてくるからであり、
自我の崩壊とともに真実の神と繋がる「真の自己」を発見するからだ。

法華経の予言は、こうしたユートピアが実現する前に、
人間の間に大きな摩擦が生じるであろうことも併せて予言しています。
それは、人間が二分化(自然体に至りにくい人もいる)するためです。
言いかえると、人類のこれまでの業(煩悩障や所智障)から
容易に抜けられない人も少なくないからです。
だとしても、それは「生みの苦しみ」として、
人間が真のユートピア実現のために通過せざるを得ない試練なのです。


これは、少し前に獣が書いた記事と一致する。

ちなみに釈尊が悟りを開いた時、「われ一切の勝者、一切の智者となれり」
と叫んだといわれていますが、勝者とは煩悩に打ち勝った
(コントロールできるようになった)ということで、智者とは
一切の偏った知識や信条を捨てた(囚われなくなった)という事です。


「ポジティブな世界」に移行する為に、今年の冬至までに出来る限り、
信念体系領域から抜け出しておくことをお勧めする。
信念を手放すのが遅ければ遅いほど、後で苦しくなるのは自分である。

その為の最高のプログラムを、リスクを背負って公開しているが、
読むだけでも効果があると思われる左斜め下
http://world888.seesaa.net/article/144726730.html#more

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posted by ZERO at 18:38| Comment(4) | 超科学と意識進化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しく拝見してます
がんばってください。
Posted by at 2012年11月13日 12:43
こんにちは、応援ありがとうございます。

全体的に加筆修正したので再読頂ければ幸いです。
Posted by 獣 at 2012年11月13日 14:42
とても素晴らしい話、ありがとうございます。
私は、信念体系から抜け出せないのかもしれません。
自分の信じた道をゆくしか進み方がわかりません。
かつ、それが正しいとも言い切れない。
だって、昔は正しいと思っていた事は今は間違っていたとなった事もあるから。
ときたま起こる深い内観によって破壊と再生の繰り返しで、そのつど芯が強くなってしまうのです。
価値観はゆるくなりますが…
自分なりの芯というか真、信、芯、神みたいなのが。
まだ何かと戦ってるんでしょうね。
ここを抜けて、無抵抗の境地にゆきたーい。
Posted by あゆ at 2013年08月05日 18:58
あゆさん、こんにちは。

はい、よく分かりますよ^^
ぜひネオデジタル内観にチャレンジしてみて下さい↓
http://world888.seesaa.net/article/144726730.html
Posted by 獣 at 2013年10月14日 08:55
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